電気製品が壊れる

生活主体が海外なので、日本で電気製品を買う事は殆どないが、この1年程度で、携帯電話、PC、無線ルーターの3つを買った。
ところが、全部調子が悪い。
携帯電話は、10か月で使用できなくなり新品に取り替えてもらった。
PCは最初からスイッチが付かず、次回の出張で日本に持ち帰り、新品に交換してもらった。
無線ルーターは、充電が殆どできず、充電するそばから漏電していってしまう。
これも、今回の出張でバッテリーを交換してもらった。

という訳で、全て新品に交換してくれて問題が解消したのでよいのだが、それにしても、日本で買った3つの製品が、全て調子が悪いというのはどういう事か。
よほど日本の電気製品との相性が悪いのか、僕のオーラが電気製品を壊すのか、はたまた品質管理に問題が生じているのか。

以前は、こんな事はなかった様な気がするが。
さすがに、3回続くとちょっと問題を感じる。

コットンクラブのゴリラ

日本出張は無事終了。
なかなか充実した出張であった。

関係ないけど、高田馬場のコットンクラブで出版社と打ち合わせた際、出入口の脇のテーブルに設置されていたゴリラの親子のぬいぐるみ。
分かってはいても、毎回ぎょっとする。
存在感があるゴリラだ。

講演無事終了し17時間寝てしまう。

昨日は、10時~11時半まで虎の門で打ち合わせ。
その後、表参道に移動して講演会。
会場は、アイビーホール青学会館。企業研究会主催の講演会。

金杜法律事務所の劉新宇パートナー弁護士との共同講演。
劉弁護士との共同講演は、この1年間で3回目。
10年来の友人でもあるので、気心が知れていてやりやすい。
今回の講演は、最初僕に来た企画を、劉弁護士をを指定して共演にしてので(その逆の場合も当然あり、企業研究会での最初の講演は、劉弁護士から指名してもらったもの)、随分気を使ってくれて、レジュメを僕に合わせてくれたり、冒頭で共演になった経緯などを説明してくれていた。
彼の仕事の能力は前から評価しているのだが、人間的にも真面目で義理堅いなぁと、改めて感心。

聴講頂いた方々も、大変真面目で熱心な方々で、話をしている方も非常に楽しかった。
非常によい講演会。

終了したのは17時半で、そこから帰宅。
この一週間は、なかなかハードなスケジュールだったので、帰宅したら図らずしも熟睡。
0時に目を覚ましたが、歯を磨いてそのまま寝てしまった。
起きたのは、今日の13時だが、それでも疲労困憊で体が重い。
一週間の日本出張が無事終了したので、緊張が解けて、疲れがどっとでたのであろう。

取りあえず、今日は、書上げたPE本の校正を終了させて、来週月曜のNNAの原稿を書かねばならん。
今日の仕事はそこまでにしておこう。

明日は朝9時半に家を出て、上海移動だ。

目が回る・・・

名古屋駅前

日本出張の時が一番忙しい。
22日に名古屋からの移動以降の行動をはしょって書くと・・・

名古屋を出発したのが正午近いので、昼食時で山本屋は満員。
やむなく天むすとカツ丼弁当を買って新幹線内で食べながら移動。
移動中は、連載原稿の執筆。
東京到着して、虎の門で16時半から1時間半会議をして、宴席参加。

翌日は、朝一で家を出て、池袋、大塚で打ち合わせ。
その後、季節行事の確定申告をして、また虎の門に移動して打合せ。

帰宅すると、明け方2時までE-mail整理。
そして、今日は10時から、虎の門で面談。
立ち食いそばを食べて、青山の講演会に移動。

目が回る。
睡眠不足もあるが。

夜目が醒めて

21日の夜。
宴席が夜8時に終了し、ホテルに戻ったら8時半だ。
ホテルのバーにでも行こうかと思ったが、結局、9時に寝てしまった。

そしたら1時半に目が覚めた。
それから全然眠れない。
3時にはお腹が空いてきて、近くのコンビニに行き、おでんを買い込む。
ただ、カロリーを考慮して、こんにゃく・しらたき・大根だけ。
早く寝すぎるのも問題だ。

コンビニでは、中国人らしい女性が一心不乱に働いていた。
誰もいない深夜、こんなに一生懸命働いているのは大したものだ。
こういう真摯な姿が国際交流というやつだよな、とちょっと感心。

感心しつつ、明け方の4時頃再度就寝。

やはり世界のやまちゃん

一昨日の事。
講演が終わると、会食に繰り出す。
主催の方から、「実はやまちゃんなんですがよろしいでしょうか・・・」と切り出される。
「いや、十中八九そうだろうと思って、イメージを組み立ててましたからOKです」と回答。
以前、丸紅名古屋支社長に接待された時もやまちゃんだったのを思い出す。

17時半から飲み始め。
「ともあれ今日は、名古屋飯を食べましょう!」と怪気炎を上げる3人。

うづらの卵の味噌串や、ハムカツ。
食べながら犬山の話になる。
「あそこは、モンキーパークや明治村、リトルワールド、温泉のあるホテル等、観光に力を入れているんですよ」と言われ、「そうですよねぇ。僕も久々明治村行ってみたいんですよ」と切り返す。

僕:
ただ、桃太郎神社だけは頂けない気がするんですけど。
日本国民、桃太郎は岡山だと思ってるのに、わざわざ犬山が本家だと言わなくても良さそうなもんですがねぇ。

主催者:
おっしゃる事は分かります。

僕:
造りもなんかちゃちな感じがするし、他の施設が見事でも、桃太郎神社があるといまいち同じ目で見られる気がしますよね。

主催者:
でも、それなりの由緒はあるみたいですよ。
鬼の剥製があるとか聞いた気が・・・

僕:
それは、ますますいかがなもんかという気が・・・

という感じで盛り上がる。
久々の故郷の話は、それなりに楽しい。

味噌カツを食べ、鮪ニンニクを食べる。
どうも、B級グルメに走るあまり、カロリー接取過多になりそうだ。

そして最後は八丁味噌ピザ。
揚げ物と八丁味噌を堪能しつくした一夜であった。
夜8時は飲み終わり解散。

たいそう品行方正の一夜だった。

理屈で割り切れない事があるけれど

占いを信じないとは書いたものの、世の中、理屈では割り切れない事があるのは確かなようだ。
たとえば、僕が小学校の頃。
一人で寝ていたら、蚊取り線香が布団に落ちて、枕元までくすぶっていた。
燃え上がる直前の状況(更に、僕の頭の間近に火が来た時)、かなり遠くの部屋にいる母親が、夜中に起きて僕の部屋まで来て、あわてて消し止めた。
最初から最後まで、僕は寝たままで、翌朝言われて気が付いた。
布団は真っ黒だ。
危なく、焼け焦げるところであった。
親の愛情と言えばそんな感じだが、第六感というやつである。
それ以上に、少年時代の僕ののんきさにあきれるが。

あと、僕は人と巡り合う運にかけては、我ながら神がかり的なところがある。
本当に良いタイミングで良い人に出会う。
そんなこんなで、僕は自分が運がよいと思っているが、昔を振り返ってみると、そうは思っていなかった。
子供の頃は、かえって運が悪いと思っていた気がする。
ただ、常識的に考えてみれば、絶対的に運が良い人(良い事しか起こらない人)も、その逆もいない筈で、バランスの違いこそあれ、良い事も悪い事も起きている。
その中で、どちらを重点的に考えるかで、考え方は変わってくるものだ。
30代の頃からか、僕は、自分は運が良いと、努めて考えようとした。
良い事が起きれば運がよいと考え、悪い事が起きれば、もっと大きな良い事が起こる予兆だと考えた。
面白いもので、長い間、こんなことを考えていると(自分に言い聞かせていると)、自分は運が良いと心から信じ込むようになり、自信がわいてくるものである。
それが、運を引き寄せる気がする。
実際、引き寄せていなくても気は持ちようだ。
それが盲信でも自身に繋がるのであれば、みつけものだ。
自信喪失で、こうべを垂れていう人に付いてくる人間はいない(とは言わないが少ない)。
思い込みでも自信が持てれば、それがなにかに繋がるものだ。

名古屋到着・ひつまぶし直行

東海日中貿易センター主催で加工貿易セミナーを開く事になったので、朝の新幹線で名古屋に移動。
名古屋到着は11時過ぎ。

今回は1泊2泊の短い滞在で、その中、ひつまぶしと山本屋の味噌煮込みは是非押さえたいと意気込んでいた。
夜は会食に声をかけて頂いているが、僕の動物的な直感が、世界の山ちゃんになる可能性が極めて高いと告げている。
翌日は二日酔いになる可能性があるので、ひつまぶしを食べるとしたら昼しかない、と考えて、名古屋駅付近の鰻屋(竹葉亭)に直行。

実は、僕は鰻にはほとんど思い入れがなく、自発的にうな丼系のものを食べたのは数年ぶりだと思う。
名古屋風ひつまぶしと肝吸いを頼む。
3000円ちょっと。

4つに分けて・・・
という食べ方のレクチャーが書いてあるが、マニュアル通りに進むのが嫌いな僕は、一杯だけお茶漬け用を取り分けて、あとは、どんぶりからわさわさと食べる。

大変おいしい。
やはり本場のものはおいしい。
鰻を食べて感動したのは初めてだ。

幸せな気分の中、講演会に。

身なりは大切

昨日(日曜日)の事。
朝起きてからずっと執筆に没頭して、一息ついた時には午後5時になっていた。
2時間ほどウォーキングをしようと思い、家の外に出てから、寝癖で洒落にならないほど髪が逆立っているのに気が付いた。

気付いた時には既に歩き出してしばらく経っていたので、引き返すには手遅れだ。
いつもは、1.5時間~2時間歩いて電車で帰ってくるのだが、計画を変更して徒歩で往復する事にした。
幸い、既に周りは暗いので、あまり気にもされない。
ただ、2時間歩いていると、寒さの関係もあり、トイレに行きたくなってきて、ファミリーマートで買い物をして、トイレを使わせてもらう事にした。
その折、髪の毛があまりにひどい状態なのと、汗をかくだろうと思って、投げやりな格好をしていたので、店の人は、明らかに警戒している様であった。

やはり身なりは大切だ。
誰にも会わないと思っても、最低限の身だしなみは整えないと。

以前、ミラノ駐在帰りの上司が、「イタリア人はおしゃれで、休日、いつもスーツ着ていない新聞スタンドのおじさんが、床屋に行くためスーツとネクタイを締めているのをみかけた」という話をしていたのを思い出した。
そこまでやらなくても良いとは思うが。

因みに、その上司は、会社でもいつもよれよれの格好であったが。

おみくじとか占いとか

高校3年生の時に、鶴岡八幡宮のおみくじをひいたら凶が出て、翌年浪人して以来、おみくじはひいていない。
別に、凶をひいたから浪人したわけではなく、あきらかに自分の努力不足(高校1~3年の夏まで、全く勉強しなかった)の結果だが、ともあれ、「おみくじに凶なんて入れるな!」と怒りを感じたのが、ひかなくなった理由である。
まあ、入れないと、お祓いで儲ける事ができないのであろうが。

占いもやらない。
信じないというだけではなく、いくら信じていなくても、何かネガティブな事を言われれば心に残り、それが、後の自分の行動を、何らかの形で縛る様になる。
それが嫌だ。

前にブログで、過去の僕の運不運(過去に不運と思えた事が、実は良い選択肢だったという経験)という話を書いたが、人間の運・不運は、運命ではなく自分が決めるものだ。
より正確に言えば、自分の努力が運命を変えるのだ。
ある事象が起こった時、それが不本意な出来事であったとしても、その中で努力をすれば、それが幸運の道に姿を変える。
振り返った時、「あの時は不運を嘆いたけれど、実は、幸運だったんだ!」と言える様になる。
仮に、過去に僕に起こった出来事が反対であったとしても、それがベストの結果につながる様に、僕はもがいていたであろう。

人間誰しも未来は予測できない。
だからこそ、可能性を求めて、ある時は不安と恐怖で努力するものだ。
その努力だけが、未来を創る。
努力しても不安を感じるのであれば、「自分は運が良い」と一日何回も唱えればよい。
10年も唱えていれば、心から信じて、自信が持てるようになる。
占いが(人生相談的な)癒し効果を提供してくれるのであれば、そして、自分に自信を持たせてくれるのであれば、その意義は否定しない。
それが、人を救う事もあるのであろう。

ただ、自分の人生に責任を持てるのは自分しかいない訳だから、偶然(おみくじ)や人の言葉に左右されるのではなく、自分が信じるように戦ってみたい。
少なくとも僕はそう思う。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ