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香港(会計士の方と会食)

日中、クライアントの方から電話が掛かってきて、「最近、日常生活をウェブで公開していますが(ブログのこと)、どういう心境の変化ですか?」とのご質問を受ける。

「特に、心境の変化はないのですが、雑誌社も出版社も、ビジネス書しか書かせてくれなくて、自分の気持を表現する事がないので、ここでストレス解消をしてるんです」とお答えする。

今日は、業務上のつながりがある、会計事務所の社長と2人で会食。

その会計士の方とは、2年程前に、共著(5〜6人で執筆)をJETROから出版しているが、そろそろもう1冊、一緒に本を出しませんかとのお誘いを受ける。共著の本というのは、何故かあまり愛着が湧かないので、全然気にもしていなかったが、最近、その本が全然書店に出回らないし、JETRO香港に行っても入手できないようである。執筆の時間的余裕が有るかどうか、大変不安であるが、前向きに検討する事にする。

会食時もブログの話題になり、「顔写真と日常を公開するのはなかなか覚悟がいりますよね」と言われる。確かに、僕も最初の連載を持つようになってから(3年以上前)、最初の1年は、顔写真を出す事に抵抗感があったし、ブログを書くのを決めるのに暫く時間がかかったが、今では何事もなくこなしている。「慣れというのはすごいものだなぁ」と思う。

同氏も、雑誌の連載を持ったり、監修をやっているが、写真を公開するのに未だに抵抗があるとの事。一応、このブログはOKという事なので、顔写真を公開する事にする。随分、酒を飲んでから写真を撮った為か、僕の顔がむくんでおりちょっと変。

香港(週末はのんびり)

明らかに、風邪気味・ばて気味なので、週末は仕事をやらないと決めて、のんびり休む事にする。土曜日はほぼ一日中寝て終わり。

今日は、ジョギングして筋トレして、推理小説を1冊読み終えたら、夜の9時。さすがに全く仕事しないのは気が引け、2時間ほどかけて、フジサンケイ・ビジネスアイの連載原稿を2回分書く。

2日間で何時間くらい寝たかなぁ。風邪は全快とは言えないものの、何とか体は楽になった。

明日から1週間は、主管者(丸紅香港華南会社社長)交代の引継ぎで何かと気を遣う、かどうかは分からないが、少なくともあれこれ拘束される。そんな訳で、社内の用事も多そうだが、なにより、そろそろ講演会などの対外活動を積極的に仕組んでいく時期である。今日は0時前に寝て、明日に備えるとしよう。


北京⇒香港(北京と香港の温度差に驚く)

朝、10時発の飛行機で香港に戻る。

気流が悪く、途中飛行機が随分揺れて怖かったが、無事到着。

起きた時は、昨日の白酒が後頭部に張り付いているような気分(白酒で酔った時には必ずこういう感じになる)であったが、飛行機で1時間ほど寝たらすっかり回復。

やはり、楽しく笑いながら飲んだのが良かったのか、殆ど二日酔いにならずよかった。

今回の北京出張で、15年前の実務研修終了時の事を思い出した。

当時、経理部への帰国辞令が出た僕は、それが不満で(結果としては良かったが)、実務研修が終了すると、先ず北京に行き、中国総代表に「中国から離れたくないので、辞令を変えてくれ」と直訴に行った事がある。当時の総代表は、本社の常務取締役でもあり、人情味は有るものの、厳しく強面で有名な人間であった。そんな人間に対して、入社4年目の若造が、大きな荷物を抱え、ぼろぼろのスニーカーを履いて、アポイントも無いまま、つかつかとデスクに歩み寄り、直訴をした訳だから、周りの人たち(オフィスの人たち)は、あっけに取られていたらしい。

結局、「経理も大切な仕事だから頑張れ」と諭され、夜に焼肉を食べさせてもらって終わりであったが、今から思うと、なかなか思い切った事をしたものである。

当時の中国はまだまだ不便で、中国に駐在するのが嫌で仕方がない駐在員が多く、総代表も「嘆かわしい」と感じていたようである。そんな所に、「まだ中国にいたい。辞令を変えてくれ」と言ってくる研修生がいた為、「とんでもない奴ではあるが、元気は良い」という事で、気に入られた模様。

しかし、あれほど嫌だった経理・税務の知識が今の業務の重要な基盤になっている訳で、人間、何が幸いになるか分からないものである。


香港⇒北京(北京駐在員・語学研修生と会食)

今後のコンサルティング展開に関して、北京で打ち合わせの必要が生じた為、急遽出張を決定。朝9時半の飛行機で出発した。

オフィス到着は午後2時。到着すると直ちに中国総代表と面談。打ち合わせを順調に終わらせ、6時半から若手社員と四川料理屋で会食。本来は、ある語学研修生の送別会であったのだが、僕の夕食相手が居なかったので、混ぜてもらう事にしたもの。四川料理は大変美味しく満足。口水鶏が絶品であった。調子に乗って白酒を頼む。アルコール度が低いものが欲しかったが、50数度のものしかなかったので、やむを得なくそれを注文。久しぶりに白酒を飲んだが、度数が強いので、飲むと口も胃もひりひりする。5人で一本を空けただけなので、それ程飲んではいない筈だが、それでも酔った。その後、2次会で巨体の駐在員が原酒に近いウィスキーを飲み干しており、「これはつぶれるぞ」と観察していたら、30分後に本当に眠り込んでしまい、さながら冬眠する熊のようであった。最後は、研修生2人と、彼らが行きつけの店に行く。高層ビルの窓から夜の町が見渡せ、大変雰囲気が良い。大変気に入るが、あまり北京出張の機会はないので、もう来る事はないかな。ともあれ、研修生と話をしていると、自分の研修時代を思い出して懐かしい。僕が中国研修をしていたのは既に15年も前の話。新入社員に毛が生えたような状態で、何の武器(知識)も経験も持ち合わせていない焦りから、せめて語学は人よりうまくなろうと、必死に勉強した。あの頃の自分の真剣さが懐かしい。

研修生の内1名は、経理部派遣の人間で、暫く前まで中国とは全く縁がなかったのだが、2ヶ月で意外に中国語を覚えており、果敢に店員やタクシーの運転手と会話をしていた。努力のあとが見えて微笑ましい。


香港⇒深セン⇒香港(人は見かけによらないもので)

朝7時半に家を出発して深セン日帰り出張。

出張の目的は、深セン大工業区の視察と工業用廃棄物回収業者との面談。

深セン大工業区は、広東省で2箇所の国家級輸出加工区(広州・深セン)を有する開発区で、深セン市街地から車で1時間弱の場所にある。

今まで行く機会が無かったのであるが、最近、同開発区に進出する企業のご相談に乗った事もあり、これを機会に視察する事にした。

行きは道の選択を間違えたようで(必ず渋滞する道を選んでしまった模様)、深センから同開発区に到着するまで2時間弱かかってしまったが、渋滞が無ければ40分程度で行くらしい。

規模の大きな開発区であるが、今ひとつ特徴に欠ける気がしないでもないが、深センという立地のよさと、輸出加工区という武器を有しているため誘致は順調な様で、誘致担当の人間もどことなくのんびりしている。誘致担当者の説明を聞き終えると、工業用廃棄物回収会社の董事長と面談及び会食。会食後は、会社と分別作業場を見せて頂いたが、作業場にはダンボール箱、布切れが積み上げられており、どこから見ても、ゴミ置き場そのもの。会社もゴミ置き場の管理作業室と言った感じ。但し、廃棄物の回収は規制がかかっている業種なだけに、結構な利益をあげているようで、同氏は立派なベンツに乗り、港湾等への投資も準備している模様。何とも、人は見かけに寄らないものである。

視察後香港に戻るともう午後6時。PCを開けると、急ぎの質問が多数入っている。

観念して近くのスーパーでカップ麺を買って夕食を済ますと、午前一時まで残業。何とか、全ての球を投げ返した。

明日は朝の7時に家を出て北京出張。

大変辛い。


香港(ネタがないので後輩の話など)

今日は、業務時間中は、ほとんど人と話をせず、一心不乱に仕事。それが終わると、7時から会計士の方と会食、そんな一日だったので、特に書くことなし。

という事で、後輩の話など・・・。

先日、ニューヨークに駐在している田畑君より、帰国辞令が出たとの連絡があった。彼(写真で僕の隣にいる人間)は、僕の弟分のような存在であるが、ともあれ、馬力がある。香港駐在前に、一緒に仕事をしていたときも、残業後に酒につき合わせ、日本酒をしこたま飲ませても、帰ってから家で英語の税務資料を数十枚処理したりなどしてきて驚いたことがある。米国でも相変わらず、前向きに頑張ったようで、働きながら米国CPAを取ったとの報告が数年前にあった。会社の中にいると、日々の業務と人間関係に追われ、前向きな気持ちを失いそうになることがよくある。そんな時に、(たまに暴走するが)こういうアグレッシブで、いつも怒っている人間が身近にいると助けになる。

そんな彼でも、暫く前に、ストレスによる情緒不安定になったことがあり、「自信喪失でいつも不安な感じがする」と相談を受けた。よくわからないが、何の気なしに、セントジョーンズワートを勧めてみたら、しばらくして、すっかり直ってしまった模様。一応、精神安定のハーブなので、僕もたまに飲むのであるが、そこまで効くものなのか大変疑問。結局、単純で暗示にかかりやすい人間なのかもしれない。それが、パワーの秘密か!

因みに、写真は1996年のもの。僕も若い!


香港(風邪の引き始め?)

週末は、少年サッカーの合宿。但し、執筆の関係もあり、本日の練習は休ませてもらった。

今年の香港は、まさに異常気象の様で、昨日は気温が12度迄下がり、冷たい雨が一日中振り続いていた。おまけに、午後最後の練習(4〜6時)は、川辺の吹きさらしであったので、10度以下としか思えない程寒い。こんな環境で、朝9時〜午後6時まで雨の中を練習していたので、今日は風邪の引き始めの様な体調である。体温は36度。普通の人なら平熱でも、僕は体温が低いので、36.2度になると、立派に風邪の症状が出る。36度は風邪かどうかの境界線なので、無理をしないで休んだ方が良い。

それはわかっているものの、今日のノルマはNNA「中国ビジネス講座」4回分の原稿の執筆。

相変わらず、執筆に関してはピンチが続く。

朝から、執筆予定の通達(外貨管理関係)を4本読んでみるが、昨日の疲れと微妙な体調の悪さのおかげで、思考能力が著しく停滞しており、中国語が全く理解できない。いたずらに時間が経っていく。結局のところ、明け方の2時までかかって4本完成。

非常に非効率的であった。

ともあれ、これで暫くNNAは余裕ができる。肩の荷を下ろして就寝。


香港(通常業務)

昨日、極限的な肩と背中のこりに悩まされていたが、1時間のマッサージのおかげで何とか回復してきた。少々、揉み返しがきているが。

まだ、日本出張時に溜まった業務整理ができていないが、コンサルティング会員の方から頂いた質問には殆ど回答したので、ひたすら実務作業に没頭する。

そろそろ、「初めての中国ビジネス」の改定に取り掛からなくてはならないが、何れにしても、週末しか改定作業に費やす時間が無く、連載を調整しないと短期間で終わらす事はできない。

そこで、NNAに相談し、中国ビジネス講座を4回休載させて頂く事にした(休載期間中は、コンサルティング部員数名を代打に起用)。その前に、今週末(日曜日)4回分の原稿を書き溜めれば、2ヶ月の余裕ができる。これだけあれば、改定作業を終わらせる事ができるであろう。

あと、人の紹介があり、近藤義雄さんと初めてE−mail交信をし、次回(おそらく来月)の日本出張時に、お会いする事となった。僕がまだ20代の頃(1990年代早々)、近藤さんの書かれた「中国投資の実務」を愛用していた事がある。同著は、当時の中国ビジネス書の概念を変えた一冊ともいえ、非常に強い印象を受けた思い出がある。その後、十数年の月日が経ち、中国ビジネス関係者には、僕と近藤先生を比較する方々が多く、そんな意見を、個人的には光栄に感じていたが、今回やっとお会いできる事となった。楽しみである。


香港(さすがに疲れた)

昨夜は酒を飲まずに寝たものの、一週間の出張の疲れが取れず疲労困憊。首と背中がごりごりでPCに向かうのが大変つらい。おまけに、2月は旧正月だったこともあり、若干ビジネスが低調。月次決算の結果を眺めて、「う〜ん」とうなる。世の中には、起業数年で上場したり、数百億円の総収入を上げたりする人間もいるわけで、それを考えれば頭の使い方が足りないんだろうな、と大変反省する。そんなこんなでプレッシャーを受けながら、午前中は黙々とE-mail整理。昼は、「非居住者が中国の会社の董事を務める場合の個人所得税の扱い」に関する原稿を執筆。午後は、諸般の事務処理に追われる。

夜の8時になっても、まだまだ仕事が終わらないので、今日はエンドレスだなぁと考えていると、管理部長より「飲みましょう」と誘われる。まあ、「何時までやっても、この状況じゃあどうせ同じだ」とあっさり割り切り飲みに行く。会食では、今後のコンサル業務展開に関する意見を数点と応援を頂く。「社内には、僕がコンサル展開を図ることに対して、否定的な意見を持つ人間がいるが頑張れ」と言われるが、こういった意見はあるのが当然で、もとより気にはしていない。それよりも、応援が思った以上に多いことや、やりたいことをやらせてくれる事に対しては素直に感謝。いずれにしても、自分が好きで始めた事なので、信念を持って、あと、一生懸命頭を使ってがんばろうと考える(今日は反省モードの一日)。

尚、出版社から連絡あり、今年の出版に関して調整を行ったが、結局、3冊本を出すことになりそう。

「初めての中国ビジネス改訂版」、「契約書・申請書で解説する中国進出(仮題)」、「開発区訪問エッセイ(題未定)」。

1冊しか出さないつもりであったが、ニーズがあるなら、有りがたく出してしまえ!と開き直る。開発区訪問エッセイでは、過去に訪問・紹介した開発区の記録をベースに、僕の感想、関連する制度の簡単な紹介、独断による評定、写真たくさん、といった感じで作ろうと思う。楽しみながら、読みやすく仕上げたいと考える。

大阪⇒香港(暑い!)

10時関西空港発の便に乗って帰任。

香港到着は午後1時丁度。

昨日あたりから大阪も暖かくなっていたが、香港に到着すると非常に暑い。気温は24度。

しかし、この位のほうが、香港らしくてよい。

丸々一週間の日本滞在で、かなり疲れがたまったが、苦手な冬も終わったし、気合を入れなおして頑張ろう。