マスク輸出若干の強化

友人たちからのSNSでの連絡を見ていると、マスクが徐々に買えるようになってきたという投稿が目立つ。自分自身は、有難い事に、中国の友人達から、「中国では問題なく帰るので、プレゼントしてあげるよ」という連絡を何人からも頂き、特に不足することなく過ぎているが。ともあれ、一時は、日本では全く購入できない状況だったので、供給が追い付いてきたのは、ほっとする出来事だ。
この状況下、「防疫物資の輸出品質管理の一層の強化に関する通知(商務部・税関総署・国家市場管理監督総局公告2020年第12号)」が公布され、2020年4月26日以降、非医療用マスクの輸出に関して、以下の様な管理が実施される。若干の強化だ(医療用マスクは、既に管理が実施されているが、非医療用マスクも手続が規範化されたという事)。
国外での品質不良問題や、医療用・非医療用の誤用を回避するための措置である。内容的に、大きな影響は無い筈と思うが、取りあえず状況を見る必要は有ろう。
● 中国からの非医療用マスクの輸出は、「中国国内品質基準、若しくは、国外品質基準を満たす必要があり」、2020年4月26日以降の輸出に関しては、「輸出者(中国企業)と輸入者(国外企業)の共同声明」を、書面、若しくは、データで、税関に提示する必要がある。
共同声明(12号公告に様式が添付)」には、国外の輸入者は、輸入により購入する非医療用製品の品質に関する異議がなく、且つ、購入した物品を、医療用途に使用しないことに関する宣誓が要求されている。
● 国外品質基準を満たす非医療用マスクの輸出に際しては、当該マスクの生産者は、「国外基準認証・登録を取得した非医療用マスク生産企業リスト」に掲載され、且つ、「非医療用マスク不合格製品、及び企業リスト」に掲載されていない企業である必要がある。

当社もクライアント様に無償贈呈するためのマスクを1.5万枚輸入する事としているが、出航が5月1日予定なので、状況確認中。

香港のパラドクス

香港で、不動産関連でお世話になっている仲介会社(Frontier Real Estate Ltd)から送ってもらった月報を見て改めて感じたこと。
セントラル地区のA級オフィス物件の1squarefeet当たりの賃貸相場が、CEPA施行の2004年1月段階でHK$23程度。これが、2009年1月にはHK$105に上がり、リーマンショックの影響で一旦HK$60程度まで落ちるもすぐに戻し、2019年にはHK$140になっている。6倍の上昇だ。住居価格はそれほどではないが2倍程度となっている。
確かに、自分が2010年にホンハムで借りた住居の家賃が6年後には2倍になってしまったが、そういう動きも存在する。一方、物価指数の推移は、同一期間で1.5倍程度の変化だ。
日本で、数年間で給与が1~2割しか増えないのに、家賃が倍になったら、大変な騒ぎになるだろう。ましてや、不動産価格が高い(所得に占める家賃割合が高い)香港では、その影響は大きいし、所得が低い層ほど(中流でも)シリアスだ。

香港は、1997年のアジア通貨危機、2003年のSARS、2008年のリーマンショックによる経済危機を、中国のテコ入れで切り抜けてきた。その結果、中国マネーが流れ込み、経済は活性化された。今の香港は、中国無しでは生き残るのは困難だ。とはいえ、そのマネーが生み出した豊かさは、不動産価格の高騰と庶民の生活圧迫をも生み出すというパラドックスを生んでいる。
香港のデモは、香港の経済価値を毀損するという意味で、僕個人としては否定的ではあるが、こうした将来的な不安の発生を自分の身に置き換えてみれば、その気持ちも分かる気はする。

結局、経済の活性も停滞も中流層以下の困窮を生むという行き詰まり。広東省と一体化をすれば、不動産価格や雇用は安定するが(グレーターベイエリア構想は、この様な発想を織り込んでいる)、香港の市民感情が受け入れない。この状況で新型肺炎によるダメージが加わる。
いまの香港は、極めて厳しい状況にあるのは確かである。

過去の新聞の切り抜き

実家籠りが続いているので、毎晩両親と酒を酌み交わしている状況。大学卒業後、丸紅独身寮に1年。その後、海外、一人暮らし、結婚、また海外(1997年~現在)となっているので、両親とこれだけ長い時間一緒にいる機会は無く、まさに瓢箪から駒だ。
そんな会話の中で、母親が、僕が載った新聞の切り抜きを見せてくれた。
思えば、雑誌、電子版、地方紙などを含めれば、数えきれないほど記事にしていただいたので、忘れていたものもあったが、一つ一つと見返して見ると、その頃の思い出がよみがえってきた。
関係した方々にも感謝の気持ちがわいてきた。
ちなみに各写真の思い出コメントはこちらまで(Facebookアカウントの写真にメモ書きしてあります)。


庭を見ながらもの思い

1ヶ月ほど横浜の実家に引きこもっている事になる。
家にこもって分かったのは、一戸建ての有難さで、スペースが広いし、庭がある分、マンションより圧迫感がない。一戸建ての有難さを感じたのは、初めてかもしれない。
その意味でのストレスが少ないのは良い事だが、Email、電話などは別にすると、1か月間はほぼ両親以外とは会話がない事になるので(オフィスに2回行ったので、軽い会話は部下とはしたが)、生活に変化が乏しいのは確か。
数週間前までは、オンライン宴会をする人間の気持ちが分からないと思っていたが、やっと分かりかけてきた気がする。

そんなことで、この日は、仕事をちょっと早く切り上げて、酒を飲みながら物思いにふける。
そういう状況にならないと、分からない事はあるものだ。

ダイエット中

1ヶ月ほど前からダイエット継続中。
鳥取・京都旅行で炭水化物を過剰摂取したというのは有るのだけれど、そもそも、昨年9月両親が上海旅行に来た時から、個人的には過食が続いており、徐々に体重が増えていた。
2016年に65Kg有った体重を、瞬間風速58.5Kgまで減らし、それを戻して60Kg丁度くらいで維持していたのが、この半年で64.5Kgまで増加。さすがに、体調もいまひとつという感がある。去年の年末から体重計に乗らなかったのも良くない。やはり、現実逃避をすると、事態は結局悪化する(現実に向き合う事がリスク回避の鉄則)というのは、ビジネスも体重も同じだ・・・
その後、64.5Kgの体重を、1ヶ月弱で62Kgまで減らした。あと2Kgだ。大学時代から、ダイエットは何度もしてきたので、要領は分かっている。過激な体重減はすぐにリバウンドするので、1ヶ月2~3Kgのペースで落とすのが一番。

今回のダイエットでお世話になっているのが、この紀文の糖質ゼロ麺。過去、何種類もダイエット麺を試してみたが、全て不味かった。だが、これは良い。臭みが無いし、それなりの歯ごたえもある。これで冷やし中華を作ると文句なしに美味しい。これは素晴らしい。

ただ、温かい麺にすると、さほど美味しくない。やはり、短時間でも茹でるのがいけないのか。ここら辺は、あと1ヶ月のダイエット期間が有るので、じっくり試してみよう。

最近の横浜ランドマークタワー

4月20日(月)の事。
サインを要する書類がいくつかあったので、オフィスのある横浜ランドマークタワーに行く。


ビル内の店舗は大部分が閉店なのでがらんとしている。これほど人のいないランドマークを見るとは思わなかった。こうなると、やはり恐怖を感じる。病気というより、経済に対する恐怖の方が大きいのであるが。
ともあれ、明るい未来を信じて、いまは耐え忍ぶのみ。
こんな状況でも、ビル内をいつも通り清掃をしてくれている方がいて、つい、御礼を言う。有難うございます。

久々の京都にて

引き続き、3月中旬の出来事です。

鳥取から京都到着。京都のアポは1件だけなので気楽だ。
駅前のセンチュリーホテルに宿泊。この状況で外国人の旅行者が極めて少ないので、料金もほどほど。

そして、翌日は、駅ビルで喜多方ラーメンを。

炭水化物出張の〆になった。
この翌々日からダイエットを開始(只今、2.3Kg減で、あと2.2Kgを目指して継続中)。

こんな関じで時系列を無視した過去記事のアップはひとまず終えて、次回から現在に戻します。

鳥取から京都へ

引き続き、3月中旬の事。
鳥取最終日は、朝旅館で報告書をまとめ、Emailするとスーパーはくとで京都まで。車両には4~5人しか乗っていない。

電車待ちの時間に立ち食い蕎麦(砂丘そば)を食べて。

関連の方々にも喜んで頂けたようで、短いながらも充実した出張であった。

鳥取での仕事

引き続き、3月中旬の事。
鳥取での仕事日。
朝8時半に旅館を出発し、9時~10時は相談企業の会長と面談。10時半~12時半に対象企業訪問。
12時半~13時に昼食で、13時~14時半が空き時間。14時半~15時半は有力地銀を訪問し、専務取締役と面談。
その後、ちょっと間が空いて、17時半から鳥取の財界の方々と会食という段取りであった。相談者の友人の気遣いで、アレンジがしっかりと決まったので有難い。
これは昼食の担々麺。前日の炭水化物がまだ残っているので、餃子を食べるのがちと辛かった。

そして、1時間半の空き時間を利用して、友人が車を運転して、鳥取砂丘に連れて行ってくれる。やはり、鳥取に来て、砂丘に行けないでは悔いが残る。砂丘が、1時間半の空き時間に、ふらっと寄れる場所であるのは意外であった。

独特の雰囲気で、行く価値あり。
中東に来たような気分を一瞬味わう。

鳥取初日

引き続き、3月中旬の事。
鳥取初日。鳥取駅到着後、宿に直行し、チェックインすると、友人が押さえてくれていた皿蕎麦屋に直行する。
一口ずつ皿に入れて食べるのが、鳥取の蕎麦の流儀らしい。

インターネットで事前検索すると、店の人の感じが悪い(接客が悪い)というコメントのオンパレードだ。とはいえ、事前連絡までしてくれていたので(何時に行けばいいかなど、打ち合わせてくれていたらしい)、地元民同士で仲は良いのだろうと思っていると、「行くのは2~3年に一度だ。高校の時から、あの婆さんが笑ったの見たことない。とんでもねえぞ」との返答。「おいおい(笑)」という感じだ。

そばを食べた後に、街をぶらぶら歩いて、友人行きつけの和食に入る。はっきり言って、駅弁で米を食いすぎ、その後、そばを食べたので、これ以上炭水化物を取るのが辛い状況であるが、日ごろから日本酒好きと言っているので、「日本酒を飲ませねば申し訳ない」と思ってくれたようだ。

満腹ではあるが、良い店(味も雰囲気も)なのでついつい食べて飲む。過剰満腹状態で、鳥取の初日は終了したのであった。