明天会更好

ロックダウン解除3日目の昨日(6月3日)は、マンションの庭で縁日のような企画があった。
入り口には公安車両が1台停まって監督中なるも、住民は大盛り上がりで、最後は「明天会更好」を合唱していた。自分の青春の歌でもあるだけに、ちょっとしんみり。ロックダウンの2か月。更には、3月17日から実質的な封鎖が始まっていたので、2か月半にも及ぶ。長い時を抜け出たな、という気分をみんなで共有していたのであろう。
その合唱の様子は、容量の関係で(20秒ちょっとなのに・・・)、ここでは直接ダウンロードでず、
僕のFacebook(こちら)をご参照下さい。

更に、睿拢广场(日本人がオバマ広場と呼んでいる場所)は、店内不可・外飲みオンリーで営業を開始したようだ。日本人でぎっしり。物業管理が定期的に巡回して、結構細かい指導をしている(間隔開けろとか、使い捨てプラスチック容器以外は出すなとか)。ただ、市場監督局の審査が随時行われるので、このままいけるか100%断言はできない模様。

ともあれ、こんな試行錯誤を繰り返しながら、急速に平常化は進んでいくのであろう。

戻ってきた日常(これで常態化したPCR検査さえなくなれば)

好きなものが買え、食べられる生活が戻ってきた。まずは、真木乃(新旧あるが、旧真木乃の方)で鮨と刺身を購入。ロックダウンで一番物資に困っている時に、いろいろ物を分けてもらったお礼代わりに、真っ先に注文した。

日本酒も船中八策があるというので購入。冷やして持ってきてくれたのが有難い。2か月ぶりに飲む日本酒は美味かった。そして、刺身に付いていた海老の頭とアピタで購入した味噌を使って味噌汁を作る。粉末かつおだしを使った簡単なものだが、インスタント味噌汁よりは、だいぶ味が良い。

一夜明けるとPCR検査。月・水・金・日と検査を受ける。受けない自由はあるのだが、そうすると外出が制限される(72時間以内のPCR陰性証明がないと建物に入れないし、乗り物にも乗れない)。昨日の上海市の感染者は8名。無症状感染者も8名。2,500万人で16人ならば、ゼロのようなものだ。嵐の様に降りかかるPCR検査も、もう少しで終わるであろう。

部屋に戻ると麻婆豆腐ラーメン。これも久々に食べた。

2か月ぶりの出社・買い物

上海のロックダウン明けの翌日(6月2日)、2か月ぶりにオフィスに行った。自転車を漕ぎながら行くが、街の緑が目に移り、気分がよい。

オフィスに到着し、久々に部下と軽い近況報告。必要な書類にサインをすると、アピタとダイソーに移動。

ダイソーはロックダウン前の状況と同じ。アピタも平常時程度まで回復(8~9割の回復か)している。ともあれ、空いていて快適であった。

目玉焼き用のフライパン(小さいもの)、ジプロック、オリーブオイル、米、味醂等等。買ったものは当たり前のものばかりだが、なんという充実感か。不便を経験すると、比較的簡単に満足が得られるようになるな(笑)

当たり前の日常の嬉しさを感じながら帰宅。家で仕事を継続。

一夜明けたら元通りだった

2022年6月1日0時にロックダウン解除という事で、おそらく歓声が上がるだろうと、眠さを押さえて起きていたが、シンとして物音ひとつしない。全く以て拍子抜けだったが、朝になったら、元通りの街に戻っていた。

もう少し時間差を置いて、徐々に回復するのでは(1~2週間の間隔で段階的に)と思っていたが、嘘のように元通り。道行く人の表情も、何事もなかったかの様に平常だ。


すごいね。改めて、中国人のたくましさ。生命力を感じた。僕が中国に興味を持ったのは1982年のことだった。文革終結宣言から5年しか経過しておらず、何を聞いても教科書通りの回答しか返ってこないようなイメージがあったが、その実、民衆はしたたかに、力強く生きていて、その生命力に惹かれて興味を持った。それが今に至っている。

中国という国が好きかどうかというのは、難しい問題だ(20代の頃から問い続けてきた)。中国人が好きかどうかというのもしかり。ただ、確実に言えることは、好きな中国人はたくさんいて、彼らの力があったから、今の自分が有る。この自分自身の歴史と、感謝の気持ちは変わらない。

ともあれ、落ち着いたら急に四川料理が食べたくなった。まずは、ロックダウンを脱出した現状に乾杯したい。