昨年9月の起業以来、香港、上海、広州に法人を作ってきたが、これで日本拠点を確保。
新会社は、ちょっと毛色の違う会社であるが、今後の僕のビジネス展開にとって、極めて重要な位置付けの会社である。
情報配信ツールの確保は、ここ数年の僕の念願だったので、その第一歩となる仕掛け。
新会社の社長は亀一こと杉山竜一に任せた。
個人出資も10%してもらった。
この一年で、僕が矢継ぎ早に会社を作ったので、「何故そんなに会社ばかり作るのか?」と質問される事が多い。
また、昨年9・10月、僕の会社がまだ1社(Mizuno Consultancy Holdings)しかない時は、「何故、1社なのにホールディングスなんですか?」とか言われたけれど、最初から、この拠点作りを念頭に置いていたから、というのがその答え。
上海・広州の拠点作りについては、
広州を上海の分公司にする。若しくは、香港の常駐代表所にする、という選択肢もあった。
効率からすると、その方がよいとの考え方もあるが、会社を動かすのは人。
僕と働く事を、迷わず選択してくれた部下たち(3~12年間、僕と一緒に働いており、その意味では、僕の遺伝子を引き継ぐ連中だ)に、これは、自分の会社だと思って貰えるようにしたかった。
だから、部下のいる拠点すべてを法人にして、出資をさせ、社長を任せようと思った。
上海、広州は、僕と長年働いてくれている部下を董事・副総経理にしているが、近い将来、董事・総経理にするつもり。
それが、全てを法人にした理由である。
だから、今後も、即戦力となる人間を、高給と高待遇で採用する事はしない。
あくまでも、僕と苦労して戦ってきた部下たちに、会社作りを任せたい。
そして皆な、その想いに応えてくれると思う。
因みに、合弁会社の「チェイス・チャイナ」というのは、亀一と僕が、沖縄料理の「ちゅら」で昼食を食べている時、亀一がタンシチューを食べながらふと思いついた名前。
僕は、「チャイナ・ビジネスコンテンツとか、そんな名前がいいんじゃない?」と言ったのであるが、社長をやる人間の意見に従った。
今の社名を聞いた反応は、大薗さんも、僕も、「チェース・マンハッタンみたいだね」というものだったが、この銀行名は、10年近く前に無くなっており、亀一は、その銀行名自体知らなかった。
ともあれ、昔から、社長になりたい、社長になりたいと言っていた亀一が、とうとう社長になった(年齢的にはかなり早いが)。
僕の夢を実現する為に、極めて重要な仕組みとなるのがチェイス・チャイナ。
これを基軸にして、どんどん、仕組みを作っていく。
提携、新規商品開拓を絶えず仕掛けていく予定だ。
自分の持分を減らして、39%出資にしてまでも、効果の極大化を目指した事は、その思い入れの表れだ。
この僕の想いに、どんな答えを出してくれるのか、新米社長の腕前を拝見したい。