mizuno のすべての投稿

父親のスナフキン

昨日は初めての高校の同窓会があったようだ。
1日移動日程がずれていれば参加できたのだが、知ったときは時すでに遅く、面談予定が動かせない状況であった。
大変残念。
ただ、ブログを読んで連絡してくれた今仁君ありがとう。
おかげでコミュニティ登録でき、写真は見る事ができた。

今回は実家に宿泊。
実家に到着したのは夜の11時過ぎだったけれど、両親が起きていてくれて、深夜の湯豆腐&日本酒(〆張鶴)と相成った。
寒い冬に、湯豆腐と日本酒は堪えられない。

因みに、父親は陶芸が趣味(というか、趣味が多いので、陶芸も趣味の一つと言った方が正しい)なのだが、遊び心でスナフキンを焼いてみたようだ。

家も陶芸で作ったようで、中に電球を入れて食卓のわきに飾ってあった。
「なかなか上手いじゃない」というと、「サンタ帽子作ってかぶせたのと綿を置いたのは私だ。設計の勝利だね。ほっほっほ」と母親が自慢していた。

これが昼に撮った父親の、遊び心で作った作品。
サンタ帽子が可愛い。

ほぼ完治・日本到着

夜8時半に成田到着。
飛行機は満席だった。
前の座席の男性がかなりの巨漢で、半そでシャツに半ズボン(というか、膝まで丈の運動着)。
「いくら脂肪がついているからと言って、それじゃあ寒いだろう」と興味深く見ていたが、外に出ても寒いそぶりも見せず、手に持っていたジャンパーを着ようともしない。
いろいろな感性を持った人間がいるものだ。

3日間、毎日10時間以上寝ていたおかげで風邪もほぼ完治。
風邪だったせいで、ベッドに入るとすぐに寝れたし、ゆっくり休養を取ったおかげでストレスも抜けた。
何が幸いになるかわからない。
こういう状態にでもならないと休まないわけだから、天の配慮と考えておこう。
明日は講演会だ。

引き続き風邪

上海到着。
またもや東方航空格安チケットでの移動であったが、昨日はガラガラで大変快適。
これで4回乗って3.5万円(予約する時期が遅くなったので、いつもより値段が高くなった)は悪いなあ、と思いながら、機内食と食後に配られたハーゲンダッツを堪能。
あとは、寝ながら上海到着。

昨日書いた通り風邪で、上海ではぐったり。
ベッドの上で仕事。

今日も引き続き、氷嚢を頭の上に乗せて、ベッドの上で仕事。
こう書くと、悲壮感が漂っている感じがするが、本人としてはそれほどでもない。
ただ、無理がたたったのは確かだ。

こんな状況で、ブログのネタがないので、うさ丸を飼って頂いてる人から送られてきた、家の中での写真をアップ。

風邪をひいた

風邪をひいた。
2日連続でボクシングをやったのが体力的につらかったのではないか、とも思ったが、やはり部屋が寒いのが原因であろう。
香港の部屋は、暖房が入っていないので、10度程度まで温度が下がると寒い。
そんな感じで、昨日の朝起きたらすでにしんどい状況。

講演会は19日なので問題ないとは思うが、ここ1か月以上、講演会続で仕事の無理を続けてきたので、ちょっとゆったりペースで体力の回復を待とう。

公園のうさ丸

昼休みにうさ丸を公園に連れて行く機会があった。
購入後初めてだ。
香港はめっきり寒くなってきたが、昼の講演は温かく、人が日向ぼっこしている。
ウサギがいると、注目を浴びるので面白い。

膝の上にのるうさ丸。
ニンジンを食べているうさ丸。

小さいながら、かなり食い意地が張っている。
僕の食べ物に食いついてしまうので、引きはがすのに必死であった。

これは、靴の横の日陰に避難しているうさ丸。
僕の足(25㎝)と比べると小ささが分かる。

平和なひと時であった。

うどんすきとワインで送別会

丸紅のOBが退職するので送別会に参加した。
「水野さんは丸紅を辞めたのに、丸紅の人としょっちゅう酒を飲んでますね」と人から言われた。
まあ、これは辞めてみて初めて分かった事だけど、人のつながりというのは、会社単位では括れない。
同じ場所で育った仲間は、会社が変わってもやはり仲間という事だ。
もともと組織に対する帰属意識が薄い僕は、退職して、却って縁が深くなったような気持もする。

上海は寒いので、田野のうどんすき。
寒い時の日本の鍋物は格別だ。

鍋の前にいるのは、今月末で退職する先輩。

送別会には、丸紅とアサヒビールの合弁会社である江蘇聖果葡萄酒有限公司に出向している同社の副総経理も参加。
同社の聖果ワインというのを初めて飲んだ。

まだ、会社が立ち上がって間がないので、出向者も大変な様だが、自分で書いた稟議なので、喜んで奮闘中との事。
何事も立ち上げの時は大変だ。
ただ、情熱があれば、何事も克服できる筈なので、検討を祈りたい。
聖果ワインを挟んで記念写真。
⇒ 田野、おぶうなどでも飲める様です。

白ワインがお勧めとの事ながら、白と赤を両方飲んだ。
ワインの味には疎い僕ではあるが、身びいきも入れると、ボジョレーヌーボーよりは美味しいのではないかと。

僕の舌の正確さは、飲んで確かめてみて下さい・・・

レム睡眠時の格闘

怒涛の講演会も一息つきかけている状況で、また安眠できるようになって来たのだが、数日前までは、如何に寝るかというのが重要な課題となっていた。

横になると、仕事の事が気になってあれこれ考えてしまう。
「眉間にしわを寄せる」という言葉があるが、そんな時は、「脳にしわを寄せている」のではないかと思うほどに、頭部が緊張しているのが分かった。
これを意識してやめ(頭を文字通り柔らかくし)、目覚まし代わりに枕元に置いているブラックベリーも見ないように注意して、何とか眠りに付くという日々が一か月以上続いた。

先日、ベッドに横になって数十分した時に、眠っているという事を意識しないほどリアルに夢を見ていた事がある。
かつての同僚(先輩)が、若干ひどい事を言うのでイラつく自分。
その一方で、「いや、この先輩は良い人だから、こんな事を言うはずはない。これは絶対夢だから、このまま起きないで寝ていた方が良い」と言い聞かせる自分。
そんなこんなで眠り続け、翌朝、「やはり夢だったか」という感じだった。

仕事のストレスで、絶えず緊張しており、これが睡眠に影響を与えていたのであろう。
ともあれ、また眠れるようになってほっと一安心だ。
緊張している時は、ドリエルとか、ドリーミオとか、睡眠改善剤を飲むようにしたのも、それなりに効果があるような気がする。


ジンギスカン

上海は寒い。
運動不足になりそうなので、タクシーを使わずに歩いてみたのだが(合計1時間くらい)、手や顔が冷たくて痛い感じ。
ただ、寒い時は、街の雰囲気もずいぶん違い(街の色が変わる感じ)、それはそれで面白い。

そんな中、夜の街を歩いていると、大音響でジンギスカンの歌が流れてきた。
何事かと思い、音源を探してみると、羊料理の店で、男性店員数名が、羊の被り物(耳があるだけの様なもの)を着けて踊りまくっている。

これは毎日やってるのだろうか。
開店記念なのだろうか。
これが集客に役立つとはあまり思えないが。

しかし、ジンギスカンを久しぶりに聞いた。
僕が初めて中国を旅行した1985年、どこに行ってもこの歌が聞こえてきたのを思い出した。

国を想う気持

最近、中国人、特に若い人と話していて思うのは、愛国心というか、中国に対する誇りを持っている人が随分多いという事だ。
こういう話をすると、教育による思想コントロールではないかとか、情報操作だと言い出す人間が多そうな気がするが、そう断定する事は間違っている。

僕の研修生時代(1989~1990年)に思い出に残る二つの出来事がある。
先ずひとつ。
取引先の国有企業の人(中国人)が、海外駐在になるという報告をしに来た時、同僚(中国人)が、「どこに行くの?」と言ったら、アフリカのどこかの国を答えていた(語彙の問題で聞き取れなかった)。
「それは大変だねえ」という同僚に対し、その駐在予定者の回答は、「まあ、どこだって中国よりはいいから」というもので、同僚も、「そりゃそうだ」と笑っていた。

次は、研修を終わらせ、福州から飛行機が香港カイタック空港に到着した時。
タラップを降りる時に、さっと海風が吹いたのであるが、その時、後ろにいた中国人女性が、「自由の空気はこんなに気持ちがいいんだ」と言った事である。

情報統制という意味では、当時の方が格段に厳しかった筈で、それでも生活に満足感が無ければ、こういう反応となっていた。
それが、少なくとも大都市では、生活に対する満足度が上がり、それが、自国に対する愛情と誇りになってきたという事だ。

愛情と誇りが活力を生むのは確か。
日本人も、自国を誇ろう。
あれこれ評論するのはよいが、基本は祖国に対する愛情と誇りだ。
そして、排他的なネガティブな愛国心ではなく、前向きで発展的な愛国心を。
これは日本も中国も同じだが。


広州建国酒店の地獄ラーメン

広州出張の際にいつも使用する建国酒店に、漣(さざなみ)という日本料理屋が入っている。
美味しいという訳ではないけれど、比較的空いているし、店員さんの感じもよいので、チェックアウト後の電車待ちの時間(昼食時)などは、いつも使用している。
そこで必ず食べるのが地獄ラーメン。

これまた麺がもちっとしていなくて、味はいまいちなんだけど(辛い事は辛い)、何故か毎回食べてしまう。
これまた魔術の様だ。
食べ放題だと、パフォーマンスが良いようで、現地の人はこれを楽しんでいるようだが・・・