夏休みの宿題と同じ

毎週土曜日の朝起きると、「NNAの原稿を書かねば」と憂鬱になる。
これを終わらせないと、爽やかな気持ちで食事もできない。

憂鬱になるくらいなら、もっと前に書けばよいのであるが、それができない。
夏休みの宿題を、学生がぎりぎりになるまでやらないのと同じ事だ。
月曜の朝の出版の原稿の提出が、土曜の夕方か日曜の午前中になる訳なので、編集の人も嫌であろうが、一応、2002年1月から、一度も落した事がないので、一応、信頼(?)してもらっているようだ。

ネタが決まれば書くのは早いが、決まるまでが時間がかかる。
最近は、インターネット販売の規制がでたので、これを書こうかと思ったが、それは次回にまわして、外資企業の股東会と董事会の関係を書く事にした。
あと、組織再編に伴う特殊性税務処理に関する補助的な通知が出たので、時事通信の原稿は、これを反映させて、合併・持分譲渡等に付いて解説しようかと考える。
どちらに何を書くかも、最近の悩みどころだ。

しかし、NNAも410回だ。
曾我弁護士の法律講座の方が開始が早いので回数が多いが、追い抜かすのが当座の目標だ(法律口座は隔週、僕のビジネス口座は毎週)。

連載400回の記念企画が何もなかったので、10月6日の講演会は、「400回記念と開業二周年の意味もある」と、個人的には勝手に考えておこう。

10月6日講演受付再開します

10月6日の講演会のお申し込みを、昨日段階で300名頂きました。
昨日、一旦、230名様で締め切りをさせて頂きましたが、会場を調整し、380名様まで受け付けをさせて頂きます。

参加申し込みは、当ブログ執筆段階では締め切りの表示がでておりますが、これを解除し、再度の受け付けをさせて頂きます。

☆ ただ、ブログ記載後(受付再開後)30分程度で、追加のお申し込みを頂き、現在(日本
  時間17時半)350名様のようです。
  380名様は、あと数時間で達する可能性が高い状況ですので、何とぞ御容赦下さい。

たくさんのお申し込みを頂き、誠にありがとうございました。
一時的な混乱が生じ、ご不便おかけし、誠に申し訳ありませんでした。
改めてお詫び申し上げます。

ただ、大変、やる気が出てきました。
良い講演会にするよう、頑張ります。

香港映画のセリフと語学学習

20代の頃、会社派遣の研修性で、1年台湾(語学学習)・1年福建省の福州(実務)に行かせてもらった。
台湾では、1日7~8時間語学の学習(語学学校の授業)をさせてもらったので、家に帰ってくるとくたくただった。
その際の娯楽が、香港映画(北京語吹き替え版)。
下に漢字の字幕が出るので、単語の確認(使い方・ニュアンスが覚えられる)、リスニングの勉強にもなるし、楽しいし、一石二鳥だと喜んで見ていた。
特に好きだったのは、周潤発・レスリーチャンの「男たちの挽歌(英雄本色)」で、これは、百回以上見て、セリフを暗記できるくらいだった。
VTRで語学を勉強したと言えるくらい。
見張り、報復、仇討など、特殊な言葉をたくさん覚えたが・・・

その中で、印象に残っている光景とセリフが、チョウユンファとディロンが、敵を待っている時の会話。

龍:お前は神を信じるか。
周:信じる。俺が神だ。
  人こそ神。自分の運命を決める事ができる人間は神だ。
  (だから、今、自分の運命を自分で動かしている俺は神だ)。
龍:運命を決めたくても、決める事ができない時もあるぞ。
周:賭け事に勝ち負けは付きものさ。

というセリフ。
20代の僕は、格好いいセリフだなあと、つくづく感心して見ていた。
20年以上たった今でも、そのシーンを思い出すし、このセリフを思い出す。
あの映画を見ていた、当時は将来、こんなに長く(映画のシーンの)香港に住む事になるとは思わなかったが・・・

10月6日講演会申し込み締め切り

9月2日のブログで紹介した、赤坂アークヒルズの講演会(曾我・瓜生・糸賀法律事務所との共同講演)は、HP掲載7日、正式な告知活動開始3日間で、235名様の申し込みを頂き締め切りました。
元々の定員(180名)は、若干余裕を見ていましたので増員可能ですが、現時点でのお申込みで限界の様です。

お申込みありがとうございました。
また、申し込みの御断りをさせて頂いている皆様方に、この場を借りてお詫び申し上げます。

500人規模の会場を借りた方が良かったのかもしれませんが、あまり会場が大きくなるのも聴講頂ける方との距離が開いてしまい、意志疎通の妨げになるため、200人程度の会場が上限ではないかと考えたものです。

近いうちに、再度の共同講演会を開催できるよう、曾我代表とも相談したいと思いますので、ご参加頂けない皆様は、その機会にお会いできる事を楽しみにしております。

何故か??上海京都大学同窓会の宣伝

元同僚谷垣君から、「京仙会という上海の京都大学同窓会の幹事長に就任しました。是非、上海関係者多数が読んでいる?水野ブログで宣伝してもらえませんか。会員大募集!」というE-mailが来た。

僕自身は、京都大学と何の関係もないので同窓会の宣伝をするのも変なのだが、谷垣君の幹事長就任祝いと言う事で、ブログで紹介する事とした。
こちらがHPの様です。

因みに僕は、香港でも上海でも、稲門会には一切顔を出していないが・・・

話は変わるが、3年ほど前に京都大学の柔道部が上海に来た時、1時間ほど講義をしたら、お礼に京都大学Tシャツを貰った。
家にシャツが少なかったので、寝巻代わりに着ているという話をしたら、谷垣君から、「そんなもの贈る方も贈る方だが、着る方も着る方だ!」というコメントが返ってきた事がある。
半年ほど前に実家に帰った時、このシャツを着てジョギングしていたら、向かいから歩いてきたおじさんが、目を細めていた。
きっと京大卒で、シャツを着ている僕を後輩だと間違えたのであろう。
全然違いますよ!と言いたかったが、さすがに言えず。

そうです。そう思います。よく分かりません。

一般的に、中国人と日本人を比べれば、中国人の方が断定的な発言をすると言われるが、会社(ビジネス)の中ではそうでもない。
かなりの日本人社員が、「そう思います」というべき事を、「そうです」と発言する。

これは、僕にとってすごく嫌なこと(困ったこと)である。
ただ、部下がそういう発言をする理由の多くは上司にある。
なぜなら、「そう思います」、「よくわかりません」と言った途端、「なぜしっかり調べないんだ!」と怒る人がいるからだ。

僕が部下に必ず言うのは、「そうです」、「そう思います」、「よくわかりません」の区別だけは、しっかりつけてくれ。これは、絶対に間違えるな(わかりません、と言っても怒らないから)、という事である。

社会に出ると、学生生活とは違い、完全な情報だけでなく、不確かな情報が入り混じった中で、真実を探し求めていく作業が必要になる。
どちらかと言うと、不確かな情報が多い。
その中で、集められたデータを的確に判断して、回答に導いていく(意思決定をしていく)のが重要な作業になる。
これは、会計・税務、コンサルティングだけでなく、営業でも同じだろう。
つまり、警察と同じ真実探求のステップが必要になる訳だ。


その中で、部下が、不確かな情報を、「そうです」と断言すると、誤った方向に話が進み、最後につじつまが合わなくなって、軌道修正するまでに、数十時間を無駄にせざるを得ない事がある。
それならまだいいが、最後まで、正解にたどりつかない事もある。

その点、もし部下が、

<そう思います>と答えたならば
(断定できない)不確かな部分はどこかをお互いに協議し、何を調べたら確証に近づけるかをアドバイスできる。

<よく分かりません>と答えたならば
① 経験不足で判断できない場合
  僕、若しくは、他の経験者を探して、判断・アドバイスを頼む事ができる。
② 情報が不十分で判断できない場合
  情報を探るための方法を一緒に考える、若しくは、指示できる。

という対応が取れる。

不確かな事(確度が100%でない事)を、そうです、と言いきられると、この様なステップが閉ざされ、特に、何人かの部下に、同時進行的に調査指示をしてる場合、全体の調査に悪い影響を与えるのである。

組織的に仕事をする場合は、
部下から情報を引き出して、適格な判断をすべきは上司の役目。
上司に間違いの無いデータを与えるのは部下の役目。
になってくる訳なので、部下はもとより、上司の方としても、(ニュアンスも含めて)正しい情報を部下から引き出すシステムを考えるべきだと思う。


上海で久々のホテル住まい

上海の住居を引き払った。
香港もサービスアパートに変えたし(3月から)、広州はもとよりホテルだ。

フラットを借りると、「部屋の掃除」、「光熱費の支払い」etc.煩わしい事が多く、それと、数日分の衣服を持ち歩く手間を天秤にかけて、どの場所も手軽な住まいに変えたのである。

今回の住居は、楽天トラベル(初めてつかった)で適当に見つけた、ハイトンホテルというところ。
1泊700元弱。

最初は、エレベーターに閉じ込められかけたり(単に僕が用法を間違えただけ)、セーフティーボックスの使い方が分からなかったりで、「こんなことなら、起業時の金がない時に泊まってた漢庭ホテルの方がましだぜ!」とか思ったが、食事に行こうと下に降りた時、讃岐うどんの田野が入っている事を見つけて、にわかに、「良いホテルじゃん」という気になった。

評価が確定していない時は、比較的簡単な事で、良し悪しが左右される。

そんな訳で、田野で食事をして満足してしまった。
料理もおいしかったし、店員さんも感じ良かったし。

比較的単純!?

ウェストが5cm縮んだので

久々にジーンズを買ってみた。
ジーンズを穿くのは12~13年ぶりだと思う。

小学校の頃から高校の頃までは、ジーンズしか穿かなかった。
小学校1~2年の頃から好きで、これを穿きたい!と親に頼んだ記憶が有る。
それが、浪人時代、1日2000回スクワットをしていたら(腕立て伏せも200回x3本くらいやっていた)、腿回りが58㎝になってしまい、ズボンが腿で入らなくなった。
この時には、ウェストが倍くらいあるズボンを買って、(ベルトではなく)縄で胴を縛っていた。
その時が、ジーンズを穿かなくなった第一回目。
それから、会社員になり、全般的に筋肉が落ちたので最初の数年間は穿いていた。
特に、研修生の頃は、スーツも着なくていい生活なので毎日だ。

その後、日本に帰るとバブルの頃で、ジーンズ穿くのもいまいちな、という雰囲気に流され穿かなくなった。
ここ12~13年くらいは、単に体重が増えたので(全体に太くなったので)穿いていなかった。

そんな訳で、穿かない理由はいろいろあるのだが、最後は何時穿いたか分からないくらい穿いていない。
それが、ここ2ヶ月、毎日7Km程度走っており、体も随分絞れてきたので、久しぶりに穿いてみる事にした。
しわになりにくくて頻繁にクリーニングに出さなくてもよいので、休日穿くのには便利だ。
息子も、「ジーンズ良いんじゃない。若さ保とうって努力は必要だぞ、とっさん」とか言ってたし。

ともあれ、ここ2ヶ月、よく走り、食事も適量と言う感じになっているけれど(宴会時には徹底的に食べて飲むが)、ダイエットでやっている訳ではなく、生活習慣を変えた、という感じで、このまま走り続けていくと思う。
ウェイトもやっているし。
目標は大学時代の体形だ。
今月は誕生日。
また一つ年をとるのか、という感じだが、年齢にも反抗していこうと思う今日この頃。


ホンハム生活は順調だ

ホンハムの住人になって、はや5ヶ月。
太古城の頃はユニーに依存した生活だったが、今ではジャスコだ。
歩くと15分程度かかるので、ちょっと遠いが、ジャスコにも馴染んできて、なかなか快適だ。

昨今、週末はサービスアパートの部屋で、一人食事をしているが、それなりに慣れてきた。
平日も、香港にいる時は、週に何回かは部屋で食べる。
とは言え、電子レンジしかないので、全てレンジで調理できるものだ。

しかしながら、レンジがあれば、ご飯、うどん、シュウマイ、とんかつ、etcいろんなものが食べられる。
便利になったものだ。
明太子やらイクラやら、しゃけフレークやらを買いこめば、結構、夕食としても恰好がつく。
昨日は、昼は冷やしたぬきうどん(生卵のせ)、夜はうな丼であった。
全部レンジで調理だ!

これに、エビスビール飲んで、本を読んだりすると結構くつろぐ。
まあ、昨日読んだ本が、「タックスヘイブン対策税制・外国子会社配当益金不算入制度」なので、くつろぎと言う点ではいまいちであるが・・・
そんな週末も悪くない。

若干、話は変わるが、今では、冷やしうどんを作る時は、買ってきた蒸留水で冷やすし、卵も、「日本のでないと、生食を前提にしていないのでこわいなあ」とか考え、米国産のものでも購入をためらう。
25才の福州研修生時代は、ホテルのバスルームの水(水道水)でうどん・そばを冷やして平気で食べていたし、他の社員(中国人)に必死で止められても、路上で(行商人から)買った卵を、生で食べ続けていた。
あの頃は、たくましかったというか、怖いもん知らずだったというか・・・
本当に、病気にならなくてよかった。


将来の目標をどう描こうか

取り合えずE-mailが復旧し(HPはあと数日かかる様であるが)、改めて起業3年目に向けて動き出そうと考えているところ。

2年前に、僕一人で始めた会社も既に16人。
記帳代行・申告代理免許を持つ会社(上海陽鴻水野企業管理有限公司)も上海に開設したし、医療コンサルティングの合弁会社も近日設立予定なので、マイナー出資も含めると、6社のグループという事になる。

まあ、会社を作ればいいという訳ではないのだが、変化の激しい現在の中国、中国でのコンサルティング環境を踏まえ、一つ一つ、布石を打っている状況。
チェイスチャイナと医療コンサルティングの会社は、収益基盤に乗るまでは若干時間がかかるかもしれないが、5年後の収益源となっている様に仕組み作りをしたいものだ。

思い起こせば、丸紅傘下のコンサルティング会社で業務を行っていた時、僕は、「上場が目標」という事を言っていた。
上場というのは、分かりやすい目標で良いのであるが、今では、「事業の意義・将来・顧客と従業員の満足」を無視して、短期利益のみを求める出資者の資金を受け入れる事に、嫌悪感すら持つようになっている。
だから、出資者を選べない上場は、絶対にしたくない。
独立2年が経過して、改めて、「会社は従業員の為のものであり、支えてくれる方々(顧客・提携先・等など)のものである」と考える。

そんな感じで、2年前の退職時のドタバタで、上場に関する僕の考えは完全に変わってしまった(まあ、それ以前に、こんな感じの地道なコンサルティングをしていて、上場なんてできるのだろうか、という気はするが、それはさておき)。

そうなると、具体的な目標、未来像を、どの様にイメージしたらいいのかなと考える。
この2年間、生き残る事に必死であった。
そんな心配をしなくて良くなった今、3年後、5年後、10年後の明確なイメージを、再度、考えてみよう。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ