日本拠点開設の新聞報道

水野コンサルタンシーの日本事務所開設に付いて、現時点で、日経新聞、時事通信、NNAより記事にして頂きました。

<日本経済新聞>
2011年5月27日 朝刊(神奈川・首都圏版)第35面

ミズノ・コンサル、横浜に拠点
香港等で中国ビジネス支援を手掛けるミズノ・コンサルタンシー・ホールディングス(水野真澄社長)は26日、横浜市内に日本拠点を開設した。
(以下、省略)

<時事通信>
2011年5月26日 16:14

香港のコンサル会社が横浜に事務所=林市長のトップセールス第1号
横浜市は26日、林文子市長の「海外企業横浜誘致トップセールス」の第1号として、香港を拠点に置く水野コンサルタンシー・ホールディングスが決まったと発表した。
(中略)
同ホールディングス(水野真澄代表)は香港を拠点に、日本企業の中国でのビジネスに関する情報提供やアドバイスを行っている。水野氏は大手商社丸紅に入社し、香港華南会社コンサルティング部長などを務めた後、独立。香港、上海、広州などで活動し、開業2年半で400社以上の日系企業にコンサルティング業務を提供した実績を持つ、中国ビジネス展開の第一人者という。
(以下略)

<Daily NNA>
2011年5月27日

水野コンサルティングが横浜に事務所、来月始動
中国ビジネスを専門的に手掛ける香港の水野コンサルタンシーグループ(Mizuno Consultancy Holdings Ltd水野真澄社長)は、26日、横浜市に日本代表事務所を開設した。
6月1日から業務を始める。
水野コンサルティングと横浜市が共同発表した。
(以下略)


こうしてみると、すっかり外資企業だ。
その通りだが・・・

日本拠点開設と思い出話

2008年9月と同じ景色を眺める

5月26日に、日本拠点開設に関する記者発表を行い、日経新聞の取材を受けた後、オフィスまで歩いて帰った。
長年の念願かなっての日本逆上陸。
感慨無量だ。

そんな事を考えながら、遠回りして歩いていたら、偶然、2008年9月(起業早々)に歩いた場所にたどりついた。
因みに、これが2008年9月の状況。顔がやつれている・・・

当時、横浜の景色を眺めて、「何時か、横浜に逆上陸するぞ」と思ったが、何分、本体の香港法人自体が、生き抜けるかどうか分からない頃だった。
横浜進出は、夢のまた夢、という状況。

それが、1年ちょっとで会社を軌道に乗せ、3年未満でみなとみらいにオフィスが持てた。
顧問先も、丸紅の子会社でやっていた時代よりも多い。

3年でここまでこれた事に、まずは満足している。
そして、この3年間、僕を支えてくれた方々、付いてきてくれた部下に、改めて感謝。

ただ、まだ中間点。
目標の30%程度の達成率。

しばし感慨に浸ったら、また、走りだす事としよう。

因みに、これは横浜のニューグランドのボールルーム。
何時か、ここで記念パーティーを開きたいものだ。

2012年に想定している、法人転換時かな。

横浜に日本拠点を開設しました

Mizuno Consultancy Holdingsは、横浜みなとみらい(ワールドポーター6階)に、代表事務所を開設しました。
6月1日から活動開始。一年後の法人転換を予定しています。
初代所長は、杉山竜一となります(着任済)。

尚、5月26日に、横浜市と共同で記者発表を行いました。
当社側の記者発表資料はこちらをご参照ください。

横浜市の記者発表資料はこちらです。

開業記念講演会は、日本経済新聞社(教育事業本部)主催で開催を予定しています。
時間:7月21日午後1時~5時
場所:日本経済新聞社ビル・大コンフェレンスルーム。

詳細は、後日、告知を致します。

今後とも、宜しくお願い致します。

香港到着すぐに上海

28日(土)に香港到着。
機中でNNAの原稿を書き、終わると新少林寺を見る。
見たかった映画なので、キャセイにして良かったという感じだ。
グリーンホーネットも見たかったが、さすがに時間なし。
次に日本出張時も放映していればよいが・・・

乗客が少なく機内はゆったりめ。
不思議な事に、CAの人が、僕の隣で二回酒をつかみ損ねてスーツに酒をかけられる。
大変恐縮されたが(特に、二回目)、まあ、さしたる影響もないので笑っておいた。
珍しい事もあるものだ。
これはこれで良い記念。

家に帰ると、羽田の免税店で買った白州をソーダ割りにして飲む。
最近、気に入っているのがこのウィスキー。

寝る前に自分の昔のブログ(2004年11月に書き始めた頃から)を読んでみる。
システム変更があったためか、知らないうちに、写真が全部落ちていて残念だ。
ただ、昔の思い出がよみがえってきて懐かしい。
そして、(今と比べると)意外とはっきりものを言っていたなと思う。
ブログに関しては、淡々と書く、否定的な記載をしない、仕事の話は極力書かない、という方針でやっていて、昔から変わっていないつもりだったが、それなりの変化(自分で気付かないうちの変化)はあるものだ。

一夜あけて。
ジムで走ったし、ブログも更新したし、これからまた飛行場。
上海に移動だ。
明後日は、花園飯店で講演会。
満員の申し込みを頂き、先週募集を〆切った。
お申し込みを頂いた方に感謝致します。

八重洲で無国籍料理

上海焼きそば、じゃないよなあ・・・

27日(金)は、八重洲にある無国籍料理屋に行った。
接待をしてくれた方(クライアントの方)が、「どこにしようかなぁ」と歩いていたら、熱心な若者に話しかけられ決めたものだ。
バイトと見まがう若者は、実は店長である事が判明。
クライアントの方は、「君はえらい!」とほめていた。

フュージョン料理と銘打った店は、実は好きではないのだが、それは、妙に気取った店の場合。そこは完全な居酒屋だったので、ある意味割り切れば、なんでも食べられて悪くない。

これは上海焼きそば。
ただ、麺が細くて唐辛子が効いている。
どう考えても、上海ではなく、広東省(それも茶餐庁)の味だよなぁ、と思うが、日本でそんな事をいうと嫌われるのであろう。
まあ、辛くておいしかった。

壁に大きく、He Ni De Kowei Ma?
と書いてある(四声付き)。
この微妙なピンインの間違い方(おまけに四声も違っていた)も良しとしよう。

無国籍だからアバウトに楽しもう。

パフォーマンスが楽しいしめ鯖

そして、一番のパフォーマンスだったのはこれ。
目の前でバーナーであぶってくれるしめ鯖。

店員さんも客も若くて、みんな楽しそうにしているのが印象的な店であった。
そんな感じもいいね。

カスタム君が羽田に

羽田から香港に移動。
昨日(金)は、6件面談と会食。
都内を駆けずり回ったので、その疲れがまだ取れない・・・

羽田に着いたらカスタム君がいた。
横浜税関のマスコットではなく、税関全体のマスコットなのか。
知らなかった。

紹介が書いてある。
身長180㎝の警察犬(麻薬検査犬)だそうだ。

でかいぞカスタム君。

横浜の町並み

僕は名古屋で生まれて横浜で育った。
横浜に引っ越したのは小学校2年生の終わりだったので、それ以降の小学校・中学校・高校・大学という学生時代は、全て横浜で過ごした(大学は、横浜から通ったという意味)。
だから、味覚は名古屋だが、思い出は横浜という感じ。

高校は山手だったので、中華街・港の見える丘公園・外人墓地(石川町)は隣の駅だし、関内にはよく買い物にいった。
思い出深い場所だ。

そんな訳で、関内の街をしばし散歩。

2008年11月。
独立間が無い頃、横浜市と香港貿易発展局が共同主催した講演会で講演をした。
その会場から見た景色がこれ。

あの頃はまだ、独立2ヶ月。
会社が軌道に乗ってない頃だったので、不安な気持でこの景色を眺めた。
ただ、「負けないぞ」という意思は胸に有った。
不安と闘志を、落ち着いた横浜の街並みが受け止めてくれた気がした。

横浜税関とカスタム君

そこから赤レンガ方面に歩いていく。
これが横浜税関。

資料館があったので、さっと見る。
入口にあるのが、横浜税関のマスコット「カスタム君」らしい。
なんと安直なネーミングか・・・

ただ、「やっぱキャラクターだなあ」と、興味深く撮影。

亀一と野毛⇒シーガーディアン

最初の写真が変な顔に

横浜に赴任した亀一と、仕事の後野毛にくり出した。
「いやぁ、横浜での一人暮らしは、思った以上にさびしいです」というので、「まずは、酒でも飲むか」と言う事になったものである。

半露店で、餃子を食べている亀一を撮影。
あまりにも変な顔に撮れてしまったのでもう一枚。

これが撮りなおした写真

「最初に撮った写真じゃ、あまりにひどいよな。こりゃあ、いくらなんでもブログに載せられないわ」と言ったら、「いや、変な顔の方載せといて下さい。笑われてなんぼですから」と妙に達観する亀一。

結婚して、一皮むけたか!?

野毛で飲んだ後は、ニューグランドホテルのバー「シーガーディアン」で軽く飲む。
ソファの座り心地がよく、落ち着く店であったが、上司・部下で来るには少々ふさわしくない店だ。
ともあれ、亀一、横浜に慣れるべく努力中。

寿司屋の思い出

寿司屋のイメージ

もう20年以上前の話なのだけれど、初任給は忘れもしない148,000円であった。
残業代を殆ど申請しなかったので、毎月使えるお金は15万円程度だったが、寮費が3,000円と、実質無料であったし(その分、かなり老朽化が進んでいたが)、実際にはかなりの残業量だったので、お金を使う時間も無かった。

更に、昼食はいつも社員食堂(170円のカレーライスばかり食べていた)。楽しみは、終電で寮のある志木駅にたどり着いてからのラーメンという生活。

そんな環境の中、唯一の贅沢は寿司屋であった。
たまに残業が夜10時前に終わった時、同僚と誘い合って、会社の近所の寿司屋に行った。
全く高級ではない寿司屋(純米吟醸などおいてない寿司屋)であったが、1年前までは学生で、チェーンの居酒屋しかいけない状況だった訳だ。
刺身は頼まず、握りだけという注文だったが、自分の金で寿司屋にいけるというだけで、「俺もちょっとえらくなったぞ」と悦に入っていた。
若い頃は欲が無い。

街中で見かけた焼鳥屋

それから随分時間が経ち、寿司屋の感動が、殆どなくなった。
年齢と共に、食べるものも高級になっていったからだろう。
確かに美味しい寿司屋に行けば、それはそれで満足するが、個人的にあまりかしこまった場所が好きではないので、どちらかと言えば、焼き鳥屋の方が好きだ。

日本に帰ってきて、夕方、立ち飲み屋に人があふれていると、「いいなあ」と立ち止まる。
路上にスチール椅子でも置いてあり、皆が笑いながら飲んでいる姿を見ると、羨ましくなる。
昨日、街中の焼鳥屋(営業前)を見て、「こんなところで何人かで飲みたいものだ」と思い写真を撮った。

香港吉野家のカレー牛丼

数日前に、香港の吉野家で昼食を取った。
その時食べたのがカレー牛丼。
「大盛りはある?」と聞いたが、「無い」との事だったので普通盛り。
ただ、これで十分の大きさであった。

カレーはちょっと香港っぽい(日本風の様でいてそうでない)が、それなりに美味しく食べた。
ただ、牛丼は好きだが、5分間の昼食は何となく味気ない・・・