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香港(あたふた)

今週は、火〜木が上海。
住居を探したりとか、いろいろ書く事は有るのだけれど、あまりに生活・仕事が慌しくなったため、ブログを書く時間・余裕が本当にない。
これではまずいので、1週間以内になんとかリカバーしますので、更新頻度が落ちている分はご容赦ください。

因みに、今日は、香港華南地域の正式の送別会が開催された。
家に帰ってから(夜10時半)、来週月曜日掲載のNNAの中国ビジネス講座を執筆して、E−mailで送信したところ。
ただ今、夜の0時半。
明日は、朝の6時起きで少年サッカーの合宿。
どう考えても異常な生活だ。
仕事・生活に無理が生じている。
なんとかしなければ。

香港(亀一来る。谷垣君帰る)

夕方ひょいとデスクに戻ると、亀一が桑畑君の席に座っており、仏頂面でPCを叩いている。
知らない内に香港にきていたようだ。
日帰り出張らしい。

一方、谷垣君に帰国辞令が出たようで、4月には帰国する。
あいさつ回りをしている谷垣君が、ひょこっと通りかかって、亀一と一緒の記念写真。

夜は、広州会社の高橋社長+水本君と軽く会食。
全員疲れているので、早々に退散。

上海⇒香港(夜に帰任)

夜遅くに香港到着。
既に、香港・上海半分半分という生活が始まっているが、これが思った以上にきつい。
香港⇔上海の飛行時間が2時間半なので、香港⇔広州の直通電車(2時間弱)、ちょっと遠出する珠江デルタのフェリーと似た様な時間だとたかを括っていたのだが、これは想像以上である。
移動中に、書き物をする意欲が失せてきたので、ブログの更新が遅れがちになる。
あと、疲れで注意力が散漫になっているのか、空港で、皮ジャンをなくしてしまうし、前回の成田では日本の携帯を無くしてしまうし。
毎週2回、飛行機のエコノミーに載ると言うのは結構しんどい。
せめて、スケジュールにもう少しゆとりを持たせるようにしよう。

香港⇒深セン⇒上海(またもや深セン経由で上海)

朝6時半に家を出て深センに。
今日は、深センのクライアントのオフィスで打ち合わせをしてから、上海に移動する事になっている。
朝、家を出た時は、まだ道路が空いていたので、6時50分にはホンハム駅に到着した。
おなかがすいたので、マクドナルドで朝食を取り、電車で深センに。
まだ通関も空いていたので、8時ちょっと過ぎには、シャングリラホテルに到着した。
そこから、深セン会社の車で、大工業区(輸出加工区)まで移動するが、現地到着は9時半頃。家を出てから3時間後の到着。
深セン特区にたどり着くだけなら近いが、実際に工場がある場所までは遠いものだ。
深センではクライアントの方+日本からの出張者の方との打ち合わせを2時間弱。
日本からの出張者の方より、僕の本にサインが欲しいというリクエストを頂いたのでサイン。
サインをすると、「座右の銘があれば添えてください」と言われ、焦る。
理由としては、「字が下手なので、あまり長い文章を書くとぼろが出る」、「座右の銘は無い」ため。
昔、社内報のインタビューを受けた時に、好きな言葉と言われて、「究極超人あ〜る」に出てくる、「人間負けたら負けだ」という言葉を言ったら、本当に載ってしまった事がある。
これはこれで面白くてよいのであるが、さすがに、座右の銘として書くのは問題があるな。

その後、深セン空港より上海に移動。
深セン経由の上海移動は、先週の水曜日に引き続き2週連続。
今まで、深セン空港を使った事がなかったが、使ってみると、綺麗でなかなか良い空港である。
レストラン・コーヒーショップの数が少ないのが難点ではあるが。
ともあれ、搭乗手続きを済ますと、ケンタッキーで昼食。


上海に到着すると、大変寒い。
ゲートにそのままつかない(車で移動)ので、外の寒さにいきなりさらされる。
同じ機内に載っていた、おなかが出ている洋服を着ている女性が、外の寒さに「うひゃ〜」と言っている。
上海で打ち合わせを終え、ホテルに到着すると夜の7時半。
あまりの寒さに遠出をする気がしないので、隣のホテルで一人で食事。
少しの間でも外にいるのが大変辛い。
E−mail整理をして、10時半には就寝。

香港(普通の休日)

先週後半のブログが途切れていたが、上海からは、木曜日に帰任。
木曜日は、オフィスに着いたのが夕方6時。
仕事を少しこなしてから、金杜弁護士事務所パートナーの劉さんとランカイフォンで会食(イタリアン)をする。
金曜日は、コンシェルジュの方々(副社長の方+香港の編集長)と食事。
副社長の方とは、初対面であるが、早稲田の野球部出身という事で、このブログにも数回名前が出てきた「佐野元彦」という歌手の様な名前の同期や、以前、香港に駐在していた鈴木君という同僚と仲が良い模様。
共通の話題で盛り上がる事ができて楽しかった。
また、会食場所も、グランドハイアットのグリッシーニ(大変高級なイタリアン)でご招待に頂いたので、大変気分が良かった。
窓の外に広がる夜景も素晴らしかったし、またまたドンペリも飲ませて頂いたし。
ただ、話題が、ついつい早稲田の安い居酒屋の話になってしまうのはいつもの事。
豪華な場所でも育ちは隠せないという事か!
ともあれ、週に4食イタリア料理を食べるという特殊な週であったが、つかの間のバブルめいた週であった。
来週から通常の生活。
つまり、ドンペリではなくビール。イタリアンではなく出前一丁。という感じか(さすがにもう少し良いものを食べよう)。
ともあれ、いきなりバブルが弾けてしまうのは寂しいが、贅沢な食生活が続くのも体が大変。
何事も、ほどほどが良いという事で。


因みに、今日は、フジサンケイの連載2回分+コンシェルジュ北京・上海版の原稿を書き、オピニオンを一本作成。
昨年末から、原稿がなかなか書けない状態が続いていたが、暫く休んだり、鍼を打ったりしていたら、なんとか精神面が回復して、書く気力がでてきた。
とは言え、今の連載を継続するのは少々無理があるので(ただでさえ、中国ビジネス解説の原稿がなかなか書けていない)、読売新聞衛生版の連載を、隔週から月一回に変更する事とした。

香港⇒深セン⇒上海(塩田物流園区を訪問)

昨日の酔いと睡眠不足を抱えながら6時に起床。
朝、7時半に家を出発して深センにある塩田物流園区に。
ここは、昨年に批准された新しい物流園区(全国8箇所)である。
昨年の夏、ここを視察(華南シフトの取材)した時に、「まだ時期が早くてオペレーションが始まっていない。10月にもう一度来てくれ」と言われたので、余裕を見て年が明けてからの訪問としたもの。
余裕を見て正解だったのは、国家の正式稼動許可の取得が、2005年12月30日(8箇所の物流園区の中で一番遅い)となったという事。
正式稼動は3月末を目標としているという事で、3月中旬に誘致商談会を香港で開催する模様。
ただ、土地の販売(60万平米が売却可能面積)を2つの組織が担当する為、譲渡価格がまだ決まっておらず、説明資料も配布できない状況らしい。
よって、実際のオペレーション開始は、もう少し遅れるのではないか。


とは言え、塩田物流園区は、塩田保税区をそのまま物流園区に切り替えている。
よって、インフラ自体は既に出来ている(保税区を転換する為)実際のオペレーション開始というのは、物流園区としての政策(区内搬入に伴う増値税輸出還付の実施、特別許可を取得した場合の集中通関制度の採用等)の開始を言う。
これに加えて、若干の拡張を行っている(北区と呼ばれる地域)が、この場所(北区)は、前回の訪問時には小山であった。
山を切り崩している状況(2005年5月の状況)は、5月30日のブログ参照。
これが、既に切り崩され、整備されているのを実際に見ると、凄い開発速度だと実感する。

因みに、現在、塩田物流園区に施設を有している物流会社は6社(日系では日通)。
区内に登記している貿易会社は17社との事。
また、区内管理上、貿易会社と物流会社の兼業は禁止されている(これは、深セン福田保税区も同じだった筈で、深センの管理の特徴か)。
尚、現時点では、塩田は保税区は無い事になるが、一応、保税区は継続する方針という事で、新しい用地を開発して、そこに保税区を新設(移転?)する予定との事である。

視察が終わると、昼食(四川料理)をして、深セン空港に。
ここから上海行きの飛行機に乗って、上海に移動。
上海到着は夕方5時半。
今日は、酒を飲まずに、ホテルでのんびり本を読んでから寝た。

香港(鍼を試す)

7ヶ月悩まされつづけている、口・喉の痺れ・痛み・違和感が、ストレス・凝りからきているのではないかと、当たりをつけたのが少し前の事。
その後、頻繁にマッサージを繰り返し、少しは良くなるのであるが、完全な解消には至らない。あれこれ考えて、昨日、鍼を試してみる事にした。
鍼をするのは3回目。
前回は、十数年前で、肩凝りが病的なほどひどくて試してみた(この時は、最終的には、カイロプラクティクで治癒した)。
一回目は、幼稚園の時の様な気がする。
鍼氏の方に、家まで来てもらったのであるが、この時、何故鍼をしたのかは定かでない。
さて、香港では初めての鍼。
頭のてっぺん、こめかみ、喉、方、手、足にぶすぶす打たれるので、針山のような気分である(痛くは無い)。
一時間ほど鍼をして、漢方薬をもらって終り。
一日明けたら、あれだけ悩まされた喉の痛みや違和感が9割方消えている。
久しぶりに喉が詰まっていない感じで大変嬉しい。
あと、2〜3回で、完治しそうである。
あれだけ胸が苦しくなったり(胸のレントゲン取ってみたりした)、息苦しかったり、喉が痛くて9月には寝込んでしまったりしたのに。
ストレスというのは怖いものだと実感。

夜は、谷垣君・水本君とお祝い(何のお祝いかは、まだ言えないので1〜2ヵ月後に)。
「今日はドンペリしか飲まないぞ!」と意気込んではみたが、いざ実際に買う段になってみると、ドンペリは高い(HK$1千/本)。
思い起こせば、以前飲んだのは9年前(赴任の前)で、これも、日本のディスカウントショップで、9千円くらいで買ったもの。
とても一晩分のドンペリは買えない事が改めて分かったので、ドンペリ1本+モエ2本を買い込んだ。
あと、友人が1本ドンペリを差し入れてくれたので、合計4本を懇意の店に持ち込み祝賀会となる。
差し入れをしてくれた友人が、「メロンをくりぬいたものにドンペリを入れて飲むのがお祝い向きだ」と言っていた。
メロンに入れてしまうと、ドンペリでも普通のスパークリングワインでも同じ味になってしまいそうな気がしたが、まあ、こんな飲み方をする事は、この先もまずないだろうと思い、謹んで実践。
高級フルーツポンチという感じかな?
一瞬、金持ちになった気分がした!?
ともあれ、おめでたい気分に浸って、一晩は過ぎていった。
明朝から、またしゃかりきになって仕事。

東京・横浜(日本での仕事を終える)

午前中は、新聞社の方と打ち合わせ。
その後、香港貿易発展局(TDC)・東京事務所、日本香港協会の方々と打ち合わせ、及び会食。
TDC・日本香港協会の方々とは、既に数年間の付き合いになり、日本各地での講演会などにも、何回も参加させて頂いている。
という事で、気心知れた間柄でもあり、和やかに打ち合わせを行った。
これにて、今回の日本出張は全工程を終了。
横浜の実家に戻る前に、日本で最後のマッサージを1時間。
マッサージ師の方が、あまりの凝りに驚いていた。
明日は、家を朝の6時過ぎに出発して帰任。

大阪⇒東京(出版記念宴会!)

昨夜の酔いに耐えつつ大阪から東京に移動。
駅で飲み物を買おうと売店に入ると、「タコむす」というものが売っている。
さては、名古屋の「天むす」に対抗して、タコのから揚げをおむすびに入れたのか、と思ってよく見ると、なんと、たこ焼きをおむすびに入れてあるらしい。
あまりの発想に感動。
通常であれば迷わず購入するところであるが、二日酔いで胸焼けがするので、今回は泣く泣く断念。
次回は是非食べよう。


新聞社の方の取材を数件、社内打ち合わせを数件こなす。
夕方6時前に業務終了すると、ホテルにチェックインして、折り返しで銀座まで。
夜は、明日香出版の方々と、「中国ビジネス組織変更・撤退完全マニュアル」の出版記念を兼ねた宴会。
編集をご担当頂いた藤田さんには、事前に「明るくて、酒が飲めて、酒の席で仕事の話をしない方」の選定を頼んであった。
こちらでは、コンシェルジュの大西社長(酒は飲めないが、テンションとパワーは、他を凌駕する人材)、佐々木君(飲み会の人数合わせの切り札として僕が重宝する若者)を人選して、5人で宴会開始。
通常は、飲む量にばらつきが出るものであるが、人選に成功して、重い雰囲気になる事が一度も無く、楽しく意味の無い話で盛り上がり、且つ、全員(大西社長を除く)横一線で酒を飲みつづける。
どれだけ飲んだかは記録していないが、各位、生ビール3杯と、焼酎のロックを十杯程度飲んだ。
会場となった店が、レトロな日本の雰囲気をかもし出す店で、ちゃぶ台、古いたんす等と、凝った装飾。
メニューも、「お母さんのお弁当」というものがあり、数十年前の幼稚園児用と思しき弁当箱で、たこさんウィンナー、から揚げなどを出したり、なつかしムードを演出する。
そんな訳で、学校給食の話題で盛り上がる。
例えば、僕が小学校低学年の頃は冬に脱脂粉乳が出てきた。とか、バナナが食べられない子供だったので(今も好きではない)、出されたバナナが食べられずにランドセルに入れて帰ったら(残すと先生に怒られたので)、ランドセルの中でぐちゃぐちゃに潰れて大変な事になってしまった。とか、ソフト麺は不味いが、あの頃の一番の人気メニューがカレーうどんだったので、これが出る時は皆な大騒ぎだった、とか・・・


ともあれ、酒を飲まず、ウーロン茶3杯だけで過ごした大西社長には申し訳なかったが、ともあれ、楽しく宴会終了。
最後は、佐々木君と2人で、カウンターバーで水割り二杯。
ちょっとだけ真面目な話をして、解散。

横浜⇒名古屋⇒大阪(お祝いで飲みすぎ)

朝横浜を出発すると、新幹線で名古屋へ。
名古屋では支社と打ち合わせ。
広州への自動車産業進出をにらみ、2年程前から、名古屋で講演会を数回開いたり、誘致活動を行ったりしているが、そのフォローアップという位置付け。
名古屋の支社長は、前の上司(香港会社社長)なので、気心知れている分、やり易いと言えばやり易い。
名古屋到着は、打ち合わせの1時間ちょっと前。
昼食を食べようか、マッサージをしてもらおうかと迷った挙句、駅前で30分間のクイックマッサージをしてもらう。
ともあれ、数日前に、あまりの凝りのひどさに耐えかねて、マッサージに金と時間を惜しむのは止めよう(程度の問題はあるが)と決心したので、それを忠実に実行した形。
マッサージをしてくれたのは、かなりか細い女性で、力も殆ど感じられず。
無駄だったか!?と思ったが、終わった時にはそれなりに肩が軽くなっている。
これも一つの芸であろうか。
マッサージをしてもらっていたら、食事をする暇がなくなったので、駅の構内で、テイクアウトの寿司を買い、(オフィス到着後)会議前に細巻を3〜4個食べて昼食は終り。
約2時間の打ち合わせを支社と行う。


打ち合わせには、広州から駆けつけた亀一も参加。
彼は、数日間名古屋に張り付きになる事となっている。
会議中、亀一は何も語らず。
鋭い(?)目つきと、いつものへの字に曲げた口で、話を聞いている。
僕が、「そうだな亀一?」と言うと、(表情は変えないが)「はい!」と力強く頷くようになったのが、丸紅広州会社入社以来1年半の進歩である。
なにしろ、最初は、僕と話をしていても、表情も変わらず、頷きもしないので、内容が分かっているのかどうか不安になる状態であった。
そんな訳で、桑畑君を通して、「人の話を聞いているときは、はい、とか、いいえ、とか言うように」という、かなりプリミティブな指示を出したくらいである。
後で聞いたところによると、その指示を出された亀一は、「そうですかねぇ。僕の表情は変わりませんかねぇ」と、とぼけた事を言っていたようである。
ともあれ、改善されてきたのは良いのであるが、あまり表情豊かになると、却って面白みがなくなる(彼のキャラが立たなくなる)のが痛し痒しというところ。


打ち合わせが終わると、亀一を名古屋に残し、水本君と大阪に移動。
大阪支社で、西田理事と面談+営業部と商談。
実りの多い内容で満足すると共に、各位の僕に対する思いやりに大変感謝する。
最後は、何時もお世話になっている広報の方と宴会。
何時ものお礼に、食事をご馳走するはずが、逆におごって頂き大変恐縮する。
嬉しい事も有ったので、気持ちよく飲んでいたら、あっけなく酔いつぶれてしまった。