香港問題に関して、制度・政治・ビジネスの問題ではなく感情の部分に関して思う事。原則として中立を心がける自分としては、どちらに付くという話はしないようにしているが(破壊行為は香港の価値を低下させるので認めらないという立場のみは明確にしている)、昨今の話の流れは、どうにも違和感がある。
まず、香港市民と中国本土の人の意識の違いだが、香港の抗議活動は、中国本土の市民の賛同を得ていない(というより、なぜ抗議しているかを、心情部分で理解できない)。但し、これが、1980年代頃なら違ったと思う。
1989年に中国でトレイニーをしている時、外国が羨ましいという話をたまに聞いた。たまに聞いたというのは、当時は、そういう話を滅多に口に出せない社会だったからだ。
それが、現在では、ほぼ全員が(特に、若い世代)、「中国に生まれて良かった」と本心から言う。
なぜ、こうも変わったかというと、生活水準・経済環境の向上だ。資本主義の正義と社会主義の正義は違っている。言論の自由が資本主義(というより民主主義)の正義。言論の自由をある程度制限しても、国民を豊かにするのが社会主義の正義。結局、中国では、今のところうまく成果が上がっているし、1970~1980年代に比べると自由な社会になってきているので、多くの人々は生活に満足しており、不満があまり無い。
僕自身を振り返ってみても、2005年頃に上海異動の話もあったが、その時は心情的に嫌だった。当時は、香港の方が生活環境が良かったからだ。それが、去年(2019年)、香港よりも上海の方が、ビジネスチャンスがあるし、社会が安定しているので、生活基盤を上海に移そうと自発的に考えていた。僕個人を例にとっても、過去15年弱で、これくらい環境が変わっている。
殆どの日本人は、この点を理解していない。
因みに、社会主義の難点は、富と権力の集中を生みやすい点だが、資本主義社会でも、近年この様な傾向が顕著に表れており、社会不安に結びついている。結局、人間が作る制度であれば、主義の違いはあれど、似たような結果に陥る可能性があるという事か。
ともあれ、中国では、一般市民が生活に満足しているという点を、資本主義国家の人々は信じたがらないし、そんな事があるとすれば、適切な情報が無いためだと考える。そう考える資本主義側の人間も、自分の見方に偏りがある事を認識していない。
結局、どこで生まれても、その国(日本であれ米国であれ、中国であれ)の教育・メディアに染められる。それに気づいていないだけだ。ただ、そのまま生活していくのであれば、それはそれで幸せかもしれない。他国(特に、主義が違う国)に対する判断は偏るのだが。
香港が気の毒な部分は、香港市民の意志ではなく、もっと大きな流れの中で、資本主義から社会主義に居住環境が切り替わる事で、稀有な例であり、不安は当然有ろう。
やはり、生まれた時からその環境にいないと、人はその環境を受け入れるのは難しい。そのため、香港市民は、当然の事として恐怖を持つし、日本、欧米など、資本主義国の人間は、香港人は可哀そうだと思う。一方、中国本土の人たちは、「俺たちは満足しているのに、なぜ文句を言うんだ」と思う。
こうした、極めて自然で、根本的な意識のずれが生じている。香港人の抵抗感は、人間として自然な感情だと思うが、他国の人間が、過剰に介入することが、最終的に香港のためになるのだろうか。それが、自分には気になる。
同じ話を、中国側から見れば、悪辣な方法(アヘン戦争)で英国に奪われた香港が国際法に基づき返還された訳で、他国は必要以上に干渉するなと考えるし、一方、欧米は、香港市民は自分の意志とは違って社会主義に組み入れられるのは可哀そうだと思い干渉する。
立場が違えば、考え方が違うのは当然だが、双方の意識の違いが必要以上に交錯してエスカレートすると、本質とは離れていく可能性がある。ただ、重要なのは、香港市民の未来である訳で、周りの人間は、一度、冷静になって、そもそも論を考え直した方が良いのではないか。
それが、台湾で中国語を勉強し、香港の永久居民証を持ち、中国本土で活動している日本人(つまり、色んな立場で人々の見てきた)僕の感想である。