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2年越しの希望がかなった

丸紅元社長の辻さんと

丸紅元社長の辻相談役と会食した。
僕が辻相談役と丸紅時代に会ったのは、2回だけ。
両方、香港駐在の時で、丸紅社長時代に一度、会長時代に一度、駐在員全体で会食をさせて頂いた。
かねてより、社外だけでなく、社内の若手にも気遣いをされる方、という評判を聞いていたので(大企業の社長の中では、ある意味異色)、変なプレッシャーは無かったが、何故か最初にお会いした時(社長時代)は、緊張で足が震えた。
後にも先にも、丸紅社内の人(歴代社長を含め)と会って、足が震えたのはこの時だけだ。
当たりが大変ソフトで礼儀正しい方であるが、これが大企業のトップの威厳というものか、というのが、当時の僕の正直な感想。

1999年に社長就任。過去の負の遺産で丸紅が経営危機に陥る中、一大再建プランを実行し、数年で会社を立て直すと、さっと後任に社長の座をゆずってしまった。
その潔さにヒロイズムを感じたが、「一番辛い時に社長を務め、これから良い思いができる時に何故」、という印象が強く残っていた。
そんなこんなで、丸紅の中では一番印象に残っていた方と言ってもよく、退社後、辻さんには挨拶したいという気持ちをずっと持っていた。
それが、ひょんな事から辻さんの方から声をかけてもらい、一緒に仕事ができただけでなく、食事も招待頂いた。
そして、社長時代の話、社長の座を譲った時の考え方など、聞きたかった話が色々聞けた。

焼フグ

会食の場所は本郷の「ととや」。
ここは、焼きフグが名物の模様。
たいそう念入りな焼きフグだ。
量もたっぷり。

炭火焼きで、じっくり焼くと、フグが良い感じで焼き上がる。
これは素敵な食べ心地。

いくら乗せのおじや、うに乗せとろろ、そしてフグのひれ酒

そして、つまみに、とろろを頂くが、ウニが添えてある。
おじやはいくら添え。
芸が細かい。
そんな感じで、フグをたくさん食べて、ひれ酒を飲む。

食事も美味しかったし、経営の話を含め、色々な話を聞かせて頂いた。
2年間越しの希望がかなった、嬉しい日であった。
ありがとうございます。

朝一で空港に向かい羽田便に乗り込む

朝8時半発の羽田行きの飛行機に乗り日本出張。
土産を買わなければいけなかったので、家を出たのは朝6時ちょっと前だ。
4時半に起きて、1時間だけ仕事して、シャワーを浴びて空港に。
2時間睡眠だったので、機内では最初から最後まで寝ていた。
気付いたら、到着30分前という状況。
機内食は食べないで寝ようと決めていたので、空港で翡翠酒店(クリスタルジェイド)の坦々麺を食べる。
空港の店舗は、朝早くから営業しているので便利だ。

一昨日に用語集の校正作業が終わったし、昨日に明日香出版からの本の校正が終わったし、今朝で、手元にあったクライアントの方からの質問は全部捌けたし。
睡眠不足と戦った一週間であったが、仕事がちゃくちゃくとこなせているので、精神的には余裕がでてきた。

日本では一週間、楽しませてもらおう。

八吉で用語集校正終了打ち上げ

子持ち昆布の串あげと牛刺し。

用語集を年内に出版する予定。
元々単語、公式、資料という構成であったのだが、素直に製本すると700ページくらいになってしまい、製本コストがかかる。
高額にせざるを得ないし、本屋に並べにくい、という出版社の意見もあり、資料編は割愛せざるをえなくなった。
そして、レイアウト変更で300ページ程度に収め、4千円台の値付けという事になりそうだ。
そんな訳で、最後の校正作業。
斎藤さんに自宅まで来てもらい、全項目に目を通し、修正すべき部分を修正した。

しかし今週は忙しかった。
香港滞在週(広州日帰りが1日)であったが、毎日締め切りに追われ、仕事が終わるのは(月曜日を除き)深夜の1~2時。
先週土曜から今週金曜までの7日間で、外食は2回だけ。
あとは、亀一と合宿をしている時に食べた様な、冷凍食品とレンジのご飯。
3~4時間睡眠が数日間続いていたので、さすがに頭がモーローとしてきた。

そんな状態ながら、用語集最終校正完了祝い!という事で、(斎藤さんが魚好きなので)八吉で打ち上げをする事となった。
コースがお得な様なので、HK$ 480/人のコースを頼む。

名物の子持ち昆布の串あげと、牛刺し。
これはなかなか美味しい。
揚げる事で、子持ち昆布が柔らかくなり、不思議なプチプチ感になる。
牛刺しは、なかなか鮮度が良く美味しい。

のどぐろ塩焼きとひつまぶし二人前

これは、のどぐろの塩焼きとひつまぶし。
美味しいのどぐろで、きれいに食べる。
ひつまぶしは、鰻が固かったのがいまいち。

それに、刺身の盛り合わせとソフトシェルクラブの空揚げが出てきた。
本当はフグの空揚げだったのが、なくなったという事で、自動的にソフトシェルクラブになってしまった。
コースの選択にあたって、フグの空揚げは、結構重要な要素だったので、これはちょっと悲しかったね。

という事で、満足したものと、ちょっと残念なものに分かれてしまったけれど、総じて言えば、満足できた。

NAC名南の斎藤さん

会食の開始が早くて18時。
21時まで3時間いろいろ話しながら会食したが、20時半を過ぎると、連日の睡眠不足がたたり、眠くて仕方がなくなってきた。
斎藤さんは深圳に帰るし、食事をしたら解散。
足マッサージをして帰ろうかと思ったが、歩いているうちに、目が開かなくなってしまったので、そのまま帰宅し、22時過ぎには倒れ込むようにして寝てしまった。

二人併せて、生ビール3杯に、日本酒5合。
それでこれだけ眠たいのは、やはり睡眠不足の反動だろう。
この生活も、11月下旬でひと段落つく予定。
もうひと頑張りだ。

過去ブログで睡眠不足

11月は忙しい。
本を1冊書き上げて、他の2冊の本の校正作業。
あと、講演会のレジュメ3本やら、何やらかにやら。
という事で、さすがに、半分音を上げかけていて、ひと段落つく月末が待ち遠しい感じだ。

そんな状況下、過去のブログの復刻が掲載されているのに気が付いた。
大薗社長のブログやら、元木さんのブログやら。

仕事が終わるのが午前1~2時という日が続いたが、2日連続で過去ブログを読みふけってしまった。
他人のブログでも、「あの頃はこんな事があったなあ」等と思いだして、ノスタルジーにふけってしまうので、1時間近く読んでしまう。
特に、2005~2006年頃は、思い出深い事の連続だ。
おかげで睡眠不足だ。

今日の午後は、NAC名南の斉藤さんと、半日缶詰めで用語集の最終校正だ。
眠い。

原稿完成

2日ブログを書かなかった。
書くのを習慣にしておかないと、ずるずると書かなくなるので、寝る前に更新。

明日香出版から出す予定の本の原稿を、昨日書き上げた。
今回の本は、いつもとは違う傾向。
いつものマニアックなビジネス書ではなく、一般書だ。

いつも僕が書いているのは、僕しか書けない本だが、今回の本は、ある意味、僕でなくても書ける本。
そんな風に言われそうだという気もするが、僕が書くからには前向きだ。
僕が16年間中国に住んで、そして、25年中国と接してきた経験と思いを、前向きに文章にしたつもり。

そんな意気込みで、合計約8万字を、1ヶ月で書き上げた。
週末は自宅に自主缶詰状態で、根詰めて書いたので、書き終わった時は嬉しかった。
今までと違うタイプの本なので、反響が読めないが、書き上げた段階で充実感はある。

最初に依頼を受けた時、書けるかなあという不安と戸惑いがあったけど、今では、この機会をもらえて良かったと思う。
チャンスをくれた藤田さんに感謝の気持だ。

とは言え、執筆が終わっただけで、まだ、校正・編集等、作業がたくさんだ。
作業が終わった気になって、感慨に浸っている段階ではない。
出版までだらけずに頑張ろう!

引き続き週末

昨日は、夕方まで原稿を書いて、ジムで7Km走り、とい週末の平均的な生活を送った後で、夕食を買いに、City Superにいく。

丁度、先週買った「キャビアもどき(HK$ 40~50で買ったもの)」があったので、DVDでも見ながらシャンパンを飲もうと考えたのである。
モエシャンドンを一本買い、あとはいつもの冷凍食品(八宝菜、麻婆豆腐、ラーメン)。
それに、カニクリームコロッケなど数種類をテイクアウト。

DVDは、前回日本で買った、ルネクレール監督の「巴里の屋根の下」。
これは、トーキー初期作だ。
僕は昔、不思議な子供であった。
小学校6年生の時に、同じくルネクレール監督の「巴里祭」に感動して、クラシックな映画が好きになり、「望郷」・「天井桟敷の人々」・「或る夜の出来事」等がTVで放映されると、嬉々として見ていた。
「巴里祭」主演のアナベラが忘れられず、高校一年の時に、岩波ホールに「巴里祭」を見に行ったりもした(あの頃は、TVで放映されない限り、見たい映画もなかなか見られなかった)。
あと、小学校4年生の頃から古典落語の本を読みあさり、円楽、志ん生、志ん朝、小さん等のレコードを聞いて、自分でも話したりしていた。
そして、それ以外の時は、学校から帰宅して寝るまで、クラシックギターを弾いていた。
そんな、マニアックな子供だったので、中学校の頃、部活に入らなかった(自分で好きな事をしたかった)のは、今ではちょっと後悔している。
10年間、あれほど熱中したギターも、今では弾けなくなってしまったし。

ともあれ、シャンパンとキャビアもどきを楽しみながら、巴里の屋根の下を見る。
30年前の様な感動はなかったが、ほのぼのした感じが楽しめた。
しかし、巴里の屋根の下の主題歌は、当時映画を見た時、一度聞いただけなのに、ずっと耳に残って忘れなかったのは、たいしたものだ。
実に、シンプルで分かりやすい名曲。

そんな感じで、子供の頃に戻った気になったら、どんどん当時の記憶をたどってインターネット検索を始めてしまい、クラシックギター(山下和仁、荘村清志)から、武満徹のノベンバーステップスまでたどり着き、不覚にも明け方就寝となってしまった。

平和な土曜日

クライアントの方から頂いた質問は、金曜の深夜までかけて全て回答したし、珍しいことにNNAの原稿も、先週末に3回分提出済みだ。
一応、11月中盤のセミナーのレジュメを3回分作らなくてはいけないが、まあ、これは一刻を争う訳ではない。
という訳で、やらざるを得ない事がない、という久しぶりの週末だ。
何をして過ごそうかと朝起きて考えたが、結局、来年早々出版予定の原稿を書いてしまうのは、貧乏性というべきか・・・

ただ、会社の経営論、経営者の資質、心構えなど、いろいろ場所で議論が交わされているが、僕の場合は結局、本能のおもむくままというという感じだ。

知りたい事があるから研究する。
問題・トラブルを解決したい、という本能があるから現場に行く。
会社を成長させれば達成感があるし、自分に自信が持てるから必死になる。
本を書くのが好きだし、伝えたい事があるから書く。

寝る時間を削って働いたりもしているが、純粋に本能通りの行動で、やり始めると、自分で自分が止められないだけだ。
疲れて動けなくなったら、自動的に休憩する(元々、持久力はあまりないが)。
という訳で、努力というのとは、ちょっと違う気がする。
言わぬが花ではあるのだが。

大変でしょうと言われるが、実際には、楽しんでいる。
だから、ストレスが全くない。
ストレスが無ければ、体のしんどさはさほど問題にはならない(ヒマでもストレスがある生活の方が、比べ物にならないくらい辛い)。

独立から2年間走り続けて手に入れた、充実した時間を過ごしている。

走り続ける事

人間、ずっと同じペースでの全力疾走はできないもので、僕自身も、2009年9月、2010年8月というのは、ちょっとペースダウンした。
これは、一周年・二周年の節目で、ちょっと安心した為だろう。
ただ、この2ヶ月間は、我ながら本当によく仕事をしている。
2ヶ月半で、1日(土曜日)休んだだけかな、という感じ。
その時は、やる気はあったが、体が動かず、1日中寝ていた。

ただ、今は、仕事をしているのが面白いし、今までの仕掛けが、歯車がかみ合って、全体が大きく動き出す感覚を味わえている。
今働かないと後悔すると思う。

思い返せば、こんな感じで、楽しく、満足感を持って仕事をするのは、2002年以来の事であろうか。
初めて僕の原稿が公開されたのは2001年の上海エクスプローラーで、それから、香港ポスト、銀行の機関紙、NNAと連載が始まった。
2002年には本を2冊出版して、これが予想外に売れたので、NHKの連続出演にも繋がったし、社内で無理だろうと言われていたコンサルティングの仕事も、予想を裏切り順調に開始した。
その時は、やることなす事が全て上手くいって、何をしていても楽しかった。
それが、2003年になると、周りのプレッシャーがきつくなってきて、2004年から夜電気を消して寝られなくなった。
2005年からはストレスで喉のリンパが腫れてしまった。
2007~2008年は、不用のトラブルが続き、厄年恐るべし(数年ずれていたが)という感じであった。
ずっと長い間、仕事をするのが辛かった。

そんな長いトンネルを抜けて、やっと全てから解放され、前向きに登って行くぞ、という気になれたのは嬉しい。
ただ、辛い時でも、歯を食いしばって続けていた事が、今に繋がっている。
ずっと順調で苦しさのない人生なんてのは、なかなか送らせてもらえないのだろう。
でも、先が見えにくくても、走るのをやめなくてよかった。
まだこれからだ。

租税条約適用手続と企業小説

上海と広州の配当手続を行っている。
上海は、資本金で払い込んだ米ドルが、まだ余っているので米ドル配当、広州は人民元配当となるのだけれど、人民元の配当送金許可はあっさり取れた。
ただ、香港に対する配当だと、企業所得税の源泉徴収が5%に減免されるので(通常は10%)この租税条約適用に関する税務局の許可に時間がかかっている。

国税発[2009]124号だと、事業所得・労務所得は届出制(基本的には、手続だけでOK)なのに対して、投資所得は許可制なので、審査に時間がかかっているものだ。
広州は2ヶ月でやっと取得。
上海はまだ手続中。
一度取れば、3年間は有効な筈であるが、初回は時間がかかるので面倒だ。

話変わって。
子供の頃から本を読むのが好きだったので、中学生の頃は、推理小説作家になりたいなどと言っていたのだが(さほど真剣に考えた訳ではないが)、トリックを1個も考え付かなかったので、作品ができなかった。
作家になる以前の問題だ(前提からして間違っている)!

その後、会社で経理の仕事をしたので、金銭トラブル関係の手口は考え付くなと思い、5年ほど前に、珠江デルタ式来料加工を使った事件のトリック、ストーリー展開を考えた。
横領に関わる経理トリックで、これに気付いた社内監査部の人間が、深圳で事故死するのが小説の発端。探偵役は当然、香港現法の経理部長だ。
森村誠一が高層の死角で乱歩賞を取った時、撰者の評に、「この作者のホテル知識に驚いた。ホテルマンでないかと思ったくらいだ(森村誠一は本当にホテルマンだったが)」と書かれていたのを読んだ事がある。
そんな訳で、こんなニッチな手口を網羅すると、撰者に、「中国コンサルタントではないかと思ったくらいだ」とか書かれるぞと、ほくそ笑みながら、導入部分を書いたのだが、本業のビジネス書の執筆が忙しく、数年間止まったままになっている。
そうしたら、珠江デルタ式来料加工(廠形式を利用した来料加工)が、廃止の方向に動いている。
廃止までいくかどうかは分からないが、ともあれ、広東省は2012年末を目途に、廠の法人転換を行う事を明文化している。
廃止されたら小説の題材自体が使えなくなってしまう!
これは困った。
既に、導入部の税関の描写からして、実態とと違ってしまっているし(ここ数年で、中国の入国審査官の愛想が非常に良くなったので、最初の重苦しいイメージの描写が使えなくなってしまっている)。
2012年までに書くか!?
無理だろうなあ。

こ熊やで鬼太郎の会

曾我・瓜生・糸賀法律事務所の水野海峰弁護士・岩井弁護士と会食をした。
1ヶ月ちょっと前に引き続いての会食であるが、前回の講演会の上海限定打ち上げと、鬼太郎の会の発足を祝ってのものである。
鬼太郎の会というのは、単に、僕が主催する飲み会で、呼び名はスナフキンの会(生き方)でも鬼太郎の会(外見)でも、どちらでもいいのだけど、まあ、語呂の良い鬼太郎の会にしたものだ。
祈念写真を諸事情で飛ばしてしまったのが痛恨であるが、「こ熊や」でいつものメニューを堪能した。
ついでに浦霞純米吟醸も美味しかった。

最初にたのんだ、「カニみそウニ」を食べて、「あ~、嫁と子供に食べさせてあげたい」と感動する水野弁護士。
「生後1か月の子供に、カニみそを食べさせるのはよした方がいいぞ」と突っ込みを入れたくなるが、取りあえず、やめておく。
その後、水野弁護士の舌鋒鋭いトークが冴えわたり、大変楽しかったが、書くのはやめておこう。

水野弁護士曰く、「いろんなところで水野さんに間違われるんですよ。この前の講演会でも、質問者の方に、水野弁護士は加工貿易が得意ですよね、と言われて、それは違うと思いますと回答したんですが」との事である。
という訳で、紛らわしいついでに、来年、上海で一緒に講演会でも開こうか、という事になった。
「前回の講演会は、詰め込みすぎましたな」という水野弁護士の意見を尊重し、持分譲渡と合併に絞ろうかという事になった。
来年の2~3月かな。
旧正月明けに、上海で共同講演会を、(おそらく)開くと思います!