東京(大学時代の知人を思い出す)

今日は、打ち合わせを数件こなす必要があるので、少々長い道程であるが、東京に向かう。

昼食は、大学時代のゼミの後輩と食事をした。

彼女は、中国経済ゼミの数少ない(少なくとも十数年で唯一)女性ゼミ生で、大学時代から、中国に強い思い入れを持って、勉強していた。僕は、不真面目なゼミ生だったので、大学時代は、中国経済の知識も中国語も、彼女に大きく遅れをとっていたものである。

会うのは実に16年ぶりで、再会できるとは思っても見なかったが、同じく、中国関係の仕事をしている関係で、色々なところで、(間接的な)縁が出来、今回の再開となった。

共通の知り合いの話(ゼミの仲間は会社を辞めている人間が多いらしい)、数年前に、「てなもんや商社」でいきなり監督デビューをしてしまった、元同級生、本木克英君の話など、思い出話に花が咲いた。思い出せば、本木君と最後に話したのは、僕が福州修正時代。彼は助監督の時代で、大船の寮に電話を掛けて、お互い大変な生活を自慢しあった(?)ものである。その後、全く交信を取っていないが、数年前に日経新聞を見ていると、いきなり監督デビューしていたので驚いた。随分有名人になったもんだと感心する。

夕方は、コンシェルジュの社長と打ち合わせ。

彼は、友人であり、同い年で気心も知れているので、楽しみながら打ち合わせを行った。

同紙は、日本・上海・北京・香港・大連で発行されているが、僕の執筆している「華南シフト」の食いつきが、香港ではいいものの、上海・北京でいまいちという話である。

華南シフトは、元々同紙・香港版のために書き始めた、広東省の開発区紹介なので、上海・北京の方々の関心が低いのは、やむを得ない話である。

結果として、香港版(華南シフト継続)と上海・北京版で企画を変えることにした。

上海・北京の企画は、新聞に取り上げられた中国関係記事を毎月一つ取り上げて、背景・意義・影響などを、初心者の方にも分かりやすいように解説しようというものである。

執筆の手間は増えるが、なかなか面白い企画で、楽しく原稿が書けそうである。

夜は家に帰って食事。

食事後、屋根裏にまで上って写真を探すもやはり見つからず。


大阪⇒横浜(昔の写真探し)

午前中、大阪本社に行き、管理部と打ち合わせをする。

昼食は、社内の来客食堂で、業務部副部長と会食。中国における、外資販売会社(卸売企業)第一号である、百紅商業貿易有限公司に数年出張していた方である。

やはり、中国での実務、許認可に長く関わっている人間の共通した意見としては、「規制が大幅に緩和されても、実務面の緩和にはまだ時間がかかるであろう」というもの。

百紅での実務経験、現在僕が手がけている広州卸売企業の許認可進捗状況を、1時間程度話した。

午後に、繊維部・物資部・物流部等を回り、香港駐在経験者の面々に挨拶を済ませると、横浜に移動した。新横浜到着は、ほぼ6時。新幹線にいるときも、携帯E−mailに仕事の連絡が幾つか入り、これに対応する。こんな感じで仕事がこなせるのは、なんとも便利である。

商売も一つ決まった。

しかし、仕事のE−mailが携帯で済ませられるのはいいが、迷惑E−mailが多いのが困る。日本の事情を十分知らずに、名前を若干変えたアドレスにしてしまったので、ひどいときには、5分に一本迷惑E−mailが入ってくる。あまりに鬱陶しいので、アドレスを変更する事にした。

今日は実家に宿泊する。

昨日の酒がまだ残っており、殆ど酒が飲めないので、夕食を早々に終わらせ、昔の写真を探す。思い出エッセイに使用する、過去の写真(福州研修生時代・大学時代)を探す必要がある為である。棚を引っ掻き回したが、殆ど見つからず。

特に、重要な、福州実務研修生時代の写真が見つからないのは悔しい。

とりあえず、大学時代(1985年)の中国旅行の写真を数枚入手。添付は、その旅行で、上海のボロホテル滞在中に、40℃以上の熱を出してうなっているところ。

その代わり、なくしたと思っていた合気道儀が見つかったのは収穫である。

僕がやっていたのは、マイナー流派の合気道であるが、香港で偶然、同じ流派の有段者を見つけた。いつか一緒に練習しようと考えていたところなので、なくならないように、香港に黒帯だけ持って帰ることにする。


大阪(講演会終了)

講演会のスケジュールは、昨日と同じであるが、事前打ち合わせが不要なので、9時15分に会場に行けばよい。

8時に目を覚まし、のんびりシャワーを浴び、朝食を食べてから会場に向かった。

ヒルトンホテルは、大変居心地の良いホテルで嬉しい。いつものビジネスホテルとは寝覚めが違う(?)。

今日の講演会の参加者は400人。大阪でも、中国に対する関心は高いようだ。

ただ、会場が小さめなので、椅子をぎゅうぎゅう詰めに押し込んであり窮屈。発言者の席も、机が無く準備が出来ず不便。

少々不満。

講演会は、昨日と同様、つつがなく終了。

やはり、講演会では質問に全く答える時間が無い。講演後、数十人の方が挨拶にきてくれたので、一通り質問に答える事できた。その後、別のフロアに移動し、関係者の昼食会に参加。

今日も中華料理で、メニューは昨日と殆ど同じである。

「二日続けて昼からフカヒレスープ」というのは、豪華であるが、ちょっと重い。

ただ、料理は大変美味しく、素材も新鮮。

2時半に会食が終わり、一旦部屋に戻った。

6時の会食まで時間があるので、フィットネスルームに行って、8KM走る。いつはできない経験なので、優雅ですっかり嬉しくなる。

ぎりぎりまでサウナにつかり、会食に出かけた。

今日は同期との会食なので、気が楽である。

1時頃まで、徹底的に飲んだ。

楽しかったが、食べ過ぎ飲みすぎ。いつもの事ながら、反省。


東京⇒大阪(講演巡業!?)

朝の6時半に目を覚ます。

講演会は朝の9時からなので、8時には集合(ANAホテルのB1)しなくてはならない。

こんな朝早い講演会はめったに無いので、少々辛い。

控え室には、共同講演者の恵州市の副市長、香港貿易発展局の副総裁等が控えており、大変ものものしい。本日の講演会の申し込みは580人、実際の来場は500人の模様で、かなり大規模な講演会となった。同時通訳、巨大なディスプレイ等、設備も大掛かり。

ただ、講演会はスピーカーが6人で、一人15〜20分の発言時間。

質疑応答も時間が無く、焦りながら話さなくてはならない。

自分も言いたいことが言えずにストレスが溜まったが、来客も同様であろう。

イベントとしては華やかで良いのであるが、出席してくれた方々を満足させる構成ではないなという感じ。ともあれ、無事講演は終わり、来客は立食パーティー。僕は、関係者の会食に参加する事となるが、頂いた質問に答えきれていないのが心残りで、立食の会場に顔を出す。

その場で、合計、60名程度の方が挨拶にきてくれ、質問のフォローアップも行う事ができ、少々ほっとする。行ってよかったが、関係者の会食は30分の遅刻である。

関係者の宴席は、3Fのレストラン。フカヒレスープを始めとして、立派な中華で満足したが、個人的には立食の会場にあった、チャーシュー麺に未練が残った。

夕方5時の新幹線で、大阪に向かう。

いかにも巡業という感じが出てよい。恵州チームは3時半の新幹線で大阪に向かった様で、香港チーム合計6名で移動。

大阪到着は7時半。貿易発展局の準備したバスに乗って、ヒルトンホテルに直行。

夕食は皆で居酒屋。香港にも支店があるチェーン店である。

昼のチャーシュー麺が心に残り、〆に同じ品を頼んでみたが、大変不味くてがっかり。


香港⇒東京(講演会のために日本へ行く)

朝、11時半の飛行機に乗って、日本に出張する。

明日(東京)・明後日(大阪)は、香港・恵州共同セミナーである。

昨日は、疲れでほぼ一日ぐったりしていたが、何とか体力は回復。

9時半に、元気に家を出た。

この1〜2週間、仕事が忙しかったので、講演準備がろくすっぽできていない。

今回の講演時間は15分と非常に短いが、それでも準備無しで心もとない。

飛行機に乗り込むと、一心不乱にレジュメをにらみ、講演準備を開始した。

2時間で準備はほぼ完了。

心置きなく、酒を飲んで、機内食を食べた。

午後4時に成田到着。寒さを覚悟していたが、思ったより暖かいので、拍子抜けした。

リムジンで、六本木のANAに向かう。

香港貿易発展局が手配してくれたのであるが、良いホテルで満足。

いつも会社が手配するビジネスホテルとは大違いである。


香港(出張前の残務整理)

朝一番でイミグレに行き、Permanent IDの手続をした。

少々待たされたが、1時間ほどで手続が終わり、仮のIDの発給を受けた。

人から、「最近、駐在員(数年で帰国する事が前提となっている人間)については、Permanent IDを発行しない傾向にあるらしい」と聞いていたが、特に問題も無く、あっさり手続は終わった。正規のID取得までは2週間掛かるが、これで出入国が便利になる。

オフィスに戻ると、昼の会食・打ち合わせを矢継ぎ早にこなし、午後3時半にオフィスを出た。広州に到着したのは午後6時半。すっかり暗い。

ホテルにチェックインし、8時半より会食。四川火鍋を食べる事にした。

最初にタクシーで10分かけて行った場所は残念ながらつぶれており、再度、タクシーに乗り、ほぼ最初の場所に戻った。

そこに、過去に何度か行った火鍋屋がある。

良くある話であるが、改装して、きれいになった途端味が落ちたので、暫く行ってなかった。

それでも、まずまずのクオリティは保っており、特に、豚の耳(紅油豚耳)が美味しい。

2人でビール大瓶を、5〜6本飲んだ。

本当は、美味しい紹興酒が飲みたかったのであるが、四川料理屋には紹興酒が無いのを忘れていた。少々残念。

11時頃迄飲んで、ホテルに戻った。


香港(今日は大忙し)

打ち合わせが5件。昼も会食なので、全くデスクに座る間もない。相談事項は、珠江デルタの進出(自動車関係)、外商投資商業領域管理弁法の対応、保税区の状況といったもので、最近は、ほぼ毎日この話をしているような気がする。

しかし、最近、来客・出張者が多い。1〜2年前は、上海近辺の人気に押され、進出案件もいまいちの感があり寂しかったが、この一年、珠江デルタが完全に息を吹き返したのが実感できる。

へとへとになったが、久しぶりに社内の人間で飲み会の場が立ち、6時半に仕事を切り上げ飲みに行く。香港華南会社、広州会社、深セン会社の各社長、関係会社の社長との飲み会である。幸いな事に固い話にならず、珍しく(?)楽しい社内飲み会であった。

ビール、日本酒、ウィスキーを飲む。いつもの事ながら少々飲みすぎ。日本酒の品揃えが豊富で、酔鯨、八海山、その他(最後に飲んだ酒を忘れてしまう)を楽しんだ。

深セン⇒香港(二日酔いに苦しみながらカツどんを食べる)

朝、香港に戻り、チムサツイで打ち合わせ。

昼時になったので、1年前にできたフードコートに行く。

知り合いが、うどん屋をやっており、1年前から食べに行ってあげようと約束していたのだが、全然約束を果たせていなかった。丁度よい機会である。

カレー、ラーメン、寿司、とんかつ、その他のアジア料理など、色々な種類が揃った立派なフードコートである。ところが、彼のうどん屋が丼屋に変わっているようである。

二日酔いで丼を食べるのはかなりきつい。彼も不在で、隣のラーメン屋、そば屋に心を惹かれるが、せっかくここまで来て他の所で食べるのもなんなので、脂汗をたらしながらカツどんを食べた。彼の留守電にメッセージを入れておいたら、午後にお礼の電話が掛かってきた。

意外に律儀な人間である。

午後は打ち合わせを数件こなし、8時まで仕事。

途中で仕事を切り上げ、ちゃんこ鍋を食べに行く。

二日酔いで、酒はあまり進まず。味噌味ちゃんこを頼んだが、味付けがちょっと甘めで僕には合わず。塩味ちゃんこにした方がよかったと後悔。


香港⇒広州⇒仏山⇒深セン(仏山市と誘致契約)

朝7時半出発の電車で広州に行く。

朝5時半起きだったので眠い。

9時過ぎには広州に到着し、オフィスに直行した。

今日は、仏山市と誘致契約を締結するので、広州会社社長と一緒に仏山出張する事になっている。

10時過ぎにオフィス出発。11時には仏山に到着した。

久しぶりの仏山市内だが、昔からの商業都市だったこともあり、インフラが整っている。但し、のんびりとして治安がよいので、生活するには悪くない場所である。ただ、広州に近すぎるので、仏山宿泊の機会はあまりないのが残念。

街には日本料理屋が目立つ。聞くと、市内に10数件有るらしい。最近、日本企業の誘致が順調なのだろう。

仏山市の概況説明を受け、誘致契約を結び、会食。

会食をした仏山賓館は、経貿局の真向かいで、5星級の立派なホテルである。

市長、副市長、経貿局の局長も参加してくれた。経貿局の局長は、昔、順徳市長との事。

その後、ハイテク産業区を視察。台湾のPremierという会社(デジタルカメラ等を製造)の合弁工場を見るが、大変立派な設備、工場内の規律である。

視察後、車で広州東駅に直行し、深セン行きの電車に乗った。

深セン到着は午後5時。

ホテルチェックイン後、深セン会社の社長と会食。

今後のコンサルティングの取り組みについて打ち合わせた。

僕の好きな日本料理屋で会食。

久保田、八海山、三千盛という好きな日本酒を次々とのみ満足するが、飲みすぎた。


香港(NDFの話を聞く)

週末よく寝たので体調は回復。

朝の7時50分に出社する。

今日中に提出を頼まれているオピニオンを、まだやっていない。

朝からうなりつづける事しきり。

昼食時間になったので、下のセブンイレブンでカップヌードルを買ったが、結局、食べても力が入らず、サンドウィッチを買いなおした。

結局、最初からまともなものを食べておけばよかった。

ともあれ、食べながら仕事をして、午後2時にオピニオン完了。直ぐに来客が到着。

わざわざ、出向いてもらったのは恐縮であったが、銀行の方にNDF(Non Deliverable Forward

差金決済型為替ヘッジ)の説明をしてもらった。

この用語は、97年当時から耳にしているが、実際に使った事はなく、一度真剣に研究して模様と思ったものである。

中国は、先物が禁止されており、ヘッジ目的の為替予約もできない状況にある。これを、中国外で、差金決済型で、通常の為替予約と同じ効果を出そうという制度であり、所謂、抜け道的方法であるが、考えた人間は偉い。何事も、「制度で出来ない」という所で止まってしまう人間と、その現実を踏まえて解決方法を考える人間がいるものである。

この方法は、海外と中国法人の貿易取引の契約を、人民元建てにするところにポイントがある。

その上で、中国側ではなく、海外側で実質的な為替予約をするのであるが、貿易取引で中国が人民元立て契約を結べるようになったのは数年前である。つまり、抜け道的NDFの制度が先に出来、その後、(国内では未だに為替予約を禁じながら)NDFの運用を助成するような形で、人民元建て貿易契約が認められたわけで、いかにも中国的で面白い。

その後、残務をこなし、5時半の面談を終わらせると、早々に帰宅する事にした。

明日は朝の5時起きで出張である。

気候も涼しくなってきたので、1時間ほど歩いて帰る事にした。

途中でそごうに寄り、ホームズの本を7冊購入。

子供の頃から始まって、同じ本を買うのは何回目だろうか。。。


中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ