広州で久々の湯船につかる

朝深圳経由で、東莞の長安鎮。
1.5時間ほどお客様と面談すると、広州に。
広州到着は午後5時。
広東省の仕事はなかなか時間を浪費する。

広州で宿泊するのは市長大廈。
ここに宿泊するのは、1年数か月ぶりだ。
起業1年は、ビジネスホテルに泊まると決めていたので、税サ込み300元のホテルに宿泊していた。

部屋自体は綺麗なので、中国語ができればさほど宿泊に支障はないのだが、湯船がないのがちょっと不便だった。
僕は、朝のんびり湯船につかって目を覚ますので。
一年が経過したので、久々に湯船のあるホテル。
ちょっとほっとする。

チェックインすると、偶然連絡がついた、大学時代の同級生と会食。
20数年ぶりの再開だ。

和やかに食事をして、焼酎バーで軽く飲んでホテルに戻る、
筈が、ちょっとしたハプニングで、バー2件ハシゴで、スナックに行く事に。

この経緯は、後ほど更新します!

ウェブ検索をしていると

久々に、自分の名前をヤフーとかグーグルで検索して見る。
会社のHPの整理(リンク先、表示等の修正)をしなくてはいけないので、その参考も兼ねて。

色々見ていると、知らない方がリンクはってくれていたりとか、紹介してくれていたりとか、「知らなかったぁ」という発見があり面白い。
しかし、最初に自分の原稿をウェブに載せたのが2001年。
何事にも蓄積というのがあるものだ、というのを、ウェブ検索していてもつくづく感じる。

ただ、リンクや紹介が、昔のM&Cという会社(既にない)のURL(mizuno-solution.com。これも既に閉鎖済)で、無効になっているのも多い。
まあ、時間の経過が解決するだろうが。
これは、会社を辞める事で影響があった、一番大きな事ではないかな。

因みに、今のURLは、http://www.mizuno-ch.com/です!

強く念じれば運命も変わるのかな

大学3年生の初めての海外旅行で、香港に3日ほど滞在した。
当時(1985年)不便だった中国本土での、長期滞在の後で到着した事も一因だが、すっかり香港が気に入って、「いつかここで働きたい」と思ったものだ。
入社試験(面接)の時も、「香港は夢がつかめる場所です」と、何度も言った気がする。

あと、29歳11カ月の時、横浜のベイブリッジからみなとみらいを眺めて、「知識を磨いて、売れるノウハウを身につける。そして何時か独立する」と言った。

それから月日が経ち、一応、香港で起業した訳なので、20代で言った事は、図らずしも実現した訳だ。
まあ、付随して、香港のオフィスは中国銀行ビルにとか、日本のオフィスはランドマークにとか(形容詞的な事)も言ったけど、これはあと数年かけて実現しよう。

30代以降に言った事もあるのだけれど、全力で仕事ができるうちに、言葉に出した事、胸に誓った事をどの程度実現させていけるか、というのは重要な事だ。

20代の頃の僕の発言も、根拠があった訳ではなく、憧れや若気のいたりという感じだった。
30代半ばの頃は、独立・知識を金にするというのを完全に諦めて、「やっぱだめだぁ」と、何度もため息ついていたものだ。
ただ、念じる力が強ければ、そういう風向きになってくるようだ。
僕の「香港赴任」、「コンサルティング開始」、「独立起業」というのも、多分に運が左右している。

香港赴任も、最初出たニューヨークの内示がひっくり返って決まったし、コンサルティングもたまたま当時の上司の思考と、中国進出ブームがうまく重なったのが僕にとって幸運だった。
独立起業も、何もなければ自分では決心していなかったろう。

口に出すと、それが運命の流れを作る様な気もする。

まだまだ口に出した事はある。
これから実現しなければいけない事は沢山ある。
まだ休めないな。


仕返しはゲテモノづくし

1997年、久しぶりに福建省に行った時の事。
福州研修時代に喧嘩した相手と、7年ぶりに食事をする羽目になった。
その間、彼との連絡は全くない。
彼の上司(僕を接待してくれた人)は、僕と彼が不仲な事を知らない。

「今日の宴会で食べたいものは?」
と彼の上司に聞かれたので、龍蝦(伊勢海老)は欲しいです。
と回答。
上司は彼に、「龍蝦を入れて。あとは、水野は久しぶりの福州なんだから、水野(日本人の客)が喜びそうなものを選ぶ事」と言う様な指示を出す。

いざ、会食が始まると、出てくるものは、
蛇の燻製、サソリ、蛙、その他のゲテモノばかり。
蛇は何度も食べたが、燻製は非常に食べにくい。
一応、龍蝦はあったが・・・

最後にデザートが出てきたら、相手がにやにや笑っている。
形状を見て、「これは噂に聞く蛙の卵ではあるまいか」と思い、食べるのをやめておく。
席上食べてる人は一人もいない(状況がつかめていない僕の上司を除き)。
食事が終わってから、隣にいた人間(彼の部下)に聞くと、やはり蛙の卵だった。

7年前の恨みを、日本人の食べられなさそうなもの尽くし(ゲテモノ食)で晴らされたか。
自分も殆ど食べられなかったろうに・・・
とげっそり。

因みに、その時一番の被害者は、僕と一緒に出張して会食に参加した僕の上司(中国語不可)。
「水野君、随分不思議な食べ物ばかりが出てくるねぇ。福州料理って食べにくいねぇ~」と、ちょっとピントが外れた発言をしながら、しっかり蛙の卵も半分食べていた。
さすがに、「あれ、蛙の卵でした」とは言えなかったなぁ。


即席オフィス

コーヒーショップをオフィス代わりにして仕事中

今日は4件の面談。
九竜側1件、香港側3件。

九竜側(ジョーダン)で午前中打合せ、チムサッツイのゲートウェーで昼食を食べ(フードコートでうどんを食べただけなので、約5分)、時間が半端に余ったので、40分間足マッサージをし、時間調整を兼ねて、スターフェリーで香港島。

これだけ聞くと、なんとなく優雅な感じがするが・・・
その実、スーツを着て歩きまわるので汗だく(起業してから、スーツが本当に早く傷む)。

1時間弱の中途半端なあまり時間の調整が難しい。
と、それなりに悩みはあるのである。

ただ、最近、ワイアレスでインターネットにつなげるし、スターバックス、Pacific Coffee、HABITUと、くつろぎやすい椅子が置いてあるコーヒー店も多い。
いたる所が、即席オフィスになるので大変便利。

その分、ちょっとした時間でも働かざるを得ないのと、PC抱えて歩くので、鞄が重くて肩がゴリゴリになるのが問題だが。

因みに、今日の午後の空き時間は、HABITUで調整。
インターネット対応もスムーズ。

お礼の言葉

起業一周年。

何度もブログで記事にしましたが、改めて、支えて頂いた方々、お客様、業務提携先の皆様、読者の方々、部下の皆なに感謝致します。
有難うございます。

この一年で、顧問企業が160社。
顧問契約、スポット契約を合わせると、約250の契約を頂きました。
平均すると、全営業日1件の契約を頂いた事になります。
信頼頂いた方々に、この場を借りて御礼申し上げます。

顧問企業が200社になった段階で、水野ジャパンを設立します。
来年上旬の立ち上げになるのではないかと思います。

初心を忘れず、現場に立った、解決型のコンサルティングを社員一同心がけます。
今後ともよろしくお願い致します。

また、コンテンツ分野では、中国ビジネスのノウハウをアジアに広げ、アジアのビジネスをサポートする為の情報、マニュアル、データベースを5年以内に整備する事が目標です。
日本企業の中国ビジネス、アジアビジネスをサポートできる企業を目指し、今後も展開を続けていきます。

一周年の所信表明です。

今後とも、宜しくお願い致します。


病は気から

一周年を迎えて、初心に返って面談もどんどんお受けしよう!と考えて計画していたら体がだるい気がする。

しまった、風邪か!
一週間で14件面談決まってるし、いま37.5度超えたらボーダーで隔離されちゃうよ!と考えて焦る。

ともあれ、早く寝ることだ。と11時前に寝て、朝の8時半まで。
寝ている間も、「熱が出たら大変だぁ」とうなされる事しきり。

ところが、朝、目が覚めると、すっかり体調が戻っている。

単に精神的なものだったかな。

独立すると、熱が出て、数日間働けないと、収入に直結するから・・・
ともあれ、病は気から、という事か。

しかしながら、この1年間、あれだけ睡眠時間削って、過酷な生活を送っていたが、不思議な事に軽い風邪を一回ひいただけ。

これも病は気からという事かな。
気合だけで病気が克服できる訳でもないだろうけど、それでも気合は必要だ。

外資企業の対外直接投資の原稿を書く

週末、NNAの原稿を書いた。
月曜日掲載分なので、またもやぎりぎりだが。

土壇場で、う~ん、とうなって考えたのが、外資企業の国外直接投資。
今月早々より、外貨管理規定が緩和されているもの。

とは言え、2004年に商務部より、対外直接投資に関する審査管理弁法が公布されて以来、外資企業の対外直接投資も実例は少なくない。

この資金用途の緩和が行われたのが、今回の外貨管理の趣旨。

出資可能な外貨は、経常口座・資本金口座内の外貨、外貨借入で許可を受けたもの、人民元より換金した外貨で、やはり許可されたもの、という事で、出資に使用する外貨の対象は、広範囲になった。

国内本支店展開、国内再投資、合併、減資、対外直接投資、その他。
外資企業の活動・組織形態も、随分バラエティが出てきた。
1990年代の事を考えると嘘のようだ。

確実に、中国の制度も変わっていると感じる出来事のひとつ。


一周年のお祝いだ!

CI5の同じ席で。今と1年前の僕

28日(金)夜8時の開店早々に、CI5に飛び込む(9月からは6時開店になるようだ)。
去年の席を確保しておいてくれて、ドンペリをワインクーラーに入れて待っていてくれた。
嬉しい。

一年前と今。
同じ場所で撮った写真。

比べてみてどうかな。

キャビアも食べよう。

この1年間、本当に苦しくて、本当に嬉しくて、一生忘れられない1年だった。
去年の冬、疲れてCI5のカウンターで一人うつ伏して、1時間以上寝てしまった事がある。
CI5の人が、「印象深くて懐かしいです。大変なんだなぁと思いました」と言ってくれた。
そう。本当に大変だった。
でも、しっかり克服してきた。

まだスタートラインに立ったばかり。
だから、まだまだ暴れられる。

コンサルティングは実直に。
活動は天衣無縫に。
僕の活動は、まだまだ始まったばかり。

型にはまったセオリーや、消極的な理屈なんていらない。
形は自分で作っていく。

本番開始だ!


翡翠酒店の坦々麺の食べ方

来たばかりの坦々麺。ピーナッツクリームは下にたまっている。香菜もたくさんでうれしい。

今日は、朝起きた時から夜のお祝いモードだ。
ドンペリだ!とか考えている。
やむを得まい。

そこまで精神が高揚していると、昼食も好きなものを食べねば。
という気になるから不思議だ。

そんな訳で、タクシーに乗って翡翠酒店に。
ここの坦々麺は、日本で食べる赤坂飯店と並んで、僕の大好きな坦々麺だ。
二大双璧坦々麺の一角。

麺が出てくる時は、こんな感じ。
良い色なのだけど、ピーナッツクリームが、麺の間に絡まっているので、このまま食べると、最後にどろどろになる。
麺をかき回して、ピーナッツを均等にしなくてはならない。
ちょっとしたノウハウだ。
って、1回食べれば分かる事だけど。

あと、食べ方も人それぞれだろうけどな。

かき混ぜて均等にした坦々麺

そんな感じで、一人でかき回せて、こんな感じになったら、ひたすら食す。
途中で、国際電話がかかってきたのがちょっと悲しかったが(汁そばを食べ始めた時に、電話がかかってくる事ほど、悲しい事はない)、まあ、短い電話だったので、美味しく食べられた。
さて、満足。


中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ