気持のくぎり

起業初年度決算は、連結黒字は確定した。
あとは、香港、上海、広州という3つの拠点すべての初年度黒字を目標に、最後の頑張りをしているところ。
黒字の達成が経営者の最低の責任とするのであれば、全拠点の初年度黒字達成は、第一段階の目標達成で、ほっとした気持。

前にも書いたけど、1年ちょっと前に丸紅を退職する事となったのは、ほんの数名の人間との衝突が原因だ。

退職前・退職後、たくさんの元同僚・上司が、「水野が丸紅を辞めても、俺たちは仲間として付き合っていく」と言ってくれ、そして、本当に、そうしてくれている。
退職後も、古巣に支えられている自分を感じる。

それが嬉しく、結果として、この1年は、丸紅という会社全体に対する感謝の気持、そして、その中の、ほんの数名に対する怒りが、僕の中に交錯していた。
ただ、会社が軌道に乗った事で、怒りも消えた。
残るのは純粋な古巣への感謝の気持。

だから、退社の顛末は、今後は、プライベートの場でも、必要に迫られない限り話すのをやめようと思う。
聞かれても答えない。
その意思表示の意味で、最後に、この一年半の事を書いてみたい。

僕が立ち上げた旧M&C(丸紅のコンサルティング子会社)は短命に終わったが、僕が指揮を取っている時は、一応、初年度より黒字だった。
基盤があった香港華南は当然として、後発参入となる上海(2006年7月営業開始)でも初年度から黒字を出したので、その意味では、他の人間にはできない滑り出しを見せたという自負はある。

ただ、業態の宿命で、商社の物差しで測れば利益は小さい(億円単位の純利益達成は困難)。
また、出資部門からは顧客情報の開示を絶えず求められるという悩みもあった(契約上、それはできないと一貫して断っていた)。


商社の中のコンサルティング業という、新しい業務の位置付けを明確にしきれなかったのは残念だ。
勿論、これには僕の社内調整努力不足という面もあるかもしれない。
そんな流れで、稟議計画通りの利益推移を2年間してきたにも拘らず、出資部門よりコンサルティング事業の撤退方針がでてしまった。
僕としては、かなり唐突感を感じる決定だったが、お互いが置かれた立場の中で、悩みながら決断した事だし、その決断をした部門長・部長は、「途中で投げ出す事になり申し訳ない」と謝ってくれた。
だから、彼らに対する恨みは全くない。
あと暫くすれば、感謝の気持ちに変わるだろう。

コンサルティング事業撤退にあたり(僕の帰国も示唆されていたので)、僕が出した条件は、「部下の雇用の確保」と「既存顧客に対する責任の履行⇒Q&Aサービスの継続(兼務でいいので、僕がQ&Aを側面サポートできる様にする事)」のふたつ。
ただ、これは何れも叶わなかった。

問題なのは、撤退方法を決める時には、本社の責任者が変わっていた事で、何故か、彼らと個人対個人の対立(一方的にだけど)が生じてしまった。
僕の著書の印税返却要求(これは既に本社人事部の同意も得ていた事なので、人事部判断で返却不要となった)、毎日の数時間毎の行動監視(電話)等、本筋から外れた信じられない事が毎日繰り広げられ、心身ともに疲れ切って、最後に、彼らと闘う事を決めた。

彼らの行動は、(僕はメディアで発言もできるので)なんか唐突な発言をされないようにきっちり見張ろうという趣旨か、若しくは、水野を操縦できるという社内プレゼンがしたかったためか、はたまた自由に飛び回っている様に見える僕への屈折した感情か。
ただ、僕の性格を考えると、明らかに逆効果だった。
辞表の提出は、「お前たちを上司とは思わない」という意思表示だった。



僕が辞表を出した事で、その数名は逆切れし(たのかな)、各種の方法で僕をつぶしにかかった。
何人かの丸紅の元同僚(先輩)が、場所は違えど「あいつら人間として許せない!」と、酒を飲みながら憤りを示してくれた事があるが、それが戦いというものであれば致し方ない。
その数名にとっては、余裕のない戦いであったのだろう。

ただ、戦いの方法として、一度、撤退方針を出した筈のコンサルティング業務を、自分たちでやろうとしたのは明らかに判断ミスで、結果、半年であっさり自滅してしまった。
本当に自分たちでできるつもりだったのかと呆れたが、そんな判断もできない事が、全ての事態を引き起こした原因であろう。

最近、アシスタントの水嶋さんから、「あの時の水野さんは怖かった。あんなに怒った水野さんを初めて見ました」と言われた。
確かに、怒っていた。
あれだけ長時間、怒りが継続したのは生まれてこの方初めてだ。
ただ、それがエネルギーになったのは確かである。

彼らは僕の辞め際に、「勝てるはずないから、大企業と戦おうなんて思うなよ」と言い捨てた。
ただ、彼らは社内の世論をつかめなかったので、大企業との対立という構図自体が生まれなかった。
却って、彼らの方が、社内の世論に晒されたのではないか。

顧客不在の戦いは、僕としては不本意であったし、部下にも不要の苦労をさせた。
ただ、当時の僕には、他の選択肢は与えられていなかった。
不本意ながらも迷惑をかけた方々には、この場を借りてお詫びしたい。
ただ、幸いだったのは、この争いの中で、僕も学ぶ事が多かったし、お客様・提携先・部下に対する感謝の気持も、格段に深くなった事だ。


そんな感じで学び、そして生き残った訳であるが、この結果だけを踏まえて、「僕に戦いを挑んだ相手(数名)に感謝している」というきれい事は、決して言わない。
悪意で僕を潰そうとした人間に対して、感謝すると言ったら絶対に嘘になる。

退職前は、「僕は丸紅に入社したのであって、こんな連中の所有物になったつもりはない。こんな連中の為に僕が辞めるのを、何故誰も止められないんだ」という気持ちでいっぱいだった。
ただ、考えてみれば、コンサルティングができないのであれば、この様な対立が無くても、僕は、独立起業を選んだだろう。
2001年からコンサルティングの顧客開拓をする際、「僕は梯子を外しません。信じて下さい」と言って契約を頂いていた。
僕を信じてくれた人たちを裏切ったら、自分に嘘を付いたら、僕は一生、自分自身を信じられなくなる。

それを考えれば、退職の道を選んだのは、間接的には自分自身と言えるのかもしれず、誰に文句を言う筋合いでもないのだろう。

後悔は全くしていない。
そして、顧客、元同僚、部下、提携先等、素晴らしい人たちに囲まれた僕がいる。
幸せだ。

応援してくれる方々の信頼に応えるべく、これからも努力しなくてはならない。
そして、僕を育ててくれた丸紅という会社には、外からになってしまったけれど、業務に協力する事で恩返しできればと思う。
おかしなもので、退職してからの方が、丸紅という会社に対する愛着は深まったようだ。
というより、丸紅の人たち(OB含む)に対する感謝と愛着と言った方が正確かな。

この一年で学んだのは、仕事も人間関係も、近道はないという事。
信頼を少しずつ得ながら、長い時間をかけて築きあげていく道のりだという事だ。
つまり、その人間が如何に生きていきたかが反映される。
嘘をつかない事、責任を果たす事、人の気持を考える事、前向きに生きる事。
そんな姿勢を続ける事でしか結果は得られないという事だ。

読みかじった様な、安易な資本の理論や組織論は、聞こえは良くても、何の解決にもならない。
この戦いの中で、彼らがそれを学んでくれればと思う。
そして、何時か胸に問いかけて欲しい、「こんな戦いをすべきだったのか」という事を。
周りを無視した戦いは、勝っても負けても無意味だし、すべきではなかった。
これを彼らが理解できたら、事後になってしまったけれど、一縷の評価はしてあげられる。

気持のくぎりはすっきり付いた。
これからも、前向きに生きていく。
そして、この話題も、今回で終わりだ。


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