国民性の違い(日本・中国)

日本は空気を読む文化。
中国は主張する文化。
という気がする。

例えば、満員のファーストフードレストランで食事をしている時に、待っている人がいれば、早めに食べて席を譲るのが日本人。
一方、後ろにプレートを持った人が立っていても、ゆったり食べているのが中国人だ。
これだけ言うと、日本人の方が優れている様に聞こえるが、そうとは言い切れないのが面白いところ。

例えば、4人掛けの席に3人が座っている。
日本で、「そこに座っても良いですか?」というと、反対はされなくても、最低、嫌な顔をされる。
一方、中国で同じことをすると、「どうぞどうぞ」と譲ってくれる事の方が多い。
つまり、座りたかったら言ってくれ、というのが、中国の流儀という面もある。

中国では、列の割り込みが多いのは確かで、僕は、この半年に3回、「俺が先だ」と言ったが、3回すべて、「悪い、悪い」と言って、素直に僕の後ろに行った。
日本は、割り込みが少ないのは確かだが、万一、そんな事があった場合、「並べよ」というと、逆切れされて、刺されないかと恐怖を感じる。

また、平時と切迫した状況でも状況が異なる。
忘れもしないSARSの頃、個人主義の塊、というイメージの香港では、多くの医者が、生命の危険を顧みずに、対応に当たっていた。
実際に、命を落とした医者も多かった。
一方、日本では、香港から帰国した人間が、熱があると医者に行ったら、「来るな!」と逆切れされたという話が報道されていた。
まあ、こんな医者は、医者という以前に、人間失格で、議論(評論)する意味もないが。

こんな訳で、日本人、中国人、それぞれの良さと悪さがある。
良い部分、悪い部分が違っているだけだ。
自分の基準でしか見られなければ、好きになれない人間でも、公平に見れば、良いところがたくさん見えてくる。
悪いところを見て嫌うより、良いところを見て好きになろう、というのが僕の流儀だ。
報道も同じ。
同じ人間を取材しても、良い部分にスポットを当てるのと、悪い部分に当てるのでは、視聴者・読者に与える印象は全く違う。
だから、報道は、冷静・公正に行うべきだと思うのだが。

上海で今後の展開を打合せ

昨日は、松本顧問とオフィスで打ち合わせ。
今後の戦略に付いて話し合う。
当社は(コンサルティング会社という特性からして)、人より知っていないと仕事にならない。
その意味では、今後も、中国をコアにしたビジネスを続けていく事に変化はない。
ただ、企業活動の多様化に合わせ、ASEAN対策というのは立てざるを得ず、3~5年後に、シンガポールに子会社を作ろうと計画しているのだが、作ってからビジネスモデルを考えるのでは遅すぎる。
ビジネスモデルを組み立て、活動経費に相当する収入が実現した段階で拠点開設とすべきであり、そのための対策を話し合った次第。
勿論、今後の中国内での展開も、合わせてブレーンストーミング。

その後、田家で食事をし、よく行くBarに。
田家もBarも満席だ。

松本顧問から、「ブログにあまり自分の顔を出さないね」と言われたので、取りあえず記念写真を撮って掲載する事に。
昔はよく出していたのだが、同時期に、「水野の写真がたくさん載っているブログね(大学時代の仲間)」とか、「水野さんは、一番好きなのは自分でしょう(丸紅時代の後輩)」と言われて以来、載せるのを控えていた。
まあ、たまにはいいか。
因みに、松本顧問は僕より元気なくらいの61才だ。