インフルエンザとSARSのじわりと迫る恐怖の思い出

インフルエンザ報道の華やかな中、香港⇒北京⇒上海⇒香港と移動した。
若干、体温検査や健康情報報告が面倒なものの、総じて大きな混乱はない様な気がする。
今日乗った機内の乗客が、半分マスクをしていたので、SARSの頃を思い出したが。

ただ、2003年にSARSを経験した身としては、今回のインフルエンザの状況は、さしたるものではないと感じてしまうのもやむを得まい。
何しろ、あの当時は、毎日死者が増加。
それが、刻一刻と報道されていたものだ。

出張極力自粛という事で香港華南に留まっていた。
病原菌が詰まった部屋に閉じ込められる様な恐怖。
そんなものを感じながら、日々を過ごしていた。
公共の場所(電車、エレベーター等)では、(マスクをしている事もあるが)人々は口数が少なくなり、どんよりとした雰囲気。
でも、恐怖と、逃げ出してたまるか!という意地の両方が胸にあった。

乗客が少なくなるので、飛行機の便は少なくなり、空港はがらがら。
たとえば、香港・台湾便は、通常は30分おきに便があるので(他の航空を含めればもっとだ)、チケットさえ買えば、好きな時に行って、一番早い便に乗せてもらえるのだが、その当時は一本のがすと、数時間次の便がない状況であった。

今のこの自由な中華圏で、こんな感じで行動の制限が行われるというのは、予想だにしない事だった。


2003年と言えば、僕のコンサルティングビジネスが、立ち上がりかけた時。
2001年に準備を始め、2002年に最初の商売が入った様な感じだから、1年でSARSが流行した事になる。
出張者もなく、進出案件も暫定的にストップ。
「せっかく立ちあがりかけたビジネスを、こんな病気ごときで駄目にされてたまるか」と悔しくて、仕方がなかった。
これに屈して、オフィス内に身をひそめることは、心情的にできなかったので、会ってくれる方がいれば、深圳でも東莞でも行ったし、連載の取材で広東省にも行った。
大々的に告知して、無料コンサルティングを受けたりもした。
その行動が正しかろうがどうだろうが、ともあれ、せめてもの抵抗だった。

今回のインフルエンザは、そんな怖さとは次元が違っている感じがする。
ただ、感染すれば報道にさらされ、症状の程度に拘わらず、(語弊ありと言われるのを承知で言えば)さらし者にされる恐怖がある。
そちらの方が怖いな。
SARSは病気が怖かったが、今回は人が怖い。
そんな気がする。