キャラクターをつくろう
スナフキンの会をやっている時に、「会のTシャツを作って、参加者に配ろう」という話を、多分に酒の勢いで話したのだが、徐々にその気になってきて、まず、デザイナーに依頼して、キャラクターを作ってみた。
最初は、僕とスナフキンを足して2で割った感じ。
という事で始めたのだが、その内、あまりにスナフキンに似ていると、権利問題でもめるとまずいという話になり、スーツ姿に。
その後、可愛くなければいけない(似てる似てないは二の次)という事になり、最初のコンセプトとは随分変わってできたのがこれ。
これをTシャツにして、「気の合った飲み仲間」と認定した人に、無料で贈呈しようという趣向だ。
取り合えず、100枚作る事に。
気の合った飲み仲間とは、明るく楽しく飲めて、飲み会の最中に仕事の話や愚痴は言わない人間、という感じかな。
欲しいか欲しくないかは無視して押しつけようか。
しかし、このキャラクターを使って教材とか作りたいものだが、依頼はないものか!?
SEEDの後にお好み焼き
すっかり九龍側の住人になってしまったので、夜の銅鑼湾は今年に入ってから行っていないのでは、というくらいご無沙汰だ。
ここ数日、仕事続きで、昨夜も仕事が終わったのが夜の11時だったので、思い立って久々のBar Seedに行く。
ストレス解消だ。
久々に客が少ない日の様で、閉店間際は僕一人。
初めての事であるが、マスターの宮野さんと飲みに(?)行く。
朝までやっている近所のお好み焼き屋だ。
関西人ではないので、お好み焼きには執着が無く、行ったのは初めてだ。
夜10時頃にSeedを出たというお客さんが、ふらふらになりながらお好み焼き屋にいたので、宮野さんが喜んで、「この間はどこにいたんだい?」と突っ込んでいた。
食事はしていたので、葱焼を頼む。
宮野さんが頼んだなんとか巻き(名前を忘れてしまった)も、同じようなものだ。
ぼちぼち焼酎を飲む。
閉店後の宮野さんは陽気であった。
店の人と記念写真を撮ったりしているところ。
ジーンズを買いに行く
実は、十数年、ジーンズをはかなかったのだが(太ったから)、昨年7月から運動に運動を重ねてウェストを絞ったので、昨年秋に久々に買ってみた。
結果、あまりの便利さに、普段着はほぼジーンズとなってしまった。
今まで、出張に、何着もズボンを持っていったのが、ジーンズだと1着で済んでしまう。
しわを気にしなくていいのがたいそう楽だ。
2着では足らなくなったので、追加を買いに行ったもの。
昨年の秋に買った時は、32インチのサイズであった。
これでも、4インチくらい絞った後だったので、よく頑張ったもんだなあ、と満足していたが、今日買ったのは30インチ。
29インチも入りそうだが微妙な感じなので、取り合えず、次に買う時にしようと考える。
あまり絞る事に専心するのも如何なものかという気がするが、今のところ、運動する事が苦にならないし、体調はすこぶる良い。
安眠できるし、走る距離も、調子がいい時は10Km程度に伸びてきた。
まずは順調という事で。
中国人のルール
やはり、一般書というのは、今まで書いていたビジネス書とは違った反応があるのが面白い。
この本は、1テーマ800字のものを、100テーマ作らなくてはいけないので、結構大変であった。
30~40個はすぐに思い付くのであるが、100個というのはなかなかきつい。
更に、ボツになったのもあるから、120個くらい書いているのではあるまいか。
結構、大変な作業であった。
週末を使って、2ヶ月で書き上げたのだけれど。
ただ、書いている時は、「題材が題材だけに、誰が書いても同じような内容になるんじゃないかな?」と考えていたけれど、「水野の視点だ」という事を言って頂けるのは、ある意味、嬉しい誤算であった。
まあ、水野の目線が必ずしも正しいとは限らないのであるが、少なくとも、極力偏見をなくして、公正な目線で書いたつもりだ。
前にも書いたけれど、インターネットの功罪として、誰でも情報が発信できるというのはあるけれど、一部の人間の偏見に満ちた視線が、他国のメディアを通して、その国の代表的な意見だと誤解されてしまう危険性が、大きくなっている。
その時の記事に、「インターネット発の戦争が起き得る時代だ」と書いたけれど、その後発生した中東情勢を考え見るに、その危険性は見過ごす事ができない様に思う。
インターネットが、抑圧された国民が自由と権利を奪い取る為のツールとなるかもしれないが、情報操作をされれば、正義の無い戦争・暴動に発展する危険をはらんである訳で、これは、もろ刃の剣と言わざるを得ない。
それを考えると、インターネット情報の放任・自由は、僕個人としては、必ずしも正義とは思えない。
勿論、管理する側の恣意が入りすぎるのは問題があろうが。
若干話はそれたが、この様なインターネットを介した巨大な情報の波と、それが生み出す偏見の中で、僕ができる事は、極力偏見を取り払って行く事だ。
そんな気持で書いたのが、今回の本である。
そして、今後も、この様な意識を持って、仕事・生活をしていきたいと思う。
広州・天河の夜景を見ながら
広州天河の夜景
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夜8時発の電車で広州から香港に移動。
電車待ちの時間、電車の中、そして帰宅後も一心不乱に仕事をして、午前1時半にやっとひと段落ついた。
ここしばらく、仕事がこちらに、どんどん飛び込んでくる様な状況。
その対応で、毎日全力疾走だ。
広州天河の夜景
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2泊3日の広州は、忙しく、なかなか充実していた。
また、懐かしい人たちにもいろいろと会えた。
昨日は仏山市政府。
今日は、広東省政府との面談予定は延期になったけど、元広東省外経局の方と面談をした。
広州の総経理である麦さんが顔つなぎをしてくれているおかげで、行く先々の政府機関で、「本を書いてる水野さん」、「中国通の水野さん」、「古い友人の水野さん」と、親しげに対応してもらえるのがありがたい。
やはり、こういった顔つなぎは、僕ではできない。
中国人の総経理(胡さん、麦さん)が、こういった部分を対応してくれるので、僕も安心して仕事ができる。
そして、長い経験が、蓄積になっている。
政府機関や提携先との関係もそうだし、社内の関係も同様。
当社の原田さんと麦さんとは、既に13年間一緒に仕事をしている。
杉山さん(亀一)は7年で、胡さんは5年だ。
こんな風に、長年一緒に仕事をしている事で生まれる信頼感、一体感は、得難いものだ。
広州天河の夜景
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今年は起業3年度目。
全員、両手一杯に仕事を抱えて、年度が開始した感じ。
新人から総経理まで、自発的に夜遅くまで文句も言わずに仕事をしてくれており、有り難いやら申し訳ないやら。身内を褒めるのはなんだけど、うちの社員は、一人残らず、本当によく働くなと感心する。
ともあれ、今年も増員は必至だ。
広州は来月採用活動開始。
上海は2名増員すべく採用活動中。
日本拠点は秒読み段階だけど、それが終わったら(今年の年末くらい?)北京と深圳に拠点を出したい。
起業して以来、走り続けで、のんびりする間が無いけれど、部下のみんなが頑張ってくれているから、自分は、まだ休めないなと思う。
広州・天河の夜景を眺めながら考えた。
羽田に行く前の会食(半蔵門)
ピクルスとガーリックパン
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数日前の話。
羽田から飛行機が飛ばなかった日、まずは、5時間半ディレイの通知があったので、都内で5時間程度時間をつぶす必要が生じた。
そんな訳で、チェイスチャイナにも寄稿してもらっている不動産鑑定士の釜口君に面談・会食をお願いする。
2月14日はバレンタインデーで、若者を誘っても忙しいと断られそうだが、さすがにこの年齢になると、全く縁の無い行事になるので安心だ。
因みに、釜口君は、大学時代からの友人。
会食は、彼の会社(半蔵門)の近所で。
実は、焼鳥が食べたくて、居酒屋系のところに行きたかったのだが、洋食屋に案内される。
釜口君お気に入りのレストランの様だ。
ソーセージとマルガリータピザ
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ソーセージと豚肉の盛り合わせ。
ピザ用のチリオイルとタバスコと両方用意してある。
ちょっと気取ったところだと、「タバスコなぞはありません。チリオイルで如何ですか」とかいう事を、ふふん、という感じで言われるで困るが、タバスコも普通に出してくれるのがうれしい。
黒豚煮込みと鳥サラダ
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黒豚煮込み(マスタード味)と鳥サラダ。
鳥サラダは梅肉風味と言う事で、最初は、揚げたものをイメージしていたのだが、ちょっとイメージが違った。
〆のオムレツ
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最後のオムレツ。
二人でこれだけ食べたので、ちょっと過剰満腹だ。
ただ、大学時代からの親友との会食なので、気楽に食べれて楽しい会食であった。
更に、急に呼び出したので、こちらが招待するつもりだったので、逆におごってもらってしまった。
たいそう申し訳ない。
そんな訳で、小雪が降りだす中、羽田に向かったのであった。
その時は、数時間後に、あんな散々な目に遭うとは予想もできなかったが・・・
久々の仏山
仏山市外経局の看板と対面のホテル
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香港に14日の夜到着すると、そのままクライアント企業の方々と打合せ。
翌朝は香港で打ち合わせると、夕方の電車で広州に。
打合せ&会食。
今日は朝から仏山に行って、仏山市政府と打合せ。
飛行機のディレイで時間を無駄にしたので、いつも時間に追われている様で、ここ数日は、悲鳴を上げるほど忙しい。
ただ、仏山の外経貿局に久しぶりに行き、政府機関の方々から、「懐かしいねえ」と言ってもらい、旧交が暖められたので、ちょっと気分がなごんだ。
3月の講演会準備が大変だ。
4月まで講演会を減らしてのんびりしようと思っていたけれど、基本的に嫌とは言えない性格なので、はいはい、と受けていたら、1ヶ月で6件入ってしまった(日本4件、上海1件、深圳1件)。
しばし、全力疾走の日々が続きそう・・・
午前4時のホテル避難で翌日発に
出国取り消し手続きに向かう人たち
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一旦、飛行機に搭乗したものの、1時間半後に外に出される。
この先どうなるか、アナウンスが無いまま、更に1時間半ほど待つ。
ラウンジの人は、あまりにアナウンスがないので(1時間半、一言もアナウンスがないし、人もいない)、イライラしている。
遅れたのは、火山の噴火と雪と言う不可抗力なので致し方ないのだが、こういう時は迅速なアナウンスが功を奏すものだと実感。
2005年に台風で、香港空港の全てのスケジュールが大荒れになった時のドラゴンエアの対応は素晴らしかった(アナウンスの迅速性と対応の臨機応変さ)。
一方、1997年に、家族が香港に赴任の時のJALの対応は、あまりにひどくて、乗客が暴動を起こしかけた。成り行きで、単なる乗客の僕が、香港人・西洋人の人たちを説得したくらい。
今回はその中間という感じかな。
その後、翌日午後3時の便に変更とうアナウンスがあり、出国取り消しの手続。
午前1時から、1時間以上かけて並ぶ。
ロビーの絵と宿泊した部屋
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その後、バスを待つ事1時間。
誘導が一人もおらず、ここでいいの??とみんな不安げな顔をしている。
30分荷物を抱えて立っていると、係員の人が現れ、バスはあと20分と告げる。
「もう少し早く言ってくれれば、どこかで座ってられたのに!」とみんなげんなり。
そんな感じでホテルに付いたのは午前4時。
午前11時に家を出て17時間経過だ。
が、案内されたホテルは、東京ベイヒルトン。
ロビーにかかるミッキーマウスの絵が楽しげだ。
ホテルマンの業務処理が素晴らしく、みんなすいすいチェックインしていく。
午前4時に、爽やかな笑顔のヒルトンの人たち。
たいしたものだ。脱帽。
部屋はこんな感じ。
1人でも広い部屋に入れたので、すっかり機嫌を直す。
「う~ん、いい部屋だ。ディレイで得したな」という気になりかけて、「いや、全然得してないや」と一瞬後に気付く。
眠くて判断力がなくなっているようだ。
と言う事で、午前4時半就寝。
今日の窓からの景色
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本日は快晴。
窓からの景色が素晴らしい。
香港到着が夜7時。
そこからホンハムに直行して、クライアントと打合せが決定。
明日は、午前香港で会議に参加したのち、広州移動で面談・会食。
ハードな日々だ・・・
飛ばない
飛行機飛ばず。
しかし、同日に火山に噴火と大雪が二段階で重なるとは、何が起こるかわからない。
ラウンジでぐったり。