事を起こすには大義が必要だ

事を起こすには大義が必要だ(と思う)。
例えば、独立・転職。
独立・転職すると、往々にして「前の組織を裏切ったのではないか」という目で見られがちなので、そうではない根拠、独立する必然性を、如何に世に伝えるかが必要になってくる。
転職の際の、円満退社というのも、大義を得るためのステップ。

前回の続きの様になってしまうけど、僕の場合は、僕が社長を務めていた丸紅の子会社が、突然清算される事になり、事業継続が不可能となったので、顧客の信頼・部下の雇用を維持する為に独立に踏み切った。
とは言え、当事者以外は、そんな事は分からない。
更に、僕が独立する事を決めたら、その活動を阻害する為に、潰す筈だったコンサルティング子会社を、(出資部門が)存続させてしまった。
こうなると、どちらに正義があるか、傍からはわからない。
事情を知らなければ、如何にも、部下と会社を棄てて、僕が独立した様に見えてしまう。
客観的にみると、ここまでは、先方の作戦はあたりだ(まあ、僕の邪魔をするという観点に立てば、だが)。

独立に際して僕が守ったのは、以下の事項。
① 部下が希望するのであれば、同一雇用条件で全員受け入れる事を約束した。
② クライアントだった方が、僕の新会社と契約を希望された場合、前の会社に払って頂
いた顧問料は、僕の会社に払って頂いたと見なす事とした(同期間分は、新たに請求しない事を約束した)。また、顧問料の値上げはしない事を約束した。

独立間が無く、自分の生活も保障されていない状況なので、金銭的には苦しい選択だったが、自分の部下・お客様な訳だから、迷惑をかけるべきではなく当然の事だ。
仮に、全員の部下が付いてきてくれて(そうはならなかったが)、その結果、共倒れになっても、そこまでやれば、部下もクライアント様も納得してくれるだろうと思った。

ただ、嬉しい誤算だったのは、関係が途切れると観念していた丸紅の大勢が、僕側に付いてくれ、前の会社との契約を解除して、僕の新会社に切り替えてくれた事だ。
これにより、部下、顧客、前職との関係が全て維持され、大義を得た形となった。

僕が辞表を出した時、出資部門の長は、「丸紅と喧嘩して勝てると思うなよ」と吐き捨てたくらいなので、社内の世論は自分に付くと思いこんでいた筈だ。
こんな結果になって、さぞかし唖然とした事だろう。
その後、前の会社、そして、そこに出資していた部は、僕の退職後9ヶ月で消滅した。その折、消滅した会社は、顧問関係が継続していたお客様に対して、事前説明なしに、営業停止のレターをファックスし(3月下旬)、数日後(4月1日)には、責任者(本社の部長クラス、消滅会社の社長等)が、軒並み人事異動で連絡が取れなくなった(関与しなくなった)。
顧客説明(お詫び)等の残務処理は、1名の(社長ではない)駐在員と、残留した現地社員だけが対応する事となった訳なので、これでは、幾ら綺麗言をいっても、正義とは認められまい。


何れにしても、大義を欠いた戦いは負ける。
前回書いた様に、前の会社で、出資部門の人間と感情面での軋轢が起こったのも、結果として僕が独立したのも、それなりの必然かもしれない。
それは、お互いに不幸な事だったのかもしれないが、結果として事を起こしたのであれば、それを落ちつける責任が(お互いに)あるし、それには時間と覚悟がいる。
その中で大義が問われる。
事を起こすのであれば、自分の行動に大義があるかを、常に問いかけるべきだろう。

ともあれ、僕も独立3年弱が経過して、もう思い出話になろうとしている。
その過程で、自分としてもそれなりの努力をしたのは確かであるが、支えてくれたお客様・提携先の方々の力がなければ、ここまで来れなかったのは確かな事だ。
僕自身の努力よりも、支えてくれた方の温かい気持の方が、よほど重要だ。
僕の努力は、気持を向けて頂くためのきっかけに過ぎない。

その恩義に応えるためにも、今後も、自分の行動を冷静に分析し、道を踏み外さない様に、自分を戒めながら(あの時の気持を忘れない様に)歩いていかねばならないと思う。

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