米国でのデモが広がり、過激化し、そして警察・軍隊が出て、お互いに暴力的になっていく。香港で起きている事と同じだ。
勿論、米国では、長年にわたって、差別、暴力が続き、それに対する怒りと不満の蓄積である点は理解できるし、真摯に受け止めざるをえない。ただ、この点は、専門外なので意見は差し控えるし、そうせざるを得ない点(知見が不足する点)は申し訳なく思う。
ただ、一般論として言うと、暴力は連鎖的な憎悪に繋がり、断裂を生む。断裂は、(自分たちが設定した)敵対勢力に対する暴力を肯定する。
結局、破滅しか待っていない。
香港で生じた暴力的デモには賛同しかねると言い続けてきたのはそういう理由で、香港の経済価値、というより、未来を破壊していくからだ。
メディアも色々な論調はあるが、米国のデモと香港のデモのダブルスタンダード(こちらは良いが、こちらは駄目という使い分け)は、あるべきではない。事の是非に基づいて論じるべきだ。
香港は、確かに、最初は警察側の問題だが(この点は、米国も同じ)、それに対する怒りが暴力の肯定になる。例えば、マキシムオーナーの子弟がデモを否定的に語ったという理由だけで、そのグループに対する破壊を肯定し、提携先の吉野家や元気寿司に石を投げて破壊するのを肯定するならば(さすがに、日本人としては、これらの店舗が破壊される状況には憤りを感じた)、かつての、魔女狩り、戦争、文革と同じになってしまう。
自分の目的ありきで暴力が肯定されるべきでは無い筈。いま一度、事の是非を考えるべきであり、そうしないと、ひたすら、破滅の道へ歩んでしまう。いまの香港に対する危機感は、そういう部分にある。
僕自身の事では有るが、1985年に香港を旅行し、ここで仕事をしたいと思ったから今がある。その気持ちが、この1年間の香港の動き(警察であれ、市民であれ)に、大きな失望と憤りを感じさせる。
香港の未来のために、暴力的な行為は賛成できない。