香港の日本料理屋

目が覚めたらもうお昼だった。
昼食を食べて、ブログを更新したらすぐまた昼寝。
再度目が覚めたら午後5時だった。

そんな感じの休日。
半年ちょっと、極限の極限まで体を酷使したけど、やっと生活も元に戻り始めている。
夜11時間。昼4時間寝たので、さすがに疲れもとれた。

今日は仕事やめようかなぁ、と思ったけど、NNAの連載は書かないわけにはいかないので、ネタ探し。
国家税務総局より出た、保税物流中心B型と輸出加工区での物流オペレーションに関する税務の通知(国税函[2009]145号)を解説。
「何で今のタイミングでこんな通知が出たの?」という感がある通知だが・・・



話変わって、昨夜は12年来の知人(年齢は一回り上)と会食。
店を決める時に、「●●に行こう」とその人が言って歩き出す。
途中まで一緒に歩いたが、「そこって高くありません?」と質問。

前の場所にあった時、僕は数回行った事があるが、定食しか食べていない。
ただ、他の知り合いが、「あそこは注意した方がいいですよぉ。良いのあります、って言われて、じゃあ出して、っていうと、一人HK$ 2,500 ~ 3,000は必ず取られますもん」と言っていたのを思い出したのだ。

と、「確かにぼるな。前に、その店に一人で行った時、俺あなご好きだから焼いてくれ、っていったら、勝手に10匹も焼かれてHK$ 2,000取られた」との答え。

「やめましょうよぉ、そんな店。奢ってもらうんでも、道義的に行きたくないですよ」と言って軌道修正。馴染みの店に落ち着く。


しかし、そんな店でも、両方の人ともリピートしている様だ。
他にも高いと言われる店はあるが、それなりに生き残ったりしている。
けれん味なく高く取れば、(不味ければさておき)それはそれで認知されるのであろうか。
香港の日本料理の世界は摩訶不思議である。
まあ、良心的な店も多いし(こんな店はごく一部だし)、香港は家賃が高いから全体的に価格が高めになるってのは致し方ない事だけど。

僕自身は、ここ暫く高い店には行かなく(行けなく?)なってしまったのであるが、たまに高い和食屋に行くと、香港人で満員だ。
明らかに日本人より金を落としている。
上海でも似たような光景を目にする。

日本での中国の報道は、景気停滞で大変なことになっていて、というものが多いが、こちらで生活をしている実感は、そんな報道とは随分ギャップがある。
この点、如何なものだろう。

ブログ事始めと5年の雑感

ブログを始めたのは、(数日前にも書いたのだけど)2004年の事。
大薗さんから、「うちでもブログを始めるのですが、書きませんか」と声をかけられたのがきっかけだった。

丁度、ホリエモンのブログが話題になり始めた頃で、数か月前に、ブログという言葉を知ったばかりだったので、(どんなリアクションがあるか良くわからないので)ちょっと怖い気もしたが、興味もあって始める事にしたのであった。

タイトルは、最初、「水野日記」にしようとしたのだが、そのタイトルを(他のサイトで)既に使っている人がいた事と、僕の安直な対応を見透かしたかの様に、大薗さんから「ブログのタイトルは、できれば複数の単語を組み合わせて、安直になりすぎない様にして下さい」というE-mailがオンタイムで入ったので、今のタイトルに落ち着いた。

あと、最初は写真を入れていなかったが、これまた大薗さんから、「なるべく写真入れてください」という指導が来るので、いつしかカメラを持ち歩くようになった。
ネタがない時は、食べ物の写真さえ撮れば、何らか記事になるので便利だ。
ただ、美味しいものを目の前に出されると、焦って食べてしまい、途中で「しまった!写真撮り忘れた」という感じで思い出す事が多く、不完全な写真になる事が多い。
他のサイトで、ヒット数の多いブログを書いている人は、食べ物でも、鮮明な写真を何枚も違う角度から撮ったりしており、努力の跡が伺える。
やはり、注目を獲得する人は、何事も努力しているもんだな、と感心する。
なかなかできない事だ。

上海エクスプローラーのブログでは、僕のは第一号か第二号くらい(立ち上げ早々)なので、最初の頃は使い勝手が悪かった。

写真枚数が4枚に限られていたし、普通に改行キーを押しても改行にならなかったし(改行する場所は、記号を打ち込んでいかなくてはいけなかった)、登録するとき、簡単な内容でも(字数オーバーとかタイトル入れ忘れ等)、打ち込んだ文章が全て飛んでしまった。
あと、コメントが消せなかった(コメント削除キーがあったが、試してみたら機能していなかった)。
まあ、他の筆者で、コメント削除が出来る事を知らない人もいたが・・・

そんなこんなの使い勝手の悪さもあったが、大薗さんに言うと、すぐに改良してくれるので、徐々に使い勝手も良くなった。

ブログを始めた一番の理由は、「僕の本、連載は、内容が難しくならざるを得ない(仕事で関係ある人しか、間違っても読む気にならない)ので、軽い文章を書いて、違う層の方にも読んでほしい」と考えたから。
という訳で、内容はひたすら軽く。
ヘビーな文章は、仕事がら嫌でも書かないといけないので。

気をつけていることは、なるべく更新する事と、人の事を悪く書かない事、なるべく気軽に読める内容にする事くらい。
そんな訳で、今までにずい分更新した割には、ストレスが溜らない。
ここ一年は、今までの半生で一番しんどい時期だったので、なかなか更新できない日々が続いたが。



やって良かった事はいろいろある。
お客様や、初対面の方に、「ブログで見てますけど、頑張ってますね(大変そうですね)」とか声をかけてもらったり、音信不通になっていた方と再開できたり、親とか、なかなか会えない方への近況報告ができたり、これがきっかけで友人ができたり、亀一が妙な知名度を獲得したり(杉山という実際の性を知らない人もいる)。
あと、講演会の告知には使っているし。

困った事は、別にない。
いつも食べ歩いている人間だと思われるくらい?

まあ、そんな感じで、これからもマイペースで書いていく事だろう。
今年の11月で、ブログ開始5周年だ。
だからどうしたという訳ではないが、さすがに10周年には、なにかお祝いしようかな。

まだまだ先だけど・・・

講演会あれこれ

5月12日の広州物流園区操業開始セミナー(&水野商務諮詢広州有限開業記念セミナー)の申込が、告知開始10日弱で100名様を超えました。
有難うございます。
定員は150名様ですので、まだ余裕があります。
是非、お申込みをお願い致します!


実は、広州は比較的講演会の集客が難しい場所。
この点、広州、東莞、香港から人に集まっていただける深圳の方が、比較的集客がやりやすい。
その上今回は、テーマが広州物流園区と限定されており、更に、有料セミナー(会員様100元:会員以外の方200元)。
そんなこんなで、集客に一縷の不安があっただけに、大変嬉しい。
お申し込み頂いた方に感謝!

ただ、広州物流園区の運用は、昨年末より、広東省で数か所認可された、保税港区、保税物流中心B型等の指針にもなる。
税関、国税、保税管理局がスピーカーとして参加してくれ、Q&Aにも対応してくれる今回のセミナーは、今後数年で変化する広東省の商流・物流の行方を占う意味で意義のあるものになると思うしそうしたい。
良いセミナーにする様頑張ろう!

そんな事を考えて香港ポストを読んでいたら、亀一の連載、「塞翁が亀」に、セミナー運営の事が書いてあった。
講演会主催の大変さを、つれつれと書いており、久々に真面目な内容だと思っていたら、
「いつも塞翁が亀を読んでいますなんてご挨拶を頂ければ、こんな嬉しい事はない。もちろん、私が起きていればの話だが」というセリフで締めくくっている。
当日亀一が寝ていたら、思い切り蹴りを入れてやろう。

髪を短くすると

僕は通常髪が長い。
これは小学生の頃からだ。

父親も髪が長いので、遺伝(?)だろう。
嗜好は自然と似るものだ。

父親は、よく「芸術家ですか」と人に言われていた。
僕も日本人、中国人問わず言われる。

髪が長い人を見ると、とりあえず「芸術家」というのは、万国共通か?

ただ、そんな僕でも、2年に1回くらいは、長い髪が鬱陶しくなって、ばっさりと切ってしまう。
ジェルをつけて上げると、別人の様になる。

前に短髪にした時、講演会が終わってから、「途中まで本人だと気付きませんでした。忙しくて部下の方を代理に出したとばっかり思ってました」と言われた事がある。

ちょっとした変装と気分転換には丁度良いようだ。



ただ、僕はちょっと見が若く見える方なので、髪を短くすると、幼く見られる。
部下からも、「髪が短いと貫禄ないです」とよく言われた。
それも長髪にする理由になっていた。

ただ、最近ふと気付くと、顔が歳相応になってきた気もする。
ここ数年苦労したからなぁ、と鏡を見てつくづく思った。

そろそろ髪を短めにしてもいいかな?などと思った。

浦東空港で夕食(久々の第二ターミナル)

随分塩辛い生ハムだった

夜便で上海から香港に移動。
一週間、宴席が多く飲みすぎ。
楽しい宴席続きだったけど、ちょっと疲れた。

日本から出張のお客様と、空港に行く前に打ち合わせ。
お互いの都合の接点で、リニアの龍陽路駅近辺で1時間半打ち合わせ。
企業買収の価値算定のご相談で、空港に行く直前、喫茶店で財務諸表を点検して、純資産の再評価をしたり、NPVを弾いたりして企業の現在価値算定をする。

打ち合わせが終わると空港に。
今回はドラゴンなので、第二ターミナル。
8月末までに、ドラゴン・キャセイにあと25回乗らないと、ゴールドステータスが維持できない。
シルバーでもラウンジ使用には支障がないが、72時間以上前に予約した場合の、エコノミー席確保が使えなくなるのはちょっと残念。
あとは、しばしドラゴンの使用がベースとなろう。

暫く、東方航空(第一)が続いていたので、第二ターミナルは久し振り。
やはりこちらの方が奇麗でいい。
久々にイタリアンで生ビールを飲み生ハムを食べる。
ただ、生ハムは塩辛くて失敗。
まあ、ゆったりした気分で生ビールを飲んだから良しとしようか。

キムチラーメンは思った通りの味だった

出国手続を終わるとゲートの近くでキムチラーメンを食べる。
まあ、褒める事はできない味だが、空港で食べる食事と考えれば満足しよう。
前から写真が気になっていたので、味を確かめられて良かったと思おう。

今日は昼食(鳥照り焼き丼)も、味が濃すぎて失敗だったし、食事には恵まれない一日であった。
ただ、一週間美味しいもの続きだったので、バランスを取る意味ではよかろう。
こういう日も有るさ。

明日からまた、美味しいものにありつけます様に。

最近東方航空によく乗る

上海と香港を往復するに当たり、東方航空の方がドラゴンより安かったので、数回続けて東方航空に乗った。

感心したのは、客室乗務員(CA)サービスが非常に良い事である。
サービスというより、気遣いという言葉の方がしっくりくる感じ。

着陸態勢に入る寸前まで熟睡していたら、目を覚ました時に、何も言わないのにコップの水を持ってきてくれたり、「(着陸態勢に入るので)食事ができなくて申し訳ないので、機内食を包んで持って帰れる様にしましょうか」と言ってくれたり。
この方だけではなくて、何回か乗った結果が、全般的に感じがよいので、サービスの水準が上がっているという事だろう。

最初に中国に行った時(25年弱前)には、中国にサービスという言葉はない、といってもよい状況だったので、中国のサービスもここまで来たか!と驚く事しきり。

ただ、チェックインカウンターのサービスは、香港、上海共に劣る。
他が空いてるのに、わざわざ3席ぎっしりの真ん中の席にされたり。
今日は混んでる?と質問すると、「結構込んでますが、非常口の席にしてあげましょう」と言われ、搭乗すると座席ガラガラ。非常口のところだけぎっしりだったり。
まあ、毎回、CAの方に、「席変わりますね」と言って、すいている場所に変わってしまうので被害はないが。

それにしても、機内と地上のサービスがこれだけ違うのも珍しい。


友人と再開  福建省里帰り(?)の旅

アモイでは知る人ぞ知る店で食べた茶沙麺

2泊の短い福建省滞在も終わり。
午後2時半の便で上海へ移動。

丸紅アモイ時代の同僚の、陳君と呉君がホテルに来て、空港まで送ってくれる。
昔の同僚と、こんな感じで友人関係が保てるのは嬉しい事だ。
丸紅香港在籍の11年半で、随分多くの人の繋がりができたものだ。
因みに、日本語が達者な陳君は、僕のブログを読んでくれていて、近況をよく分かってくれていた。

ちょっと早いので、アモイ名物茶沙麺を食べに連れて行ってもらう。
行ったのは、アモイで一番美味しいと、陳君が絶賛する烏糖沙茶面。
僕はこの店は初めてだが、インターネット検索していると、ブログで紹介している人がいて驚く。

朝~午後1時までしか営業していないそうで、陳君がオーナー(老板娘)に尋ねたところ、あくせく働きたくない(昼寝もしたいし、マージャンもしたい)ので、チェーン展開もしなければ、遅くまでもやらないらしい。
それはそれで、一本筋の通った生き方だ。

小さな店で、スープは一種類で具をトッピングする。
容器は使い捨て。椅子はスチール椅子。
簡素な店だ。

僕は、煮卵、海老、魚団子をトッピング。
真っ赤なスープだけど、アモイの料理なので、辛くはない。微辛。


食事を終えると、アモイ大学から海辺を回り空港に。
雨で、金門島はまったく見えない。
景色の良い場所なので、ちょっと残念だ。

金門島は、僕の研修生時代は、外国人は訪問する事ができなかった。
それが、台湾側から行けるようになり、遂に外国人でもツアーに参加すれば、アモイ側からも行けるようになった。
フェリーで60分の距離の様だ。
是非行ってみたい。

(雨で遅れが懸念されたが)上海行きの飛行機は、ちょっとの遅れで出発。

陳君、呉君ありがとう。
またアモイ行くから、一緒に飲もう!

アモイにきたからには海鮮だ! 福建省里帰り(?)の旅

魚を選ぶ水槽と伊勢海老の刺身

夜は宴会だ。
場所は海鮮料理の舒友。

ここは、アモイ発祥の海鮮料理屋で、今や上海にも8 店舗展開している。
上海の人の中には、寧波の店だと勘違いしている人もいる様だが、アモイ本店の店である。
アモイは6店舗ある様だが、場所によって値段が違う様だ(内装によって値段が違うとか)。
という事で、内装が念入りでない(比較的安い)店舗を選んでもらう。

蒸し魚と揚げシャコ

まずは水槽で魚を選ぶ。
シャコのガーリック炒めと、伊勢えびの刺身。
そして蒸し魚。
最初に香港で揚げシャコを食べた時、その大きさにびっくりしたのを思い出す。

地ビール(泉州のビール)を飲んで、次は白酒。
江西(九江)産の、「百年の孤独」という、焼酎の様な名前をした白酒。
人気でなかなか手に入らないものらしいが、それを飲ませてもらう(従業員から譲ってもらったものとの事で、「福利専用」の判が押してある)。
刺激がなくて大変おいしい。
白酒は一人で飲むには向かないけど、大勢で飲むと楽しい。

久々のスターフルーツが嬉しかった

最後はフルーツ。
スターフルーツを久々に食べる。
そう言えば、台湾研修の初日に、スターフルーツを出されて、「南国に来た」と強く感じたのを、今更ながら思い出した。

和やかで楽しい会食であった。
ちょっと白酒飲みすぎたけど・・・

尚、今日はkazuさんの結婚式。
リスケジュール前は、日程を合わせて参加する気満々だったのだが、今回(延期後)は残念ながら参加できず。
よって、アモイから祝福。

Kazuさん、ご結婚御目出とう。
お幸せに!


福建省里帰り(?)の旅 アモイの風は柔らかい

アモイの街並みとホテルの窓からの景色

お客様と一緒にアモイに移動。
福州からアモイは300KM程度。
東京都から名古屋までの距離なので、同じ省とはいっても移動に時間がかかる。
高速を飛ばして3時間半。
僕が研修生の頃(1989~90年)は、高速道路がなく6時間程度がかかったので、これも便利になったものだ。
中国の交通インフラの充実には目を見張るものがある。

因みに、福建省は山が多く、昔は地域間の交流も制限されていたので、方言が多い。
福州とアモイでは全く別の言語で、お互いに方言では会話が成立しない。
おまけに、途中にある甫田(福州から車で1時間くらい)はまた言葉が違う。

僕が研修生だった頃は、オフィスのスタッフが、福州人、甫田人、江西人だったので、方言ではスタッフ同士の会話が成り立たなかった。
そんな訳で、日本人も含め普通語のみで会話をしていたから、未だに僕は福州語もアモイ語もさっぱり分からない。

アモイに到着すると温かい。
そして、風が柔らかい。
風邪気味だったのが、アモイについた途端治った感じ。
アモイは福州とは全く違い、南方系の穏やかさと明るさがある場所だ。
僕にとっては、思い出の福州、住みたいアモイという感じか。

鷺江ホテルと420元の部屋

今回は、コロンス島の前にある鷺江賓館を手配してもらった。
研修生時代によく泊まったホテルだけど、すっかり改装されて奇麗になっている。
あと、海側の部屋だと、前の道の車のクラクションでうるさくて仕方がなかったが、少し前からクラクション禁止になっている様で、全く問題なかった。

イタリアンの店内とよく冷えた生ビール

チェックインすると、マルコポーロホテルの前にある、ママミアというイタリアンに。

アモイに滞在する時は、いつもマルコポーロに泊っていたので、この店(店の名前を記憶していないので、同じ経営だかどうか自信がないけど)には何回かランチに行った。

店を切り盛りしている女性がしっかりしてて、従業員教育も行き届いている。
大変居心地の良い店だ。
ちょっとビールを飲んでみる事にする。
福州は曇り空だったけど、アモイは良い天気。
窓辺の明るい席で飲むカールスバーグドラフトが大変おいしい。

ピザとアンティパスト

アンティパストを食べて、ピザを食べる。
ピザはカリッとして美味しい。
アンティパストの味は今一つだったけど、「まあ、そんな事はどうでもいいや」と思わせるものがこの店にはある。

満足。
昼だし、夜は宴席があるので、この程度しか食べられなかったのが残念だ。
次はパスタを食べよう。

窓の外には、西洋人がひっきりなしに行き過ぎる。
西洋人の居住地域が近くにあるのだろうか。
西洋人も、中国人も、皆な、ゆったりと歩いているのが印象的。
ゆとりのある生活をしている雰囲気。

そんな町を眺めて、束の間の幸せに浸るひとときであった。

福建省里帰り(?)の旅 思い出の都市福州

福州空港と馬尾の開発区

約1年半ぶりの福建省出張だ。
福州は2年以上ごぶさただ。

25~26歳の若い時期を福州で過ごしたので、福建省には思い入れがある。
まだ、お客様が福建省にいて、たまの訪問機会があるのは嬉しい事だ。

上海を2時に出発する飛行機で福州に到着。
飛行時間は50分。

思えば、上海から福州入りしたのは、1990年の研修生時代以来だ。
僕の研修生時代、実務研修地は福州、南京、青島に決まっていた。
その中で、当初、福州が一番行きたくない場所だった。
その理由は、海外とのアクセスが悪い事と、どの旅行ガイドブックを見ても紹介されておらず、情報が不足していたからだ。
なにしろ、当時は、上海、広州などから電車で福州に行くには乗り換えが必要。
日本との直行便はなく、香港行きのフライトは週に数本という状況。
おまけに、当時の飛行場は狭くて立地が悪く、着陸できない事が頻繁にあった。
なにしろ、研修生時代の僕は、1年で5回福州行きの飛行機に乗ったのであるが、その内2回、福州に着陸できず、上海に行ってしまった。
かなりの確率だ。

福州の町並み

それが、今では巨大な飛行場になり(その分、市街地まで車で1時間かかるが)、香港便は毎日数便、日本との直行便も飛んでいる。
隣のアモイはJAL, ANAも運行している。
時の流れは偉大だ。

まずは、馬尾の開発区で顧客訪問。
ここは空港と市街地の中間点にあるので、空港からは30分ほど。
打ち合わせを終えると、一緒に市街地に。

以前、1年暮した温泉大飯店(五四路)も訪問する。
やはり、以前暮した場所は今でも懐かしい。
夜は2組のお客様と一緒に、韓国料理を食べる。
肉を食べ、福州独特の小さなビールグラスで、乾杯を繰り返して平和な夜はふけていった。
明日はアモイ。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ