残務整理を何とか終えて

10日間ほど、残務整理をこなす予定。
特に、経理処理。

上海、広州では、最初から記帳代行を頼んでいるのであるが、何分僕が経理出身なもので(なまじ自分で経理処理ができるので)、自分でやろうとしたのはいいが、日々のコンサルティング業務(本業)に追われて、遅れ遅れになっていた。

今月から、香港も新しい経理担当に記帳をお願いするのであるが、引き継げる状況にしなくてはいけないので、焦っていた。
週末は部屋にこもって働き続け、なんとかキャッチアップできた。
宿題をやり終えたような、ほっとした気持ちだ。

昨年度の会計士監査は上海は終了。
香港、広州はこれからながら、初年度の決算自体は固まっているので問題ないであろう。
3拠点、しっかりと黒字を出した。

中国の企業所得税法で、課税所得が30万元以内だと(あといくつか要件があるが)、小規模薄利企業として、20%の優遇税率が適用されるのであるが、上海法人は、この認定をとっていたにも拘わらず、30万元以上の利益を出したため、優遇税率の適用が認められなくなってしまった。

これが残念と言えば残念だが、経営コンサルティングもしている会社が、自分自身が「薄利」では格好悪いし、発言の信ぴょう性にもかかわりそうだ。

起業して、半年以内に香港、上海、広州に会社を作り、全て初年度から利益を出した訳だから、発言も信用してもらえるであろう。
その意味では、利益が出たんだからいいか、という感じだ。

今年は、新規の投資を2社。
既存の会社の増資を2社。

活動範囲も広くなってきて、やる事が多い。
じっくりこもって仕事ができる機会を有効に使い、片付ける仕事を片付けてから、一気呵成に打って出よう!

その後の人民元対外決済

いまや、丸紅上海の財経部長として活躍する谷垣君(これは語学研修生時代)から、「世界で最初に人民元の対日送金を実施した男になりましたよ!」という自慢げな報告があった。

去年9月のブログで、人民元対外決済の試行措置が活用されない理由と、今後の見通しに付いて解説したが、ここで予測した様に、運用面での規制緩和が徐々に実施されている。

これは、根拠となる法規(国際貿易に関わる人民元の試験的な決済管理弁法:中国人民銀行・財政部・商務部・税関総署・国家税務総局・中国銀行業務監督管理委員会公告[2009]第10号)自体は変更せずに、運用で規制緩和を実施しているもの。
具体的には、上記の弁法では、対外送金が認められるのは貨物代金決済だけであるが、非貿易項目の送金実例も出てきている事。
今回の送金は、日本に対する人民元送金(弁法では、香港・マカオ・ASEAN向け送金のみ)。それも、非貿易項目。
二重の意味で、弁法に基づかないオペレーションが、許可された事になる。

日本に人民元送金が認められた(日本で人民元口座開設・換金も認められた)というのは、意義としては大変大きく、人民元のハードカレンシー化への実験が、じわりじわりと進んでいる事が伺える。
勿論、人民元のハードカレンシー化は、人民元相場の大幅な切り上げに繋がりかねず、現段階で急激な規制緩和はしにくいと思う。
ただ、法規を変えずに運用面で実験をし、結果を確かめてから法規改定、というのは、中国がよく採用する方法。
国内流通権を外資に開放する(2004年)前に、保税区を使って、10年近く実験を行った上で開放につなげたのと、基本的には同じ事だと思う。

そんな感じで、人民元自由化の実験が、着実に行われている訳であるが、実験措置の速度は、僕が予想していたよりも、ちょっと速めかな、という印象。
完全自由化が実施されるまでは、施行措置実施後5~10年程度かかるかな、というのが僕の予測であるが、さて、これは早まるであろうか。


一つ補足すると、運用面での規制緩和が実施されているとはいえ、まだ、送金に関する管理は厳格に行われている。
つまり、外貨だとできない受け払いが、人民元だとできるという訳ではない。
この面での緩和は、まず行われないであろう。

なんとか体勢を立て直す

暫くの間、業務対応、連載原稿の執筆、講演等に追われており、目の前の事しか見えない状況であった。
おまけに、引っ越し、体調不良等が重なっていたし。

そんな訳で、ブログも全く書く余裕がなかったが、今日、執筆・業務を全て整理して、なんとか体勢を立て直す事ができた。

ちょっと安心した気持だ。

ここですぐブログが再開できるかどうか、というのは、精神的なものも関係してくるので良く分からない(ここしばらく、連載にも追われ続けていたので、書くという行為に対するプレッシャーが大きかった)。

ただ、慣らし期間を経て徐々に再開していこう。


紹興で本場の紹興酒を飲む

ちょっと前の事だけど、杭州⇒紹興⇒寧波を訪問した。

特に、紹興は初めての訪問。
大学時代から、紹興で本場の紹興酒を飲んでみたいと思っていたけど、その念願がやっと叶った訳だ。
紹興の開発区も前から見たいと思っていたし。

開発区は駆け足で見て、余った時間で魯迅記念館を観光。
そして近くの料理屋で、つまみと常温の紹興酒を飲んだ。

紹興酒は特に好きではないけれど、本場に来て、その雰囲気の中でのむとさすがに美味しい。
ゆったりと時間が過ぎるのを感じながら、ちょっと辛口の紹興酒を楽しむ。


そして、魯迅記念館、咸亨酒店を回る。


杭州湾大橋にて

寧波から上海への戻りは、杭州湾大橋を初めて渡る。
長さ33Km強の海上大橋だ。

これがない頃(2006年)、寧波から上海まで車で移動した事があったが、この大橋の開通により、かなり時間が短縮になった。
長さに感動するも、写真に撮ると、あまり感動が伝わらないな。

上海総合保税区から表彰される

上海総合保税区(外高橋保税区と物流園区・洋山港保税港区・浦東空港保税区の共同管理)より、2009年度の優秀パートナーとして選ばれ(濾総保管[2010]52号)表彰された。

優秀パートナーとは、貿易・製造・物流以外の分野で、上海総合保税区に貢献した企業18社で、当社以外に選ばれた日系企業・日中関係機構は、三井住友銀行・みずほコーポレート銀行・三菱東京UFJ銀行・日本国際貿易促進協会・日中経済貿易中心。

また、他の分野では、経済貢献企業(貿易・製造・物流企業)100社、発展が期待される企業18社、優秀企業家18名が表彰対象となった。

この優秀パートナーには、旧M&C(丸紅商務諮詢)時代も選ばれたけれど、優秀パートナーも、その他の分野も、一部上場の大企業で占められる中、設立初年の水野商務諮詢(上海)が選ばれたのは、その時とは違う嬉しさがある。
僕の会社を推薦してくれた政府関係者の方より頂いた、「独立しても、水野とやっていくよ」という言葉は素直にうれしかった。

華南のイメージが強い僕ではあるが、コンサルティング活動の発端となったのは、1992年の上海外高橋保税区。
その意味で、思い入れ深い場所なので、18年が経過して、こんな形で支えてもらえるのは感慨深い。

尚、上海総合保税区の新政策は、今後、いろいろと打ちだされてくるであろう。
表彰式典は、体調絶不調で脂汗を流しながら参加した状態だったのと、広州行のフライト時間の関係で途中退席せざるを得なかったので、各機関の発表を十分聞く事が出来なかった。
その中、税関より「税還付等の政策は、追って財政部より発表される」という発言があったが、これが、(総合保税区管理への移行に伴う)外高橋保税区に対する増値税輸出還付権付与であれば(これは単に僕の推測であるが)、大きな変化であり、同保税区が更に発展する要因となると思う。

その意味で、今後の政策発表を待ちたい。

杭州西湖今昔と新著販売予定

上の写真は1985年で、下は今

ちょっと前の話になるけれど、杭州に久しぶりに行った。
暫く西湖観光も行っていないので(暫くどころか25年ぶり)、ちょっと湖畔を散歩する。
上の写真は大学時代の旅行。
西湖観光ボートとその前に立つ僕。
下の写真は今の観光船。
西湖も変わったし僕も変わった。
時代の流れを感じるな。

話変わって、新著の話。
NNAから出版予定の外貨管理マニュアルは、出版が6月になりそう。
原稿が完成したのが1月なので、出版までに制度変更があると内容を修正せねばならない。
そうすると、また出版が延びかねないのでドキドキするが、これは出版元のNNAさんに一任するしかない。
6月にきっちりと発売できるのを祈ろう。

そうこうしてるうちに、キョーハンブックスから出版予定の「中国ビジネス会計税務用語集」の改訂版も、完成間近になってきた。
用語集は、2004年に販売し、特に三省堂書店には随分評価してもらった本だ。
初版の出版時より、これは発展途上の本なので、改定を重ねて倍以上の分量に持っていく、というのを目標としていたが、作業が本当に大変なので、そのまま止まってしまっていた。

今回、NACグローバルの斎藤さんと共著という事になったが、彼が若さを武器に、随分頑張って作業を進めてくれた。
おかげで、ページ数も、初版240ページから750ページくらいに増量。
語彙、資料、索引(ピンイン入り)等も完成度が高くなった。
これも、6~7月の出版予定。


体調を崩したが善意解釈しよう

今週は数日体調を崩して、2日間は全くものが食べられず、お湯だけ飲んでいた。
体調絶不調の中で、上海⇒広州⇒香港と移動したので、かなり苦しかった。
式典参加と、面談数件もこなしたし。

幸い、一番深刻な体調だった2日間は、面談3件と式典参加だけだったし(脂汗を流しながらの対応だったが)、上海⇒広州のフライトはファーストにしたので、体が真横に倒せたため、何とか無事に移動できた。

胃腸の問題なので、悪いものでも食べたかと思ったが、疲れが蓄積したのであろう。

非常に辛い数日間ではあったけど、E-mailの処理はなるべく控えて、なるべく早く寝るようにしたので、疲れはちょっと取れた気がする。
目のかすみや、右耳の調子もちょっと良くなった。
ここ数年は、ともあれ全力疾走続きだったので、無理がたたったという事か。

まあ、苦しくはあったが、休養の代わりになればよいか。
善意解釈。

因みに、2日目に飲んだ正露丸が、大変効いた。
正露丸の偉大さを改めて感じた次第。

日本を満喫中

車中で食べた駅弁

朝6時半に家を出て、新幹線で静岡に。
今日は終日香港貿易発展局主催の面談会だ。
思い起こせば、静岡は2003年の浜松講演会以来。

小中学生の事は、年に何回も新幹線で新横浜と名古屋を往復していた。
当時、ひかりは新横浜に止まらなかったので、いつもこだまで移動してたから、静岡を通過したら、「やっと半分だ!」と感じたものだ。
その意味で印象深いが、静岡駅で降りるの自体は初めて。
コンサルティングの仕事を始めて良かったのは、たくさんの人に会える事と、色んな場所に行ける事だ。

前回の京都(香港貿易発展局主催セミナー)に引き続き、今回の静岡もワンタッチ。
日帰り出張なので、観光するまもないが、街の雰囲気を味わい、新幹線でビールを飲みながら駅弁を食べるのは大変楽しい。

今回選んだ駅弁は、菜食主義者向けの様な幕の内。
30代まで、僕は野菜が嫌いで、定食を食べても付け合わせの野菜は全て残していた。
その印象が強いのか、両親からも、友人からも、部下からも、「野菜を食べないといけないぞ」とよく言われる。
ただ、ここ数年、めっきり野菜好きになっているので、その心配は無用だ。
なかなか良い弁当であった。

只今日本滞在中。
新幹線から、ベストアングルで富士山を見て、街中の桜を鑑賞する。

日本を満喫中という感じ。

善意解釈

過去を振り返ってみると、若い頃の方が怒りっぽい。
それが、歳をとるにつれて、だんだん穏やかになってきているような気がする。
いろいろ経験して、人の心に触れたという事だと思うのだが。

クライアント以外の方の依頼を受けて無料面談をしたり、無料講演会で頂いた質問にお答えしたりした後で、E-mailの一本もない場合、人情として、「(例えば)1時間の時間をかけて、無料で回答したのに、挨拶の一つもないというのは何たることか!」と思うのであるが、その後、半年以上たって、「本社の説得が実り、やっと会員にならせて頂く事ができます」というE-mailが来たりする。
若しくは、5年以上前の面談に関して、人から、「無理だと思って依頼したら、あっさり水野さんが会ってくれて嬉しかったです、と○○さんが言われてました」という話を聞いたりする。

こん時、「直接的なレスポンスがないけれど、こんな感じで思ってくれていたのか」としみじみ感じたりする。
そんな経験をすると、「人の気持ちは分からないけど、善意解釈しておこう」と考えるようになる。
勿論、この様なコミュニケーションのギャップがない様に、こまめに意思表示をするというのは必要な事なのであろうが。

それはさておき、人の気持ちは読めないけれど、ちょっとした事象に過敏に反応せず、泰然自若としているのが正解なのだろう。


歳をとるという事は

ちまたには、歳をとる事を後ろ向きに表現する傾向があるが、それは間違いだと思う。
歳を重ねる事は、経験を積むことであり、それでしか学べない知識があるからだ。

人によって、能力の方向・種類はまちまちであろうが、その分野で同じ素質があるとすれば、経験を重ねた方が断然能力が高い筈だ。
僕自身で言えば、今の僕は、20代、30代の頃、絶対解けなかった問題が解けるし、50代になれば、さらに難しい問題が解けるであろう。
これは、経験を積み重ねた事によるものだ。

歳と共に武器を手に入れていくようなものなので、その代償で、目が見えにくくなったり、筋力が弱まったりするのはやむを得ない。

勿論、神様(?)は平等で、若い頃にはやる気と行動力、そして、好奇心があるので、それが人を動かす事がある。
僕は、25才の時に、とある会社の経営分析報告を書き、その会社の方に大変ほめられた事があるが、今から思うと、知識の無さの結集の様な出来だと思うし、決して褒められるに値するものではないと思う。
ただ、思い込みが明確な言葉となり、意思と受け取られたのであろう。
今からすれば、恥ずかしい限りだが。

当時そのレポートをほめてくれた方から、5年ほど前に、「あの時の水野さんの報告は、刃物の様な怖さがあった。それが今ではすっかり丸くなってしまったのではないか」と言われた事がある。

ただ、刃物は人に向けるものではなく、内(自分)に向けるべきものだと今では思う。
自分の発言、執筆に不適切なものが無い様、自分に向けておくべきものだ。
努力しても、なかなか出来ない事であるが、最低限、その覚悟は持ち、努力したいと思う。

合気道の植芝盛平は、「死ぬ直前の自分が一番強い」と言ったそうだ。
僕も、「死ぬ直前の自分が、一番能力がある」と言えるように、胸を張って歳を重ねていきたい。
実際、そう思っているけれど。

まだまだ勉強だ。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ