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北京で太る

9月13日から約1週間の間に、香港⇒厦門⇒金門島⇒厦門⇒上海⇒天津⇒北京⇒香港⇒上海と移動し、5回飛行機に乗った。
厦門は旅行だし、北京・天津の面談スケジュール自体はゆとりがあるものであったが、これだけ移動すると、さすがに疲れる。
おかげでここ3日間、悪夢にうなされ続けだ。
では、その間痩せたかと言えば、厦門で0.5Kg、北京で1Kg太ってしまった。
1980年代の様に、美味しいものが無い、と頭を抱える時代とは打って変わって、大都市に行けば、どこにでも美味しいものが食べられる。
嬉しい事だが、体重管理の面では難しい自己管理を迫られる。
北京では、初日が北京ダック。
2日目が萬火という店
非常に分かりにくい場所にある店で、一見さんを拒んでいる様な気もする(店の方々は感じがよく、特に拒んでいる訳ではないのだろうが、大変発見しにくい店、という意味)。
ただ、洋風アレンジが効いた料理は、全て大変おいしい。
これは、焼きナスに生ハムを巻いたものと、さんまとジャガイモのテリーヌ風。
焼きナスと生ハムの組み合わせに意表を突かれるが、美味しかった。

これは通常の焼き鳥メニュー。
トマトベーコン巻とつくね。

軟骨とささみ梅。
僕は、軟骨とささみが一番好きだ。

〆を食べるとまずい、と思い、ぶたしゃぶ(下にキャベツの千切りを蒸したものがいっぱい)を頼む。
それでも、満腹になるまで食べたので、翌日は0.7Kg体重が増えていた。

因みに、カウンターの後ろに、肉の部位が黒板書きしてあるのが面白かった。
へー、という発見もあり。

北京を離れ香港に

北京は2泊3日の滞在だった。
今回も、2日目から北方訛りに耳が付いてくるようになったが、慣れると早々に香港移動だ。
短い北京滞在であったが、改めて感じるのは、北京は街も建物も巨大で威圧感がある。
言葉も上海や広東省に比べると語気が強い。
タクシーの運転手は、怖い顔をして強い口調でマシンガンの様に話しかけ、最後に、「面白いだろ。ははは!」と笑ったりする。
言葉が分らない人だと怒られていると思うだろうな。
上海や華南になじむと、北方は何とも固い印象だ。

また、タクシー事情と空気の悪さは想像以上だ。
絶えず胸・喉に痛みを感じるし、何をするにしても、タクシー確保を考えねばならず、ストレスがたまる。
上海・香港の駐在が、如何に恵まれているかというのを実感した。

この状況下、1年後に北京に会社設立する事を考えねばならないが、さてどうするか。
悩みどころだ。

因みに、今回の北京滞在は、図らずしも柳条溝の日であったが(スケジュールを組んだあとで気付いた)、特に街に混乱は無く、僕が接する人は、総じて親切だった。
去年の9月18日前後の異様な雰囲気はいまだに記憶に強いので、本当に有難い限りであった。

尚、今回は、ホテルの手配、車の手配などに関して、丸紅北京が色々と世話をしてくれた。
いまだに、昔一緒に仕事をした事を、たくさんの人間が覚えてくれている。
拠点のない場所で、古巣の有難味を感じた。


北京初日の印象

北京の初日はあいにくの雨。
北京は巨大な街で、道路も広くて充実しているが、それでも絶えず渋滞。
タクシーもつかまりにくい。
人や車の数に、街があえいでいる様な錯覚に陥る。
ホテルから面談場所に行くタクシーは、40分待ちだった。

夜は、元同僚(丸紅北京の人間3人)と会食。
北京ダック、鴨の舌・水かきなどの部位、口水鶏、麻婆豆腐、野菜系2品、スープ、ビール大瓶15本程度で650元程度。
一人約150元であった。安い。

天津から北京へ

昨日、上海から天津に到着。
3~4年ぶりの天津だが、街の雰囲気が随分良い感じになっていた。
日航ホテルに宿泊。
会食が夜9時半に終わってホテルに戻ったのだが、日本のTVを見てくつろげるというのは、やはり昔の中国ビジネスを経験した人間にとっては、何とも贅沢だと思う。
昔の苦労に比べれば・・・等というと、若者から嫌われてしまうが、現在の中国は、あまりにも便利になったので、そんな気持はどうしても避けられない。
そして、その反面、不便だった時代を懐かしがっている自分がいるのも確か。
人間心理は複雑だ。

今日は、朝起きてジムで5Km走ると、北京に移動。
久々で、チケットの買い方が分からずちょっと手間取ったが、駅到着から50分後に出発する電車に乗れた。
30分で北京に到着。
便利だ。

北京南駅から長富宮ホテルまでタクシー。
話好きの運転手で、やたらと話しかけてくるが、北方訛りが聞き取れず、いたづらに「ははは」と一緒に笑うだけ。
ちょっとむなしい。
北京は年一回程度しか来ないので、毎回、初日はまったく聞き取りができない。
2~3日目にやっと馴染んでくると、帰任というのがいつもながらの日程だ。

厦門でイタリアンと火鍋

(9月14日の出来事)
金門島から厦門に到着すると17時半。
入国手続きもあっさりと終了。
日本人の訪問も少なかろうから、入出国審査は大丈夫だろうかと心配していたが、全くの杞憂に終わった。
因みに、金門島は、観光地となっている戦争の痕跡よりも、市街地で普通の生活が営まれており、また、学生達が平和そうに友人と笑っている姿を見た事が、一番印象深かった。
フェリー乗り場から、マルコポーロホテルの前にある、ママミアというイタリアレストランに直行。
厦門訪問する時は、必ず行く店。
赤ワインを飲みながら、前菜、生ハム、ピザ、ラビオリを楽しむ。

食事が終わるころに、丸紅厦門時代の部下であった陳君(今は友人)に電話をすると、会食中のところを、友人を引き連れて飛んできてくれた。
大変義理堅い。
今回は、クライアント様と一緒なので(親しい方ではあるが)、会えるかどうかわからず、事前連絡していなかったのだが、「水臭い!」と怒られる。
中国、日本各地で仕事をしてきた事もあり、いたるところに友人がいる。
これは、何よりありがたい事だ。

二次会に行き、最後は火鍋屋で夜食。
完全にダイエットを忘れた一日。
翌日体重が1Kg増えていた。
また節制だ。

翌日(月)は、14時半のフライトで上海に移動。
それから、天津⇒北京⇒香港と移動する。
諸国漫遊記の様だ。
ともあれ、短い夏休みであったが、文句なしに楽しく、思い出に残るものになった。

駆け足の金門島観光

フェリー乗り場前で食事をすると、タクシーを借り切る事にする。
3時間でNT$ 1,500
金門坑道、蒋経国記念堂、古寧頭戦史館、その他、色々な場所を回ってもらう。

金門島は本土(厦門から10Km程度)に不自然なほど近い。
金門島の歴史を真面目に確認した事がなかったので、今までは、共産党側が、政策的に近場に国民党側の地域を保存しているのでは、と漠然と考えていた。
ただ、実際に現地を訪問すると、過去に凄まじい砲撃戦があっただけでなく、共産党軍が、数回にわたり金門島に上陸し、多数の死傷者を出す攻防が行われた事が実感でき、認識を改めた。
こういった生々しい歴史を見ると、台湾が1987年まで戒厳令下におかれていた(金門島は1992年)理由が実感できる。
僕が台湾で中国語を勉強したのは、1988~1989年。
戒厳令が解かれた直後で、今のおしゃれな台湾と違い、街もくすんだ感じであった。
写真は、両軍の攻防が行われた場所。
そして戦車。
戦車は、最初を驚いて写真を撮っていたが、島中にあるので、その内、興味を無くして写真を撮る気をなくしてしまった。

ここは有名な金門坑道。
軍事目的で、軍人が手で花崗岩をくりぬいた場所。
今では有名な観光地となっている。
因みに、下では魚が泳いでいるのが見える。

上は、有名な金門高粱酒の工場。
3,000人の従業員を抱える工場との事。
下は、毛沢東カフェの看板。
金門島で毛沢東の看板とは、以前だったら考えられなかったところ。
この看板を見た時が、時代の移り変わりを一番強く感じた瞬間。

金門島からフェリーに乗って厦門に。
僕の台湾を思い出し、同時に、その後25年の変化を、つくづく感じた短い旅であった。
これは金門島のフェリー乗り場。
想像以上に綺麗で清潔。

金門島到着

厦門・金門間のフェリー

長年の念願叶って金門島を訪問した。
僕が台湾で中国語を勉強した時(1988年)は、戒厳令が解かれて間が無い頃だったので、一般人が金門島を訪問(観光)する事はできなかった。外国人は当然無理。
それが、外国人でさえ、それも、厦門側からフェリーで行けるようになった訳なので、世の中変わったものである。

構内のモスバーガーとチケット売り場

朝9時に出発して、東渡港からフェリーに乗る。
ただ、中秋節前の週末だったからか、10時のフェリーは売り切れで、11時まで待たなければいけない。
思ってもみなかった事だ(いつもはそんな事は無いようだが)。
構内にモスバーガーが有ったので、ここで食事をして時間を潰す。
因みに、チケット売り場には、旅行代理店のカウンターがぎっしり並んでおり(数十件)、そこでチケットを予約。時間になったら(出港の1時間前から切符売りだし)、代理店の人がチケットを買いに行く、という不思議なシステム。
その間、パスポートを預けっぱなしなので、ちょっと怖い。
時間になると、代理店の人が、チケットとパスポートを持って走り回っている姿がそこかしこで見受けられる。

金門島側のスローガン(厦門側は二国両制統一中国)

厦門から金門島は、10Km程度。厦門から肉眼で見える距離である(台湾本島からはかなり遠い)。
速度の遅いフェリーで、1時間かけてゆっくり移動。
途中に、三民主義統一中国のスローガンが掲げてある(厦門の海岸には、二国両制統一中国のスローガンが)。
かつては緊張感を覚える看板も、三通が実現して緊張緩和した現在では、単なる観光スポットという感じ。
こんに近い距離なのに、金門島に到着すると、人々の表情や雰囲気が全く違う。
中国の生活にはすっかり慣れたが、それでも台湾に着くと、懐かしいような、ほっとした様な気分になる。
因みに、パスポートコントロールの担当官は日本語が少し話せるようで、練習をしたいのか、ホテルはどこですか、とか、水野さんですね、とか、いろいろ話しかけてきた。
後ろに並んだ人には申し訳ない。

苦瓜茶と牛肉麺

到着したのは12時。
まず、フェリー乗り場前の小さな食堂で、牛肉麺と苦瓜茶を頼む。
台湾に来たら条件反射的に牛肉麺が食べたくなる。
苦瓜(ニガウリ)茶は、甘いのだが、不思議な美味しさだ。
初めて飲んだが大変おいしい。
減量中なので半分残したが残念だった。

厦門はタクシーがつかまらない

厦門で会食に出かける。
離れた場所にある日本料理屋だが満員。
景気が良いのか、ホテルもレストランも強気だし、タクシーがともかくつかまらない。
日本のバブル期を思わせる様な大変さだ。

ともあれ、昨日は夜11時頃帰宅・就寝。
今日はこれから金門島に。
朝起きて、ホテルの体重計に乗ったら21Kgの表示。
こんなにひどい体重計は初めてだ。

厦門だ

ホテルの窓からの景色

5周年の9月1日を目標達成で迎えたら、夏休みを取ってしばしのんびりしようと考えていたが、結局、休みは今日1日だけ(金曜)。
これに、土・日を加えて厦門、金門島に行こうという計画。

昨日は、会議3件にクライアント様無料勉強会2回という事で、朝から夕方まで忙しく、くたくたになったので、夜7時にオフィスを出てバトラー(Bar)に。
軽く食事をしながら、9時半まで。
ビール小瓶1本に、軽めに注いだグラスワイン3杯。
帰宅すると体力が極限で、夜10時半にはベッドに入る。
しかし、11時半に悪夢にうなされ飛び起き、その後も何度も(5~6回)、「もう朝起きる時間だ」という夢を見て目が覚め続ける。
結局、寝るのをあきらめて、朝6時から飛行機による直前の12時まで仕事。
今日は、休みだかそうでないのか良く分からない気分だ。

とは言え、厦門は快晴。
久々の厦門は、何とも気持ちが良く、くつろぐ。
しばしの夏休み気分を楽しもう。

缶詰ディナー

今まで、缶詰を食べようという発想は全くわかなかったのだが、ためしに数個買ってみた。
長年、缶詰というものを食べていなかったので、最近の技術の進歩(品質向上)に驚く。
特に、桜姫鶏の缶詰というのが、美味しく嬉しくなる。
温めればそのまま食べられるので、大変手軽。
仕事で疲れて帰ってきた時には、便利だ。

そんな訳で、昨日は、焼き鳥缶2個、ホタテ缶、鯖缶を食べた。
続くと変化が無くてつらかろうが、たまには良い。
如何にも男の一人暮らし、という感じだ。