もうすぐ1年だなぁ

昨年は、8月29日(金)が、8月最後の営業日=丸紅最後の勤務の日だった。

最後の出社日は上海。
引き継ぎが終わったら、行きつけのシャンパンバー(CI5)で乾杯した。

もうそろそろ1年だ。

業務の順番(一週間毎に上海と香港華南を交代)から行くと、香港にいる日だが、できれば上海で、一周年を迎えたいな。

そして、ドンペリで祝いたいものだ。

生き残ったぞ!
という感じで。

これをやると、スケジュール調整が結構大変になってしまうので、どうなるか分からないけれど、個人の思い入れとしては、是非、やりたい。

こんな感じの、節目節目のお祭りは、活動の原動力になる。

10か月前(2008年の9~10月)は、スターバックスのコーヒーも飲めなかった人間が、記念日にドンペリ飲むか、とか言えるようになった。

確かな一歩だ。

そして、次の一歩が始まる!


怠けるのもけっこう難しい

忙しい日々が続いたので、月曜日に「今週は怠ける!」と部下にも宣言した。

まあ、今週は4件しか面談を入れなかったので、その意味ではのんびりムードとも言えるのであるが、一方で、期限を極端に区切ったご質問が多かった。
今日中に!明日の午前中に!
というのが、この2~3日で何本も来た。
普段は、あまりこの様なご指定はないのだけれど、続く時は続くものだ。
結局、何だかんだで、0時まで回答作りに追われる事に。

あと、いままで後回しになっていた、経理やら何やらの社内管理を整えようと数ヶ月前の書類と格闘する事しきり。

結局、あまりのんびりできなかったなぁ。

まあ、部下がそろって、皆な効率的に働いてくれているので、昨年や今年早々の忙しさとは全く違うけど。

怠けるのも大変だ。


給食の思い出

昨日、会食時に小学校の頃の給食の話題となった。
この話題は、年齢によってずいぶん印象が異なる。

僕の世代は、給食がまずかった。
僕は一回転校しているのだが(愛知県江南市⇒横浜)、小学校1~2年を過ごした愛知県の給食が特にまずかった。

何がまずかったかと言うと、「冬に出てくる脱脂粉乳」、「給食のおばさんが、よく焦がす」という事で、灰の浮いた給食を、かなしい気持ちで食べたものだ。
毎月1~2回焦げていた気がするので、確実におばさんの技術不足(手抜き?)だ。

あと、小学校の頃は、あまりご飯が食べられない子供だったので、冬は、おかずを(食欲旺盛な同級生に)あげる事を条件に、脱脂粉乳を飲んでもらったりしていた。

あと、子供のころはバナナが食べられなかったのも問題だった。
一度、(残すと怒られるので)食べ残したバナナをランドセルに入れて帰ったら、下校時に友達と遊んだこともあり、中でぐちゃぐちゃに。

ノート(昔なつかし、ジャポニカ学習帳)が、バナナでドロドロになっていて、「困ったぞぉ」と思ったものだ。

バナナぐちゃぐちゃ事件の数日後、本来は、クリスマスケーキが出るはずだったのに、工場の関係で、ケーキがでなくなり(という説明だった)、代わりにみかんとバナナが出た事がある。

みんなは、「やったー」と喜んでいたが、僕は、「またバナナだよ」と、「とほほ」という気分で暗くなった記憶がある。
今度は手に持って帰った気が。

そんなこんなで、小食だった子供時代の僕には、給食に対して良い思い出が無い。

今の給食はずいぶん美味しくなったとか。

うらやましいなぁとしみじみ思う。

亀一社長になる

昨日のブログに書いた通り、上海エクスプローラーと合弁で、ビジネス・コンテンツ制作会社である、チェイス・チャイナを設立した。

昨年9月の起業以来、香港、上海、広州に法人を作ってきたが、これで日本拠点を確保。
新会社は、ちょっと毛色の違う会社であるが、今後の僕のビジネス展開にとって、極めて重要な位置付けの会社である。
情報配信ツールの確保は、ここ数年の僕の念願だったので、その第一歩となる仕掛け。

新会社の社長は亀一こと杉山竜一に任せた。
個人出資も10%してもらった。

この一年で、僕が矢継ぎ早に会社を作ったので、「何故そんなに会社ばかり作るのか?」と質問される事が多い。
また、昨年9・10月、僕の会社がまだ1社(Mizuno Consultancy Holdings)しかない時は、「何故、1社なのにホールディングスなんですか?」とか言われたけれど、最初から、この拠点作りを念頭に置いていたから、というのがその答え。


上海・広州の拠点作りについては、
広州を上海の分公司にする。若しくは、香港の常駐代表所にする、という選択肢もあった。

効率からすると、その方がよいとの考え方もあるが、会社を動かすのは人。
僕と働く事を、迷わず選択してくれた部下たち(3~12年間、僕と一緒に働いており、その意味では、僕の遺伝子を引き継ぐ連中だ)に、これは、自分の会社だと思って貰えるようにしたかった。
だから、部下のいる拠点すべてを法人にして、出資をさせ、社長を任せようと思った。
上海、広州は、僕と長年働いてくれている部下を董事・副総経理にしているが、近い将来、董事・総経理にするつもり。
それが、全てを法人にした理由である。


だから、今後も、即戦力となる人間を、高給と高待遇で採用する事はしない。
あくまでも、僕と苦労して戦ってきた部下たちに、会社作りを任せたい。
そして皆な、その想いに応えてくれると思う。

因みに、合弁会社の「チェイス・チャイナ」というのは、亀一と僕が、沖縄料理の「ちゅら」で昼食を食べている時、亀一がタンシチューを食べながらふと思いついた名前。
僕は、「チャイナ・ビジネスコンテンツとか、そんな名前がいいんじゃない?」と言ったのであるが、社長をやる人間の意見に従った。

今の社名を聞いた反応は、大薗さんも、僕も、「チェース・マンハッタンみたいだね」というものだったが、この銀行名は、10年近く前に無くなっており、亀一は、その銀行名自体知らなかった。


ともあれ、昔から、社長になりたい、社長になりたいと言っていた亀一が、とうとう社長になった(年齢的にはかなり早いが)。

僕の夢を実現する為に、極めて重要な仕組みとなるのがチェイス・チャイナ。
これを基軸にして、どんどん、仕組みを作っていく。
提携、新規商品開拓を絶えず仕掛けていく予定だ。

自分の持分を減らして、39%出資にしてまでも、効果の極大化を目指した事は、その思い入れの表れだ。
この僕の想いに、どんな答えを出してくれるのか、新米社長の腕前を拝見したい。


上海エクスプローラーと合弁会社設立

Mizuno Consultancy Holdingsと上海エクスプローラー共同出資で、合弁会社を設立しました。
概要は以下の通りです。

社名  株式会社チェイス・チャイナ(日本法人)
資本金 9百万円
出資者 上海エクスプローラー51%、Mizuno Consultancy Holdings 39%、杉山竜一10%
代表取締役 杉山竜一

業務内容
チャイス・チャイナのサイト(元、上海エクスプローラー内「中国ビジネス解説」)での、中国ビジネスコンテンツの配信。
中国ビジネス誌の刊行
E-Learning
出版
アジアビジネス情報の配信

2009年8月1日より、旧中国ビジネス解説のサイトを刷新しました。
今後、中国ビジネスレポート、法律集、ビジネス文書ひな形、中国ビジネスインフラ等のコンテンツの充実を図ります。
また、2ヶ月以内には、動画配信を開始(E-Learning関連より開始)。
年内には、中国ビジネス誌の刊行を予定しています。
また、来年以降、アジア関連のビジネス情報の収集・整理を実施し、アジア全域のビジネス情報の規範化を目指します。

僕自身も、2001年に上海エクスプローラーに原稿を機構した事が、その後の、連載、書籍出版、コンサルティング事業開始のきっかけとなりました。

著名な執筆者の原稿を掲載させて頂く努力をするのは当然として、チェイス・チャイナでは、潜在能力を秘めた執筆者の開拓も積極的に行っていきます。
我と思わん方は、是非、ご連絡下さい。

大変な1週間、1月、1年が終わって・・・

(8月1日の出来事です)

企業撤退での救助、更には講演会の同時進行で、大変な一週間だった。

あと、7月はしっかりとしたレジュメを作る講演会4つ。
それも大変だった。

更には、大変な1年だった。

ともあれ、ひと段落。

今日は寝る。
怠ける。
8月はちょっとのんびりする。

テイクアウトしたタンドリチキンとカレー

今日は昼まで寝て、近所でインド料理を持ち帰り。
また寝る。
DVDで軽いドラマを見る。
また寝る・・・

ともかく、今日は徹底的に怠けてやる。

撤退サポートはリスクと隣り合わせ

最近、組織再編、効率的なビジネスモデル構築等のご相談が多いし、進出も、ここ数カ月またご依頼が増えてきた。

ただ、撤退のサポートも、現段階で数件請負っている。

その関係で、(あるクライアントさんの撤退作業が大詰めになったので)28日には、上海のとある地域の政府機関(労働関係部門等)と解雇条件の打合せ。

講演会前日には、数百名の従業員の前での解雇通告及び解雇条件の提示の場に立ち会う。
本来は、副総経理の胡さんと、提携先の弁護士のみが現場に立ち会う筈であったが、このステップで、工場に監禁された、工場の経営者が殴られた(僕の経験では、殴られた被害者は中国人で、日本人は被害なし。監禁事例は日本人だが)等の暴力行為を受けた事例が、過去に請負った案件でも数件ある。
部下だけに行かせるのは気が引けるので、僕も参加する事に。


30日朝9時に工場に到着すると、門は施錠され、出入り口には警備員が十数名待機。
物々しい雰囲気ではあるが、幸い、地方政府関係者が立ち会ってくれた(会場には入ってこない。工場の敷地内で待機)ので、警察も数名立ち会い。
法律に基づく支払いを行う、という回答なので、余分の補償を要求する従業員側が軽い騒ぎになりかけたが、警備員が誘導する中、無事、工場から出て、業務に戻れた。

ただ、その後(夕刻)工場内にクライアントの方が残っている状態で、従業員が工場を取り巻き、クライアントの方が監禁されてしまった。
工場から、クライアントが、中方パートナー経由で警察の派遣を要請したが、パートナー側に却下される。

この様な経緯を経て、当社に救助要請があったのが夜8時近く。
胡さんが、弁護士と共に所管の警察に行き出動要請。
僕も、夜の11時半にタクシーを捉まえ(車で1時間の場所)、警察に。


出動の基本的な了解は貰ったが、タイミングを明朝にして欲しいと言われる。
この時点で、破壊行為、暴力が発生していない為(数日前に、窓の破壊などは行なわれたが)出動が難しい。
労働関係部門等に同行を依頼し、説得の後、工員がこれを聞かない事を理由に救助するというステップを取りたいというのが警察の立場。
この時間では、関係政府の担当者に連絡を取れない。
工場前に数名警察を派遣し、暴力行為が行われた段階で、直ぐに出動できる状況を整えてくれたので、その意見を受け入れる事に。

僕が工場の様子を見に行くと言うと、「お前も監禁されるからやめてくれ」と警察に止められる。
そんな訳で、「今は動きようがないので、自分だけが残るから帰ってくれ」という胡さんの意見を聞いて、僕は明け方帰宅。
胡さんと弁護士は、警察で夜を明かす事に。


朝の8時から、警察の胡さん、工場内のクライアントと連絡を取り合う。
救助方法に、幾つか協議、検討が行われたが、最終方針が12時頃決定し、午後に出動。
無事、救助が行われた。

僕の講演(持ち場)が終わった段階で、胡さんより無事救助の連絡あり。
心よりほっとした。

僕も講演前2夜連続で睡眠不足(実は、解雇通告の前夜も緊張して寝付けなかった)。
胡さんは、警察で夜通し交渉していたので、不眠不休。

出動のタイミングに付いては、意見の相違があったものの、警察、政府関係者の協力も貰い、無事救助が完了したのは感謝。

本来の請負業務内容にはない仕事だが、撤退はリスクと隣り合わせ。
突発事項が有れば、解決しなくてはならない。

コンサルタントも弁護士も、問題を解決する手段が有って、初めてでできる商売。
デスクの上だけで仕事をしている訳ではないのである。
まあ、怖いけど・・・

考える事が一杯でブログに頭が回らず

結構美味しいもつ鍋だった

難しい仕事が幾つかあり、頭を悩ます事が多いここ数日。
とは言え、仕事自体は夜7時前に終わったので、NNA上海の総経理(大野さん)を誘って食事をする。

田々で、仕事の話をしながら食べた訳だが、最後にもつ鍋を頼んだ時に、「またもや、ブログ用写真を取り忘れた!」とはたと気づく。
仕方がないので、もつ鍋の写真だけ。
美味しいもつ鍋でした。

講演会(7月31日)のレジュメに目を通さなくてはいけないので、酒はごくごく軽め。

天水倶楽部の講演

懇親会中締め後の記念写真

かなり大変な(忙しい)日々が、ひと段落した気がします。
ブログ更新が、またもや止まってましたが、なんとか再開できそうな気がします。
先ずは、一週間前(25日)の話・・・

深圳で天水倶楽部の講演会。
土曜日の17時からという時間設定で、懇親会付き。
この講演会は、僕の半生、ビジネスの仕方、商売開拓のポイント等を2時間かけて話した。

2001年、僕は、コンサルティングを始めたが、それは、自分の知識・経験が金になるものか(人がお金を出してでも助けてほしいと思うものであるか)、確かめたいからであった。
当時、商社の1経理マンであった僕が、コンサルティングを始めると言った時、社内の人は、「弁護士も会計士もいるのに、商社の経理マンに商売を頼む訳ないじゃないか」という事を言った。
そう、丸紅は商社ではブランドでも、コンサルティング業界ではブランドにならない。


そこで、以下の対策を行った。
① 本を書き、連載を持ち、知名度を作った(自分の名前を外に出した)。
② 実務を知っている、という強みを生かした。
 ⇒ 人それぞれ、経験に基づく強みがある。
    それをどう売るかを考えるべき(人が違えば強みも違い、売り方も違う。それを十分    分析する必要あり)
③ 中国経験が長い為、中国の日系企業のニーズが分かったので、それに対応する形でビジネスを作った。
  ⇒ ニーズを知れば売り方が分かる。その強みを生かすべき。
④ コンサルは、独立したビジネスと位置付けた(商社のビジネスの為の情報源ではない事を明確にした)。
よって、頂いた相談(=情報)は、決して社内で開示しなかった(守秘義務に最大限の注意を払った)。

当時、他の総合商社も中国コンサルを行う、という報道を行ったが、結局、実現させたのは僕だけだったと思う。
これができた大きな要因は①、④にある。
そしてそれは、その後、僕が退職を余儀なくされる元になる。
考えようによっては、組織人としてのあり方とは逆な生き方(やり方)なので。

2001~2007年までは、ありがたい事に、何人もの上司、上層部の方々が理解を示してくれ(僕のやり方の全体的な意義を理解してくれ)、受け入れていてくれたが、組織として考えれば、賛否両論が出るのも必然。
ひとたび、受け入れない上司が上に付けば、僕のビジネス自体が否定される。
そんな事が実際に起こった訳だ。


ただ、①~④は僕が考えに経験してたどり着いたノウハウ。
商社内のコンサルを実現させる為には、欠く事ができない事項だった。
僕が退職した後に、僕が育てた元のコンサル会社(M&Cという会社)は、僕抜きで、僕の信念を否定する形で存続が宣言されたが、結局、僕がいなくなって7ヶ月終了(活動停止)を余儀なくされたのは、それを証明する出来事だろう。

結局、何が正しいというよりは、会社の主業務とは離れるビジネスを行う場合は、こんな事が起こりうるというのが、知っておいた方が良いポイント。
講演の内容自体は、大学の頃の旅行から、徐々に徐々に、中国でどう仕事をしていくかのポイントを見つけていく過程を語ったのであるが・・・

参加頂いた皆さんは、僕のブログも半世紀(コンサルタントができるまで)も読んでくれている方々で、大変和やかな雰囲気で講演は進行。
講演会も火間土で開催。

深圳にホテルを要い頂いたので、のんびりと酒が飲めた一夜であった。
主催の方、参加頂いた方、有難うございました。


ウコンを飲もう!

ちゅらで買ったウコン

前回の健康診断で、γ-GTPが高かったので、宴席のない日は休肝日という事になっているのであるが、先日、打合せ時に、「ウコンを飲んでたら、200以上のγ-GTPが二桁になった」という経験談を頂いた。

そう言えば、数年前に同僚も、同じような話をしていた。

二人経験者がいるからには確かだろうと、打合せ後、早速ウコンを買いに行く。

ウコンってのは、確か「ターメリック」だったよなぁと思いだし、店員さんに聞いてみるが、2軒回って無し。

沖縄料理の「ちゅら」に置いてある、という話を聞いて、早速、昼食を食べに行き、そこで10袋(10回分)購入。

まあ、酒を飲みに来た人が、その場で買うためのものの様なので、値段がHK$18/袋と割高だが、背に腹は代えられない。
思い立ったが吉日だ。

これで、一週間は持つだろうから、その間に瓶入りのウコンを購入しよう。

そんな事でまずは購入したウコン。
「酒豪伝説」という名前。

すごいネーミィングだ。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ