昨日の朝は、ブログで書いたようなパスポートトラブル。
一昨日の朝は、横浜での面談のため、東京を出発すると、人身事故で、東海道線と京浜東北線が不通というトラブル(これだけ頻繁に人身事故が起きている訳なので、安全対策にもう少し本腰を入れてほしい所だ)。
日本では2日連続で焦ったが、今のところ、無事に切り抜けている。
順調だ。
こういった細かいトラブルが多い時は、不思議と業務が順調だ。
モチベーションを上げて、午後の面談に臨もう。
昨日の朝は、ブログで書いたようなパスポートトラブル。
一昨日の朝は、横浜での面談のため、東京を出発すると、人身事故で、東海道線と京浜東北線が不通というトラブル(これだけ頻繁に人身事故が起きている訳なので、安全対策にもう少し本腰を入れてほしい所だ)。
日本では2日連続で焦ったが、今のところ、無事に切り抜けている。
順調だ。
こういった細かいトラブルが多い時は、不思議と業務が順調だ。
モチベーションを上げて、午後の面談に臨もう。
オフィスビルに到着したのは6時50分だが、商業施設で、この時間はまだ空いていない。
非常出入り口を探し、警備員の方に頼み込んで中に入れてもらう。
7時20分には、パスポートをピックアップ。
交通手段を迷ったが、リムジンで行く事を決めて、大通りに出てタクシーをつかまえ、7時45分YCAT発のリムジンに乗る事ができた。
さすがに今回は乗れるとは思わず、(ディスカウントチケットで、変更がきかないので)どう対応しようか、考えながらの移動であったが、成田エクスプレスの代金も、乗車券部分は払い戻してもらえ、殆ど費用的なダメージもなかった。
親切な方々(警備員やタクシー運転手の方々)に感謝。
因みに、毎年約80回飛行機に乗る生活を続けているが、飛行機に乗り遅れた事は、いままで一度もない。
一年半ほど前に、虹橋と浦東空港を間違えて、大慌てでタクシーを飛ばした事もあったが、なんとか間に合ったし。
日本でも中国でも、トラブルがあると、周りの人たちが親切にしてくれ、切り抜けている。
世の中有りがたい。
ただ、今回、ドタバタではあったが、25歳の時に、シリアでパスポートを紛失した時に比べれば、単に費用の問題なので、気分は楽だった。
何事も経験。
大変な経験をすれば、かなりの事には動じなくなるものだ。
昨日は都内で面談3件。
18時半からクライアント企業様と、丸の内で会食。
一緒に会食させて頂いた方は、人事異動1か月という、心身ともに疲弊する時期。
お疲れのご様子にて、21時前にはお開きとなった。
東京駅(丸の内口)で散会し、改めて夜景を眺める。
この場所に立つと、1987年の新入社員の頃を思い出す。
あの頃は、恒常的に残業していたので、丸の内の夜景はなじみ深いものだった。
ただ、今はあの頃より近代的で、お洒落だ。
随分変わった。
それでも、この夜景を眺めると、20代の頃を思い出す。
同期より上に行きたいと、歯を食いしばって残業していた頃の自分が目の前に浮かび、ふと懐かしい気持になった。
あの頃から26年が経過。
随分時間はたったけど、社会、人生との格闘は継続中。
<この先4か月の講演会予定(詳細は追ってアップします)>
5月22日(広州)、24日(香港)
6月5日(上海)、20日(東京)
7月18日(大阪)、19日(東京)、23日(東京)、30日(東京)
8月5日(東京)、27日(東京)
ここしばらく、過密スケジュールもそうだが、日本、中国共に、相手の悪い所をあげつらい、対立を煽るような政治、報道状況にうんざりして、ブログを更新する気も失せていた(言いたい事が有りすぎ、言うと批判になりそうであった)。
ただ、自分は自分の役割を淡々と果たしていこう。そして、ブログも日常をそのまま書いていこうと考えた。
それが、このブログを始めた趣旨であり、淡々とした日常から、見えてくるものもあるだろう。
ともあれ、今週は、日本(東京)、上海、蘇州と移動し、14件の面談予定。
自分の責任をしっかりと果たしていこう。
一昨日の事。
成田到着後、横浜で会食。
ここ数年、何故か寿司、刺身にはまったく興味がかった(食べたい気がわかない)が、その日は、ともあれ、おいしい刺身が食べたかった。
飛び込みの日本料理屋に。
鯛の刺身、アサリのワイン蒸し(酒蒸しと選択可能)、地鶏の岩塩焼き、エビのすり身の春巻きなどを食べ、日本酒を飲む。
刺身の鮮度がよく満足する。
〆はとろろ月見そば。
ただ、日本で食事をすると、美味いが高い。
為替が下がっても、まだ割高感がある。
美味しいので仕方がないが。
上海、香港の生活の方が長いので、その物価水準に慣れてしまったからであろう。
因みに、上海では3日連続90分のマッサージをしたので、体がちょっと軽くなった。
マッサージは上海でやり溜める感じである。
また、1997年~2006年には、香港の現地法人内の管理費の配布金額とルールを僕が決めていたので、配布される側になった時、後任の財経担当に、「管理費高いよ」と言うと、「水野さんが決めたルールを元にしていますが」と言い返される事になる。
これはなかなか辛いものがあった。
管理費負担金とは、人事総務、審査、法務、運輸、財経等の機能の利用対価と位置付けられる。
つまり、営業の人間が、業務に特化できるために支払う費用という訳だが、僕の在籍最後の年(2008年)は、確か、年間4千万円弱の負担額であった(香港・上海合算)。
負担金は、組織割・人頭割の併用で決めていたが、駐在員1名いると、1千万円程度の負担が必要になるので(その他、組織やスタッフの人数に対しても賦課される)、こんな金額になった訳だ。
何もしなくても(居るだけで)、年間4千万円取られると、利益を上げるのが非常に大変だ。
自分で独立して、すべて外注すると、年間200~300万円で対応できてしまい、その安さに驚いた。
一般的に、外注価格は内部価格(管理費)よりも安いものだが、僕のケースにおいては、会社の運営形態も、金額の激変に大きく関係しているのだが。
当時の管理費負担金は、当然ながら商社のビジネス体系に基づいて計算方法が設定されていたので、与信管理、資金調達、運輸、受け渡し等が、重要な管理機能として絡んでくる。
この中身を見ていくと、総務、人事、経理、審査、法務、運輸などは、管理部門人員の経験、ノウハウの対価であるため、人件費をはじめとするコストが主たる要素となる。
一方、資金調達は、大企業であるが故に、当たり前の様に借入ができる訳なので、これは財務部の人間コストとは、ちょっと違った価値がある。
本来の営業活動である、調達、販売、投資というのも、会社の看板が重要な影響を与える。
つまり、従来型の商社ビジネスは、本社の看板が有ってできる面が強く、管理費は、会社の信用という、無形資産の使用対価を含んでいるから高い訳である。
一方、僕のビジネス形態では、まったくそれらが不要だ。
当時、資本金は手つかずで、期間利益分の現預金が増えている状況(借入不要)。
与信も取らない(限度額審査が不要)、物流関係のアレンジが不要という状況の中、他の営業部と同じ基準で配布額が決定されると、当然不公平感がある。
この様に、有無を言わさず払え、というのでは、逆に不公平となるので、営業部の活動形態に合わせて、管理費の計算を変えよう(経理、財務、審査etcの、どの機能をどの程度利用しているか)という試みを、僕が経理時代にした事がある。
ただ、これは労多くして功無し、として却下された(それ以前に、計算に恣意性が介入しがちで対応が難しい)。
また、管理費削減の観点から検討すると、かかった経費を自動的に配布すると、合理化努力がおろそかになるので、どうしても割高になってしまう。
これを根本的に解決するには、管理部門の別会社化・独立採算化しかない訳で、僕は、20代の頃からこれを主張していたが、さすがに、これには賛否両論が付きまとう。
会社の中が、金を稼ぐ部隊と内部管理の部隊に分かれると、必然的にこの様な問題が生じる。
古くて新しい問題である訳だが、根本的な解決は難しい。
あり余る収入があれば、こんな話は問題にもならなくなるのだが。
昨年よく乗った、東方航空格安便を、7~8か月ぶりに使ってみた。
久々に使うと、この価格は魅力的で、また使おうと思ってしまう。
香港⇒上海⇒日本⇒上海⇒香港という4回で、(21日前までに申し込んだ事もあり)HK$ 1,900。
空港税などを含めても、HK$ 4,000しない。
これで、(香港を基軸に考えれば)上海2回、日本1回の出張がこなせてしまう訳だ。
僕は月6回飛行機にのるのが標準的な生活だが、旅費を使ったからには、旅費+αの目に見える成果は上げたいと考えるので、飛行機代が安くなると、業務上のプレッシャーが少し軽くなる気がする。
本当は、これで手綱を緩めてはいけないのだが。
相変わらず、Tシャツ、Gパンの西洋人や、観光客っぽい乗客が多い。
機内食は、不味そうなので食べなかった。
しかし、安さは何よりの魅力だ。
退職は、何度も書いたが、安定した収入と、自分のやりたい事の二者択一の結果であり、後悔した事は、一度もない。
ただ、自分のやりたい事の中には、僕を信頼してくれるクライアント様や部下を裏切らない、という事も含まれているので、そのプレッシャーがないと言えばうそになる。
今では、自分の生活だけでなく、25人の給与を払い続ける(生活に責任を持つ)必要があり、20年後、30年後も会社が隆々としている様に、責任を持って運営していかなければいけない。
とは言え、これは会社員のままであっても同じ事だろう。
結局、どんな選択をしても、人生は苦しい。
年齢と共に、責任が増すのは誰でも同じ。
ただ、苦しみの先に喜びがあるから、人は頑張るのであろう。
人生は苦しく、そして素晴らしいものだ。