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セミナーの状況報告

セミナー会場

開催から一週間が経過してしまったが、忘れないように28日の上海セミナーの状況報告。
会場はこの様に横長の部屋(手前一列は写っていない)。
これで定員200名ちょっと。
400名収容の部屋を借りる事も考えたのだが、その場合、ホテルのメインボールルームになり、舞台の上から話す形になる。
昔は、こんな感じで、大きな会場で話す事に達成感を覚えた事もあったが(花園飯店のメインボールルームには、以前は強いこだわりが有った)、今はそうは思わない。
大会場、特に、舞台の上から話す方法は、聴講の方との一体感が損なわれる(質問も出ないし、講演会後の連絡もあまり頂けなくなる)為、なるべく、物理的に同じ目線になるような会場を使用している。
その意味では、横長という、微妙な使い勝手の悪さを除けば今回の会場は良かった。
中国でセミナー会場を探すと、どうしても横長設計の部屋が多く、これは致し方ない事かもしれない。
因みに、今回使用したTKP上海南京西路カンファレンスセンターは、今まで使用した事が無く、新沼さんが飛び込みで探してきてくれた場所だが、使い勝手もスタッフの方の対応も非常に良かった。
次回のセミナーでも使用すると思う。

打ち上げの状況

当日は、7時半に家を出て、会場には8時半に到着。
朝の部の受け付けは9時半。開演は10時。
前日は0時頃寝たのだが、気が昂ぶって朝4時過ぎに目が覚めた。その後寝付けなかったので、4時間睡眠。午前の部は眠さとの戦い。
緊張感が有るので乗り切れるのだが、13時に午前の部を終えて、控室(空いている会議室)で弁当を口に押し込んだら、椅子に座ったまま一瞬で意識を無くし眠り込む。
後で、新沼さんが、「寝ている姿が地蔵の様だったので、声を掛けませんでした」と言っていた。
午後の部は14時から受け付け開始。開演は14時半。
喉は辛いが、1時間の睡眠で、体力は少し回復しており、問題なく乗り切れた。

すべて終了したのは18時。
一旦、ホテルに戻ってから打ち上げ。
場所は天山路のころり。
5年ぶりくらいの訪問(てとて、おぶうにはたまに行っているのだが)。
皆疲れ切っているので、そそくさと終わってしまったが、セミナーの無事終了をお祝い。

翌日は腰が痛く、終日唸っていた。
6時間のセミナーは、過去に何度もこなしているので、自信を持って臨んだのだが、この程度で体調に支障をきたすとは。昨今の運動不足を反省するばかり。

回復基調

年初より、自分に負担をかけながら仕事をしてきたが、その疲労が蓄積し、先週の講演会(28日)終了後は、精神的・体力的に、疲弊しきっていた。
その後の数日間は、睡眠確保を優先し、意識的に目先の仕事だけをこなすようにしたため、回復基調に転じた気がする。
長い間、自分を追い詰めながら仕事をしてきた疲れの蓄積はあるのであろう。
この10年を振り返ってみると、一番苦しかったのは間違いなく独立起業時だが、それに次いで、苦しい状況かもしれない(起業時の苦しさは、今とは全く比較にならないものであったが)。
この2日間、今の辛さはどこから来ているかと考えていたが、次の目標が定まっていない事が、大きな理由ではないかと思い当った。
独立企業して5年半。思えば、起業時に思い描いていたイメージ(具体的な目標)は、全て実現した。それは有りがたい事だけれども、次の目標が定まっていない事で、自分はまだ伸びていくんだ、という強い気持ちが薄れ、閉塞感に繋がっている気がする。
それに思い当たると、同時に次の目標が胸に浮かんだ。
おそらく5~10年がかりとなるであろうが、頑張れば達成できる。

起業時に僕に付いてきてくれた部下たちは、この5年半で随分成長して、総経理らしくなってきた。起業後に採用した社員の何人かは、中堅社員として独り立ち寸前だ。
会計税務の資格・知識がある社員が参加した事で、上海・深圳に財務諮詢公司も作れたし、松本顧問の様な市場戦略経験が豊富な方も参加して、業務に幅が持てる様になった。
次のステップに入るべき時だ。
そう思うと、目の前が開けてきた気分になった。
まだ、次の目標のイメージが湧いてきただけなのであるが。

講演会御礼・疲労困憊

まずは、お礼から。
28日(月)の上海講演会は、400名様のお申し込みを頂きました。
会場収容人員いっぱいでしたので、若干窮屈で申し訳ありませんでしたが、ご清聴誠に有難うございました。
今後も、定期的な講演会を開催し、オンタイムな情報提供を心がけます。

その後の状況。
28日の講演会が2コマだった事から、実質6時間、立ちっぱなしの状況。
過去に6時間の講演会は、何度も経験しているため、自信満々で臨んだが、同じ内容を二回というのは、通しでやるのとは異なる大変さがある事を知る。
翌29日は全力を使い果たした感あり、また、腰が痛くうめいていた。
最近の忙しさで、運動不足になっているようだ。
30日に日本に移動し、本日は朝より横浜・都内で面談合計4時間。
疲労困憊という状況。
講演会の正式な報告は、また後日という事で。


住所移転手続のため深圳に

一昨日、日帰りで深圳に。
深圳会社の住所移転と一回目のクロスボーダー人民元決済時に、法定代表人である僕のパスポートが必要となったため。
パスポート原本があれば良いので、僕自身が行かなくてもよいと言えばよいのだが、政府機関での手続時に自分で足を運ぶと、新しい発見をする事が有る。
何事も、犬も歩けば棒にあたるだ。

住所移転に関しては、最初は羅湖区に会社登記をしたが、活動実態のある南山区に登記移転する事にしたもの。
税務所管が異なるので、通常区を跨ぐ移転は難しいが、まだほとんど活動を開始していなかった事が幸いし、問題なく手続ができそう。

手続が終わると、いつもながらの酒菜屋で会食。
ワンカップ大関が有ったので、興味を惹かれて飲んでみる。
庶民的な酒だが、場合によっては、缶入りの菊水辛口やワンカップ大関が飲みたくなる事がある。

ブルーチーズのメイプルシロップ

昨日は、18時で仕事を終わらす。
このまま帰るのも侘しい(2日連続冷凍食品になる)。
銅鑼湾に行くのは体力使う。
さて、どうしようかと数分間考えた上で、一昨日行ったばかりだが、オフィスの向かいにあるクマールの店に行く。
肉味噌レタス巻を食べたあと、何を追加しようかと考えていたら、黒板にブルーチーズのメイプルシロップ掛けというのが目に留まり、「チーズとシロップ。いったい合うのだろうか」と首をかしげながらも注文してみた。
合うとも言えず合わないとも言えず。
チーズとシロップ自体は良いし、パンも良い感じに温められているので、ブルーチーズとシロップを別々に出してくれたら、楽しみ方の幅が広がるのではないかという感想。

食べ終えると21時前。
「イオンが開いている内に、生卵を買って帰ろう」と早めに帰宅。
随分生活感あふれてますねえ。と笑われながら店を出た。


香港の住居・上海の住居

香港住居の窓からの景色

先月、香港の部屋を引っ越した。
前の部屋より若干広くなり、眺めも若干良くなったので(両方、若干だが)、まずまず快適だ。
本当は、オーシャンフロントの部屋にしたかったが、そうなると家賃が1.5倍程度になる。オーシャンビューの部屋で妥協したが、思ったよりも眺めが良い。
僕の生活は、香港、上海、日本を毎月10日づつというものなので、3ヶ所に住居が必要となり、コスト的には無駄が多い。
香港の家賃は日本円換算で26万円程度。上海は15万円程度だが、各々10日間の滞在費用と考えると、これ以上高い部屋には住みにくい。
服を置いておきたいという理由で、香港にも上海にも部屋を借りているのだが、上海に付いては、電気・インターネット・ガスなどのトラブルが多く、部屋を借りておくことに限界を感じてきた。
サービスアパートメントだと予算に合わなくなるので、ホテル宿泊に変えるかもしれない。
ともあれ、移動続きで、体に負担がかかってきているので、僕自身の生活(特に、飛行機搭乗回数)は、そろそろ見直す時期かもしれないと、考え始めた今日この頃。

どうしたことだろう

ただいま香港。
今日、ブログをアップしようと思ったが、PCからいっこうにアクセスできず。
サーバー故障かと思っていたら、PCを変えたらつながった。
これはPCの問題か(ブログ以外は繋がるのだが)。
また、上海にいる時は、会社のオフィスからは、無線でも有線でも僕のブログにアクセス出来ない。
これは1~2年前からの状態で社員も同じ。
部屋から一歩出ると、(無線を使えば)繋がるようになる。
ブログは極力気持ちを抑えて書いているので、平和なブログであるのだが。

昨日は、午後便で上海から香港に移動。
飛行機自体が2時間ディレイ。
搭乗してから1時間弱ディレイ。
到着がずいぶん遅れてしまった。
最近、過労の反動でメンタルが落ち気味なので、家に直接帰らず、クマールの店で酒を飲む。
周りの人と話が弾み、楽しい時間であった。

人生孤独感と限界感との戦いだ

昨日の記事に関連した話だが・・・

コンサルティング、執筆、メディアでの発信等を行い10数年が経過した。
これにより、知名度やネットワークは10数年前よりも確実に向上した筈だが、ここ数年間、孤独感・限界感を感じる事が多くなっている。
孤独感に付いては、原因が分からない不安で困ったものである。
限界感というのは、10数年間で、色々な事にチャレンジした過程において、自分に何ができる。何ができない。という点が分かるようになってきたからとも言えるのであるが、自分で壁を作ってしまっている点が多分にあるのかもしれない。
10数年前にコンサルティングを始めた時は、会社員の立場以外は、何も失うものはなかったが、頑張れば、何でもできる様に感じていた。
それが、徐々に、現実的になってきている気がするが、これは、自分の意識が作り上げた壁の中の現実なのかもしれない。

昨日の記事で紹介した若者たちの活動に感動したのは、社会的地位や発言力が無くても、自分たちにできる事から始めようと、限界を恐れずに走り出した姿勢である。
事を始めれば、反対もあるし、揶揄や批判をする人間も出てくる。
それでも、走り出す純粋な気持ちが、ニュースを読んだ時にまぶしく感じたし、却って彼らから教えられた(忘れていたものを気付かされた)気がした。

年齢的にも、モチベーションを持って走り続ける事が、少しずつ難しくなってきている。
これは、年齢と共に、社会的な立場を身に着けて来た事の裏返しかもしれない。
ただ、この程度で限界を感じてはいけないのも確か。
それを強く自分自身に言い聞かせた。

僕らの日中友好

蝶理の井上中国総代表より、北京便りを頂いた。
そこで、日中友好を願う若者との交流に付いて触れられており、感銘を受けた。
悪いニュースや人の悪意を垣間見る事が多い中、次の時代を担う世代に、両国とも素直でひたむきな感情と、行動力を持つ人物がいる事を知ったのは、一筋の光を見る思いである。

活動の内容(フリーハグ)は、以下参照。
■「僕らの日中友好@北京・我们的中日友好@北京」https://www.flickr.com/photos/109475294@N02/sets/
http://mainichi.jp/feature/news/20140414mog00m030011000c.html

井上総代表の「北京便り」より、会合の様子を引用させて頂きたい。

<引用>
「言い出しっぺ、そして(だから?)代表の渡辺です。仲間が3人になり、24人の運営委員、そして150人まで膨らみました。最年少の自分をリーダーとして盛り立ててくれて有難う」という仲間への感謝の言葉が印象的でした。
途中、感極まることも何度かありましたが、外国語学院の女子学生がとても冷静に自己制御しながら、抒情的な日本語を母国語にしていきました。
女子学生ご本人も泣きたい気持ち(自らの感動と三人の日本人男性の翻訳しにくい情的表現)だったようですが、要点は外さず会場の流れも考慮して簡潔明瞭に役目を果たしていました。
清華大学でのスピーチコンテストに続いて、今回も女子学生の目立たずとも大切な実務的貢献によって会の感動が深まりました。

隗より始めよ(先従隗始)」。
本来の『戦国策』での郭隗さんの昭王への建策(就職活動?)の意味とは、異なった用法が一般化しています。曰く、大事業を起こすには、身近なところから着手するべし。
言い出しっぺから動きなさい。

渡辺さんが、両国の関係はこのままではいけないと考えたこと(0→1)
身近な仲間が話を聴いてくれたこと(1→3)
3人が動き出し、賛同者が増えて、分業が進んだこと(3→24)
更に賛同者が増え続けていったこと(24→150)

このプロセスはどれも重要ですが、やはり(0→1)に無限の可能性を感じます。
<引用終わり>

一人の純粋な気持と行動力が、無限の可能性を生み出す事を信じたい。
そして、まだ会った事が無い彼ら全員から、力をもらった気がする。
若者たちが、できるところから頑張ろうとしている。
僕もまだまだ頑張らねばいけないという気にさせられた。


オイスターバーにて

水野Tシャツを着ての記念撮影

昨日は、3名の弁護士の方と、花園飯店近くのオイスターバーで会食。
思えば、僕が最初に中国に来た頃(1980年代)は、中国でコーヒーやサラダを口にする事も難しかった。
その時の事を考えれば、中国で生ガキが食べられるとは、夢のようだ。

シャンパン⇒白ワイン⇒赤ワインと飲みながら会話が弾み、気づけば4時間半も笑いながら話していた。
楽しい会食であった。

一昨日は税理士の方との会食。昨日は弁護士の方々。
一回り年下の専門家の方々との交流が増えているが、僕の経験・知識が役に立つ、と言って頂けるのは、まだ前線で頑張ろうというモチベーションになる。