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香港(とうとう発熱)

不摂生のばちが当たり、とうとうダウン。

午前中はベッドで寝込む。

やらねばならぬ仕事があるので、午後一番に出社する。

香港では風邪が流行っており、同僚もかなりの数が風邪で寝込んでいる。

5名の香港コンサルティング部員も、3名が風邪をひいてあえいでいる状況である。

朦朧としながら仕事をしていると、最近、華南シフト(コンシェルジュ)で取り上げた、東莞の某開発区から、訳のわからない言いがかりをつけられ喧嘩になりかかる。が、一応、理性が働き矛を納める。

2年以上の連載で初めての経験で、「本当に訳がわからんな」と呆れる事しきり。

夜は辛いが、出張にきているCPAの方と会食。

以前お世話になった方でもあるので、もう少し、体調が良い時にアテンドしたかった。大変残念に思う。


香港(アテンド3件。さすがに辛い)

当然の様に熱が出て、大変辛い。

死力を振り絞り出社し、シャツの上に、セーターとジャンバーを着込み、仕事をする。

昼は、アバディーンまで行き、取引先をアテンド。

会食後、すぐにオフィスに戻り、面談1件(深セン輸出加工区に設立する生産型企業のオペレーションの相談)。これを済ますと、医者に行き、解熱剤と抗生物質を貰う。後は、午後6時迄必死にデスクワークを続けた。

6時半から、在香港のコンサルティング会社社長と、会食がてら、現在進行中の案件(マカオのインキュベーションセンター)の打ち合わせをする事になっている。

待ち合わせの日本料理屋は、1年前ランカイフォンに出来た店。

味は大変よく、風邪でおぼつかなくなってきた味覚でも、十分酒と料理は楽しめた。

この会社の社長は66歳ながら、僕より良く飲みよく食べる。

元気で精力的な事この上ない。僕も20数年後はこうありたいなぁ、と何とも羨ましい。

会食が9時半に終わると、次の宴会へ。

午後に打ち合わせを行った方のアテンド。

彼は当社の副社長と、居酒屋で飲んでいてもらったのであるが、2人の会話がやけに弾んでおり、11時半まで宴席が継続してしまう。挨拶がてら1〜2杯飲んですぐ帰るつもりだったので、完全に予想外の展開である。会食が終わると、「帰りたい」と言うものの、抵抗空しく引き止められ次の店に行く事に。

この時点になると、意識が朦朧として、辛いだけである。

店では「帰りたい」という意思を体で表し、早めに宴会を終わらせた。

とは言え、時は既に0時半。


香港(高級中華料理の値段に驚く)

朝一番で、Permanent IDを取りに行く。

これで晴れて香港永久性居民である。

オフィスに行くと、E−mailの整理。

未読が400本弱溜まっているので、怒涛の如く整理する。

昼食は、ビルの下の弁当屋で、出前一丁に卵とフィッシュボールを入れてもらったものをテイクアウト。E−mail整理を継続する。

午後4時には、ほぼ対応が終わり、出張者と打ち合わせを約30分行った。

香港から中国(内地)に対するオフショア・ファイナンスリースの相談。

外貨管理、課税、通関に関する概況のみを説明した。

夜は7時半から宴席。

親しい建築会社の方に、行った事の無い高級中華料理レストランに招待された。

美味しい事は美味しいが、4人で、ほどほどに食べて HK$ 6000という値段にはびっくり。

道理で、ウェイターが、廊下の外のトイレまで案内してくれる訳である。

同社の出張者の方2名は会食後ホテルに。

駐在員の方と2次会に行く。

どうやら日本で風邪を引いたらしい。背中が痛くなってきて、ウィスキーを飲んでいても美味しくない。明日はひどくなりそうな予感がする。


香港(ごろごろして過ごす)

出張と昨日の疲れで、正午まで寝ていた。

洗濯物を出し、近所のスーパーに買出しに行った。

昼食は「さっぽろ一番塩ラーメン」で済ませる。

結局、夜までごろごろし、夜8時からNNAの連載原稿を書き始める。

投資性公司(傘型会社)の新規定に関して、3回分を一気に書き上げ、12時には寝た。


台北⇒香港(台風が去り無事帰任)

台風の状況が気にかかったが、天候はあまりよくないが、どうやらフライトは問題無さそうである。大事を取って、早めにホテルを出たが、雨にも拘わらず道路が空いていたので、2時間前には到着してしまった。

朝食を取っていないので、空港で大好きな牛肉麺(半分サイズ)を食べながら、原稿を書く。

待ち時間が長いので、追加で四川風坦坦麺を食べたが、台湾の坦坦麺というのは全く別物だ。辛くなくて(僕的には)おいしくない。

飛行機は順調に飛び、定刻の午後2時には香港に到着した。

家に直行し、休憩を取ると、少年サッカーのクリスマス会に参加。

コーチ席(円卓)が別に設定されているが、そこだけ雰囲気がよどんでいる。

僕もよどみの一員なのだが・・・

司会のコーチも、酔っ払っており、すっかりいい気分で進行をしている。結果として、会が終わるのが夜の11時半になってしまった。

小学生主体の会なので、これは、さすがに遅すぎだよ。


日本⇒台北(季節外れの台風接近)

朝便で台北に出発。

台湾は、昔(1988〜89年)一年ちょっと住んだ事もあり、思い入れが強い場所である。ただ、最初はともかく、ここ暫くは商売が伸び悩んでいる。やはり、台湾はコンサルティング業務・実務代行業務が発達しており、至れり尽せりのサービスが当たり前になっている。それを考えると、幾ら中国関係に強く、価格が安くても、現地にいないディスアドバンテージを覆すのは難しい。

とりあえず、「捨てたくは無いが、商売の開拓は難しい市場」という位置付けで、縁が無くならない程度に訪問する事としている。

という事で、今回は10ヶ月振りの台湾出張である。

今日の東京は快晴で、飛行機からの眺めが良い。

富士山のほぼ真上を飛んだので、雪をかぶった富士山が美しく見えて、非常にゆったりとした気持になった。

台湾到着は午後2時。

季節外れの台風がちかづいているようで、うって変わって天候が悪い。

フィリピンでは、少なからぬ被害が出たようであるが、12月の台風というのは、過去の記録でもあまり例を見ないようである。

日本式しゃぶしゃぶ(日本のしゃぶしゃぶと中華火鍋の折衷料理)の夕食を済ませ、11時頃迄酒を飲んでホテルに切り上げた。

何時も泊まるグロリアホテルが満杯で、ちょっと高めのホテルに泊まったが、部屋はいいものの、バスルームが水漏れし、床が水だらけ。

げっそりして、バスにつかる気が失せ、シャワーだけで終わらせる。


東京(大学時代の知人を思い出す)

今日は、打ち合わせを数件こなす必要があるので、少々長い道程であるが、東京に向かう。

昼食は、大学時代のゼミの後輩と食事をした。

彼女は、中国経済ゼミの数少ない(少なくとも十数年で唯一)女性ゼミ生で、大学時代から、中国に強い思い入れを持って、勉強していた。僕は、不真面目なゼミ生だったので、大学時代は、中国経済の知識も中国語も、彼女に大きく遅れをとっていたものである。

会うのは実に16年ぶりで、再会できるとは思っても見なかったが、同じく、中国関係の仕事をしている関係で、色々なところで、(間接的な)縁が出来、今回の再開となった。

共通の知り合いの話(ゼミの仲間は会社を辞めている人間が多いらしい)、数年前に、「てなもんや商社」でいきなり監督デビューをしてしまった、元同級生、本木克英君の話など、思い出話に花が咲いた。思い出せば、本木君と最後に話したのは、僕が福州修正時代。彼は助監督の時代で、大船の寮に電話を掛けて、お互い大変な生活を自慢しあった(?)ものである。その後、全く交信を取っていないが、数年前に日経新聞を見ていると、いきなり監督デビューしていたので驚いた。随分有名人になったもんだと感心する。

夕方は、コンシェルジュの社長と打ち合わせ。

彼は、友人であり、同い年で気心も知れているので、楽しみながら打ち合わせを行った。

同紙は、日本・上海・北京・香港・大連で発行されているが、僕の執筆している「華南シフト」の食いつきが、香港ではいいものの、上海・北京でいまいちという話である。

華南シフトは、元々同紙・香港版のために書き始めた、広東省の開発区紹介なので、上海・北京の方々の関心が低いのは、やむを得ない話である。

結果として、香港版(華南シフト継続)と上海・北京版で企画を変えることにした。

上海・北京の企画は、新聞に取り上げられた中国関係記事を毎月一つ取り上げて、背景・意義・影響などを、初心者の方にも分かりやすいように解説しようというものである。

執筆の手間は増えるが、なかなか面白い企画で、楽しく原稿が書けそうである。

夜は家に帰って食事。

食事後、屋根裏にまで上って写真を探すもやはり見つからず。


大阪⇒横浜(昔の写真探し)

午前中、大阪本社に行き、管理部と打ち合わせをする。

昼食は、社内の来客食堂で、業務部副部長と会食。中国における、外資販売会社(卸売企業)第一号である、百紅商業貿易有限公司に数年出張していた方である。

やはり、中国での実務、許認可に長く関わっている人間の共通した意見としては、「規制が大幅に緩和されても、実務面の緩和にはまだ時間がかかるであろう」というもの。

百紅での実務経験、現在僕が手がけている広州卸売企業の許認可進捗状況を、1時間程度話した。

午後に、繊維部・物資部・物流部等を回り、香港駐在経験者の面々に挨拶を済ませると、横浜に移動した。新横浜到着は、ほぼ6時。新幹線にいるときも、携帯E−mailに仕事の連絡が幾つか入り、これに対応する。こんな感じで仕事がこなせるのは、なんとも便利である。

商売も一つ決まった。

しかし、仕事のE−mailが携帯で済ませられるのはいいが、迷惑E−mailが多いのが困る。日本の事情を十分知らずに、名前を若干変えたアドレスにしてしまったので、ひどいときには、5分に一本迷惑E−mailが入ってくる。あまりに鬱陶しいので、アドレスを変更する事にした。

今日は実家に宿泊する。

昨日の酒がまだ残っており、殆ど酒が飲めないので、夕食を早々に終わらせ、昔の写真を探す。思い出エッセイに使用する、過去の写真(福州研修生時代・大学時代)を探す必要がある為である。棚を引っ掻き回したが、殆ど見つからず。

特に、重要な、福州実務研修生時代の写真が見つからないのは悔しい。

とりあえず、大学時代(1985年)の中国旅行の写真を数枚入手。添付は、その旅行で、上海のボロホテル滞在中に、40℃以上の熱を出してうなっているところ。

その代わり、なくしたと思っていた合気道儀が見つかったのは収穫である。

僕がやっていたのは、マイナー流派の合気道であるが、香港で偶然、同じ流派の有段者を見つけた。いつか一緒に練習しようと考えていたところなので、なくならないように、香港に黒帯だけ持って帰ることにする。


大阪(講演会終了)

講演会のスケジュールは、昨日と同じであるが、事前打ち合わせが不要なので、9時15分に会場に行けばよい。

8時に目を覚まし、のんびりシャワーを浴び、朝食を食べてから会場に向かった。

ヒルトンホテルは、大変居心地の良いホテルで嬉しい。いつものビジネスホテルとは寝覚めが違う(?)。

今日の講演会の参加者は400人。大阪でも、中国に対する関心は高いようだ。

ただ、会場が小さめなので、椅子をぎゅうぎゅう詰めに押し込んであり窮屈。発言者の席も、机が無く準備が出来ず不便。

少々不満。

講演会は、昨日と同様、つつがなく終了。

やはり、講演会では質問に全く答える時間が無い。講演後、数十人の方が挨拶にきてくれたので、一通り質問に答える事できた。その後、別のフロアに移動し、関係者の昼食会に参加。

今日も中華料理で、メニューは昨日と殆ど同じである。

「二日続けて昼からフカヒレスープ」というのは、豪華であるが、ちょっと重い。

ただ、料理は大変美味しく、素材も新鮮。

2時半に会食が終わり、一旦部屋に戻った。

6時の会食まで時間があるので、フィットネスルームに行って、8KM走る。いつはできない経験なので、優雅ですっかり嬉しくなる。

ぎりぎりまでサウナにつかり、会食に出かけた。

今日は同期との会食なので、気が楽である。

1時頃まで、徹底的に飲んだ。

楽しかったが、食べ過ぎ飲みすぎ。いつもの事ながら、反省。


東京⇒大阪(講演巡業!?)

朝の6時半に目を覚ます。

講演会は朝の9時からなので、8時には集合(ANAホテルのB1)しなくてはならない。

こんな朝早い講演会はめったに無いので、少々辛い。

控え室には、共同講演者の恵州市の副市長、香港貿易発展局の副総裁等が控えており、大変ものものしい。本日の講演会の申し込みは580人、実際の来場は500人の模様で、かなり大規模な講演会となった。同時通訳、巨大なディスプレイ等、設備も大掛かり。

ただ、講演会はスピーカーが6人で、一人15〜20分の発言時間。

質疑応答も時間が無く、焦りながら話さなくてはならない。

自分も言いたいことが言えずにストレスが溜まったが、来客も同様であろう。

イベントとしては華やかで良いのであるが、出席してくれた方々を満足させる構成ではないなという感じ。ともあれ、無事講演は終わり、来客は立食パーティー。僕は、関係者の会食に参加する事となるが、頂いた質問に答えきれていないのが心残りで、立食の会場に顔を出す。

その場で、合計、60名程度の方が挨拶にきてくれ、質問のフォローアップも行う事ができ、少々ほっとする。行ってよかったが、関係者の会食は30分の遅刻である。

関係者の宴席は、3Fのレストラン。フカヒレスープを始めとして、立派な中華で満足したが、個人的には立食の会場にあった、チャーシュー麺に未練が残った。

夕方5時の新幹線で、大阪に向かう。

いかにも巡業という感じが出てよい。恵州チームは3時半の新幹線で大阪に向かった様で、香港チーム合計6名で移動。

大阪到着は7時半。貿易発展局の準備したバスに乗って、ヒルトンホテルに直行。

夕食は皆で居酒屋。香港にも支店があるチェーン店である。

昼のチャーシュー麺が心に残り、〆に同じ品を頼んでみたが、大変不味くてがっかり。