運命の道

中学校の時に、オーヘンリー短編集を読んだが、その中で、妙に心に残っている1篇がある。
それが、「運命の道」というものだ。

主人公が歩いていると、3つにわかれた道に差し掛かり(一本は、いままで来た道)、悩んだ末に、右、左、戻る、という選択をするのだが、その全ての選択が、話として記載されている。
ロールプレイングゲームっぽい構成だ。

結局、どの道を選んでも、結局、違う理由で死んでしまう(自殺、決闘、殺害)。

どう解釈するかであるが、そのまま読むと、「人の運命は決まっているから、あがいても無駄」という事だろうか。
ただ、記憶の中で(中学以降読み返した事がない)、人の運命は努力によって変わる。
努力しない人間は、何をやっても無駄だし、努力する人間は、どんな選択をしても成功する。
という意味だと思い込んでいた。

まあ、解釈が難しい話らしく、どちらが正解とも言えないのであろうが。

ただ、誰しも、過去の選択を振り返る事がある。
また、人生の岐路もある。

結局、その後、必死に努力すれば、どんな選択でも、「良かった」と思うし、しなければ、「違う道を選んでおけば良かった」と思うものだろう。

そんな訳で、後で振り返った時に、「この選択をして良かった」と思えるような人生にしたいものだ。

広州日帰り出張は天之河で食事をして終わり

野菜炒めととんこつスープ水餃子はかなり薄味

この記事を書いてから、他の記事を先に載せたり、48時間くらいブログが不具合でアップができなかったりで、何やら時系列がぐちゃぐちゃになってしまうのですが・・・
一応、書いたので載せときます。
因みに、これは11日の出来事。
いま(14日)は上海にいます・・・

夜8時15分発の便で香港に。
広州で6時まで仕事をして、1時間ちょっと、中信広場の天之河で食事をする。

昨日のウォッカのダメージが若干残っているし、宴席の無い日は酒を飲まない事にしているので、今日は酒抜き。

野菜炒めを食べて、焼き餃子を食べて、豚骨スープ水餃子というのを食べて、メンチカツを食べる。
最後は、カレーライスを半分づつに分ける。

たっぷりラー油と平然と食べる亀一

焼き餃子用のラー油を貰うと、たっぷりと出てくる。
市販の家庭用ひと瓶くらい入ってるのではあるまいか。
醤油をちょっとたらし、焼き餃子を付けて食べる。
結構辛い。
他の料理が極端に薄めだったので、帳尻があった感じ。

亀一は平然とした表情。

ブログの調子が悪かった

一昨日の夕方から、ブログの書き込みができず、困っていた。
あと、写真が落ちていたりとか・・・そんなこんなで、更新できなかったのが、一応もとに戻ったようだ。

しかし、他の方は更新できているのに、なぜ僕だけだめだったのだろう。
僕のでテストしたのかな。

なんか、ブログの管理画面が変わった。
絵文字が入れられるようになったようだ。

とか

とか

とか。

まあ、携帯電話でも、絵文字は一度も使った事ないから、使わないだろうなぁ。

 

社会人に求められるスキルとは

新入社員の頃、配属初日にかかってきた電話を取った。
銀行からであった。
先輩への電話であったが、いないと言うと、メッセージ宜しくと言われ、「書類にディスクレがありました。レファレンスをスペルアウト致しますと、フランス、アメリカ、ベトナム~」とか言われ、「ひやぁ、そんなに早くメモできないよぉ」と思って、必死で書き取った。
が、知ってみると何でもない、FAV~の事で、フランスF、アメリカAとか言えばいいものを、如何にも新入社員っぽい人間が電話に出たので、意地悪してこんな言い方したのであろう。

まあ、これは、積極的な意地悪であるが、他意はなくても、社会人になると、皆、ある意味不親切になる部分がある。
共通用語になっている様な言い方は、敢えて、誤解が生じる様な説明になる事も少なくない。


例えば、「外貨で買いたいんですが。人民元で買いたいんですが」という発言をよく聞く。
ただ、その真意は、「外貨で買いたい=手冊輸入したい=加工貿易形態で仕入たい」という場合が良くある。
外貨で買いたい、人民元だけ買いたい、というのを正直に受けて、「一般輸入でも外貨で決済できるからそれでいいんだ!」とか考えたりすると、趣旨を取り違えるし、「進料転進料の転廠だったら、人民元決済できるから、これでもいいんだ!」と考えたりすると、単に、内貨(非保税品)を買いたいと言う趣旨だったりする。
こんな感じで、社会では、かなり話(説明)をはしょられる事が多いので、この点、注意が必要だ。



よって、一つの事を聞いたら、そこから趣旨を類推し(場合によっては、数種類の可能性を推測し)、それを嫌味にならないような聞き方で、真意を探っていくという過程が必要になる。
この点、学生の頃はなかったが、社会人には欠かせないスキルであろう。

僕が29歳の時、インストラクターをしている新人に、したり気な顔で、「学生の頃は、与えられる情報は、全て正しくて、その中から答えを出せばいいけれど、社会人になったら違うんだ。正しいデータと間違っているデータが混在する中から、情報を選別して、解決を誘導していく必要があるんだよ」とか話した事がある。

その当時の僕に、それがどの程度出来ていたかはわからないが、言った事は正しい。

間違ったデータ、不完全な伝達、そんな要素が含まれた中で解決を導いていく作業は、探偵のそれと似通ってもいるが、ひとたび社会人になれば、避けて通れないスキルである。

それだから面白い、ともいえるのだけど・・・

マイナス20度でウォッカ!

青いライトが光っているガラス張りの部屋が-20度

(10日の出来事です)

ランカイフォンのバラライカ(ロシア料理&バー)に行った。
チムサッツイのバラライカには、2002年に行った事があるのだが、ここの売りは、マイナス20度の部屋が有って、ここでウォッカが飲める事だ。

昔(2002年)、コンシェルジュの企画で、丸紅香港の社長、副社長、谷垣君が、ここを紹介。
マイナス20度の部屋で、毛皮を着て酒を飲んでいる写真が紙面を飾った事がある。
寒いよ~ とか吹き出しが書きこまれているのが面白くて笑っていたが、楽しそうなので、早速行ってみた。
ただ、チムサッツイのバラライカは、(今は知らないが、少なくとも2002年に行った時は)ずっと音楽の生演奏をやっていて、うるさくて話ができなかった。
それが嫌だったので、その後、行かなかないままになっていた。

ただ、ランカイフォン店は雰囲気が良いと聞いたし、久しぶりに寒い中でのウォッカに惹かれるものがあったので、二次会に行ってみた。

場所を知らなかったが、これはあっさり見つかった。
ランカイフォンのバラライカは、本当に内装も綺麗で雰囲気がよい。
当時行ったチムサッツイのとは随分違う。

席に座ると、向こうにマイナス20度の部屋が見える。
実務研修時代に何度も仕事で入った、海産物の冷凍庫と同じ温度だ。
研修時代は、検品の立ち会い(通訳)で、何度も冷凍庫に入っては風邪をひいたものだ。

毛皮を貸してくれるので着て中に入る

毛皮を貸してくれるので、これを着て中に入る。
最初は意外に余裕だったのが、長くいればいるほど寒くなってくる。
Tシャツで入っている人間も何人もいて、「よくやるなぁ」と驚く。
これだけの寒さだと、ウォッカがすいすい入る。
ビールは絶対飲めない。

寒い部屋の中では至る所で写真を撮ってる人が

客は、皆な遊び感覚で入っていて、写真を撮ったりして楽しんでいる。
こちらも写真を撮って、楽しく飲む。
床に誰かが酒をこぼした部分が氷になっている。
恐ろしい寒さだ。

3時間以上いたので、結構飲んだ。
寒さは酒を促進するな。

外に出たら、身が冷え切ってたので、暑さが心地よかった。

楽しく飲んで、幸せな気分になった一夜であった。


広州日帰り出張は出前一丁から

広州行きの電車に乗る前に

広州日帰り出張だ。

昨日もバタバタしてブログ書けなかったので、今日書かないと2日連続。
2日書かないと、一週間書かない事にもつながりかねない。

という事で、取り合えず、ホンハム駅の出前一丁(朝食)を。

最近、即席めんはあまり食べていないのだけど、朝で牛肉麺がないのでやむを得ない。

昨日行った、バラライカ(マイナス20度の部屋でウォッカが飲めるバー)の事は、また明日の紹介という事で・・・

今週中にはQ&A改定作業完成

今日は朝から一日中Q&Aの改定作業。

思った以上に進んだ。
2007年版のQが、全部で56個。
今回は、増値税輸出還付制度変更の経緯を削除(すでに、輸出還付制度が定着している中で、1994年からの推移を紹介する事に、あまり意義がなくなったと判断したため)、マカオの投資制度を削除。

全部で54個のQにする予定。
本日で52個完成。

残るは、香港経由の中国ビジネスと、配当金課税制度の二つ。
今週中には完成できるであろう。

今日の作業は、あとで記載するので、Q&A改定のカテゴリーを参照願いたいのであるが、ともあれ、全文修正したQがすごく多い。
感触で言うと、全体の70%位を書きなおしたのではあるまいか。


会計、企業所得税が変わり、増値税法改定の影響で、免税輸入制度・国産設備の増値税免除制度も変わった。

加工貿易保証金制度も変わった。

保税開発区はどんどんできた。

香港との租税協定も全面改訂された。

移転価格の制度は変わり(特別納税調整実施弁法が施行)、非居住者課税の制度も変わった。

保税区貿易会社等と言う制度(正規の販売権が無い販売会社)は、既に過去の遺物になりかけていて、今では、保税区の販売会社は、大部分が国内流通権・貿易権を持っている。

この3年弱の変化は、本当にすさまじい。

早く改訂版を出さなくては!という感じ。

ただ、今日は、筆が順調に進んだので気持ちいい。

もう一息だ!

新聞記事にかつての恩人をしのぶ

前々回のブログで、M&C設立時(2006年)に、幾つかの新聞で紹介して頂いた、という話をしたが、それに当たっては、当時の丸紅の広報部副部長のご協力を頂いた。
この方は、昨年、若くして他界されたのだが。

丸紅で勤務していた時、広報面では、この方に随分お世話になった。
M&C立ち上げの時も、取材の段取りをつけて頂くと共に、「現地で取材を受けた方がいい。その方が大きく取り上げられるから」とのアドバイスを頂いた。
更に、「水野は自由に話して構わない。新聞社の方には、僕の話した事は、全て丸紅広報部の確認済です、と言っていい」と言って頂いた。

その一言で、「この人には絶対迷惑をかけられない」と強く思った。
亡くなるまでの数年間、この方に頂いた助言・サポートには、いまでも感謝している。
懐が大きな方であった。

人は、人から信頼されて、初めて人に尽くそうと思うものだ。

ただ、部下を信じられない上司もいる。
リスク管理は必要であるが、全ての根底には、信頼がなければいけない。
これができずに、社内で魔女狩りの様な事をやっている人間も少なくない。
心が無い厳しさは上司の怠慢であり、品格の欠如だ。
リスク管理と聞こえの良いセリフを吐いているが、単に、人を信じる器、活かす器がないだけだ。

人としてどう生きるか、上司としてどう生きるか。
それは自ずと問われるものだし、その人間の品格として表れる。


結局、そんな事が起きて、僕が丸紅を辞める事になったのだが、外れくじを一個ひくまでの間、何人も、懐の深い上司、同僚に出会えた。
これだけ、良い上司に何人も出会えたのは、やはり感謝すべき事だろう。
そして、そんな方々に対しては、その信頼に答えようと頑張ったつもりだ。

権力には立ち向かうが、人の信頼には全力で応えたいと思う。
長いものに巻かれる事ができない僕の性格は、損でもあるし、賛否両論生むだろう。
それでも、沢山の方々が、理解してくれた。
他界された広報部長もその一人。

何もお礼が言えないままになってしまったが、一緒に仕事ができた事に、この場を借りて、改めてお礼がしたい。

有難うございました。

Q&A改定作業やっと再開

5月末に第一部の改定を完了。
6月に、第二部のQ29~Q35を改定したまま、作業が完全にストップしていた。

引き続き、「まだですか?」と何人もの方から督促を頂いた。
やっと再開。

状況は以下の通り。

Q29(中国の会計規則)
会計準則の内容を記載する必要あり、全文修正。

Q30(会計年度の決定)
全文修正。

Q31(外国語帳簿の使用)
会計システムの使用に関して状況が変わっており、部分修正。

Q32(記帳通貨の決定)
微修正。

Q33(外貨会計)
半分程度修正。

Q34(固定資産)
税務が変更された事。会計準則の内容を追記する必要があるため、全文修理。

Q35(無形資産)
税務が変更された事。会計準則の内容を追記する必要があるため、全文修理。

Q36(棚卸資産)
同じく、全文修正。

Q37(引当金)
同じく、全文修正。



明日は、Q45くらいまで仕上げよう。

そうすれば、2007年版のQ(55個)より、ちょっと減って(マカオを削ったり、外資企業に対する優遇税制が無くなったり)全体で52個程度のQになるはずなので、まさに、もう一息、という感じだ。

それが終わると、用語集の改定だ。

亀一新聞に名前が載る

8月3日付けの日刊工業新聞で、チェイス・チャイナの事を、結構大きな記事にして頂いた。
そしてついでに?(社長だからついでではないか!)、亀一の名前も社長として載っていた。
三十代前半で、社長として新聞に名前が載ると言うのはなかなかない事だ。

思い起こせば、僕が社長という肩書を始めてもらったのが36才の頃。
丸紅廈門有限公司の社長であった。
が、全く話題にならなかった。
事前に、「最年少の現地法人社長じゃないか」とかおだてられていたが、就任した時には清算(駐在員事務所への組織変更)が決まってたし・・・

次は、M&Cの時。
この時は、さすがに社長として名前が出たけれど、42才の事だった。

今回の新聞記事を一部頂いたので、早速、スキャンして、亀一に送った。
「両親や友達に自慢しな」とメッセージを付けて。

社長の仕事は、結構辛い。
この会社は、僕の期待が大きいのでなおさらだ。
という訳で、色々しんどいであろうが、節目節目で喜んでおいてもらおう。


中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ