人の運命というものは(振り返ってみると)

運、縁というのは不思議なものである。
僕が中国に関係しているのは、大学浪人した時、代ゼミの書籍部で「多久の漢文王国」という本を買って読んだからだ。
この一冊で、すっかり中国に興味を持って、大学に入った途端、中国の勉強を始めたが、浪人していなかったら、若しくは、この本を読んでいなかったら、中国に興味を持つ事はなかったろう。
そもそも、現役時代の受験は、二つの学部で、1問差で不合格となった(補欠)。
一つの学部では、失敗した1問も記憶に残っている(狩野正信と狩野元信を間違えた)。
最初に書いた回答を、消して書きなおしたら間違ってしまったのだ。
あの時消さなかったら、今頃僕はどこにいるのだろう。
少なくとも、第二外国語はドイツ語を申請していたので、中国にはいなかろう。
僕の人生を変えた一問、そして一冊。

また、会社に入り、中国実務研修から帰る時に経理部に配属されたが、これも偶然だ。
僕が知っている限りでも、営業部3つと、研修前の所属部(外国為替部)から引きが有ったので、その何れかに行くのだろうと思っていたら、思いもしない経理部だった。
あとで分かった事であるが、僕の配属が決まる少し前、北京事務所の経理担当駐在員が、テニスでアキレス腱を切って、急遽帰任になってしまった。
その後任探しが難航した事もあり、中国総代表から中国対策を立てろと厳命された経理部が、僕を獲得した訳だ。
「当時の経理担当が、テニスをしなかったら、僕は営業部に出て、コンサルティングを始める事もなかったわけだ」。そう考えると不思議な気分だ。
そんな事を考えていたら、数年前に、香港で酒を飲んでいた時、1990年代に北京事務所に駐在していた人間が、「冬の日曜日にAさん(当時の経理駐在員)とテニスをして、いつもだったら強い球を打つんだけど、ふとボレーを上げたら、Aさんがスマッシュを失敗してアキレス腱切っちゃった。そして、赴任半年で帰国になった」、と言っていた。
それを聞いて驚いた。
この人が、ロブを上げていなければ、今僕は違う場所にいる訳だ。


ただ、経理に決まった当時は、不満で仕方なかったが、今振り返ると、全ての選択肢の中で、経理に帰任したのが一番良い道だった。
僕を引いてくれた営業部は、全て部が無くなってしまっているし。

そして、1997年の香港駐在も、(駐在後に知ったのだが)ニューヨーク駐在がひっくり返って香港に変わったものだ。更に、丸紅を退職したのも、かなりの偶然の産物だ。

今、振り返ると、大学も結果として浪人した方が良い結果となっているし、配属、駐在もまたしかり。
あの時、狩野正信を消していなかったら(狩野親子、紛らわしい名前で有難う)、当時のテニス相手が、ロブではなくパスを打っていたら、僕が本を書く事も無かったし、水野コンサルタンシーも無かった訳だ。

そう考えると、強い運命の手に、引き寄せられている様な気がする。
そして、一番好ましい選択に繋がっている。

ただ、浪人が決まった時、配属が決まった時は、泣いて悔しがっていた。
あれが、実は良いカードだったと分かるのは、努力して、そして何年も経ってからなのだ。
人生というのは難しく、そして面白い。