アジアの風放映日・園区遊補足

数日前に収録した、BSジャパンアジアの風の放送日は、2月16日(土)との連絡があった。
今回は早い(防音材の様に、収録後数か月かかったものもあるので)。

話変わって、昨日書いた保税物流園区遊の原稿が、何故か、途中で消えてしまっていた。
不思議だ。
という訳で、以下、補足。

保税物流園区遊は、非居住者が中国国内商流に関与できる例外的な方法だが、写真を見ても分かる様に、トラックが狭い場所に入って出るだけで、原則不可の非居住者の中国国内商流が、可能になってしまうのは、感覚的に割り切れない、という意見を持たれがちである。
では、この取引は合法か(白、黒、グレーの何れか)と言うと、白(合法的)であり、却って、税関は、保税物流園区の活用を奨励している。
何故かと言うと、香港、外国に輸出してから再輸入すると、輸出価格と再輸入価格を税関がマッチングする事ができず、アンダーバリューの管理がしにくいが、保税物流園区遊だと、入区価格と出区価格を管理できるので、この様な問題を回避できるためだ。
そのため、保税物流園区遊を行う場合、(価格を変える事はできるが)入区価格>出区価格となるような価格設定は、原則として認められない。

では、保税物流園区の中で、非居住者が売買をする場合(複数の非居住者が所有権移転をする場合が有る)企業所得税は課税されないのか、というご質問を受ける事がある。
つまり、中国の保税物流園区遊で、日本企業Aが、100で引き取った貨物を120で売れば、20の売買益生じるが、これに対する課税は行われないのか、という点である。
この課税の有無は、PE(恒久的施設)認定の問題である。
日中租税条約第5条には、日本企業の中国内での、単純な商品の保管引き渡し(更に、そのための商品と保管、設備の使用)は、PE認定を受けない事が規定されている。
同じく第7条には、日本企業の事業所得は、中国にPEが無ければ課税されないという原則(PE無ければ課税なし)が定められているので、原則は、企業所得税課税を受けない事になる。
つまり、PE認定されれば売買益に対して課税されるが、PE認定を受けなければ、企業所得税課税は受けない事になる。
細かい注意点はあるのだが、長くなるので、ご興味がある方は、弊著中国におけるPE課税の理論と実務を一読下さい。



一方、租税条約非締結国の企業が園区遊を行う場合、理論的には課税の懸念はあるのだが、実務上、少なくとも現時点では、課税された実例は聞いていない。
やはり、保税区・保税物流園区は、この様なオペレーションの誘致のために設置した施設であり、ここでPE認定をすれば、誰も使わなくなる。
この様な実情が、関係しているのであろうか。

写真で解説・保税物流園区遊

なくしたと思っていた、写真のメモリーディスクを偶然発見した。
2007~2008年頃の写真で、保税開発区などの写真もたくさん出てきたので、ちょっと、いくつかの事項を写真で解説してみようと考えた。
幾つかの事項とは、「保税物流園区遊とは」、「最近話題になっている上海自由貿易区構想とは」、「ボーダーを跨ぐ工業園区とはどうやって管理しているのか」、「保税開発区政策の方向性と、香港の関係」、「保税開発区内の関税・増値税はどう扱われるのか」、「10年以上前によく話題になった、保税区貿易会社とは」という内容。
先ずは、保税物流園区遊。
最初の保税物流園区(上海外高橋保税物流園区)が認可されたのが、2003年の事。
何故、この保税開発区ができたかという理由は、1990年代にさかのぼる。
最初の保税開発区である保税区が、過去の経緯から、増値税還付機能をはく奪されてしまったので、それを補完するためである。
中国内貨物を保税区に搬入しても、増値税還付が受けられない(一方、その次にできた輸出加工区以降の保税開発区は、増値税輸出還付機能を持っている)が、これは、1990年代に国家税務総局が出した文書(財税字[1995]92号)が根拠。
これがまったく改定されないので、保税区に、違う機能を持った保税開発区(増値税輸出還付機能を持つ保税開発区)を増設して、保税区の機能を補完しようという考えられた。
これが、保税物流園区だという事である。
そのため、保税物流園区は、狭い(どこも1平方キロ未満)、機能が限定されている(物流機能に限定)、保税区に隣接・内蔵されている、という特徴を持っている。
これは、2008年の厦門保税物流園区。
今はもっと整備されているのではないかと思うのだが(その後訪問していない)、ゲートに空地と申し訳程度の倉庫があるだけで、これを見ると、イメージがつかみやすいと思う。

保税物流園区は、「物流機能に特化」し、「増値税の輸出還付機能を持つ」という特徴により、当初から、香港代替機能が期待されていた。
これは何かというと、加工貿易製品を、一旦、香港に輸出し、再輸入するオペレーション(香港遊と呼ばれる)を、保税物流園区で行うというもの。
加工貿易貨物は、製品の輸出を前提に原材料を保税輸入している訳なので、製品は輸出が原則。
ただ、その製品を購入したい会社が中国内で有る場合、広東省では、製品をトラックに積んで香港に出て(輸出)、再度、中国本土に引き返す(輸入)オペレーションを行っていた。
ただ、広東省以外で同じことをやりたい場合、物流が不便(時間がかかる)なので、各地にこの様な機能を持った施設を作る事が検討され、保税物流園区の形で実現したという事。
加工貿易貨物ではなく、非保税貨物でこのオペレーションが行われる事があるが、これは、外国企業(非居住者)が中国内の商流に絡みたい、というニーズが主流。

この写真では、ゲートにトラックが入ってゆき、数時間中で停車すると出ていく。
何故停車するかというと、通関処理を行っているため。
ただ、この停車している状態の間に、所有権が、複数の外国企業間で移転している場合がある。
トラックが外に出ていくと、再輸入完了、という訳である。
因みに、保税物流園区に入区・出区する場合、入出境備案という、貨物の入出区報告が必要だが、これは、区内企業でないと対応できない。
よって、外国企業は倉庫会社を起用して、この作業を委託する。
また、区内で外国企業間で売買を行う時は、倉庫会社が所有権移転証明を発行する。
そんな訳で、この当時の厦門保税物園区には、まだ倉庫と呼べるような設備は無かったが、倉庫会社の登記はあって、ここがその手続をしていた筈である。

TV収録・上海移動

本日は、香港時間14~15時までTV収録(BSジャパンアジアの風)。
その後、空港に移動して上海に。
アジアの風の出演依頼は、先週金曜日の夜だったので、準備時間が、営業日ベースでは1日しかなく、少々辛かった。
今までにアドバイスした商品を見ても、フライパン、包装用紙、防音設備、健康用具、野菜洗浄機、植物繊維を使用した樹脂など、多岐にわたっており、さすがに、各分野の専門家の意見徴収や、一般消費者のアンケートを行わないと、意見を出しにくい。
幸い、各業界の友人・知人が多い事く、すぐコメントを出してくれる事や、部下が迅速に動いてくれるので、大変助かっている。
また、古巣の丸紅が総合商社なので、幅広い分野の商品をカバーしているのも、参考意見を聴取する時に有りがたい。
そんなこんなで、出演が決まると、バタバタと準備をして収録、という感じになる。
さて、あと30分ちょっとで収録だ。

久々の運動に悲鳴を上げる

移動続きで、10日間ほど運動ができていなかった。
リカバーすべく、土曜日に7Km走り、日曜日は20分軽く走った後にキックボクシングのレッスン。
久々に動いたので、ボクシングが始まった時点で、既にバテている。
おまけに、コーチが張り切って、ジャンピングハイキックや、ジャブ⇒バックスピンパンチ⇒ハイキックという様な、如何にも腰に負担がかかるコンビネーションを何度もやらせるので、終わった時には半死半生。
よろよろしながら帰宅する始末で、体力の衰えを実感してめげると共に、運動不足を反省する。

帰宅すると自炊。
土曜夜と月曜の昼・夜が外食。
火曜日に上海移動なので、余っている食材(野菜・牛肉・ひき肉)を使ってしまわねばと考え、「カレー」と「もやしひき肉炒め」を作る。
自慢するほどの出来栄えでもないが、自分で食べるだけなので問題なし。
あと残った食材は豆腐だけ。
火曜日の昼飯用に麻婆豆腐を作れば捌けるぞと、してやったりの気分になるが、「こんな小さな事でしたり顔になってはいかん」と思い直す。
自炊もやりだすと、深みにはまる。

ヤクルト(北京語・広東語)

先日、香港の若者から、「前から不思議なのだけど、ヤクルト(香港では益力多)は、なんで上海に行くと養楽多なのでしょうか」と聞かれた。
彼は、毎日ヤクルトを飲む習慣で、上海出張時はコンビニで購入して飲むそうだが、最初は、名称が違うので、同一品かどうか確信が持てなかったそうだ。
そこで、「益力多は、元の日本語はヤクルトだ。益力多を広東語で読むとヤッレイト(音が似ている)が、北京語で読むと、イーリートーなので、全然音が似てないでしょ。だから、音が似ている養楽多(ヤンルートー)に、表記を変えているのだと思うよ」と解説した。
しかし、(名称の話はさておいて)彼の様にヤクルトという元の日本語名を知らない香港人が、益力多という現地名称は、当たり前の様に知っていて、出張先でも飲んでいる。
中国市場でのヤクルトの定着ぶりが分かる逸話である。

名称の話に戻るが、類似の話はたくさんある。
類似というか、広東語発音で決めた漢字が、そのまま中国本土や台湾で固定してしまった例だが。
僕が、1988年に台湾で語学研修している頃、ピザハットが必勝客だったり、マクドナルドが麦当労であったりする事が、不思議で仕方がなかった。
その後、香港出張した時に、必勝客を広東語で読むと、ピッシャハッとなり(北京語だとピーションカー)、麦当労を広東語で読むと、マックダンロー(北京語だと、マイダンラオ)であることを知り合点がいった。
広東語で発音してみると、原音(英語)によく似ている(少なくとも、日本語の翻訳よりは、原音に近い)。

やはり、当時の香港は英国領だった事もあり、欧米企業としては、香港を軸とした中華圏展開がやりやすかったのだろう。
1980年代、中国本土にマクドナルドは無かったので、福建省で研修している頃(1989年)、香港に行ってマクドナルドのハンバーガーを食べるのが楽しみだった。
バブルで同期入社の社員が派手な生活を送っている頃、僕は中国研修で、食べたいものも食べられず、香港出張時のマクドナルドや茶餐庁のワンタンメンで欣喜雀躍していた。
福州のホテル住まいだった僕は、日本から郵送してもらった蕎麦を、携帯用ラーメンポットで茹でて、洗面所の水道水で冷やして食べるのが楽しみの一つ、という生活を送っていたので、それももっともではあるが。
因みに、マクドナルド第一号店は、1990年の深センだった筈。
開店当初は、香港からの日帰りツアーのコースに、深センマクドナルドを入れる会社も有ったようだ。
中国が10億人のマーケットと言われながらも、全く実感が持てなかった頃。
今は昔という時代の話である。

寿司飯おにぎり

一昨日の事、忙しくて昼食を取る時間がなかったので、外出帰りに、オフィスの近くのスーパーでおにぎりを2個買った。
外見は、非常にスタンダードなおにぎりだが、食べてみると寿司飯だ。
これは食べられない。
かろうでて1個食べたが。
醤油をつけたら食べられるのだろうか。
おにぎりが塩味、という日本人の既成概念をなくせば食べられるのかもしれないが、味覚が視覚を裏切るというのは、なかなか大変な事だと分かった。

ドラえもん

水曜日に羽田のラウンジから更新したままになっていた。
夜9時に香港空港着。
木曜日は、朝一に香港で面談してから、広州日帰り出張(香港到着は夜10時半)。
金曜日は、終日香港で面談。
という3日間を過ごしていたので、ちょっとバテた。
勿論、前にも書いた通り、忙しさと精神的な安定は、ある程度のところまでは反比例するので(極限まで忙しいと、さすがにメンタルも余裕がなくなるが)、精神的にはのっている。
ただ、飛行機での移動が多いと、気圧の関係か体がだるくなるし、まだ雪が残る東京から香港に移動すると、気温は20度。この温度差は体に堪える。
移動が多い生活が始まったのは2006年頃からであるが、年齢的に、少々きつくなってきた。

話変わって、木曜日の香港⇒広州の直通電車の中。
香港の電車の中は、携帯の呼び出し音は大音量で、ひっきりなしに電話が鳴っている。更に、会話も大音声。
ともかくうるさくて、居眠りもできない状況だったのだが、最近、短い口笛の呼び出し音を、小さめの音で使ったり、車中では会話をしない、若しくは、小声で話す人で多くなってきた気がする。
良いことだが、何やら香港ではない様だ。

その中、ドラえもんのテーマソング(日本語)を呼び出し音に使っている人がいたようで、しばし、ほのぼのした歌が流れていた。
そうすると、座席の近くに座っていた、数名の子供達が、「ドラえもんだ!」と北京語や広東語で声を上げ、広東語でドラえもんの歌をずっと歌っている子供もいる。
つかの間車中がプチドラえもんワールドとなっていた。
ドラえもんの連載が開始されたのは、僕が小学校1年生の頃の筈。
親から買ってもらった小学1年生に連載が開始されたドラえもんを見て、「面白い漫画だな」と思ったけれど、外国を含めて、ここまで有名になるとは思わなかった。
こんな日常の出来事から、ドラえもんの認知度(特に海外)を再確認する。
連載開始が、自分が勉強を始めた頃(小学1年生)と重なっているので、なんとなく親近感を覚えると共に、その影響力に感服する。

JETROの研修教材販売記念

ただ今日本。
3泊4日の出張だが、日曜夜着なので、実質的な活動日は2日しかなく、あたふたと仕事中。
本日は、企業研究会主催の外貨管理セミナー。

先日、3月1,4日に、東京でJETRO主催の講演会をする事を紹介したけれど、これは、JETROが発売開始した、中国貿易に関するEラーニング教材のお披露目講演会。
子会社のチェイスチャイナが制作に協力している関係で、僕に依頼が有ったもの。
最初は、保税地域・加工貿易関連1回と、外貨管理1回の依頼であったが、参加希望者多いため、3回(1回追加)の依頼あり、昨日は、更に1回追加で4回となった。
1回2時間で、1日に2回、4日に2回の講演をする事となりそうだ。
しかし、JETROというのは、集客力があるものだと、改めて驚いた。

本を書くと儲かるか

印税という言葉を聞くと、人はつい、東野圭吾や宮部みゆきの様な、ベストセラー作家のイメージを思い浮かべるので、本を出すと、さぞかし儲かるのではないかと思われがちだ。
ただ、実直なビジネス書においては、そんな事はない。
中国関係で知名度のある弁護士の方と雑談をしていた時、同氏が「今まで書いた本で、一番印税をもらったのは50万円」、という話をしていたが、これはあながち嘘でもなかろう。

本を書いた場合の印税は、10~15%程度。
15%の印税をもらえるのは、基本的には増刷の場合だ。
印税は、本の出版時点でもらえるので、出版社が初版部数を決めて出版すれば、極論すれば、1冊も売れなくてももらえる。
二度と執筆依頼が来なくなるだけだ。

ビジネス書というのは、3,000冊売れれば、「よく売れましたね」と言われる世界。
2000年代前半の中国進出ブームの時は、中国投資ガイドは初版3,000冊ほど出た。
価格を3,000~4,000円とすると、印税は100万円程度で、共著の場合は、これを執筆者で分けていくので、二人なら50万円という事になる。
執筆には時間と労力がかかるので、100万円という金額が、割に合うかと問われると微妙だが、専門家にとっての本は、金銭を超えた意味がある。
やはり、書店に本が並んでいる事が信用になるし、それを買って読んでいただいた方が、クライアントになって頂ける。
その意味で、講演会と出版(更には、連載)というのは、この仕事を続けていく限りにおいてはやめる事ができない。

僕は、今までに、改定版も1冊と数えれば、単独執筆の書籍は20冊、共著は4冊。
翻訳ものは2冊(韓国出版用と台湾・香港出版用)を出した。
一番売れたのは1.6万部程度出た、「中国ビジネス投資Q&A」だが、これは改訂版を含めた、10年がかりの数字。
最近では、外貨管理、保税区域、加工貿易、PE課税など、テーマをかなり限定しているので、さすがにそれ程の冊数は出ないが、他に、これだけニッチなテーマで本を書く人はいないので、それなりに手堅く(景気に左右されず)出ている。
売れないビジネス書の中での健闘、という感じだが。
仕事の必要性と、何より僕が文章を書くのが好きなので、これからも執筆は続けていくのだが(半年以内に、あと3冊出版予定)、印税は、取材費の足し、という感じの位置付けである。
夢のない話で恐縮だが・・・

飛び込みの店でカツカレー

今回の上海滞在は3泊。
水、木が宴席だったが、金曜日は一人で会食。
どこに行こうか、会社を出てからしばし悩む。
取りあえず、仙霞路 x 安龍路付近に行こうと考え、会社から歩いていく。
歩きながら、上海の寒さにめげそうになる。
元々寒さが苦手だったところに、香港に長年住んだことで、完全に、南方仕様の体になってしまった。
歩いていると、前、横の窓ガラスがぼろぼろに割られている車があり、人がもめている。
どこの車かと思って見ると、中国国産車の様だ。
何事であろうか。

話はそれたが、上海の日本料理店は、変化が激しい。
すぐに店が閉店しては、そのあとに新しい店が開く。
一人だし、空いている店に入りたいと思い、開店早々と思しき店に飛び込みで入ってみる。
真面目そうな中国人が経営者の様だ。
茄子みそ炒め、餃子、ソーセージとジャガイモの炒め、カツカレー、生ビール1杯、日本酒熱燗2合で208元。
料理のサイズは小ぶりなので、一人で食べるにはちょうど良かったが、カツカレーは巨大だった。
目玉焼きが乗っているのが、僕としては嬉しい。
特に美味しい!という訳ではないが、店の人が真面目そうで、居心地は悪くない。
一人でのんびり時間を過ごすには良いかもしれない。