数字と表現

先日、NNAの江上さんが、中国のGDP成長が7.8%になった事を受けての、日中の報道のニュアンスが正反対で、読み手の印象が、両極端に分かれてしまうという記事を書かれていた。
計数を元にした分析で、双方正しいのだが、日本の報道が8%を割り込んだことで、「中国の経済は悲観的」というニュアンスを込めるのに対して、中国の報道は、7.8%成長した、という面を強調するので、読み手に、「中国の経済は安泰だ」という印象を与える。
同じ計数を使用し、正しい事を書いても、ニュアンスが天国と地獄の様に別れるので、執筆側・読者側の姿勢と理解を磨く必要があるという意見、まさに同感である。

ただ、日本の報道のニュアンスは、中国関連に限ってのことではなく、日本国内の報道でも同様であるように思える。
例えば、毎年2ケタの増収(売上増)を続けている企業が、ある年、前期比8%増となった時に、「○○社の販売成長が前年比悪化。成長にかげり」という様な記事がでるのを見たことがある。
記事を読めば、利益も確保しており、増収ながら伸びが鈍化しただけである事が分かるのだが、タイトルだけ読むと、その企業が減収、若しくは、赤字になったような先入観を読者に与える。
また、ビジネスマンが1日に読む情報は極めて多いので、よほど興味を持った記事でない限り、記事の内容は頭から消え去り、タイトルだけが記憶に留まる事になる。
それを前提とすると、このタイトルのつけ方は、「間違っていはないが不適切なのではないか」という違和感が残った。
結局、前期比の伸び「率」の増減で、成長・悪化を判断されると、例えば、新興企業が、小さい規模でビジネスを開始し、規模を拡大している過程では、メディアが応援に回るが、引き続き成長過程にあっても、伸び率が鈍化すると、記事の表現が一転してアゲンストになり、足を引っ張られる形になる訳だ。これは辛かろうと思う。
特殊な事情がない限り、増収・増益を続けている状況下で、ネガティブな表現をするのは不適切ではないか。

僕自身、経理畑が長く、計数を使用した各種資料を作成した経験がある。
その時、無機質な数字の羅列の中から、どこを選定するか(どの数字にスポットライトを当てるか)で、選定者の意図が如実に反映される事を実感し、計数選定の公平性と、表現の客観性を自分に対して戒めた。
これは、どの経理マンも同じであろう。
数字を扱った事がある人間は、数字の怖さを知っている。
ビジネス界では、扱い方次第で、数字を凶器に変える事ができるからだ。
これが、数字を扱う側の姿勢であろう。
一方、読み手側に求められるのは、正しい事(間違いではない事)と適切な事は必ずしも一致しない事実を認識し、記事・報告書を自分の頭で分析する習慣をつける事であろう。