深夜の帰宅

PCR検査が陰性と出てからの移動なので、香港の家に着いてのは0時近くだ。隔離場所に到着する時点で、ほぼ隔離初日が終わっている形。
ともあれ空腹だ。機内食以降、空港でもらったビスケット以外、何も食べていない。
隔離期間中の食料を、部下の水嶋さんが買って、家に運び入れてくれていたのを確認。

これだけあれば十分だ。冷凍庫の中の、冷凍ゴボウやオクラが、この時は、「食べるかな?(おそらく食べない)」と思ったのだが、後日、大変な威力を発揮することになる。

水も5ℓ入りが10本あるので、十分な量だ。

ともあれ空腹に耐えかね、サッポロ一番味噌ラーメン・旨辛というのを食べる。気分的には、どストライクの選択であった。

そんなこんなで就寝。

成田から香港に出発

2020年9月27日。朝8時5分のリムジンで空港に向かう。今まで見たこともないような、人のいない空港。

飛行機は、当たり前のように、欠航便ばかり(写真が小さいが、赤く表示されているのが欠航便)。

取りあえずは、JALのラウンジに行く。4人掛けの席は、3席が使用禁止で、1席だけ使える状況。それでも、ガラガラ。醤油ラーメンを食べる。量が少なくてよい。以前は、豚骨ラーメンだったので、豚骨が苦手な自分は食べなかったが、醤油になったのがうれしい。

歩いて、63番ゲートに向かう。店は閉まっている。免税店はやっていないのかと思っていたら、香港到着後(拘束中に)、成田の免税店の袋を持っている乗客が数人いた。どこかでこじんまりとやっているのであろう。



飛行機は定刻で出発。ビジネスクラスの乗客は二人。担当の客席乗務員の方(三人)より少ない。こんな経験は初めてだ。

離陸して、比較的早く食事が出てきた。午前11時頃だろうか。まずまず美味しい。

朝、(小さいながらも)醬油ラーメンを食べたので、ご飯を少し残す。ただ、この時は、この食事後、12時間以上食事ができないとは、予想もしていなかった・・・

成田空港に(日航ホテル成田で前夜泊)

2020年9月27日に香港帰任だ。上海の前に、まずは香港。
JAL・香港は週一便。朝便(9時50分発)なので、前日は成田に宿泊することにした。日本滞在が長引いたが、仕事場=いるべき場所に戻るので気分は爽やかだ。ちょっと、ジーンとくるが。
過去23年間、何時も旅の中に身を置いていたので、別れも無かった。これだけ長い時間、一か所に滞在すると、別れの寂しさを感じることになる。ただ、再会の嬉しさも、色々な場所である筈だ。日本には、半年後に、一旦、戻る予定。

取りあえず、焼き鳥にシャンパンだ。日本酒「真澄」の300mlボトルも売っていたので、受け狙いでそうしようかと思ったが(気分的には、却ってそちらが好ましかったが)、気分を奮い立たせるべく、シャンパンにした。

成田エクスプレスは、自分の乗った車両は乗客が2人。トイレに行くついでに他の車両を見ると、一車両3~4人という感じだ。時節柄、苦戦を強いられるが、如何ともしがたい。

ホテルに到着すると、マッカラン18年と山崎12年という、好きなウィスキーを飲んで就寝。

さて、帰任だ

明日の便で香港帰任。明日から隔離生活の開始だ。
その後、10月下旬に上海に移動して、隔離&居住を開始。

香港の14日間隔離は自宅なので問題心配はない。部下の水嶋さんも、大量の食料品を運び込んでくれたし。少々心配なのは、上海での7日間ホテル隔離だ(その後の7日間は自宅)。とは言え、気分は爽やかだ。やはり、仕事の場所に戻れないストレスが少なからずあったのであろう。
隔離対策用に、フリーズドライフードとカロリーメイトを購入。最近の携帯用食料の進化は素晴らしい。これだけあれば、隔離も問題なしだ。

色々な事を考え、将来の布石も打てた日本滞在だった。
全てが収束し、後で振り返ったら、きっと、「散々だったが、最高の一年だった」と思うことだろう。
無駄にした時間ではない。大切なことが十分できた。思い出に残る一年だ。

ともあれ、世界情勢は激動の中にある。自分の持ち場で、頑張ってきます!

中国における外国人再入国規制緩和(招聘状・ビザ免除)の補足

先ほどアップした掲題の件ですが、公告では分からないのは、「居留許可が有効期限内に有る場合は良いのだが、期限が切れている場合はどうなるか」という点。
それに関して、本日午前(9月24日午前)に、当社上海・広州より、上海市出入辺防検査総站・広州市外事弁公室にヒアリングし、それに基づく会報を配信したので、同じ内容を、ご参考まで、ここでもアップします。
結果、「詳細は国によって異なるので、該当地の大使館・領事館(つまり、在日本中国大使館)で確認してください」、という回答で、それ以上の回答が得られなかったのですが・・・
ともあれ、規制緩和のトレンドには入っているので、国慶節明け後に動き出すのではないかと、個人的には考えています。

中国における外国人入国規制緩和(招聘状・新規入国ビザ免除)

2020年9月23日に、中国外交部・国家移民管理局から、以下の公告が公布され、2020年9月28日より、外国人の入国規制が緩和されます。
<公告の内容>
● 2020年9月28日0時より、有効な居留許可証(就労類、私的事務類、家族居住類)を持つ外国人の入国を許可する。新たに、入国用のビザを申請する必要はない。
● 居留許可証の期限が切れているが、中国訪問の目的が変わらない場合、期限切れの居留許可と関連書類を持って、中国大使館・領事館で相応のビザを取得すれば入国が認められる。
● 2020年3月26日の公告で定めた、その他の措置は継続する。

当該公告に基づく実務対応を、本日(2020年9月24日・午前)広州市外事弁公室、9月25日に上海市出入辺防検査総站にヒアリングしましたが、回答は、双方以下の通りでした。
1)有効な居留許可証(就労類、私的事務類、家族居住類)を保持している外国人は、9月28日0時から、居留許可証に基づき、中国に入国することができる。入国のための新規ビザの申請は不要となる。
2)居留許可証の期限が切れている場合(但し、再渡航の目的が従来と変わらない場合)は、各国の中国在外公館で、以前の居留許可と関連資料を提出してビザを申請できる。但し、ビザ申請の手続きや必要書類は、国によって異なるため、招聘状の要否を含めた詳細は、各国の中国在外公館にヒアリングしてほしい。

以上の通り、居留証が有効な場合は、特段の手続無しに入国が可能になりますので、大きな制限緩和となります。因みに、有効な居留許可を有する外国人の入国要求は、2020年3月28日以降、以下の通りとなっています。
(3月28日より)招聘状・入国のためのビザ申請が必要⇒(8月22日より)招聘状免除・入国のためのビザ申請が必要⇒(9月28日より)招聘状・ビザ共に不要。居留許可に基づき入国可能。

一方、問題となるのは、居留許可が、2020年3月28日以降に期限切れとなった場合の手続ですが、公告には、この場合の招聘状取得要否は明記されていませんし、広州市外事弁公室でのヒアリングも、明確な回答は得られませんでした。
何れにしても、居留証期限が切れている場合、再入国のためにはビザの申請が必要となりますが、それに際しての招聘状取得要求は、以下の経緯となっていました。

<ビザ取得時の招聘状要否の経緯>
Mビザ・Zビザの新規取得に関する招聘状の要否は、2020年3月27日までと、3月28日以降で、以下の様に変更されています。
その上で、今後(9月28日以降)の対応は、現在、明確になっておらず、詳細は、在日本中国大使館・領事館で確認する必要があります。

● Ⅿビザの申請
2020年3月27日までは、Mビザを取得するために必要となる招聘状は、中国国内の貿易相手が発行する、商務活動書類、経貿交易会の招聘状でした。つまり、政府機関ではなく、中国内の企業が発行した招待状で、申請が可能でした(但し、数次ビザの場合は、地方の外事弁公室・商務主管部門が発行した招聘状が必要)。
それが、3月28日以降、省級人民政府外事弁公室、若しくは、商務庁等の機関が発行した招聘状が要求される様になりました。

● Zビザの申請
2020年3月27日までは、Zビザの取得に、招聘状は不要でした。
それが、3月28日以降、外国人工作許可通知、赴任所在地の省級人民政府外事弁公室、若しくは、商務庁等の機関から招聘状の取得が招請されています。
この招聘状の取得が難しく(Mビザも同様)、ビザ取得の障害となっていました。

今回の規制緩和措置の趣旨からすれば、居留許可期限が切れている場合でも、元の居留許可と関連書類に基づき、在外大使館・領事館で、ビザ申請が可能となる期待がありますが(外国人工作許可通知、招聘状などは免除)、この点については、現時点では明確な回答が得られておらず、在日本中国大使館の方針に従う必要があります。

中国入国規制緩和

明々後日に香港に移動。もう少しだ。不思議なもので、精神的には安定してきた。やはり、仕事場にいないストレスというのが有ったのであろう。そして、10月下旬に上海移動する。上海居住の開始だ。
ということで、久々の渡航準備で慌ただしい状況だが、以下の通知が公布された。中国に戻れずに困っている人が多いようで、ご相談も多々頂くが、これで状況が改善すると思われる。

中国外交部・国家移民管理局から、以下の公告が公布された。内容は、以下の通り。
1)2020年9月28日0時より、有効な居留許可証(就労類、私的事務類、家族居住類)を持つ外国人の入国を許可する。新たに、入国用のビザを申請する必要はない。
2)居留許可証の期限が切れているが、中国訪問の目的が変わらない場合、期限切れの居留許可と関連書類を持って、中国大使館・領事館で
相応のビザを取得すれば入国が認められる。
3)2020年3月26日の公告で定めた、その他の措置は継続する。

――――――――――
中华人民共和国外交部、国家移民管理局 《关于允许持三类有效居留许可外国人入境的公告》

根据当前新冠肺炎疫情形势及防控需要,现对2020年3月26日外交部、国家移民管理局联合发布的《关于暂时停止持有效中国签证、居留许可外国人入境的公告》部分措施调整如下:

  自2020年9月28日0时起,允许持有效中国工作类、私人事务类和团聚类居留许可的外国人入境,相关人员无需重新申办签证。如外国人持有的上述三类居留许可于2020年3月28日0时后过期,持有人在来华事由不变的情况下,可凭过期居留许可和有关材料向中国驻外使领馆申办相应签证入境。上述人员需严格遵守中方防疫管理规定。

  3月26日公告其他措施继续实施。中方将在确保防疫安全前提下,逐步有序恢复中外人员往来。

  特此公告。

中华人民共和国外交部
国家移民管理局
2020年9月23日

東京駅で寿司を食べる

帰任まで、あと一週間。俄かに慌ただしくなってきた。眼鏡を作り、目薬を半年分医者にもらいに行き、(これはちょっと前だが)PCを買い。そして、壮行会を開いてもらい、等々。最後の一週間は、実家でおとなしくしようと思うのだが。そんなある日、丸紅時代の先輩高橋さんに食事をおごって頂いた。

高橋さんとは不思議な縁で、最初は、1989年の福州赴任前に、打ち合わせをして頂いた。その時は、10分程度の軽い挨拶だけなので、高橋さんは覚えておらず。その後、1991年の冬休みに深圳に遊びに行った時、ちょうど駐在していた同期S君から、「変圧器(5Kgの重量)と宮沢りえの写真集(サンタフェ。ずいぶんでかい作りであった)を持ってきてくれ」と頼まれた。「はた迷惑なお願いだ」とは思ったが、やむを得ず、出発の前夜、残業が終わってから、0時まで開いている書店に行き購入。重くて(変圧器)でかい(写真集)荷物を抱えて、台湾、香港経由で深圳に入ったが、それが、まんまと羅湖税関に見つかった。パスポートを取り上げられ、別室で調書を延々と取られ、2時間後にようやくたどり着いたオフィスで、「お前のせいで!」と怒り心頭でS君に食って掛かろうとしたら、そこに高橋さんがいたという過去がある。

因みに、その時の写真集に付いては、「これは芸術品だ」と主張し、それをベースに議論を展開した結果、最後は、「お前の主張は認めてやる。但し、法律で中国には持ち込めないから、出る時に返してやる」と預かり証を渡された。とは言え、議論に勝った嬉しさなど微塵もなかったので、「俺はもう関わりたくない。お前が引き取れ」と、S君預かり証を渡して終わらせた。
あとで知ったら、サンタフェは、香港で購入できたようで(その同期は、毎週月曜日、香港で開かれる朝会に出席していた)、後日S君に、「わざわざ俺に持ってこさせるな!」と言ったら、「ごめん。水野だったら、何とかしてくれると思って」と切り返された。
参ったものだが、今では、懐かしい思い出だ。
ともあれ、その時は、ちょうど居合わせた出張者の高橋さん(当時北京駐在員)に、四川料理をご馳走して頂き、何て良い人なんだと感謝していたら、数日後には、水野が写真集で捕まったらしいぞと、尾ひれ背びれが付いた噂が、北京事務所で広がっており、ぎゃふんと言ったものだった。そんな出会いであったのだが、6年後には香港駐在で一緒。その後、高橋さんは丸紅広州の社長になったし、僕も丸紅広州を兼務していたので、楽しく、一緒に働かせて頂いた過去がある。仕事での困難を一緒に乗り越えた経験もあるので、大変懐かしい。

さて、会場は、適当に選んでくれと言われたので、東京駅八重洲口にある鉄鋼ビルの「いぶき」という店を選んだ。インターネットで選んだので、あまり期待していなかったが、良い店だった。刺身も美味いし、日本酒の品ぞろえが、完全に僕好みだ。

ほどほどに終わらせるつもりだったが、22時まで、昔話を主体に、楽しく盛り上がった。

早稲田にて会食

9月12日(土)に、早稲田でゼミの後輩二人と会食した。
自分が入っていたゼミは、非常におおらかで、週一回参加して(時間の延長は無し)、特段の研究発表もなく、20枚の卒論を提出するだけで優をくれた。合気道に明け暮れていた自分は、これ幸いと、全く勉強をしなかったので、ゼミの中では非主流派であったが、それでも、有難い事に、何人かの人間関係は続いている。その絡みの飲み会だ。

飲み会が決まったのは、2~3か月前。同期で連絡が有る人間は、3人だけだが、一人は北海道、一人は大学の教師で、学会関連の仕事で来れず。もう一人は、辻堂に住んで、健康的な生活(夜9時に寝て朝4時には活動を始める生活)に目覚めてしまったので、飲み会には全く参加せずという状況なので全滅だ。まあ、自分も、過去に海外居住を理由にして、殆ど参加していなかったので、他人の事を言えた義理ではないのだが。
因みに、健康的な生活に目覚めたのは、上海華鐘の古林代表の半生記を書いた山田精機という男だ。不思議な縁もあるものだ。

さて、会場は、早稲田の小糸ちゃんという店で、声をかけてくれた野村君の行きつけ。女将さんが釣り好きで、釣ってきた魚を出しているようだ。日本酒も、種類は、それなりに限定されているが、久保田万寿が、一合1,000円で飲めるという、学生価格の店(学生は万寿は飲まないか?)。

魚が売りの店なので、最初は船盛を頼み、茄子のベーコン炒め、タケノコを食べる。竹の子が素晴らしい。

あとは、冷やし鳥(コラーゲンたっぷりということで、ここの名物らしい)と松茸(美味しいが、悲しいほど小さかった)。料理はこんな感じで、日本酒(上喜元の吟醸)を8合と、ビールを2本飲んで、2万円程度。学生街は安い。
野村君から、「水野さんのFacebookを見ていると、遊んでばかりいる様ですね」と言われたが(失礼な!)、ともあれ、実家籠りも、あと2週間。やっと帰任となるので、日本の皆と会えるのは、来年の春くらいか。
和やかな飲み会であった。

講演後、バー・ムーティエに

オンライン講演会が無事終わったので、丸紅の先輩のバーに移動。空が良い感じで青い。

丸紅時代にお世話になった先輩(丸紅北京、香港の社長などに就任)が、銀座でバーを開いたのは数年前のこと。新型肺炎の関係で、安心して飲んでもらえるよう、店を拡張したということなので、香港・上海に戻る前に訪問する事としたもの。

実は、代金は先に払い込んである。シャンパン(モエ・エ・シャンドン)、3時間飲み放題、ディナーチケットという内容。
半年間両親と一緒だったので、あまり高額な物を買うと、母親から「勿体ない!」と突っ込みが入る。自然と、シャンパンも半年間で一本しか飲んでおらず(父の日にブブクリコを飲んだだけ)、スパークリングワインばかりだったので、久々に飲むと、美味しいものだ。たまに飲む、がポイントだな。

バーは、前と比べて随分広々としている(銀座二丁目から新橋三丁目に移転)。まだ、準備期間の様なので、特別に、入れてもらった感じ。料理は、中々美味しい。

オーナー(先輩)が、元双日香港社長、元住友商事香港社長と一緒だったので、ご挨拶の機会も有って良かった(元双日香港社長の方とは、久しぶり)。

そんなこんなで、夜9時半頃まで飲んで帰宅。

オンライン講演会

9月10日は、日本在外企業協会主催のオンライン講演会。3月4日に当座最後の講演会を開いてから、4カ月ほど沈黙していたが、その後(最近2か月弱で)動画配信を開始して、8回分を収録したり、グラントソントン主催セミナー(オンデマンド形式)に登壇したりと、徐々に、調子が戻ってきた。とは言え、ライブのオンライン講演は初めてなので、少々楽しみ。京橋の日外協オフィスに向かう。
午後3時開始の講演なので、まずは、途中でチャーシュー麺。大変、古典的で、僕が好きなラーメン。

午後2時に到着。30分ほど、ざっくばらんな意見交換をして、30分間準備。こういう舞台となるのかと興味深く撮影。

テーマは、米中貿易摩擦、それに伴う香港の位置付け、グレーターベイエリア構想、海南自由貿易港について。最近話題のテーマを、ぎゅうぎゅうと織り込んだ感じ。友人の劉新宇弁護士が、日外協もコーディネーターを長年務めているので、今回の講演は、彼の依頼。ここ主催の講演会は、2回目か3回目だが、何年振りだろう。4~5年振りではないか。

2時間の講演会ながら、僕のパートは、80分&質疑応答。併せて90分ほど。楽しく話せた。ZOOM講演で、聴講いただく方々の顔は見えないのだけれど、それでも、オンデマンド方式よりは臨場感があり面白い。

満足して、宴席場所の新橋に移動。