日本の不便さにげんなり

今週は、一週間で、香港⇒上海⇒日本⇒上海⇒香港と移動する事もあり(何時もの東方航空格安チケット)、またもやばたばた。
久々のブログ更新になってしまいました・・・

28日(水)に、成田到着。
元々、夜8時半に到着するはずが、1時間半遅れで、10時過ぎに到着。
託送荷物がなかったのでささっと出たが、成田エクスプレス、スカイライナー共、既に無し。
10時35分新宿行の最終リムジンにかろうじて乗り込む。
荷物預けてたら乗れないところであった。
1階のATMも、この時間開いているのはHSBCだけだ。
バスに乗るため、空港内をアタフタ走って現金を引き出す。

深夜に到着しても、まったく心配がない香港に慣れていると、「日本はなんて不便なんだ!」と歯ぎしりする事しきりであった。
これでは、上海よりも不便ではないか。
ただ、幸いにも、道が空いており、リムジンが順調に走ったので、箱崎で降りて、最終電車に駆け込む。
帰宅は午前1時。

翌朝は6時半に起きて、都内で会議4件。
睡眠不足気味で少々げんなりであった。

ちなみに、これは翌日、浅草橋で世界の山ちゃんを発見した時の写真。
名古屋飯頑張る、という感じだ。

根拠ない上から目線とその理由

稀に、何故かわからないが、高飛車、若しくは、何時も高圧的に、説教口調で人に接する人がいる。
この様な人間に出会うと、人は、「この自信の根拠はなんだろう」、「なぜいつも威張っているのだろう」という疑問を持つと思うのであるが、分析すると、次の理由と思われる。

1.理解能力欠如による場合。
人と議論をする場合、自分のポジションを考える場合、通常の人間は、他人の考え方を推測し、また、他人と自分の位置関係を比較して、発言をするものである。
ただ、この能力に欠ける人間は、自分の立場・価値観でしかものを考えないので、結果として、自分が一番賢く、一番偉くなる。
他人の発言の真意・真理を理解する能力がない(自分の理屈でしか議論ができない)ため、「みんな馬鹿ばっかりだ」などと言ったりするが、実際には、相手の方が賢い、という事がよくある(が、彼はその事実には、最後まで気が付かない)。
この様に、価値判断における、客観的把握能力の欠如が、上から目線を引き起こす理由の一つになる。

2.中途半端な実力にすがりたい場合。
人間、誰しも、「人から好かれたい」という欲求と、「人から評価されたい」という欲求を持っている。
これが、うまい循環で結びつけばよいのであるが(実力がある→自分にゆとりができる→人から評価され、好かれる、という感じ)、実力・自信が中途半端で、且つ、好かれたい気持よりも評価されたい気持が優先されると、高圧的な態度で発言し、自分を大きく見せようとする。
十分な実力・自信があれば、自ずと人に伝わるもので、自慢話ばかりするのは、自信がない(中途半端な自信しかない)証拠だ。
僕自身の過去を振り返ってみると、「あの時は、口で自分を大きく見せようと思っていたな」と思い、恥ずかしく感じる事が多々ある。


そんな訳で、根拠のない高飛車、高圧的な態度というのは、何れにしても、能力の欠如のなせる業なので、相手にしなければよいのであるが、人間心理として、「あれだけ自慢気にいうからには、何らかの根拠があるのではないか」と考えてしまうものだ。
少なくとも、一緒に仕事でもしない限りは、実は能力が無いと確信する事はできないし、よしんばできたとしても、相手は、そもそもその面での理解能力がない(1の場合)、若しくは、理解する事を徹底的に拒む(2の場合)ので、何れにせよ、相手に納得させる事はできない。
ある意味、高飛車勝ち(?)の状況が少なからず生じる訳だが、それは、周りの人間が、「へへん」と思っていればいいだけの事なので、あまりたいしたことではない。

ただ、最近思うのであるが、人間、周りから学ぶものはいろいろある。
例えば、10代、20代の若者は、経験・実績が無い、社会的ポジションは無いかもしれないが、やる気、ひたむきさ、新鮮な目線、(僕の苦手な)IT技術等、会話をしていて刺激を受ける事は多々ある。

若手を見ると、自然に説教口調になったり、軽く見たりする人間もいたりするが、相手から学ばない事は、本人にとっても損だと思う。
人間、相手を尊重する、良い部分を見る努力をする事は、自分の成長のためにも大切だし、成長するのに、年齢は関係ないものだ。
上から目線は、人の成長を妨げる。
自分が能力をつけたいのなら、そして、本当の意味で周りからレスペクトされたければ、上から目線は禁物という事になるのではなかろうか。

失敗の理由(ほうれんそうとは言ったって)

僕の業務上の経験からすると、組織で仕事をする場合において、明らかな誰かのミス、というのは比較的少ない。
7割くらいは、「彼がやっているであろう」とお互いが考えて、連絡・確認を取らなかった事から生じる、いわゆるポテン・ヒット的なミスではないか。
何故、こんなミスが生じるかというと、報告連絡、情報交換を怠った結果で、人間関係の悪さから生じる場合が多い。

組織を預かるものとしては、この様な人間関係の問題を解消する事が、ミスの回避の大きなポイントとなる。
どの会社でも、入社早々、必ず上司から仕込まれるのが、「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」というもので、言葉としては、極めてダサイので、使いたくないのだが(使ったことはないのだが)、重要な事項であるのは確かだ。
E-mailを打つ時、上司・関係者にccを入れるだけで、余分な報告の手間が省けるし、情報の共有化ができるが、こんな簡単な事でも、教えられないとなかなかできない。
ここらは、新人教育というものだろう。

また、上司側も注意すべきがある。
「報告、連絡、相談だ!」と言いながら、実際に部下が相談に来ると、いきなりつるし上げるような上司もいる。
これでは、相談に来いと言っても、誰も怖くて近づくまい。

情報交換の欠如は、失敗の最大の要素の一つ。
良好な人間関係(上下関係を含めて)の維持は、仕事のクオリティを上げる重要な要素でもある
報告が足りないのは部下の罪。
相談をしにくい環境を作るのは上司の罪。
業務の適切な履行の為に、各人が留意する事であろう。

広州での講演会

講演会の打ち上げ(水野広州のスタッフと)

22日、23日は広州で講演会2件。
22日は自社主催、23日はJETRO主催。
先週の深圳での講演会は、過労による体調不調に悩まされたので、今回は、体調を万全に整えて講演に臨む。

22日の自社主催講演会は、70人の定員が、ほぼ一週間で満員の申し込みを頂いたので、取りあえず一安心。
今後の加工貿易政策、上海市で実施されている流通税改革、貨物代金決済改革試行措置の今後、人民元対外決済の現状、という、ここ数か月で新しい動きがあった事項を2時間半で解説した。

今日の午後は、広州商工会の総会前の講演にて、150人程度の集客とか。
ここでは、流通税改革試行措置を1時間弱で解説。

ともあれ、昨日の講演会が無事終了したので、頑張ってくれたスタッフと一緒に打ち上げ。
ほっと一息というひと時であった。

上海で震える

香港から上海に到着。
香港がTシャツ1枚で過ごせる気候なので、半そでシャツにスーツを着て上海に付いたら、皆なジャンパーを着ている。
大変寒い。

到着地の温度確認を怠った事を反省・・・

管理部門の独立採算化

これは、僕が正しいとか、間違っているとかいう問題提起では全くなく、一つの考え方・価値観であり、僕の思い出話なのだが・・・

31才の時に経理部の集合研修があったが、その時、僕が発表を希望したテーマは、経理部の独立採算化であった。
これは、発表前に、チーム長からあっさり却下された。
その後、35才で管理職昇格論文を書いた時も、僕の主張は、管理部門は各部が分社化して、独立採算制を採用すべきだというものだった。
論文では、同じ業務(例えば経理)で、複数の会社を作り、競争させると共に、社内倒産制度や、社内訴訟制度も作るべし、とか、グループカンパ二―(グループ内の管理部門の会社)ではなく、弁護士・会計士・コンサルタントの起用でも代替できる社内制度にして、外部とも競争させるべしという内容も織り込んだ。
結構、過激な内容だったので、書いている自分でも、そんな事が実現するとは思っていなかったが、その数年後に、丸紅の管理部門の大部分が、実際に分社化した(今では殆どが元に戻っている筈だが)。
当然、僕の論文が元でそんな大きな動きが起こる訳はないので、社内の役員の多くが、そういった考えを持っており、たまたま僕が似たような論文を書いたという事だ。
勿論、(混乱・業務への支障をきたしてはいけないので)現実の分社方法は穏やかであったが。

それはともあれ、そんな主張を繰り返している時、実際に独立採算化して、内外部との競争にさらされたら、自分自身が生き残れる(内外部の競争に勝ち残れる)自信があったか、というと、そうではなかった。
何分、フィーを稼いだこともなかったし、35才で経験も浅かったので、自信があったとすれば、単なる盲信だ。
ただ、そんな環境の中でも勝ち残れるようになりたい(そんな自分になりたい)と思っていた事は確かで、口に出しす事で自分を追い込もうとしていた訳である。

若いころの僕は、金銭を通してこそ、パフォーマンスに対する評価の明瞭化、義務・責任の明確化が図れ、プロ意識の向上につながると考えていた。
勿論、会社の管理部門の枠組みの中で、プロの仕事をしている人はいるのは確かだし、その方々を否定する気は一切ない。
単なる若手時代の僕の考えだが、ともあれ、そんな厳しい環境に身を投じて、自分の能力を高めたい、と考えていたのは確かだ。

管理職昇格論文を書いた翌年(2001年)、折からの中国進出ブームを受けて、図らずしもコンサルティング業務をやってよい、という許可が現地法人の主管者から出た。
ビジネス化できなかったら、自分の存在・能力の否定にもつながるので、若干怖かったが、それでも、喜び勇んで、コンサルティングの事業化を模索した。
初めてフィー収入を得たのは、2001年10月。
初めてから半年後の事であり、その後、2004年には、(経理部とコンサルティング部と切り離して)営業部としてコンサルティング部を設置。
2006年には、丸紅100%出資のコンサルティング会社として、香港、上海で分社した。
そして、2008年に、(これは意図した事ではなかったが)独立起業して今にいたっている。
結果として、管理職昇格論文の内容を、少なくも僕自身は実践した事になる訳だ。

ただ、この過程は、なかなか厳しかった。
2001年当時は、誰からも期待されていなかったので、年間500万円のコンサルティングフィーを稼いだだけで、凄い凄いと褒められたのが(当時は経理主業務、コンサルティング副業だった事もあるが)、別会社化すると、2億円のフィーを稼いでも、取るに足らない言われ、閉鎖方針が出てしまった。

そんな感じで、実際に自分で収入を得る事の苦しさが分ったが、喜びや面白さも分った。
そして何より、世界が広がった。
一歩、違う世界に踏み出した事で、随分、いろいろな経験や知識が得られたと思う。

人の価値観はいろいろだし、その分、失ったものもあるのだろうが、そんな点を含め、僕個人としては、当時の考えを実行に移してよかったと思う。

自宅でエビのオリーブオイル焼き

15日(木)の講演会の日に、若干体調を崩したので、昨日は若干ペースを抑えて仕事。
夕食も家で食べる事に。
自炊する事に決め、City Superに、帰宅前に買い出しに行く。

久々にCity Superに行くと、食べたいものがいろいろと目に飛び込んでくる。
あれこれ迷って、1時間くらい買い物に費やしてたが、結果、エビをたくさん買い込む。
ホイルにオリーブオイルをひいて、ガーリックを加え、塩コショウしたエビをオーブントースターで焼くだけの簡単な料理。
見てくれは良くないが、なかなか美味しい。

一緒に買った、伊勢海老のくず身を同じように調理してみる。
これはいまいちだった。

ともあれ、ビール(2缶飲んだ)がたいそう美味しく感じられた。
これも、忙中閑有り、という感じ。
体調もずいぶん回復。

独立起業に年齢は関係ない

起業独立する時に、何人かの方から「独立するのは20~30代が普通。40代は難しい、もしくは、最後のタイミング」と言われたけれど、自分で経験してみれば、年齢は関係ないと思う。
若ければ情熱があるし、年齢が上がれば、ビジネスに必要な人間関係やスキルが構築されている。
双方、一長一短だ。
ただ、独立1~2年は本当に大変で、体力的に厳しいので、年齢が関係するとすれば(年齢が上がってから独立するのが難しい部分があるとすれば)、ここであろう。
ただ、環境が変わり、事業を起こせば気合も入るので、1年は体力が持つはず。
あとは、如何にこの高いテンションで駆け抜けるかだ。
必要なのは、熱い気持ちだ。

また、最初はどれだけ自分で完結できるか、という点が重要だ。
起業3年半経過した現在、社員が20名となっているが、最初の数か月は僕一人だった。
コンサルティングは当たり前だが、僕一人しかいないので、自分で契約書、請求書を作ったし、封筒のあて名書きをし、郵便局に投函に行った。
当時45才だったので、本社にいれば部長席という年齢だが、一人で事務作業をする事を、不思議とわびしいとは思わなかった。
会社を安定稼働に乗せる、という至上課題があったので、苦しくても当たり前だと思っていた。

40~50代以上で(一定の地位を得てから)独立起業する人の場合、秘書がいないとだめ、綺麗なオフィスが無いとだめ、車がないとダメ、という発想をされる方がいるが、最初からこの意識だと苦しいのではないか。
稼ぎの中からしか金は使えない。
無いならないで、如何に経費をかけずに切り盛りするかを、考え、実行に移せなければ資金が続かない。
「贅沢は1年(収入が増えるまで)我慢する!」と心に誓って、その目標に合わせて、ビジネスを開拓すればよい。
まあ、僕はまだ、贅沢するには至っていないが。。。

ただ、瓢箪から駒という感じだが、最初の数か月、会社の中の作業を、自分ひとりで、何でもやった事は自信になった。
会社のオペレーションが、自分で全てイメージ・把握でき、最悪、何があっても自分一人でできる、という自信が持てたからだ。

3年半経過した事で、独立当時の出来事は、過ぎた日の事となりかけているが、これから独立する方にコメントするとすれば、「年齢は関係ない。ただ、夢と熱い気持ちは必要」という事だろう。
僕もまだその途上ではあるが。

深圳講演会と蕎麦人のそば

深圳蕎麦人の合いもりそば

3月15日は深圳で政策金融公庫主催の講演会。
22日(木)は広州で自社企画講演会、23日(金)は広州でJETRO主催講演会と、9日間で、広東省内で3件講演会を開く。
自分自身でパイを食い合っている様な気がしないではないが、久々の広東省での講演会続きだ。

ただ、ここのところ、仕事の無理が続いていたので、昨日は体調が崩れ、若干後悔が残る出来栄えだった。
週末、しっかり体調を調整して、ベストの状況で広州での講演会に臨もう。

講演会が終わると、蕎麦人で会食。
〆を、蕎麦の合いもりにするか、たぬきそばにするかで少々迷ったが、合いもりそばに決定。
美味しかったが、過労で体がきつく、一人で先に香港へ。
0時過ぎに就寝。

送別会はスイス料理とジャズバー

上海から香港に移動すると、チムサッツイに直行。
仕事でお世話になった方の送別会だ。
この時期、送別会が多く、若干胃がつかれているが、そこにスイス料理。
チーズ料理はきついが、送られる方の指定だけにやむを得ない。
この料理店は、新しいオフィスの隣で、前から気にはなっていた店。
ビールを飲んでチーズフォンデュ―。
考えてみれば、スイス料理を食べるのは生まれて3回目。

ムール貝やハム盛り合わせなども食べる。
美味しいのだが、スイス料理は写真映えがしない・・・

バーを探しに歩く写真(上)と代わりの店に入ったところ(下)

それが終わると、何故かランカイフォンに移動して、思い出のバーという場所に出かけるべく歩き出すが、秘密結社の様な場所という言葉の通り、分かりにくい場所で、更に既につぶれていた。

やむを得ず代わりのジャズバーに。
音楽と酒を堪能。
ただ、食べ過ぎ飲み過ぎだ・・・