香港にてPCR検査

10月21日(水)は、香港港安病院にPCR検査に行く。中国本土到着便に搭乗するためには、72時間以内の陰性証明が必要であるためだ。指定病院はいくつかあり、九龍側の病院にした方が便利ではあろうが、診察券を持っていて、馴染みがある病院を選んだ。
予約したのは11時。検査日は、朝から歯磨きも食事もできない。朝食はいつも食べないから良いが、歯磨きができないのは気持ち悪い。検査後、すぐに病院で口を漱げるように、マウスウオッシュを持って行ったが、もう少し早い時間に予約した方が良かった。
尚、証明書を発行してもらう関係で(中国入国時にはパスポート番号で管理されるので)、香港IDだけではなく、パスポートも持参しなくてはならないので、日本人は、この点注意。

検査は、外に出ると、簡易テントの様なものがあるので、ここでやる。検査場は1か所しかないが、あまり混んではいない。予約時に聞くと、8月末に、居留証保有者に対して、招聘状の取得が免除された直後はかなり混んでいたが、現在は落ち着いたので、それほどでもないとの事。
検査後はサンプルを提示して、一旦病院を離れる。16~17時の間に検査結果が出るので、SMSで通知するから取りに来るようにと言われる。証明書のピックアップ時間は、8時~21時。

オフィスで仕事をしてから、早め(16時)に帰宅。引っ越し荷物の整理をしながら検査結果を待つが、うんともすんとも言ってこない。ただ、陽性だったら大騒ぎになっている筈なので、「陰性だからのんびりしてるんだろう」とのんびり待つ。通知が来たのは、21時過ぎ。この日のピックアップは不可。

そして、翌日、証明書を取得しに行く(7階)。香港IDを提示すると、すんなりと引き取りができた。9月27日の香港到着以来、3度目のPCR検査。そして、10月23日には、上海でまたやらねばならぬ。難儀な世の中だ。因みに、港安病院の検査・証明書発行費用は、HK$ 1,950(約2.7万円)。安くはないが、サービスは良い。

香港(当面の)ラスト外食は鮨琥珀で

10月20日(火)の夜は、中環の鮨琥珀で会食であった。ここは、2回目の訪問で、美味しい事は分かっている。安心しての訪問。

翌日(21日)は、朝からPCR検査(陰性証明を取得しないと、中国本土行き飛行機に乗れない)で、それが終わると、(オフィス仕事はあるが)夜に引っ越し荷物の整理。家で、未消化のそうめんを茹でて、荷造りしながら食べることになるだろう。

琥珀は、HK$ 2,980+10%(約4.5万円)とHK$ 1,980+10%(約3万円)のお任せのみだが、今日は(昨夜と違い)、迷わず安い方にする。一人4.5万円だと、日本酒を飲んで5~6万円になってしまうので、かなり苦しい。ただ、安い方でも、十二分に満足できる。

特に、コメントは要らないと思います。大変美味しい。

前回(と言っても1年前だが)、ここで鍋島(佐賀)を飲んで美味しかったが、残念ながら無し。ただ、僕の大好きな、写楽(福島)、ばくれん(山形)がある。日本酒の好みが、大将とピッタリで嬉しい。暫し、日本酒談議で盛り上がる。





香港での隔離明けの数日は、良いものを食べたな、という実感。香港で2週間の隔離が明け、次に、上海でまた2週間なので(その間、食事も制限されるし、出費も殆ど無いので)、その我慢が谷間で爆発する感じ。思い出に残る時間となった。




琥珀も、カウンター8席と個室1という、昨日行った一宝と同じ座席数。隣の香港人客3名から、終りの方に、「僕たちがうるさかったら申し訳ない(全く、うるさくなかったが)。こんなに美味しい鮨を食べられるので幸せで、興奮が隠し切れないんだ」と話しかけられたのが、微笑ましかった。こういう時に、香港を暫し離れるのは寂しいなと思う。



今日もデザートまで完食。隔離明けの数日間で、太ったのは確かだ。上海隔離で、食事を制限し、酒も抜いて、体調を整えよう。

香港・天ぷら専門店・一宝で会食する

暫く更新が途絶えてしまいましたが、只今、上海で、無事、集団隔離中です。
香港を発つ前の手続でバタついていた事。集団隔離環境に慣れるのに、若干時間がかかった事で、更新が少し遅れたものです。結果、かなり溜まってしまいましたので、再開です。
10月19日(月)は、中環の天ぷら専門店・一宝で会食だった。井上・元蝶理中国総代表と、日本香港協会・山本理事の強い推薦を受けてのもの。車でないと行きにくい場所なので、タクシーを使ったら、早く着きすぎ、付近を散策する事にする。

20日は内視鏡検査、21日はPCR検査と証明書取得、22日は引っ越しとエアポートホテルに移動、23日朝に出発という事なので、この日が、香港でのんびりできる最終日。日本人がイメージする香港そのものの雰囲気で、ちょっと、しみじみする。まあ、半年程度のお別れだが。

Facebookに写真を載せたら、「人が少ない」というコメントをいくつか頂きましたが、少ない場所を撮っている影響も有ります。勿論、疫病の影響は有りますが、これは日本と同じイメージ。昨年後半の危険なイメージはないです。

さて、食事開始。カウンターで天ぷらを食べるのは、1年半ぶりくらいではないか。ここは、カウンター8席とテーブル4席のみとこじんまりしている。料金は、HK$1,680+10%(約2.5万円)とHK$1,380+10%(約2.1万円)のお任せのみ。安い方でいいやと思っていたが、満席の客は、みな高い方を頼んでいるので、場の雰囲気に飲まれて、高い方で行く事に、因みに、酒の持ち込みは、4合瓶まで、1本HK$350+10%(約5.5千円)という事なので、久保田万寿をシティスーパーで購入して持ち込む。

エビの頭から開始というのが、ちょっと面白かった。非常にあっさりした天ぷらで、素材の旨味が、良く引き出されている。

個人的には、イカの歯触りと旨味が、非常に気に入った。



大変満足して食べているのだが、天ぷらが一品ずつ出てくると、ビジュアルの差があまりなく、写真では、感動が伝わらないのが残念だ。

そして、雲丹。きたな、という感じ。

これは饅頭。変わり種だ。初めて食べた。

そして、天丼と天茶。僕は、天丼にしたが、感じとしては、天茶にした方が良かったと、少々後悔。

最後のデザート。
満腹だが、暫く来れないからと、残さず食べる。

小さい店ながら満席。連日満席らしい(確かに、開店直後に予約電話をかけようとしたが、小一時間、話し中で、電話が繋がらなかった)。客は、自分たち以外は全員香港の方。ご主人に聞くと、日本人比率は1割未満なので、今日は二人いるので多い方、との事であった。昨今の、香港、高くて美味い店は、香港人客で占められ(上海でも同じ)、安くて美味い(若しくは、安くてそれなり)の店には、日本人が行く、という感じになっている。寂しい限りだが、日本人は、毎日のように日本料理を食べるので、1回の食事に、そこまでの予算は使えない訳だが・・・
因みに、自分は、一週間の内、6日間は自炊で湯豆腐やキャベツ炒めを食べてでも、1回は良いものを食べたいと思う派。
ただ、ここも、次の日に行った鮨琥珀も、この特別な環境下でも、連日満員という事なので、経営方針としては、正しいのであろう。

丸紅時代の先輩とドイツ料理(尖東)

丸紅時代の先輩と会食した。今週3回目の尖東なので、「水野は尖東が好きだねえ」と言われたが、オフィス・住居から近くて(スタンレーや、レパルスベイに行くのは遠い)、海風に吹かれてビールが飲めるので好きな場所だ。
行ったのは、初めてのドイツ料理屋。

この先輩との出会いは、1988年4月30日。僕は、羽田空港から、中華航空で台北桃園空港に移動。システムトラブルで、遅れての到着であったが、この先輩(初対面)が、かったるそうな顔で僕を迎えてくれた。その後、重なったのは2ヶ月程度だが、部屋(住居)を引き継ぐなど、他の前任研修生よりは縁が深かった。とは言え、その後、暫く会う事はなかったが、10年後に、丸紅の香港で再会し、香港と広東省での事業再編、資産整理の問題を、二人で組んで、随分解決した。
会社的には、それなりに意義がある出会いと言えようが、当時はお互い、そんな事になるとは、夢にも思わなかった。

ちなみに、僕は、他の研修生とは交わらず、ひたすら語学勉強にいそしんだ。日本語を話すのは、語学の習得の邪魔だと思っていたためだ。あと、北京語吹替の台湾映画を、暇なときは、いつも見て勉強したが、思い返してみれば、両方、この先輩のアドバイスであった。そんな出来事を思い出した。

尚、出会った当初、先輩は島田洋七のような髪型(ヘルメットを被せた様な髪型)をしており、変だなあと思っていたが、同じ美容院を紹介され、行ってみたら、僕も全く同じにされてしまった。担当日本人スタイリストは、「何を言われても、自分と同じ髪型にしちゃうんですよお」と確信犯で笑っていたが、次に、もう一人の日本人スタイリストにお願いしたら、これまた、頼んだのとは全く違う、後ろ髪が妙に長い髪(これも、スタイリストと同じ髪型)にされてしまった。昔は台湾の美容院も、こんなレベルだったものだ。

胡同とペニンシュラホテルフェリックスバー

10月15日のクライアント様との会食は胡同だった。
シグナル8でキャンセルになった宴席の仕切り直しで、場所も、日本料理から四川料理に変更。数日前からの麻婆豆腐熱は、シグナル8の日に昼・夜麻婆豆腐を食べた事で(但し、レトルト)収まってはいるのだが、このレストランは、香港滞在中に、是非、行っておきたい。

人気店だが、時節柄空いており、前日の予約で、窓際の席が取れた。これは嬉しい。先ずは、蒜泥白肉と海鮮春巻き。

そして、辣子鸡と天津風肉まん。

そして、白菜ハムの料理と麻婆豆腐。彩が美しい料理が並んだ。そして、蒜泥白肉と辣子鸡が、特に美味しい。

麻婆豆腐は、自分の中のイメージがちょっと違っていて(俏江南の麻婆豆腐と記憶が入違っていた模様)、もう少し痺れが欲しいと思ったのだが、美味しい事は確かだ。

そして、ペニンシュラホテルのフェリックスバーで、軽く飲んで散会。

隔離明け第1営業日は宴会の掛け持ち

この記事のアップを忘れていたので順番が狂ってしまいました。これが、活動初日(10月12日)の夜です。

活動開始初日は、宴席2件掛け持ちとなった。久々に戻るとやる事が多い。大忙しの1日。
まずは、チムトンのTAPAS。ここは、Wooloomoolooほどではないが、たまに使う。気の利いた良い店だ。

去年の抗議活動など、一連の動きで、香港は怖いというイメージが付いてしまったが、この日、皮膚感覚で受け止めた香港は平和だ。去年のような怖さはない。勿論、コロナが収まったらどうか、という点はあるのだが。
香港の武器は、金融・物流・サービスに関するインフラの信頼感、安心感だ。それを、香港人が、自分でつぶさなければ、香港には十分未来がある。そう信じたい。

1985年から、35年間見続けてきた香港。それを、改めて受け止めた一日だった。

そして、宴席2件目。銅鑼湾のサークルプラザ17階にある、JunG39という店。初めて行くが、偶然、1件目の会食中に、客人から、「初めてJunG39という店に行ったんですが、良かったんですよ。是非、今度行きましょう!」と言われた、その店であった。確かに、このポテトサラダと板わさの写真を見て頂ければ分かるように、センスが良い。

そして、もつ鍋を食べる。これも旨い。

最後に出てきた串カツ。串カツ専門店と銘打っているので、これを食べるべきでは有ったが、既に満腹で食べられず。包んでもらい、客人に持ち帰ってもらった。

慌ただしい活動再開初日は、この様な形で終わったのであった。

香港・櫓杏で社内会食

部下の水嶋さん・仲川さんを誘って、会食に行く。8月間も香港不在であったが、拠点を守ってくれたお礼だ。場所は、彼女たちに決めてもらった結果、櫓杏という店に。isquareの28階。

僕は、初めて行く店だが、評判良いらしい。そして、眺めが良い。それなりの値段がするが、ほぼ満席で、客は、殆ど香港人。価格が高い店は、どうしても日本人比率が落ちる(香港人比率が上がる)。寂しいが、これも時代か。

まずは、刺身の盛り合わせ。これでHK$900(12,000円程度)。今日は、感謝の気持ちなので、取りあえず、値段は気にせず注文しようと決めていた。鮮度よく、美味しい刺身だ。

そして、熊本牛の牛かつと、サーロインステーキのどちらにするかと聞くと、決めきれないというので、両方頼むことにする。

そして、サラダ、先ほどの刺身森の海老の頭を焼いてもらったもの、天ぷら盛り合わせ。

実は、生牡蠣を頼むつもりが、注文を忘れていた。そして、出汁巻き卵は、注文を忘れられていた。ただ、分量的に、それら無しで丁度良い。忘れることにする。

〆の焼き飯と、鯛茶漬け。僕は、焼き飯の方を食べた(鯛茶漬けは食べず)。料理は、全般的に美味しく、頼んだ日本酒も良かった(知らない銘柄だったが、山形産で旨い)。そして、高級感あり、雰囲気が良い。

香港にこのまま滞在するなら、また行きたい店だが、さて、次は、来年になるのか。

いきなりシグナル8

10月13日(火)、隔離が終わったと思ったら、台風接近でシグナル8だ。またもや、外出できず。
宴会が流れてしまい、やれやれだ。ただ、昨日だったら、IDカード書換予約がキャンセルになり、香港滞在中に取得できないリスクもあったので、その意味では、まあ良しとしよう。短い滞在期間中に、やらねばならない事が、結構ある。

二日前から、麻婆豆腐熱に浮かされているので、昼は、隔離明け直後に購入した、レンジ掛けするだけの麻婆豆腐ご飯。これが、意外に美味しいので、侮れない。

そして、夜も丸美屋の麻婆豆腐。レトルトなので、それなりの限界はあるが、それでも辛さが有り、それなりに満足できる。麻婆豆腐欲求は治まった。

ついでに、今年1月で賞味期限が切れた牛丼も消費(これは、あまり美味しくない)。在庫を無くしたので、良しとしよう。

ペニンシュラホテル非常口の思い出

総務事項を処理するために、あくせくチムサッツイの街を歩いていると、ペニンシュラホテルの裏側を通った。ここには、忘れられない思い出がある。

2008年8月27日(丸紅退職3日前)に、丸紅の先輩が、送別会を開いてくれた。ただ、折悪しく、シグナル9の大台風が到来しており、店はどこもやっていない。自分は、10軒ほど電話をかけて、無理だと断念したが、その先輩は、約60軒かけて開いている店を探してくれた。シェラトンホテルの雲海という店だ。
食事の後、二次会で(一次会で止められないのが、古い商社マンのさがか)、ペニンシュラホテルのロビーラウンジ(アフタヌーンティーを楽しむ有名な場所)に行った。台風の影響で、正門は開いておらず、裏の非常口から中に入れてもらった。
ロビーラウンジは静まり返り、他の客は誰もいない。それでも、優雅なマナーで接客をしてくれ、クラシックの演奏も有った記憶がある(演奏に付いては、記憶が若干曖昧)。
ペニンシュラのロビーラウンジを二人で貸し切り状態、という、おそらく、今後二度とないであろう贅沢な空間に身を置いて、ゴ~というすさまじい風の音が、館内でも聞こえる中、退職(独立起業)の恐怖と、執念で送別会を開いてくれた先輩に対する感謝の気持ちを味わっていた。その時の、ウィスキーとチーズの味は、忘れない。
もう退職して、12年が経過してしまったが、丸紅というのは、そんな人たちが沢山いる会社だった。好きになれる人間、自分を好きになってくれる人間が、どれだけいるか。そんな人たちにたくさん出会える会社が一番だ。それを思うと、自分が入った会社が一番で、すごく幸運な会社選びだった。(辞めはしたが)自分としては、今でも思っている。

香港にて活動開始

香港での隔離明けの、平日一日目。
まずは、香港のIDカードの書き換えに行かないといけない。インターネットで予約してあるので(12時)、それに合わせてイミグレの分室に行く。1時間早くついてしまったが、お願いしたら問題なく受け付けてくれた。

15分ほどで手続は終わったので、一旦、家に帰って昼食を取る。自分で作った蕎麦つゆで食べる蕎麦にほっとする。

次に、香港居民に対する1万香港ドル(14万円程度)の支給を受けるために郵便局に行く。隔離開始直後(9月28日)にインターネット申請したら、10月10日には小切手が郵便局に届いている。すんなり小切手受領。合理的だ。

そして、オフィスに行き、買い替えたPCの設定をお願いした上で、銀行に行く。その途中で発見した張り紙広告に、ふと目が吸い寄せられた。

クラブサンドウィッチ(公司三明治)ならぬ、クラブ出前一丁(公司出前一丁)。如何にも香港らしくて、つい撮影。味はすぐ想像つくので、食べる気にはならないのだが(もう少し若い時は、結構良く食べていた)、微笑ましく思ったのであった。