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広州⇒南沙⇒香港(名古屋デー)

名古屋からの視察ミッション(60名弱)が、一昨日から珠江デルタに入っており、広州会社の面々がアテンドをしている。朝一番でミッションと合流し、車で南沙に行く。ミッションは大型バス2台で移動しているが、僕と亀一君は、会社の車で移動。
道中、亀一君が、「大型ミッションのアテンドは大変です」と言う。これ程大型のミッションアテンドは無いが、僕も若い頃は、空港で迎えから始まって、いろいろと出張団のアテンドをしたものである。
ちょっと懐かしい。
山口出身の亀一君は、名古屋弁が良く聞き取れないようで、(横浜出身という事にしているが)実は名古屋生まれの僕が、名古屋弁のレクチャーをする。
曰く、名古屋弁っぽく話すには、「語尾の調子を上げる」、語尾に、「ねー」、「よー」、「だがや(場合によっては、だぎゃー)」をつける。
あと、「本当に〜だよ」と言いたい時は、「〜でかんわ」という。
例、ここの飯はうみゃあでかんわ(ここの食事は本当に美味しいです)。
週末までミッションに同行する亀一君であるが、これで、彼も名古屋弁に対応できるであろう。

10時から、南沙開発区、平謙工業団地の説明会。引き続いて僕の講演30分(短い!)。昨夜が白菜とジャガイモばかりだったので、腹に力が入らない。
講演が終わると、一団と会食。会食時に、加工貿易の手続、日本への利益送金の制度などについて質問を受け、これに回答する。
会場となったホテル(南沙大酒店)は出来立てのホテルで、綺麗だし、食事もまずまず。
カフェからは、珠江デルタを横切り東莞に繋がる「虎門大橋」が見渡せる。

講演が終わると、ミッションと別れ、南沙からフェリーで帰任。新しいフェリー乗り場(ホテルの真横)が新しくなっていた。しかし、3年ちょっと前に来たときは、道路を鶏が走っており、「悪くなさそうな場所だが、まだ5年以上は早いなぁ」と思っていた南沙も、短い間にきれいな場所になったものである。中国の変化は激しい。

写真は、講演会場の一番後ろでぶっちょう面をして聞く亀一。不機嫌なのではなく、感情を表情に出すことができない人間らしい。
彼はハルピンで語学を勉強したので、ロシア人の知り合い(留学生仲間)が多いらしい。ロシア人の友達と、「いくら」は何語かというので言い争った事があるという。
「あれは、ロシアから来た外来語だぜ」と教えてあげると驚いていた。

香港⇒広州(広州でロシア料理)

午後の電車で広州出張。
明日の午前中に、南沙で講演をしなくてはならないので、その準備を兼ねて一日前に出張するもの。
夕食はロシア料理を食べる。南の広州でロシア料理が食べれるようになるとは、中国も変わったものである。
初めて行く店であるが、なかなか洒落た造り。他の客は西洋人ばかりで、店内のビリヤードに興じたりしている。

何を食べようかと考えて、はたと困る。ロシア料理自体をあまり知らないし、メニューがロシア語・英語・中国語なので、イメージがつかめない(ロシア語はさっぱり読めない)。
よく、日本で中華料理屋に行くと、連れの人から「水野さんは注文するとき、日本語を読むんですか、中国語を読むんですか?」と聞かれる。「中国語ですよ」と言うと、「凄いですね」と言われるが、そうではなくて、例えば、「麻婆豆腐」という字を見れば直ぐに分かるが、日本語で「豆腐とひき肉の辛味あんかけ風」とか書いてあってもピンとこない。結果的に、料理名を知っているのであれば、中国語を読んだ方が早いという事。
ところが、ここはロシア料理。メニューのどの言葉を読んでもピンと来ない。ピロシキが食べたいと思っても、どれがピロシキなのか分からない。
直感でいろいろ注文するが、水餃子やらピロシキ風のものやら、皆な中が白菜かジャガイモである。鶏肉を頼めば、やたらと骨ばかりの料理が来る。腹に力が入らない事おびただしい。
レストランの問題なのか、ロシア料理自体の問題なのか、僕の注文が悪いのか。ともあれ、料理には満足できず。ただ、ウォッカは美味しかった。

今日は、2人でワイン一本と、ウォッカをミニグラスに8杯(一人4杯)。まずまずコントロールした量であった。ホテルに戻り、11時半には就寝。
因みに写真は、ピロシキかな?と思う料理。大変硬く、フォークを、エイっと突き刺さないと割れないもの。
なかはジャガイモをすりつぶしただけのものなので、ちょっと寂しい。

香港(何も書くことがなく悩む)

前回ブログに書き込んだのが8日(金)なので、そろそろ何か書かないと怒られる頃であるが、何も書くことがない。
中間決算をやっていて何も目新しいことがなかったり、最近悩みがなくなってしまったので、心が変に安らかになってしまったりしている事が原因と思われる。
ここ数日間で印象に残ったことといえば、明日香出版から出版予定の本を、週末に2万字ほど書いた事であるが、完成したわけではなく、これを書いても「それがどうした」といわれそうである。いやぁ、困った困った。
取りあえず、無理やり面白くないものを書いても仕方がないので、(仕事も忙しくなかったので)切り上げて髪を切りに行く。髪の毛がすごく長かったので、思い切って切ったら、頭が軽くなった。
その後、近くの蘭州麺屋に行って、刀削麺の四川坦々麺を食べる。全然辛くない(香港の四川料理は、往々にして辛さが足りず、まったく物足りない)ので、テーブルに置いてあったラー油をレンゲ1杯入れたら、スープが真っ赤になって、お腹が痛くなるほどの辛さになる。ちょっと、入れすぎたと反省しながら全部食べる。
その後、家に帰って10時に就寝。う〜ん、なにもドラマのない一日だ・・・

香港(Watch on your step)

7月4日に紹介した五十嵐さんと会食することになる。
同氏の部下の女性2名が、偶然香港旅行に来たようで、本来は、彼らプラス同じ部門の駐在員2名で会食する予定だったらしいのであるが、僕もメンバーに加わることが急遽決まったもの。
合計6名で会食。

チムサッツイで食事をした後に、ペニンシュラホテルのFelix Barに行く。
ここは、チムサッツイで食事をする時には良く使うバーで、雰囲気が面白いので気に入っている。ここで、Watch on your stepという、如何にも強そうなカクテルを2杯飲む。
これは、Felix Barに行くと必ず頼むカクテルであるが、これを飲んだ後は、確かに酔っ払う。
これを最初に飲んだのは、4年ほど前で、谷垣君と一緒の時。
二人で、このカクテルを何杯も飲んで、酔っ払って帰ろうとすると、ウェイターが谷垣君を呼び止める。どうしたことかと思えば、彼の靴のかかとが外れており、それを持ってきてくれたもの。
かかとが外れても気がつかないほど酔っていた、というのもすごいが、二人とも酔っていたので、「まさに、watch on your stepだ!」と大笑い。
その時の印象が強いので、Felix ではいつもこのカクテル。

因みに、写真はFelix の光景。
男性陣が写真から逃げてしまったので、旅行者+僕。
旅行者の方は、すっかりリラックスムード。

香港(中間決算中)

今週一杯は、中間決算のため出張無し。それほど荒れておらず、穏やかな決算のため、精神衛生も意外に良い。
さて、昨日書いたコアラの話を面白いと言ってくれる人がいたので、海外生活にまつわる思い出話など。
僕自身は、海外で生活していて、それほど可笑しな目には有っていないが、1989年に福州で実務研修をしている頃は、不便で苦労した事がたくさんある。
当時の福州は、何をするにも思うとおりにならない。ある日、お客さんが出張に来たのであるが、大変な巨人ファンという事で、「前日の巨人の試合の結果を直ぐ知りたい」と言って聞かない。とはいえ、当時、日本の新聞は4日遅れで来る状態だし、当時E-mailはなく、テレックスで交信していた(組織宛てにしか打てない)状態なので使えない。国際電話は当時高くてオフィスの電話は使わせてもらえない。泣く泣く、自腹で実家に電話したら、母親から「わざわざ国際電話で、なにくだらないこと聞いてくるの!」と怒られたことがある。ひどいなぁ、と思ったが、当時の辺鄙な出張所というのは、こんな感じのしょうもない雑務が多かった。

あの当時、本社が、毎日午後3時くらいに、MC Topicsという名前で、一日のニュースをテレックスで海外店に送信していた。
そこに、野球の試合の結果とか、相撲の結果とかが書いてあり、なんでこんなこと書いてあるんだろうと思っていたが、結局、こういう話が多かったんだろうなぁ。
話はずれるが、当時の福州出張所は、日本人・中国人合わせて5人の小さな店で、ホテルのスィートルームで業務をしていた。
当時の業務は、だいたいテレックスでくるのだが、それほど商売が多い事務所でないので、テレックスがぜんぜん来ない。
我慢比べのように机に座っていると、カタカタとテレックスの文字を打つ音がし、「来たぞ(来了!)」と言って、皆なが色めきたってテレックスを覗き込むと、MC Topicsだった、という事があった。
今から思うと古きよき時代である。

今晩は、宴会掛け持ち。
会社設立を請け負ったクライアントの方の開所式+他のクライアントの方の送別会。中華+焼き鳥の2食を食べねば・・・

香港(かつての上司が出張に)

僕が20代の頃、所属していた課(海外経理課)の課長代理だった、五十嵐さんが出張でやってきた。
僕も、クライアントの方との面談・会食続きで、すれ違いが多く、あまり話せなさそうではあるが、ともあれ会議室でしばし雑談。
同氏は、30代の頃に豪州駐在。40・50代で、ドイツ・英国に駐在しており、合計3回の駐在経験者。僕が昔聞いた話で面白かったのが、同氏が豪州駐在の時の話。
同氏の同僚が、顧客のアテンドをすることになり、「休日何処に行きたいですか?」と聞いたら、「野生のコアラが見たい」といわれ、困ってしまったらしい。そこで、前日にコアラのぬいぐるみをもって、(車で一時間くらい走ったところの)適当な木によじ登り、ぬいぐるみをくくりつけ、当日、そ知らぬ顔で車を運転しながら、「あれじゃないですか!」と芝居を打った。顧客の方は、「そうか。動かんもんだなぁ」と言ったとの事で、なんとも、ユーモラスらすな話。冗談好きの同氏ではあるが、これは本当の話だと念を押された。
海外の仕事もいろいろ大変、ということかな。

香港(行列の謎)

先週、近所のスーパーのところに行列ができており、何かと思ったら恐竜化石展だった、という事を書いたが、一昨日の夜にスーパーに行ったついでに覗いてみた。
なるほど巨大。こんなのが生きてたら怖いなぁ、と思いながら見物。

今日は追加でNNAの原稿を1本書いてから、新しい本の執筆。
出だしはいつもそうだが、書くペースが遅いので、全体の構成を決めて、5000字程度書いただけ。でも、意外に調子が良いので、来年早々の出版は大丈夫であろう。

変化のない一日。
昨日の少年サッカーの筋肉痛と日焼けが痛い・・・。早くコーチやめたい。

広州⇒香港(亀一君は卵好き)

今日は、返還記念日という事で、香港は祝日。
朝10:50発の電車に乗り込み香港に戻る。昨日までに提出を依頼されていた、7月28日(木)の日中投資促進機構のセミナーのレジュメをまだ作成していないので、怒られないよう、広州東駅の待合室と、電車の中で一心不乱に作成する。
因みに、7月28日は、午前中が日中投資促進機構主催セミナーで2時間ほど話し、午後はライブドア主催の講演会という二つ掛け持ちなので、結構ハード。ライブドア主催の講演会も、そろそろレジュメ書かないといけないんだろうなぁ。
香港に到着したのは、12:40。タクシーでオフィスまで戻り、荷物を置いたら、出張に来られた日本香港協会の理事の方と面談・会食。
終了後、華南シフトの原稿2か月分とNNAの原稿を一回分書き上げる。ついでにブログも更新。
今回の出張では、珠海マカオクロスボーダー工業区と珠海保税区の取材が出来たので、一回の出張で2か月の原稿が書けてラッキーであった。
しかし、祝日もおちおち休んでいられない。

全然関係ないが、昨日紹介した亀一君は、ただ今28歳。
元々無口な人間なのと、僕とは月に1〜2度しか会わないので、まだ免疫が無いらしく、緊張するようで殆ど雑談した事がない。珠海から広州の車中が2時間有ったので、初めていろいろと雑談をする事ができた。
年齢が離れているので、それ程共通点は無いが、かろうじて共通だったのは、「日清焼きそば」と「鶉の卵の串焼き」を、思う存分食べてみたいという気持が分かるという事。
僕は、大学時代に、日清焼きそばのチープな味に惹かれ、大学2年の夏休みに、毎日5食づつ日清焼きそばを食べ続けたら1ヶ月で太ってしまったので、過酷なダイエット(2週間弱で7KG落とす)をした事がある。
あと、鶉の卵の串焼きというのは、これも大学時代に遡る。
大学の校門付近に、「ひげの九二平(という名前だったと思う)」という焼き鳥屋があった。ここは、暖簾に「不味い焼き鳥・水っぽい酒」と書いてあるところで、大学3年になってから行き始めたが、安いのでいつも大盛況。料理は、「湯豆腐・ねぎま・鶉卵焼き」の3種類のみ。
ただ、店の人が2人しかいない(料理担当の旦那さんと、注文取りの女将さん)ので、何度読んでもなかなか注文を取りにきてくれない。客の主流が社会人なので、押しの弱い大学生は、最初と途中の2回くらいしか注文を取ってもらえないので、(安い事も有るが)毎回一人千円以内で終わってしまった記憶がある。
そんなこんなで、鶉の卵の串焼きを、思う存分食べてみたいという思いに取り付かれたのであろうが、社会人になってから、鶉の卵を3パック買って、自分で串焼きを作って全部食べたらさすがに一晩中気持悪くなってしまった。それ以降、熱は収まっている。

亀一君は、何よりも卵が好きらしい。寿司でも、中華でも、西洋料理でも、卵が食べられれば幸せという事なので、その程度なら、今度食べさせてあげよう。

香港⇒珠海⇒広州(クロスボーダー工業園区)

昼のフェリーで珠海に。香港側のイミグレでは、Permanent ID保有者の出国手続が変わっており、機械にIDを差込み、指紋照合をすると、ゲートが開く無人システムとなっていた。初めてなので、ちょっとまごつくが便利そう。
フェリーに乗り込む時には大雨。珠海でも大雨。撮影が危ぶまれたが、珠海保税区に到着する際には、小雨になっており、何とか取材ができた。
珠海保税区訪問の目的は、マカオ・珠海クロスボーダー工業園区の取材(同工業園区の珠海側の管理は、珠海保税区管理局が行っている)。4月に、マカオ貿易投資促進局と面談し、同工業区の事を質問したのだが、いまひとつはっきりした回答が返ってこず、詳細を珠海側で確認しようと思ったもの。
珠海保税区管理局の副局長が説明してくれたが、大変丁寧な対応で、少々恐縮。
感じたのは、外資誘致にかけては、マカオ政府より、中国政府関係者の方が、はるかに慣れており、ポイントを掴んでいるということ。マカオ貿易投資促進局で質問したときは、統計数字やプロパガンダ的な解説に終始し、税制・優遇措置などの具体的な質問に対しては、まともに回答が返ってこなかったが、珠海側では、外国企業が関心を持つ点を的確につかんでおり、ポイントをついた回答をしてくれた。写真はクロスボーダー工業園区の珠海側。

同工業園区は40万?で、内29万?が珠海側・11万?がマカオ側。前回、マカオ訪問時に、「マカオ側と珠海側でどう区分するのか、税制・外貨管理はどう適用するのか」という質問をしたが、マカオ貿易投資促進局よりは、詳細未定という回答であった。
今回行ってみれば、何のことない、真ん中に川があり、珠海側とマカオ側が区分されている。橋を一本架けて、この連絡を取る(橋を渡るのには通関が必要。但し、出境時の手続だけなので通常の通関よりは簡単)という事らしい。よって、珠海側は珠海保税区に準じた税関・外貨管理が行われるし、マカオはマカオの制度が適用される。
つまり、珠海側の企業所得税率は、経済特区の15%が適用されるし、保税区と同様、保税区域という位置付けになる。保税区と異なるのは、区内に国内貨物が搬入された段階で増値税還付が認められる点で、これは、物流園区・輸出加工区と同様。
珠海側は、工業区・スィッチ貿易区・商業区等の区域に分かれており、内47%の面積が工業区で占められている。工業区は既に6割が売却済。残りの地域も商談中と誘致は好調。進出企業の大部分はマカオ企業との事。
写真は、珠海側から川を挟んだマカオ側園区を見たところ。

話し変わって珠海保税区(珠海保税区とクロスボーダー園区は、車で10分程度の距離)。
1996年に認可を取得した、(全国15箇所の保税区の中では)最も新しい保税区で、企業誘致は2000年から開始している。僕が以前(2002年)訪問したときには、空き地が目立っていたが、現時点では1期開発面積(3平方キロメートル)は、全て売却済み(標準工場は空きスペース有り)。
通常の保税区は、貿易会社の数が多いが、ここは、加工企業・物流企業が主流。保税区としての認可面積は5.89平方キロとの事で、残り2.89平方キロについて、物流園区の設置を申請中との事。2.89平方キロの開発認可が下りれば、物流園区としては、規模の大きなものになる。
写真は珠海保税区のゲート。珠海保税区からは、何処からでもマカオタワーが見渡せ、「マカオに隣接した保税区」を感じさせる。

今回の訪問には、広州にいる部下の杉山君(愛称:亀一)に付き合ってもらった。彼は、ハルピンで語学研修をしたので、北方系の中国語を話す。尚、亀一の愛称の由来は、こちら
写真は車中の亀一君。

取材後広州に移動し、夜は仲の良い会計士の方と会食。ここ暫く、スケジュールが合わず、お会いするのは数ヶ月ぶり。
「悩んでいると聞いていたが、確かにやつれている」と心配された。本当は、前日の深酒のせいで元気がなかっただけなのであるが、真面目に心配されるので言い出せず。心配させて申し訳ない。とここで謝っておくことにしよう。