月別アーカイブ: 2011年4月
4日から日本
4日より一週間の日本出張。
スーツ等を買って、引き取り日程確認の際に「明日から日本なので、今日中にできなければ、一週間後に」と二か所で言うと、一様に、「怖くないですか。気を付けて下さいね」と言われる。「大丈夫ですよ」と受け流す。
香港・中国の報道が、過剰かどうかを適切に判断する根拠を持ち合わせていないので、コメントは避けるが、まあ、香港の人一般の印象はこんな感じなのであろう。
2003年のSARSの最中に香港行きの飛行に乗る時や、湾岸戦争直後にヨルダン、サウジ、シリア等に出かける時も、搭乗前に「気を付けて下さいね」と言われた事を思い出す。
スーパーでは、日本の食材がどんどん少なくなっていて、食肉等が半値で叩き売られたりしているし、日本料理店にも客が入らない。
海外(日本以外)で一様に見られる光景ではなかろうか。
日本産が品質と安全の代名詞だったのが、現時点では、日本産=危険という認識を海外の人が持ってしまっている。
今まで積み上げてきたものが急に暗転し、日本受難の時期となっているのは悲しいが、一過性のものと信じたい。
時間はかかっても、きっちりこの逆境を克服したいものだし日本はできる筈だと信じている。
僕一人が買っても何の役には立たないが、取り敢えず、半値で売られている和牛を買って家で焼いて食べる。
前日買った他国産の肉と比べて格段の味の違い(美味しさ)に感じ入る。
話は変わるが、洋服の寸法直しに3時間半時間がかかったので、昼下がりのパブで時間を潰す。
香港らしい風景だ。
新規事業の苦い思い出
1989年に僕が福州に実務研修した頃に、枝豆の栽培プロジェクトがあった。
当時、中国本土の人に枝豆と言っても、人が知らない人が殆ど、という状況であった。
ただ、日本が輸入地としていた台湾のコストが高くなっていたので、環境が似ている廈門で枝豆を栽培をしようと計画した人がいた。
僕の赴任前から実験を進めていたのであるが、赴任後、僕が中国側の担当となった。
とは言え、物事なかなかうまく進まない。
栽培を行うために、相当量の種子を廈門で輸入する必要があったが、これが認められない。
これは福建省長ミッションが訪日した際に、事業の有効性を直訴した事で前に進んだが、宛先違い(農の簡体字の「农」を、日本側で衣服の「衣」と書いてしまった)で、輸入・配送を拒否される。
その後、やっと問題が解決すると、中国側パートナーがおっとりしていて(その上、あまりやる気が無かった様だ)、水をやらずに枯らしてしまったり、栽培記録を着けなかったり。
おまけに、僕が「ちゃんと対応してくれ!」とあまりに頻繁に督促していたら、中国側パートナーから煙たがられてしまった。
如何にも、一時代、二時代前の中国ビジネスという感じである。
そうこうしているうち、他の会社が同一事業を成功させてしまい、数年後には中国で枝豆が一気に普及した。
それを知った時は、「普及する時はこんなに早いのか」と驚いた。
前回書いた、台湾の不動産仲介業者の時の感想と同じである。
失敗するにはそれなりの理由がある筈で、パートナー選定の失敗が一番大きい要素であるのは確かだ。
ただ、外国企業と非営利単位の間で動く機関を介在させる等して、話を上手く勧める様な検討をすべきだったし(ビジネススキーム作りの失敗)、僕自身、若くて知識が無い中で、やる気が先走っていた(空回りしていた)面は否めまい。
中国の法制度をしっかり理解した上で立ちまわれば、種子の輸入に付いても、もう少しスムーズに進んだであろうし、中国側パートナーも、「こいつはよく分かってるな」と思えば、煙たくても動かざるを得なかったであろう。
また、通訳を使わず、全部僕が中国語でコミュニケーションしていたのも、適切ではなかった気がする(十分な意思疎通が図れなかった)。
その意味では、(あれから20年以上経過して、仕事も変わってしまったので、今の僕が、この様な商社的な仕事をする気は原則としてないが)今の僕だったら、もっと上手くやれただろうと反省する事は多々ある。
新規事業は、経験が無い中で走らなくてはいけない面が多いので、どうやってベストな選択をするかは難しい問題だが、成功するにも失敗するにも理由はある。
熱意、意思という要素が大きいのは確かであるが、それ以外にも、経験・知識、状況分析力と行動力等、いろいろな要素がある。
そんな事が徐々に分かってきたのも、過去の、この様な苦い経験を経ての事である。
新しい事を始めようとすると
原則として、僕は、パートナーマッチングや、商社的な動きはしないのであるが、ちょっと特殊で、個人的に興味がある分野なので、例外的に引き受けたもの。
まだ、詳細は話せないのであるが、中国に殆ど無いサービスという事で、実現まで結構時間がかかっている。
世の常として、今までにないサービスをやろうとすると、必ず、この国(例えば中国)は日本とは事情が違うので、その様なニーズはない。若しくは、定着しない、という事を、8割方の人が言う。
当事者となればなおさらだ。
ただ、僕の持論は、「アメリカにあって日本にないものは、必ず日本でも定着する。日本に有って中国にないものは、必ず中国でも定着する」というもの。
よって、この様な探し方をするのが、ビジネス開拓の早道だと考えている。
そんな事を考えるようになったきっかけは、1988年の台湾研修生時の家探しであった。
その時は、不動産仲介業者が少なく、部屋の貸し手が張った物件の張り紙を頼りに探すのが通常だった。
住む家を探すのに疲れて、同期の研修生に、「早く台湾でも不動産仲介業が普及すればいいのに」と言ったところ、彼の反応は、「台湾で不動産仲介なんて、普及する訳がない」というもの。
彼の理論は、台湾の人は合理的だから、不動産業者に手数料を払う訳がない。自分で連絡すれば、(貸し手も借り手も)安く契約成立するのだから、というものだ。
「そんな訳はあるまい。人間は便利さには勝てない。絶対、便利さに金を払うようになる」と思っていたら、それから2年ほどで、台北の街には不動産仲介業の看板が並ぶようになった。
新規事業を開始するには、慎重なリサーチも必要であるが、周りの意見を聞き過ぎると、(否定的見解が主流を占める事が多いので)なにもできなくなってしまう事が多い。
ただ、状況分析、消化できるリスク(金銭的、人的、その他)の範囲を限定した上で、自分が行くと決めたのであれば、それは意思を持って進めなければいけない。
ある意味では、人の意見を聞かない意思も必要だ。
また、事業を定着させる(売り出す)には、「自分の強みが何であるか」を分析し、「どう売るか(認知させるか)」を考える事が必要だ。
例えば、10年前に、僕が商社の中でコンサルティングを始めた時、周りの人は、ほぼ全員が無理だと言った。
その理由は、「世の中に、弁護士も会計士も溢れているのに、商社の管理部門に金を払ってものを聞く人間はいなかろう」というものだ。
ただ、僕は、弁護士・会計士と比べて(当然、有利不利が双方あるが)、「理論に加えて実務を知っている事」、「ユーザー側のニーズが分かる事」、「オペレーションの構築等に対応できる事」という強みを売りに出す、という作戦を立てた。
そして、差別化の為には個人名を定着させる事だと考え、本を出し、新聞・雑誌等に連載を受け持った。
これは一例であるが、つまるところは、どんなものでもやりようがある。
人が反対意見を言うのであれば、それを分析した上で、反対の論拠を突き崩すように行動していけばよいという事だ。
素直な人は、開始時点で殆どの人からネガティブな意見を言われると、納得してやめてしまうのであるが、僕はそれほど素直ではないのか(?)、これ!と決めた事は、人が反対を言ったとしても、ふふんと聞き流しながら、自分が正しいと思った道を歩いている。
これは、良し悪しの問題ではなく、性格の問題だが。
そんな訳で、今お手伝いしている事も、時間軸はさておいて(これはちょっと読めない部分がある)、何れは実現できるだろうと、比較的楽観している。
関係者に、前向きに動く気持と、実現させようという意思さえあればであるが。
前向きな気持は、人の心を動かしていくのだから。