さすがの僕も精神的な余裕がなくなってきました。
1週間ブログお休みさせてください。
ただ、友達と街をぶらついていて、やる事がない時は、MTVに入る事も多かった。
MTVというのは、個室で見るビデオで、「下の階でビデオを借りて、部屋に案内されてビデオを見る」仕組み。
カオラケ・ボックスのビデオ版。
それから、MTVのカラオケ版が出てきて、これがKTVと名づけられた。
つまり、カラオケボックス。
KTVが出てきたのは、正式には知らないけれど、僕が台湾留学していた1988~1989年の頃(少なくともたくさん出来たのは)だった様な気がする。
その時、日本でカラオケボックスというのが有ったかどうか分からない。
僕の記憶の中では、KTVの方が早かったような気もするけど、何分、僕は2年以上日本を離れていたし、大学・新入社員の頃は、娯楽には縁遠い生活を送っていたので(男だけで安居酒屋で酒、というのが唯一の娯楽だった)。
少なくとも、似たようなタイミングで出てきたような気がするが、勘違いかもしれないので、これは今度調べてみよう。
他に、死語になってしまったもの(在台湾)として、「K書」というのが有った。
何かというと、学習喫茶で、K書は、中国語の「看書」のおしゃれな言葉(だったんだろうな。あの頃は)。
机とライトが置いてあって、ちょっと高めの飲み物代を払うと、そこでずっと勉強できた。
家が狭かったり、家族が多かったりで、家でゆっくり勉強できない人向けの喫茶店で、これも街中にたくさん有った。
時代と共にこれも消え去ってしまったが・・・
大変懐かしい。
この付けが回って、土曜は11時頃から夜の7時まで出勤。
まだ前日の事が頭からはなれず、イライラして夜眠れず。
今日は観念して、ただただ松本清張を読み続け、仕事外の事に気を向けようとする。
青い描点を読み終わる。
心安らかな日というのがずっと続くわけではないもんだ。
社長業も大変。
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古い(引越し前)のオフィスは箱庭のよう。ピンクのセーターを着ているのが僕。
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週末にオフィスを引っ越す事になった。
引越しとは言っても、同じビルの4階から2階に引っ越すだけ。
でも、面積は3倍弱になるので、結構、成り上がった気分がしてよい。
面積3倍弱とは言っても、現在のオフィスの面積は、建築面積で60㎡程度(使用面積は40数平米?)の箱庭の様なオフィスなので、別に、巨大な場所に移るわけではないのだが
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これは別の角度から。奥に見えるのが僕の席(たったこれだけの面積)
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上海に会社を作る時、次の様に考えた。
● 稼げるようになってから広い所・綺麗な所に引っ越そう。
● コンサルティング会社は、オフィスも信用(良い場所に入らなければならない)という人が多いけど、僕の顧客は全て日系企業。
● そうであれば、僕の信用で商売を取る。オフィスは小さくてもぼろくてもいいんだ!
まあ、ある意味では(逆の意味での)気負いだけれど、そんな訳(意地)で、敢えて小さい場所を選んだ。
開設早々順調に商売が伸びているおかげで、あと1ヶ月程度で上海の社員が10人(出張者・受け入れ社員を含めると12名)になる。
今のオフィスでは、机が6個しか置けないので入るスペースがない。
それで思い切って、引越しをする事にした次第。
先日のブログで、僕が家を引っ越す(6500元⇒3500元の家賃)と書いたけど、これは、オフィス家賃上昇の補填の様な意味。
まあ、家には殆どいないので、オフィスが綺麗な方がよほど良いと考えた訳。
僕も偏屈者ではないので、良いオフィスが欲しいし、良い家に住みたいし、車も欲しいけど、もっと頑張らないとそこまで行き着かない。
早く稼ぎをのばして、人もうらやむ生活をしたいものだ!
僕の会社は、花園ホテル(オークラガーデン)の敷地内。
6階建ての小さなビル(ワタベウェディングの広告が屋上に乗っている)。
ここがオフィスビルだと気付いていない人が多いけれど、意外な掘り出し物であった。
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林さん&大輔君と
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先週末に久方ぶりに、(香港で行きつけの日本料理屋の)宇津木に行った。
その時、宇津木さんが、上海で日本料理店を経営しているというのをはじめて聞いた。
アイヌランド(愛奴蘭)という店で、店の名前だけは前から聞いていたが、宇津木さん系列とはびっくり。
二番手で料理をしていた香港人の方(林さん)が張り付いているというので、早速顔を出す。場所は衡山路の地下鉄駅の直ぐ近く(永嘉路)。
2月から僕は、衡山路に引っ越すが(家賃が6500元から3500元に)、偶然その直ぐ近く。
大変おしゃれな店で、酒を飲んでくだを巻く店ではない。
雰囲気がよいので、接待かデート用だな。
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あんこうなべを前に鍋奉行と化しているところ
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店に顔を出すと、林さんが、「焼き油揚げ」を直ぐにサービスしてくれた。
僕はこの油揚げの炙ったのが大好きで、宇津木では、「水野さんの好きなやつ」というと、これが出てくるという品。
10年間の付き合いというのは、こんな感じで便利だ(ありがたい)なぁと考える。
店の作りは創作っぽいが、刺身・寿司のネタも良くて美味しかったし、牛タンはこれだ!という味だったし、久しぶりに食べたあんこうなべも美味しかった。
一人の時の食事には便利そう。
家から近いし、これから使おう。
男一人だと雰囲気に馴染むかな?と少々気がかりだが。
昨日・一昨日と続いた激しい宴会で、かなりしんどかったので、軽く飲んで就寝。
入国審査終了後はタクシーで移動。
浦東の森ビル(HSBCビル)に用事があったので、時間節約の為にタクシーを使ったのであるが(リニア⇒地下鉄⇒徒歩だと時間がかかるので)、乗ったタクシーが初心者で道がさっぱり分かっていない。
「浦西のタクシーだし、運転はじめて2ヵ月だから道が分からないんだ。教えてね」と堂々と言われ、方向音痴の僕が道案内をする羽目に。
到着後は、「もう空港から陸家嘴は行ける様になったよ!」と感謝される。
話し変わって、2月6日に、外高橋保税区とセミナーを共同主催する事になった(場所は花園飯店)。
保税区関連の変化が激しいので、この機会に、対応をはっきり説明してもらおうと言う趣旨。
Q&Aの時間を1時間半程度とって、質問にしっかりと回答する予定。
質問は事前受付で、保税区政府が回答⇒僕が解説するという形式。
例えば、
● 区外分公司の開設は必要か
● その場合の納税方式は(増値税、企業所得税)
● 保税区企業の外貨管理はどう変わっているか
● 増値税輸出還付適用の問題点と対応は
● 物流園区はどう活用するか(加工貿易品の中国内販売に際しての経由地としての活用)
などなど
告知期間が短くて恐縮ですが、是非、お越し下さい!
詳細は、こちらです!
最後の難関は添付資料。
これを書くと何の本を書いてるのか分かっちゃうけど、添付資料は、加工貿易禁止目録をつける予定。
前回804分類が指定されたので、これを日本語にするのも(分量が多くて)大変だけど、実は、加工貿易禁止分類はこれだけではない。
その他に、400分類くらいあるのだけれど、例によって、ちょこちょこ通達で修正されているので、具体的に何が該当するか選別するのが結構手間。
「何で、1回で済むようにしないんだ。禁止目録出すなら、これに全部織り込むべきだろう!」と作業が難航するとイライラしてくる。
これがあとどれだけで仕上がるかだな。
導入部分だけ書いて、「後は取材データを元に書いてくれ。明日中」というE-mailを亀一に打ちたいという誘惑にかられたが(打ちかけたが)、考え直して自分で書く事にする。
肇慶の取材は、12月27日。
香港・華南の生活に10年住んでいながら、今まで肇慶には行った事がなかったが、昨年12月は2回も訪問する事と相成った。
今回訪問した高新技術は、広東省の省級開発区。
アジア・アルミが工場を作った事で話題になった。
肇慶に行った事が無いうちは、「どんなに遠いんだろう」と考えていたが、実際に行ってみると、思いの他近い。
高新技術開発区は、仏山市三水区と面しているため、広州の市街地から車で1時間強で到着する。新白雲空港までは、35Kmの距離という事だ。
到着すると、広い!何も無い!という事で驚く。
ここは、1998年に認可を受けた新しい開発区という事で、まだ、企業数も少ないが、第一期の25K㎡は、ほぼ成約済みという事である(計画総面積は98K㎡)。
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アジアアルミの工場
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アジアアルミの整然とした工場が目を引くが、やはり、平坦な土地が、これだけある開発区は少ないと言う事で、これと地価の安さが決定要因だったとか。
確かに、地価は安いし、土地は有るし、空き地もあるので、意外に狙い目かも知れない。
ただ、港が小さいのが難点。
現在の地価は、165元/㎡(工業用地)という事であるが、今年早々から全国的な土地譲渡最低金額の設定が行われ、肇慶市の最低譲渡額は205元/㎡となったはずなので、この水準に引き上げられるという事であろうか。
ともあれ、深セン・広州・東莞も、空き地がタイトな状況になってきたので、仏山市山水、肇慶等の様に、「今までそれ程の知名度・人気が無かったが、立地は良い」という場所が、これからクローズアップされる様な気もする。
原稿を書き上げ、夜の11時過ぎに帰宅 ⇒ 夕食 ⇒ 先日浦東空港で買った、ジョニーウォーカーの青ラベルをオンザロックで飲みながら、松本清張の「Dの複合」を読みながら就寝。
あ~疲れた。
ただ、E-mail整理をしないおかげで、精神状態もよかったし、執筆もはかどった。
根詰めて書いたおかげで、NNAから出版する本の原稿は一応完成。
今回は、今までの本とは違って、取引図をたくさん入れるつもりなので、図を書いたり、資料整理をしたりの時間は必要であるが、3月には出版の運びにしたいものだ。
出来るかな?
ともあれ、正月休みに本の原稿を完成させた事もあって、気分は大変よい。
2005年の正月以降2年間、精神的に追い詰められて、体調まで悪くなってしまったのが嘘のよう。とまでは言わないが、少なくとも、「酒を飲まないと眠れない」、「電気を消して眠れない」という状況は完全に脱却。
仕事の依頼、執筆依頼は昨年末から目白押しではあるが、全力で飛ばしていけそうな気分である。
余談ながら、年末に松本清張の砂の器を読んだら面白かったので、すっかり清張づいてしまった。
十数冊買って、順次読んでいるところ。
面白い本があると、ごろりと寝床に転がり、ずーっと読んでいるだけで幸せになるのでよい。
お陰で大晦日からの4日間は、酒抜きに成功。
清張ものは、学生の頃に数冊読んだだけだけれども、改めて読むと大変面白い。
とは言え、時代が古いので、随分と世の中の仕組みが変わってしまったのが実感される。
今日読み終わった本のトリックの一つのポイントに、現像した写真の受け取りがあるが、1962年の頃は、カラー写真の現像は、(街中の現像屋ではできずに)直接フィルム製造会社に送ってやってもらわないといけなかった事を知った。
時代と共に、使えなくなるトリックもあるもんだと改めて感じる。