日本からの直接投資と香港経由の出資とどちらが有利?

中国に現地法人を作る場合、日本からの直接投資と香港経由の出資と、どちらが税務的に有利ですか?という質問を、極めてよく頂く。
これに回答しようとすると、すごく長い文章を書かないといけないので、それなりに大変だ。

という事で、2003年に出版した「中国ビジネス最新ガイド」という本に、そのシュミレーションを書いたのであるが、中国の税制・香港と中国本土の租税協定も変更されたので、再度書き直さなくてはならないな、と考えている。

では、どちらが有利かというのは、「香港に設立した法人が、留保金課税(タックスヘイブン税制)の対象になるか」、更には、「どの様な配当政策を日本の本社が取るか」とよって変わってくるので一概には言えない。
結局、留保金課税の対象になったり、香港の利益を全額日本に配当して還元する前提だと、結果として日本の高い法人税率で課税される事になるので、香港を経由した分無駄が生じ、不利になる(日中租税条約に基づく見なし税額控除が適用できなくなる事も一つの要因になる)。

留保金課税の対象にならず、日本にも配当せずという前提であれば、香港経由のメリットが出てくる。

よって、前提をはっきりさせた上で判断しなくてはならないという訳。

因みに、中国の企業所得税法が改定された事により、日中租税条約に基づくみなし税額控除はどうなるのであろう、という点が、今年早々話題になった。

見なし税額控除とは、中国で実際に課税された以上の金額を、日本側で税額控除の対象とする事を認める制度。

これは、日本法人が直接中国で課税された場合(配当・利子・使用料)。
更には、中国の現地法人が支払った企業所得税を、日本に対する配当実施時に控除の対象とする場合の、間接見なし税額控除の双方がある。

間接見なし税額控除は、例えば、15%の税率で課税された企業(経済特区の外資企業、経済技術開発区の外資生産型企業等)、24~27%の税率で課税された企業(各種開放区の外資生産型企業等)が、33%の標準税率(旧税法)で課税されたと見なして外税控除が受けられる制度。

税法改定に伴い、税率は原則として25%に統合されるが、経過措置(15%の税率が適用されていた企業は、5年で段階的に25%に調整していく)期間中は、見なし税額控除の対象となるのであろうかという議論があった。
つまり、租税条約には(旧)税法の条文が明記されている為、この税法が廃止された以上、対象とはならないのでは、という見解があったため。

結果としては、経過措置期間中は適用可能という事のようだ。
これは、財務省のホームページに、経過措置期間中は、見なし税額控除の適用可能という説明が掲載されているのでご参照を。

今日はちょっと真面目。

ラッキーエビスを鑑賞する

ラッキーエビス(向かって右)と普通のエビス

SEEDとYuzenを一人でハシゴした。
まあYuzenでは、薄~いヴァイオレットフィズ(ジン抜き?)を1杯飲んだだけなので、さほどのダメージはないのだが。

最初に行ったSEEDでは、宮野さんが「ラッキーエビスが当たりましたよ」と嬉しそうにしている。
「なんですかそれ?」
と聞くと、向かって右の鯛が一匹多い(尻尾がでている)方がそうで、稀に混じっているらしい。

言われてみると、そういう話を雑学の本で読んだような気がしてきた。

2008年8月8日。
縁起のいい日にラッキーエビスが当たるってのは確かにげんがいいかも。

それを真っ先に見た僕もラッキーになるかな。

さすがに飲ませてくれとは言えなかったが・・・

大学時代は酒を飲めれば楽しかった

コメント欄で、大学の頃は何でも楽しかったという事を書いた。
楽しかったし、(何でも)苦しかったし、腹も立ったし、やっぱり、感受性が豊かだったんだろうな。若い頃は。
まあ、大学時代に戻りたいとは思わないけど・・・

ただ、あの頃は、酒を飲み始めた頃であるので、酒さえ飲めれば何処で飲んでいても何故か楽しかった。
ゼミの仲間と、ビール樽(生樽)を買って、学校の近くにあった100円バーガー(あの頃はハンバーガーが高かったので、100円バーガーは破格の安さだった)を一人一個買って、公園に行って、しゃがみこんで酒盛りを開いたものだ。
それだけで、3時間も4時間も飲んでたし。

あと、やはりゼミの仲間と一人2,000円しかない状態で居酒屋に行き、酒は一人3杯まで。
料理は一人1品と決めて飲んだりもした。
品数が少ないので、コストパフォーマンス重視!という事で、かなり事前協議を重ねて水餃子はOK。コーンバターもOKだけど、スプーンを使ってはダメ(箸で食べる)などと議論を重ねて注文した。

勘定の時に、一人が、「俺たちもいつかは、好きなだけ食べて飲んで、今日の勘定はいくらかな?というせりふを言ってみたいよなぁ」とつぶやいたのを今でも憶えている。



あと、卒業間際、ひょんな事から大隈講堂前で酒盛りを開き、「今日はここで夜を明かそう!」と盛り上がった事がある。

とはいえ、あまりの寒さに耐えかねて、どこか店に行こうという事になったのであるが、一人1000円くらいしか手持ちの金がない。
「新宿のゴールデン街に行ったら、1000円で飲めるところ有るんじゃないかなぁ」と誰かが言い、(終電も過ぎたし、タクシー代も無いので)行った事がないゴールデン街まで徒歩。

ゴールデン街に着いたら店を一軒ずつ回って、「一人1000円で飲めますか」と聞くのだが、当然、全て断られる。
そんな事をしていると、通りかかった親切な流しのおじさんが、気の毒に思って、店と交渉してくれた。
結果、一軒の店が、「焼酎一人2杯まで。時間は2時間以内」という約束でおいてくれる事になった。
結局、そうはいいながらも、始発の時間まで置いてくれたし、連れの一人がまだ飲みたいと言ったら、焼酎を継ぎ足してくれていた様だ(ただ、飲んでいる当人は酔っ払って理解していなかったが、どうやらそれは、他人の飲み残しの様だった)。


そんな事をよくした大学時代だったけど、なんだか楽しかった。
それからすると、今は贅沢になったんだろうな。

今は良い酒も飲めるようになったし、美味しい食事も食べられるようになった。

でも、あの時の居酒屋での宴会が、妙に楽しく思い出されるのも確かである。

今日は台風シグナル8

朝眼が覚めるとすごい風の音がした。

とはいえ、8まではいってないだろうと思って、会社に出かけようとしたら、直前でシグナル8が出ている事を知った。
これは駄目だ。
今日は出社できなさそう。

香港に暮らして11年半。
何度もシグナル8を経験した。

すごい風が吹いて怖い事もあれば、「本当にこれで8?」と疑問に思う事もある。
一度、8が出て、会社から帰宅する為にMTR(地下鉄)に乗ったら、釣竿を持った親子連れとか、物見遊山に出かけるような人で一杯で、かなり違和感を感じた事があった。

シグナル8の中、香港エアポートに降りた事も有ったし。

ただ、香港は大きな看板、張り出した看板などが多いので、強い風が吹くと本当に怖い。
何度か、出社を試みたけど、MTRの駅までたどり着けずに(距離自体は、歩いて数分の場所なのだが)、断念したことがある。

今日は普通のシグナル8という感じ。
何時解除されるのであろうか・・・

引き続いての思い出話

引き続いて思い出話。

僕が中国を初めて旅行したのが1985年。
大学3年生の頃であった。

僕にとって、それは「初めての海外旅行。初めての飛行機。初めての一人旅」という初めて尽くしの旅行であった。
言葉も分からず、よく考えれば無謀な旅であったが、その時に学んだのは、「行けば何とかなるものだ」という事である。

身振り手振りでも生きていくくらいはでるし(最低限の買い物やチケットの購入はできるし)、皆なのやることを見ていればなんとかやりかたが分かる。
勿論、言葉もろくにできなかったので、1ヶ月で7Kg痩せてしまったが、まあ、無事に日本に帰りつくことができてほっとしたものだ。



その時の中国はまだ通信事情が悪く、また、極端な安ホテルに泊まっていたので、電話は数時間繋がらないし、その為、1ヶ月間、一度も家に電話をしなかった。
親にはがきも3枚出しただけだが、その内、2枚が旅行のほぼ最後の広州から出したものだったので、僕が帰国してから届いたものだ。
親からものぐさだと呆れられる事しきりであったが、今になると、「心配かけて悪かったなぁ」と思うし、申し訳なく思ったりする。

可愛い子には旅をさせろというけれど、そんな感じで旅行に出してくれた親には感謝しなくてはいけないだろう。
さすがに、自分は子供に同じ事はさせたくないと思うし。

ただ、あの1ヶ月間は懐かしい。
時間が有り余っていた1ヶ月。
早く時間が過ぎて、日本に帰る日が来ることだけを指折り数えていた。
辛かったけど、あんな時間の無駄遣いも一種の贅沢なのかな。
今となっては。

飛行機にまつわる怖い思い出

ここしばらく、若干の事情があって、香港に腰をすえて執務。
飛行機に乗らない生活、というのを久しぶりにしている。
飛行機に乗らないと時間が随分セーブできるので、生活にもゆとりが出るような気がする(というか、飛行機にこれだけ乗る生活の方が珍しいのであろうが)。

思い起こせば、飛行機に初めて乗ったのは、大学3年生の頃(1985年)。
当時の中華民航であった。
随分ぼろい機体だったのと、周りに日本人が殆どおらず、言葉も分からないので不安で一杯。
上海に到着するまで、座席が抜けて空に吸い込まれるような不安に駆られて、一睡もできなかった。

それから、何度も飛行機に乗ったが、200回目位までは、飛行機に乗るのが怖かった。
何せ、高いところが嫌いで、ジェットコースターに乗れない人間なので、飛行機は当然、怖くて仕方が無かった。
一番怖いのが離陸の時なので、飛行機に乗ったら、飛ぶ前にすぐに寝てしまう癖をつけ、この恐怖から逃れる努力をしたものだ。

今では特になにも感じない。
慣れとは恐ろしい(ありがたい?)ものだ。

ただ、飛行機で怖い思いをした事はあまりなくて、一度、廈門航空に乗ったら、着陸を失敗したようで、着陸⇒急上昇⇒旋回⇒着陸を繰り返して、3回目にやっと降り立った事が怖かったくらい。
この時は、乗客、全員顔面蒼白で、着陸してからも、暫くは誰も言葉を発しなかった。

それ以外には、怖い経験ではないけれど、台北⇔台中間の飛行機に乗ったら、これがプロペラ飛行機で、「何でこんなちっぽけなプロペラが回ると飛ぶんだろ」と懐疑的になったりしたものだ。
更に、その時は、僕がその機に乗る前日か前々日に、台湾の交通関係の要人が「台北⇒台中間の飛行機は危険だ。私なら乗らない」という失言をして、それが報道されたばかりなので、更に不安に拍車がかかったものであるが。

ともあれ、こんなに飛行機に乗る生活になろうとは、(初めて飛行機に乗った)大学生の頃には予想もしなかった。
その時、予想できていたら、別の仕事を探していたのだろうか!?