明後日、広州で打合せをしてから上海。
という予定であったが、大雪でスケジュールが乱れる事を懸念して(来週早々日本に行かねばならず、これに影響がでると困るので)、上海行きは断念した。
急なアポイントの変更をお願いした方々、申し訳ありませんでした。
(深セン・広州は予定通りです)。
ただ、溜まっている仕事がこなせるし、寒さが苦手なので、ちょっとほっとした気持も。
⇒ 小学校一年の時、寒い冬に手袋を忘れて登校し、寒さで泣いてしまったことがある。
それから寒さが大の苦手。
急なアポイントの変更をお願いした方々、申し訳ありませんでした。
(深セン・広州は予定通りです)。
ただ、溜まっている仕事がこなせるし、寒さが苦手なので、ちょっとほっとした気持も。
⇒ 小学校一年の時、寒い冬に手袋を忘れて登校し、寒さで泣いてしまったことがある。
それから寒さが大の苦手。
24日の午後に福州到着。
クライアントさんの工場(在馬尾)に直行。
打ち合わせを終えると、一旦、ホテルに行き、夜の会食に。
福州訪問は3年半ぶりくらいだと思うけど、随分、ビルが建ちならび普通の都会になっている。
1989年に僕が実務研修をしていた時の名残はまったく無いな。
翌日は、廈門に移動する前に、以前に一緒に働いていた曲さん(中国ビジネスコンサルタントができるまでに登場する人物)と会食。
会うのは5年ぶりくらいなので、本当に懐かしい。
まだ、水産関係の仕事(日系企業)をしているそうだ。
因みに、会食はシャングリラホテル。
新しいホテルなので、僕が見るのは初めて。
コーヒーショップで二人の中国人男性が殴りあいの喧嘩をしていた。
年始早々の上海でも見たし、今月は、殴り合いの喧嘩を良く見る。
会食が終わると廈門に移動。
福州・廈門間は300Kmちょっとで、通常は3時間程度で移動できる。
ただ、最近の廈門はよく渋滞するようで(これまた僕の知らない状況)、結局、ホテル到着までに4時間半かかった。
到着した時にはぐったり。
夜は、広州の麦さん。
元部下の陳君、呉君と会食。
今日は、火鍋を食べよう!と数日前から決めてあったので、火鍋屋直行。
火鍋がずらりと並ぶ一角に行った。
ただ、廈門がたまたま急速に冷え込んだ日なので(とは言っても、10度くらい)、どこの火鍋屋も大繁盛。
店員は、いつもに無い忙しさに右往左往の状況であった。
因みに、今回たまたま行った店(3フロアを有する巨大な火鍋屋)は、昔、僕がよく行った四川料理屋が有った場所らしい。
これも縁だ。
久々の白酒(アルコール度が低い方⇒38度の茅台酒)を陳君と飲んで、二次会はカラオケボックス。
0時頃まで楽しく騒いで解散。
懐かしく楽しかった。
福建省は、やはり僕にとっては特別な場所だ。
廈門物流園区を2年ぶりくらいに訪問。
クライアントさんが廈門で社内研修をする事になったのであるが、そのテーマが物流園区の活用方法(物流園区を活用したビジネススキーム)。
僕も廈門・福州にいける良いチャンスなので、引き受ける事にしたもの。
という事で、広州の麦さんに廈門出張してもらい昨夜(25日)に合流。
クライアントさんとは朝(26日の9時)に合流。
先ずは、廈門物流園区に直行した。
2年前は、検収が終わって操業を開始した直後だったので、まだ倉庫も出来ていないし、何も設備が無い状況だったけど、現在ではインフラは完了。
順調に稼動しているようだ。
とはいえ、非常に小さい物流園区。
施設も最小限。
因みに、ゲートを越えて向って右が園区になっている。
これが車両の入り口。
入園するトラックは、事前に通関書類を提出して、ICカードを取得(20分程度で取得できるるらしい)。
そのカードを使って、ゲートを入る(一般車は入れない)。
実際の通関手続は園区の裏手にビルの中で行う。
(因みに、このビルの中には、昔僕が社長を務めていた丸紅廈門現法のオフィスがあった)。
廈門の物流園区では、トラックから貨物を卸さず、当日中に再出園できる(一日遊)らしく、倉庫の活用は進んでいないようだ。
この点は、他の物流園区(全部の状況を知っているわけではないが)とは状況が違う。
園区の倉庫と、フェンス越しに見た園区のスペース(フェンスは低い)。
最低限の施設しかない(倉庫スペースも少ないし、殆どのスペースが空き地)、かなりシンプルな園区となっている。
福州は3年半ぶりかな。
久しぶり。
空港に着いたらちょっとわくわくした。
やはり、福州というのは僕にとって思い出の詰まった特別な場所なのであろう。
これから会食。
福建省での状況はまた明日・・・
昨日、浦東から香港に移動した時、空港の出国審査の係員の人が随分愛想が良かった。
「香港人?えっ日本人!中国語うまいねぇ。14年もいるんだ!」と短い間に話しかけ、更に、X線検査をするために、ささっと脱いだ僕の上着を畳み直してくれたりしている。
日本でもいないな。こんな丁寧な人。
入出国審査員の人たちは、この数年で随分礼儀正しくなったものだ。
10年以上前と比べるとちょっと想像できない変化。
こういった、ソフト面での中国の変化には感心するばかり。
出国審査を終わらすと、いつもの通り生ビール。
2種類あるうち、こちらの方が僕の好み。
大を2杯。
因みに、昨日上海で、「昨年12月から、非営業分公司を規制する事が決まった」という話を聞いた。
2006年より、弁事処の登記ができなくなった事から、実質連絡事務所である「非営業性分公司」という形態が広まったが、分公司は営業単位であるべし、という本来の意義に立ち返って、年次検査までに営業性への転換を求める動きを行うとの事である。
さっそく広州にも問い合わせたが、同じ回答であったので、全国的な動きである可能性が高い。
運用がどれほど厳しくされるかがまだ分からないが、ともあれ、注意する動きであろう。
上海日帰りは2年ぶり2回目だけど、何事も慣れるもので、前回は苦しくて苦しくて仕方が無かったけど、今回は大丈夫。
ただ、明日朝一で香港で打ち合わせをしてから、直ぐ空港に直行して福州に。
これだけ移動が多いとさすがに苦しい。
2月は少しペースダウンしたいな。
夜の10時半まであくせく働き、タクシーに乗ってユニー直行。
到着は10時50分で、ユニーの食品売り場閉店にぎりぎりで間に合った。
かに寿司(握り4個とちらし寿司)。
いなり寿司。
海老天巻き(これが意外に美味しい)。
ビール3缶(サッポロ黒2缶とエビス1缶)。
以上を買ってHK$ 92(1,400円くらい)。
閉店直前で寿司がディスカウントになってたので大変お得だ。
さすがに、選択肢は少なかったけど。
家に帰って、のんびりビールで本を読みながらかに寿司。
(海老天巻きといなり寿司は翌日まわし)。
幸せを感じた。
働いたあとの家での一杯。
久しく、こんなひと時も幸せに感じなかったから、こういう気分っていいなと思う。
3回分の原稿のうち、2回分は法律・通知を見比べて書かなくてはいけない原稿だったので、かなり時間がかかって、ふと気付いたら夕方5時。
合計4千字くらいで、(休憩時間を除くと)5時間というのはかなり遅い。
とは言え、今日は、あと1個連載原稿を書けばノルマ達成だ。
まずは一休みでビールを二缶。
原稿を書き上げた後のビールが美味しい。
達成感あり。
休日の昼に、これだけ原稿を書いて辛くないのは2~3年ぶりだ。
原稿書いて、これだけすがすがしくビールが飲める日がまた来るとは思わなかった。
ここ暫く、原稿書くのが本当に辛かったから。
ビールを飲みながら、今の仕事をしている事の嬉しさを感じた。
これも本当に長い間無かった気持。
暫く辛いだけだったから。
気持のアップダウンはあることだけど、それとはちょっと違う気がする。
ここ暫く、メンタルがすごく回復してきているけど、やっと本当の意味で完全回復かなという気がした。
元々、好きだ始めた仕事を、また好きだと思える気持が蘇ってきたという事。
この気持なら攻められる気がする。
運動は出来なかったけど充実の一日だ。
そして、今年はすっきりした気持で頑張ろう!
昨夜の会食(打ち上げ)は、講演会場近くの蘇浙匯で。
20名くらいの参加で楽しく会食。
講演会の後援に付いてくれた金さんも二次会でジョインする事に。
金さんが二次会参加するという事になると、NNAの三井さんや江上さんに、「二次会で水野さんは踊るんですね」とか、「そろそろネクタイ頭に巻くんですね」とか言われる。
どうやら、2006年の仮面舞踏会の写真の影響が大きいようだ。
ただ、僕は「あれは、金さんからやってくれと言われたからやったんです。少年隊は僕の持ち歌ではありません」と言い、二次会ジョインした金さんは、「あれは大西君に言われてやっただけで、僕の持ち歌でも有りません」と弁解。
どうやら、仮面舞踏会を歌った過去は、お互いに消し去りたいようだ。
しかし、江口さんにも、「水野さんは入社の頃(バブルの頃)は、さぞかし踊ってたんでしょうねぇ」と言われ、若干の誤解があるようだが、僕は、歌は歌うが踊らない。
踊れないのが昔からコンプレックスになっていたくらいだ(自慢ではないが)。
という訳で、本当は踊らない水野という事で、今回は金さんとチェッカーズをはもる。