4日から日本

4日より一週間の日本出張。
スーツ等を買って、引き取り日程確認の際に「明日から日本なので、今日中にできなければ、一週間後に」と二か所で言うと、一様に、「怖くないですか。気を付けて下さいね」と言われる。「大丈夫ですよ」と受け流す。

香港・中国の報道が、過剰かどうかを適切に判断する根拠を持ち合わせていないので、コメントは避けるが、まあ、香港の人一般の印象はこんな感じなのであろう。
2003年のSARSの最中に香港行きの飛行に乗る時や、湾岸戦争直後にヨルダン、サウジ、シリア等に出かける時も、搭乗前に「気を付けて下さいね」と言われた事を思い出す。

スーパーでは、日本の食材がどんどん少なくなっていて、食肉等が半値で叩き売られたりしているし、日本料理店にも客が入らない。
海外(日本以外)で一様に見られる光景ではなかろうか。
日本産が品質と安全の代名詞だったのが、現時点では、日本産=危険という認識を海外の人が持ってしまっている。
今まで積み上げてきたものが急に暗転し、日本受難の時期となっているのは悲しいが、一過性のものと信じたい。
時間はかかっても、きっちりこの逆境を克服したいものだし日本はできる筈だと信じている。

僕一人が買っても何の役には立たないが、取り敢えず、半値で売られている和牛を買って家で焼いて食べる。
前日買った他国産の肉と比べて格段の味の違い(美味しさ)に感じ入る。

話は変わるが、洋服の寸法直しに3時間半時間がかかったので、昼下がりのパブで時間を潰す。
香港らしい風景だ。


新規事業の苦い思い出

一昨日、新規事業に関する考え方を書いたが、これに付いては若干苦い思い出もある。

1989年に僕が福州に実務研修した頃に、枝豆の栽培プロジェクトがあった。
当時、中国本土の人に枝豆と言っても、人が知らない人が殆ど、という状況であった。
ただ、日本が輸入地としていた台湾のコストが高くなっていたので、環境が似ている廈門で枝豆を栽培をしようと計画した人がいた。
僕の赴任前から実験を進めていたのであるが、赴任後、僕が中国側の担当となった。
とは言え、物事なかなかうまく進まない。

栽培を行うために、相当量の種子を廈門で輸入する必要があったが、これが認められない。
これは福建省長ミッションが訪日した際に、事業の有効性を直訴した事で前に進んだが、宛先違い(農の簡体字の「农」を、日本側で衣服の「衣」と書いてしまった)で、輸入・配送を拒否される。
その後、やっと問題が解決すると、中国側パートナーがおっとりしていて(その上、あまりやる気が無かった様だ)、水をやらずに枯らしてしまったり、栽培記録を着けなかったり。
おまけに、僕が「ちゃんと対応してくれ!」とあまりに頻繁に督促していたら、中国側パートナーから煙たがられてしまった。
如何にも、一時代、二時代前の中国ビジネスという感じである。

そうこうしているうち、他の会社が同一事業を成功させてしまい、数年後には中国で枝豆が一気に普及した。
それを知った時は、「普及する時はこんなに早いのか」と驚いた。
前回書いた、台湾の不動産仲介業者の時の感想と同じである。


失敗するにはそれなりの理由がある筈で、パートナー選定の失敗が一番大きい要素であるのは確かだ。
ただ、外国企業と非営利単位の間で動く機関を介在させる等して、話を上手く勧める様な検討をすべきだったし(ビジネススキーム作りの失敗)、僕自身、若くて知識が無い中で、やる気が先走っていた(空回りしていた)面は否めまい。
中国の法制度をしっかり理解した上で立ちまわれば、種子の輸入に付いても、もう少しスムーズに進んだであろうし、中国側パートナーも、「こいつはよく分かってるな」と思えば、煙たくても動かざるを得なかったであろう。
また、通訳を使わず、全部僕が中国語でコミュニケーションしていたのも、適切ではなかった気がする(十分な意思疎通が図れなかった)。

その意味では、(あれから20年以上経過して、仕事も変わってしまったので、今の僕が、この様な商社的な仕事をする気は原則としてないが)今の僕だったら、もっと上手くやれただろうと反省する事は多々ある。

新規事業は、経験が無い中で走らなくてはいけない面が多いので、どうやってベストな選択をするかは難しい問題だが、成功するにも失敗するにも理由はある。

熱意、意思という要素が大きいのは確かであるが、それ以外にも、経験・知識、状況分析力と行動力等、いろいろな要素がある。

そんな事が徐々に分かってきたのも、過去の、この様な苦い経験を経ての事である。

新しい事を始めようとすると

1年半ほど前から、とある縁で新規事業実現のお手伝いをしている。
原則として、僕は、パートナーマッチングや、商社的な動きはしないのであるが、ちょっと特殊で、個人的に興味がある分野なので、例外的に引き受けたもの。

まだ、詳細は話せないのであるが、中国に殆ど無いサービスという事で、実現まで結構時間がかかっている。
世の常として、今までにないサービスをやろうとすると、必ず、この国(例えば中国)は日本とは事情が違うので、その様なニーズはない。若しくは、定着しない、という事を、8割方の人が言う。
当事者となればなおさらだ。

ただ、僕の持論は、「アメリカにあって日本にないものは、必ず日本でも定着する。日本に有って中国にないものは、必ず中国でも定着する」というもの。
よって、この様な探し方をするのが、ビジネス開拓の早道だと考えている。

そんな事を考えるようになったきっかけは、1988年の台湾研修生時の家探しであった。
その時は、不動産仲介業者が少なく、部屋の貸し手が張った物件の張り紙を頼りに探すのが通常だった。
住む家を探すのに疲れて、同期の研修生に、「早く台湾でも不動産仲介業が普及すればいいのに」と言ったところ、彼の反応は、「台湾で不動産仲介なんて、普及する訳がない」というもの。
彼の理論は、台湾の人は合理的だから、不動産業者に手数料を払う訳がない。自分で連絡すれば、(貸し手も借り手も)安く契約成立するのだから、というものだ。
「そんな訳はあるまい。人間は便利さには勝てない。絶対、便利さに金を払うようになる」と思っていたら、それから2年ほどで、台北の街には不動産仲介業の看板が並ぶようになった。

新規事業を開始するには、慎重なリサーチも必要であるが、周りの意見を聞き過ぎると、(否定的見解が主流を占める事が多いので)なにもできなくなってしまう事が多い。
ただ、状況分析、消化できるリスク(金銭的、人的、その他)の範囲を限定した上で、自分が行くと決めたのであれば、それは意思を持って進めなければいけない。
ある意味では、人の意見を聞かない意思も必要だ。


また、事業を定着させる(売り出す)には、「自分の強みが何であるか」を分析し、「どう売るか(認知させるか)」を考える事が必要だ。

例えば、10年前に、僕が商社の中でコンサルティングを始めた時、周りの人は、ほぼ全員が無理だと言った。
その理由は、「世の中に、弁護士も会計士も溢れているのに、商社の管理部門に金を払ってものを聞く人間はいなかろう」というものだ。
ただ、僕は、弁護士・会計士と比べて(当然、有利不利が双方あるが)、「理論に加えて実務を知っている事」、「ユーザー側のニーズが分かる事」、「オペレーションの構築等に対応できる事」という強みを売りに出す、という作戦を立てた。
そして、差別化の為には個人名を定着させる事だと考え、本を出し、新聞・雑誌等に連載を受け持った。

これは一例であるが、つまるところは、どんなものでもやりようがある。
人が反対意見を言うのであれば、それを分析した上で、反対の論拠を突き崩すように行動していけばよいという事だ。

素直な人は、開始時点で殆どの人からネガティブな意見を言われると、納得してやめてしまうのであるが、僕はそれほど素直ではないのか(?)、これ!と決めた事は、人が反対を言ったとしても、ふふんと聞き流しながら、自分が正しいと思った道を歩いている。
これは、良し悪しの問題ではなく、性格の問題だが。

そんな訳で、今お手伝いしている事も、時間軸はさておいて(これはちょっと読めない部分がある)、何れは実現できるだろうと、比較的楽観している。
関係者に、前向きに動く気持と、実現させようという意思さえあればであるが。

前向きな気持は、人の心を動かしていくのだから。


講演会告知と来料加工廠制限

ブログ更新が止まっていますが、従来通り仕事をしています。
書くべき内容(書きたい内容)が思いつかないというのが理由なので、ぼちぼちと再開していく予定です。

さて、連絡事項が1件と記事が一つ。

地震の影響で延期となった、企業研究会主催の「1日で分かる。中国外貨管理の実務知識」セミナーの開催が、4月8日(金)となりました。
東京麹町の厚生会館(13~17時)です。
詳細はこちら

さて、記事の方ですが・・・


東莞市で、来料加工廠の管理を規制する最初の動きが出てきた。
税関総署公告[2009]62号では、今年6月末までに独資転換の現物出資申請をすれば、優遇措置を与える事を定めているのは周知の通り。
優遇享受の為には、今年早々には手続を開始しなくてはならなかった訳なので、今からの申請では、適用が苦しい状況。

前から、この優遇措置の期限を越えても独資転換をしない来料加工廠には、何らかの懲罰的な措置が取られるのではないか、という観測が行われてきた。
来料加工廠の継続に付いては深圳よりは柔軟な対応をとっている東莞でも、今年早々には、「来料加工の優遇はどんどん無くなっていき、有利な形態ではなくなっていく」と発表している。

今回の動きは、「加工貿易のモデル転換促進に関して、来料加工の登記管理を強化する備忘録」によるもので、2月28日より施行されている。
これは、小規模な来料加工廠(工場不動産を自己所有しておらず、設備金額が200万元以内の工場)の場合は、手冊の期限を3ヶ月に単出すると共に、輸入できる原材料の金額を制限、手冊発行冊数・延長回数を短縮するもの。
大規模工場に付いては現在のところ影響は無いが、今後の動きが気になるところ。

現時点では関連性が確認されておらず、噂の域を出ないが、現時点で独資転換を表明していない来料加工廠に対して懲罰的な税務調査が行われているという話もある。
この点、事実関係をする必要があるが、何れにしても、来料加工廠に対する管理が、新しいステップに入りつつあるのは確かなようだ。

そんな中でも春めいて

計画停電や物資不足等の影響はあるけれど、そんな中でも春めいてきたなあ、という風景が。

今日は、所管の税務署に行き確定申告。
今回の出張中に、これは済ませておかねばならなかったので。
期限ぎりぎりで、人が詰め掛けている時に、いつもより少ない人員で捌いているにも拘わらず、相談・申告書提出を含めて1時間ちょっとで終了。
日本の役所の効率の良さに感心した。

因みに、明日の講演会(企業研究会主催:外貨管理セミナー)は、主催者から再度の連絡あり、延期を前提として仕切り直し。
明日は、一旦中止とする事に。
50ページ近いレジュメを作成していただけに、若干残念ではあるが、またの機会と言う事で。

講演中の大地震

3月11日は、永田町砂防会館で、日中投資促進機構主催の講演会。
13時半~16時半という3時間の講演会だったのだけれど、講演の途中で地震があった。

説明には及ばないとは思うのだけど、今まで経験した事がない揺れで、講演会は二回中断。
あと一回大きな揺れがあったら、全員館外避難という状況の中、最後まで講演を続けた。
外に出たのは、事後の質問対応・名刺交換を終わらせた17時過ぎ。

地震の恐怖と、ひどい揺れで頭がふらつき、軽い吐き気がするなかでの講演だった(僕は振動に弱く、乗り物酔いしやすい)。
ともあれ、建物が崩れるのではないか、という不安の中での継続か否かの判断は、主催者の方も難しかったであろうと思う。
それでも、2回の中断の中、(恐らく)9割以上の方に聴講を希望して頂けた事もあり、最後まで続けられたのは、個人的には有り難かった。
今回、セミナーに集中できる環境ではなかった為、感謝の気持ちを伝えるためにも、是非、講演のフォローアップを行いたいと思う。

<連絡事項>
15日(火)の講演(企業研究会主催:外貨管理セミナー)は、会場が、事故のあった九段会館であるため、青山のアイビーホール3階シノノメに変更となる様です。
予定通り実施の連絡を、主催者からは頂いています。

待機中の日中投促オフィスの廊下(午前4時)

講演会の後は、交通に支障が出ているため、日中投資促進機構のオフィスで待機させて頂く。
機構の方に気を遣って頂き、数少ない横になれるソファを使わせて頂いたりしたので、仮眠が取れた(お気遣い、誠にありがとうございます)。

夜中に目を覚まし、トイレに行こうとすると、睡眠不足のためか、本当に揺れているためか、体がぐらつく様な。
廊下の壁が、若干盛り上がっている部分がある。

翌朝、8時近くに日中投資投促を辞去して帰宅。
どっと疲れて夕方まで就寝。

大阪到着シティプラザホテル宿泊

ホテルのレストランからの夜景

午後便で大阪到着。
東京は雪が降っていた様で、前回の帰任(羽田⇒香港)が雪で飛行機飛ばず、今回また雪で遅れたらたまったもんじゃない!と思ったが、大阪は問題なしでよかった。

関西空港到着後、客先に直行。
夜7時まで2時間打合せ。

その後、ホテルに。
ホテルは、最近の定宿となっているシティプラザホテル。
何度も泊まっているせいか、大きめの部屋にアップグレードしてくれた。

部屋で8時半まで仕事。
その後ジムで7Km走り大浴場に。

ランニングマシンに、消費カロリーが相当カロリーの料理で表示されるのだが、4Km走って肉まん1個、6.2Km走ってショートケーキ1個という事だ。
走る距離が思わず延びそうだ。

その後、大浴場の隣のレストランに。
料理は特段凝ったものはないが、ジムで走って大浴場につかり、そのまま生ビールが飲めるというのは、まさに至福という感じである。


まだ仕事があるので、酒は控えめにして、簡単な料理を何品か頼む。
板わさ、タコぶつ、串カツ、月見うどん。

大阪の夜景が見え、ジャズが静かに流れる空間で、一人のんびり食事をするのは気分が良い。

夜10時半に部屋に戻り、午前1時まで仕事。

さて、明日は大阪商工会の講演会だ。

立替金決済の規制緩和について

仕事と宴席続きで、体が疲れ切っていたのだが、1日酒を控えたら、すっかり体調も良くなった。
ストレスが無いだけに、ちょっとセーブすると体調・精神の回復が早い。

土曜は上海のホテルにこもって仕事をしてはかどったし、ジムで7Km走ったので、久々のビーフステーキを気分よく食べる。

ここのところ、執筆・講演会続きという、アウトプットに追われる状態。
新しく公布された法律の十分な読み込み(インプット)が、1週間できていないので、その意味では軽い焦りを感じる。

インプットとアウトプットがバランスよくできている時が、一番、自信を持って仕事ができるのだが、業務に追われる中でバランスを取っていくのはなかなか難しい。
あと一週間で、余裕ができるので対応しよう。

そんな訳で、NNAの連載のネタにちょっと困り、先週解説した「駐在員給与の送金に関する外貨管理と税務」の解説の補足として、立替金に関する外貨管理規制を解説した。
立替金決済を容認する動きが、上海で見られているが、これは元々、匯発[2010]43号の実務運用と言える動き。
匯発[2010]43号がどの様に関連するかと言うと、サービス性立替金の決済に付いては、匯発[2003]35号・匯発[2006]19号の適用を認めようというもの。
これは何を意味するかと言うと、外貨管理上明確な規定が無い取引に付いては、US$10万/回までは、銀行に決裁権が認められるという事。

意義深い通知であるが、昨年8月に公布されてから、各地の外貨管理局が反応しておらず、引き続き立替金決済は禁止の状況だった。
これを背景として、去年の年末に上海の地方通達が公布され、上海市では実現に向かって動き出したという事。

では、実務上の立替金決済の可否と状況(中国から海外に対する支払い、海外から中国に対する支払い)はどうかと言うと・・・
これは原稿を読んでみて下さい。

なすびでカレーうどん

茶碗蒸しとカレーうどん

上海滞在の時は、ホテル住まいだ。
いろいろなホテルを渡り歩いているが、ここしばらくは、揚子江ホテルと福泰ホテルを交互に利用している。

福泰ホテルの日本料理屋は、昔は、かなり怪しげな店で、割り切りが無いと食べられない感じだった。
これが、最近、別の店に変わって、急に本格的になった。
「なすび」という店で、静岡が本店の様だ。
「静岡から本場の日本の味をお届けします」というようなビラがエレベーターにも貼ってあったので、最近、静岡との縁が深くなってきた僕は、興味を惹かれて行ってみた。
最近、宴席続きだったので、昼食は軽く麺で済ませようと思い、カレーうどんに。

サラダと茶碗蒸しも付いてきた。
なかなかしっかりした味のカレーうどんで美味しい。

店の作りも感じが良いし。

次回、夜に行って、実力を確かめてみよう!という気になった。

そんな感じでささっと麺を食べ部屋に戻り、夕方まで仕事。
かなりかたずき、精神が楽になってくる。
これで、すがすがしい気持で、月曜日から日本にいけるぞ。

やればできるものだ

この数日間、久々に余裕のない状況であった。

3月1日(火)の夜に香港に到着して、翌2日(水)は、面談4件と宴席。
3日(木)は朝深圳に移動して、10時半から会議を2件(午後2時まで)と講演会(日本政策金融公庫主催)。講演後は、香港で宴席に直行。
4日(金)は上海にまた移動して面談と宴席。

その中で、6件の講演会のレジュメ作成と、連載原稿、意見書の作成などで、押しつぶされそうな気分になりかけたが、取り合えず、殆ど跳ね返した。
人間の潜在能力というのはすごいものだ。
自分を追い詰めても、やればできるものだと感心。

そんなドタバタの中、3日の深圳での打合せ時に、クライアントの方と「そば人」で会食した時の写真。
かつ丼とそばの定食。
冷たいそばにすれば良かったと後で後悔したものだ。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ