横浜みなとみらいで会議⇒中華街で会食

中華街

上海から羽田に移動。
横浜みなとみらいに直行して、社内打合せ。
会議参加は、4月7日から横浜に赴任している亀一、そして横幕さん。
更に、香港から出張した水嶋さんの4人だ。

打合せを終えると、横浜中華街で会食。
上海料理の状元楼と、四川料理の景徳鎮と、どっちが良いかと聞くと、「四川料理」と亀一が即答するのでそれに従う。

ここは、起業早々、「横浜ランドマークを見て誓いを立てよう企画」をした締め括りに会食をした場所だ。
本場の辛さの麻婆豆腐が名物だが、辛くない料理も全般的に美味しい。
メディアでもよく紹介されるが、よい店だ。
(前にも書いたが、四川料理なのに景徳鎮という名前と言う点だけがふに落ちないが)。

蟹卵ふかひれスープと蒜泥白肉

そんな感じで、蒜泥白肉、蟹卵ふかひれスープ。

八宝菜と本場の辛さの麻婆豆腐

八宝菜に本場の辛さの麻婆豆腐。
その他、炒飯、シュウマイ。
そして、麻婆豆腐と食べたご飯(一人一膳)。
「横浜赴任以来、一人飯ばかりでしたので、人と食事をするのは久しぶりで嬉しいです」、と言って、亀一はネギラーメンを1杯追加して食べて、デザートも食べていた。

久方ぶりに、僕よりよく食べよく飲んでいた亀一だ。

会食した、水嶋さん、横幕さん、杉山君。
僕は移動疲れでぼろぼろなので、写真には写らず。

事を起こすには大義が必要だ

事を起こすには大義が必要だ(と思う)。
例えば、独立・転職。
独立・転職すると、往々にして「前の組織を裏切ったのではないか」という目で見られがちなので、そうではない根拠、独立する必然性を、如何に世に伝えるかが必要になってくる。
転職の際の、円満退社というのも、大義を得るためのステップ。

前回の続きの様になってしまうけど、僕の場合は、僕が社長を務めていた丸紅の子会社が、突然清算される事になり、事業継続が不可能となったので、顧客の信頼・部下の雇用を維持する為に独立に踏み切った。
とは言え、当事者以外は、そんな事は分からない。
更に、僕が独立する事を決めたら、その活動を阻害する為に、潰す筈だったコンサルティング子会社を、(出資部門が)存続させてしまった。
こうなると、どちらに正義があるか、傍からはわからない。
事情を知らなければ、如何にも、部下と会社を棄てて、僕が独立した様に見えてしまう。
客観的にみると、ここまでは、先方の作戦はあたりだ(まあ、僕の邪魔をするという観点に立てば、だが)。

独立に際して僕が守ったのは、以下の事項。
① 部下が希望するのであれば、同一雇用条件で全員受け入れる事を約束した。
② クライアントだった方が、僕の新会社と契約を希望された場合、前の会社に払って頂
いた顧問料は、僕の会社に払って頂いたと見なす事とした(同期間分は、新たに請求しない事を約束した)。また、顧問料の値上げはしない事を約束した。

独立間が無く、自分の生活も保障されていない状況なので、金銭的には苦しい選択だったが、自分の部下・お客様な訳だから、迷惑をかけるべきではなく当然の事だ。
仮に、全員の部下が付いてきてくれて(そうはならなかったが)、その結果、共倒れになっても、そこまでやれば、部下もクライアント様も納得してくれるだろうと思った。

ただ、嬉しい誤算だったのは、関係が途切れると観念していた丸紅の大勢が、僕側に付いてくれ、前の会社との契約を解除して、僕の新会社に切り替えてくれた事だ。
これにより、部下、顧客、前職との関係が全て維持され、大義を得た形となった。

僕が辞表を出した時、出資部門の長は、「丸紅と喧嘩して勝てると思うなよ」と吐き捨てたくらいなので、社内の世論は自分に付くと思いこんでいた筈だ。
こんな結果になって、さぞかし唖然とした事だろう。
その後、前の会社、そして、そこに出資していた部は、僕の退職後9ヶ月で消滅した。その折、消滅した会社は、顧問関係が継続していたお客様に対して、事前説明なしに、営業停止のレターをファックスし(3月下旬)、数日後(4月1日)には、責任者(本社の部長クラス、消滅会社の社長等)が、軒並み人事異動で連絡が取れなくなった(関与しなくなった)。
顧客説明(お詫び)等の残務処理は、1名の(社長ではない)駐在員と、残留した現地社員だけが対応する事となった訳なので、これでは、幾ら綺麗言をいっても、正義とは認められまい。


何れにしても、大義を欠いた戦いは負ける。
前回書いた様に、前の会社で、出資部門の人間と感情面での軋轢が起こったのも、結果として僕が独立したのも、それなりの必然かもしれない。
それは、お互いに不幸な事だったのかもしれないが、結果として事を起こしたのであれば、それを落ちつける責任が(お互いに)あるし、それには時間と覚悟がいる。
その中で大義が問われる。
事を起こすのであれば、自分の行動に大義があるかを、常に問いかけるべきだろう。

ともあれ、僕も独立3年弱が経過して、もう思い出話になろうとしている。
その過程で、自分としてもそれなりの努力をしたのは確かであるが、支えてくれたお客様・提携先の方々の力がなければ、ここまで来れなかったのは確かな事だ。
僕自身の努力よりも、支えてくれた方の温かい気持の方が、よほど重要だ。
僕の努力は、気持を向けて頂くためのきっかけに過ぎない。

その恩義に応えるためにも、今後も、自分の行動を冷静に分析し、道を踏み外さない様に、自分を戒めながら(あの時の気持を忘れない様に)歩いていかねばならないと思う。

「ソフト技術者の反乱」を読む

書店で偶然、「ソフト技術者の反乱」という本を買った。
三井物産を退職して、日本ナレッジインダストリという会社を興した西尾出という人をモデルにした小説だ(買って初めて知ったのだが)。

商社の中で、ソフト開設(システム開発・コンサルティング)をビジネス化し、分社化。
外部からの業務受注を進めていったが、本社の一部幹部よりねたまれ、嫌がらせを受け、潰されかけた為、会社を辞めて、主要な部下と共に起業する、という経緯を書いた小説で、
「何か、自分の身に起こった事が、そのまま書かれているぞ」と、既視観を感じながら、一気に読んでしまった。

まあ、こういう小説は、主人公の目線で書かれるので、どの程度客観性があるか分からず、また、僕自身、西尾出という方に対する知識が全くないので、妥当性の判断はできない。
ただ、この小説を真実とすれば、会社でそれなりに権限を持った人間が、1人の人間を潰そうとする時は、参考書でもあるかの様に、同じ事をするものだな、と感心した。
・子会社の社長となっている人間が気に食わないと、会社を解体して、その人間を自分
の権限下に置こうとする。
・それができないと、社内で悪い噂を流す。
・悪意的な社内監査を入れて、潰そうとする。
・社内監査で不正が見つからないと、独立を妨げる(同一事業を行わない様、圧力をかけようとする)。
・相手が独立しようとすると、それまでは、潰そうとしていた会社を存続させ(競合相手
にしたて)、解雇しようとしていた部下に対して、慰留交渉をする。
という様な事だ。

こんな事態が生じた時に、今までの行動(生き方)が問われるのであろう。
身ぎれいにしていたか、人の立場に立って仕事をしていたか、嘘をつかなかったか、約束をきちんと守ったか、という点だ。
これによって、自分側に付いてくれる人がどれだけいるかが決まるし、どちらに大義があるかも決まる。
何事も、小さな事の積み重ねだ。

ただ、本の主人公は、就業時間外に社員が意見交換する為に、会社としてマンションを2部屋買っていたとか、本社の序列上位の人間が車を持っていないのに、専用車を持っていたとかいう記載があるので、こういう事をしていると、ねたまれても仕方がないかなという気はする。

僕の場合も、「他の社員が、嫌でも与えられた仕事をこなしている時に、自分だけ好きな仕事をしている(自由に行動しすぎ)」とか、「帰任時期が来たら、ごねて、自分の会社を作らせた」、とか、そういう目で見る人もいたのだろう。
本人は、責任とプレッシャーで押しつぶされそうになっていて、リンパが腫れたり、夜眠れなかったりして働いていたのだが、そんな姿を間近で見ていなければ、好き勝手な事をやっている様に思われる(おまけに、その頃は茶髪だ)。
まあ、ねたみを買う人間にも、それなりの理由があるという事だろうか。

ねたみの根源は、「会社のふんどしで相撲を取っている」という意識なのだろうから、それに対する回答を出そうとすれば、「自分でやって(自己責任でやって)」事を成し遂げるしかない。
そう考えれば、独立企業は、「あるべき状態になっただけ」という事だ。

「ソフト技術者の反乱」を読んで、何となく自分の姿を客観的に眺めた気がした。