本の執筆

2002年4月に最初の本を出して以来、共著、DVDを含めれば、21冊本を出している。
Q&Aの改訂等を冊数に含めれば25冊以上出版しているので、毎年平均2.5冊という感じであろう。
やはり、1年間本を出さないと、「最近、彼(水野)を見かけませんな」などと言われてしまうので、ともあれ、継続的な出版は必要だ。

たまに聞かれるのは、「知識の何%くらいを本で開示していますか」という事で、半分程度しか開示していないのではないかと思われている節がある。
ただ、実際には、その時の知識の8~9割は開示している。
ところが面白いもので、大部分の知識を本にまとめた場合、そこから半年程度経過して振り返ると、本の知識の倍以上の知識が付いている。
やはり、調べ直す、考え方を整理する過程で、能力が向上するし、書いた事に対して、色々なフィードバックがある(情報が集まる)。
出し惜しみをして、一部分の知識を作品にすると、この様な能力の向上も不十分なまま終わってしまう。

過去の10年は執筆⇒成長の繰り返しであった。
最初の本を思い出すと、あんな知識で本を書いた自分が恥ずかしい、と思う訳だが、これも、執筆しながら知識を身につけたという事だろう。
打算が無く(あまり深くものを考えず?)、出し惜しみをしてこなかったのが、却って良かったのではないかと、10年経過した今では思っている。

タヌキうどん玉子入り

8日(木)の昼食はそばだった。
僕は、麺に天かすと玉子を入れるのが好きなので、そばにせよ、うどんにせよ、だいたいこの組み合わせを注文する。
ただ、その日は注文時、クライアントの方に、「大阪のきつねとたぬきは東京と違いますよ」と言われ、そういえば、以前も関西の人に言われたな、と思い出す。
ただ、どれがどうだったか思い出せない。
聞くと、「両方油揚げがのっています。きつねがうどんで、たぬきがそばです。たぬきときつねは、そばかうどんかの違いです」と説明される。
「それは分かったが、どうやって天かすが入ったそばを頼めばよいんだ!?」と頭を悩ましているところに、注文を取られたので、結局、単なる天ぷらそばを頼んでしまった。

この雪辱を果たさねば、と夜は、うどん屋に連れて行ってもらい(大阪は、絶対そばよりうどんが美味いですと言われ、うどんに軌道修正)、単刀直入に、「うどんに天かすと生卵を入れてほしいんですが、どうすればいいんでしょう」と聞く。
「かけうどんに、トッピング天かす玉子ですね」と言われ、あっさり問題解決。
案ずるよりも生むが易しだ。

ただ、これは、過去に大阪人何人にも聞いたが、誰からも明確な回答が取得できなかった点。
こう注文すればよかったんだ、と妙にうれしかった。

因みに、天かすはメニューになく無料だった。

燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや

燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、というのは、高校の漢文の教科書で習った言葉で、陳勝・呉広の乱を起こし、秦朝崩壊のきっかけを作った陳勝の言葉と言われている(後世の脚色という意見もあるが、それはさておき)。
日雇い農夫だった陳勝が、天下を語って馬鹿にされた時、この言葉を吐いて、意にも解さなかったというのが史実であり、「小鳥にどうして、大鳥の志が分ろうか」と訳されている。
ただ、ニュアンス的には、「雑魚(ざこ)に俺の気持ちが分るか」という感じが近いのではなかろうか。
高校でこの言葉を習った時に、格好良いなと印象に残った。
さすがに、口に出す事は無かったが、ただ、こんな言葉を胸に秘めておくのは、夢を持つ人間には良いのではないかとも思う。

何かを成し遂げたいとき、世の中変えたいとき、成し遂げたい夢を胸に秘めている時、思わず周りに話して、「そんなの無理だよ」と言われた人は多いのではなかろうか。
ただ、大多数の意見を聞いて、物事を成し遂げた人間はあまりいなかろう。
自分の信念と努力が世の中を変えるのだ。
世の中の定義が、世界であるか、町内であるか、会社であるか、はたまた自分自身であるかは問わない。そんな事は小さな問題だ。
ともあれ、思う気持と努力が必要だ。

とは言え、人間誰でも不安と自己不信で折れそうになる事がある。
人に言われた言葉に、ふらふらとなびきそうになる事もある。
人間、本心から自信満々の人間はそんなにいないし、いたら、そんな人間は、かえって(単なる能天気で)成功しない。
ともあれ、心が折れそうになった時、「俺の志が分ってたまるか」くらいの不遜な言葉を胸に秘めて、やせ我慢して頑張るのもよいのではないか。
どうせ失敗したら、自分が責任を取る訳だ。
人の言葉におびえて自分を曲げるよりは、不遜な一言でも胸に抱いて頑張った方が良い。
殊勝な言葉と態度だけでは、世間の荒波は渡れない時もあるものだ。

まあ、喧嘩になるので実際に人には言わない方が良いと思うが・・・

客は神も特定条件下での事

1985年、大学時代に中国に行った時、一番印象に残ったのは、サービス業の態度の悪さだ。
例えばレストラン。
店員が笑わないどころか、注文を取りに来ないし、手を挙げれば目をそらす。
売店もしかり。
この状況は、競争原理が働かない状況だったというのが重要なポイントなのだが、もう一つの要因として、物資が不足していた事だ。

お客様が神様、というのは、物資・サービスが潤沢にある状況で初めて当てはまる言葉であって、物資が不足している場合は、物を持っている方が立場は強い。
つまり、店主・店員は神様という事になり、お願いして物を売ってもらわなくてはならなくなる。
物資の豊富な中、生まれ育ってきた僕には、そのギャップが鮮烈であった。
腹を立てる外国人も多かったが、冷静に考えれば、状況の違いだ。

あれから27年経過した中国、少なくとも沿海部では、サービス業の愛想がよい。
随分横柄な客も多い。
如何にもお客様は神様という状況になってきた。
経済の変化は、人の気持ちをこんなにも変えてしまう。
27年の変化を考えると、非常に興味深い。

大阪出張・忙中閑あり

一週間ブログが止まっていたが、大阪に行っていた(2泊3日だけだが)。
特定案件(1件のみ)での出張だったので、飛行機代を節約しようと、香港・大阪往復約25,000円の香港エクスプレスを手配。
今年に入り、オフィス拡張・人員増等で経費増となるため、旅費も削らねば、と安いチケットの使用が増えてきた。
今のところ、移動を減らすわけにはいかないので、うまく安いチケットを使えるかが経費節減のポイントとなる。

とは言え、慣れのせいかもしれないが、東方空港も快適に使用しているし、今回の香港エクスプレスも、サービスにも問題なく、特に、大阪⇒香港便は、非常口隣の席が3席とも無人だったので、席を移動して悠々と仕事をしながらの帰任。
体のダメージも少なかった。
まあ、収入の増加が経費増に追いついたら、変更が聞かない安いチケットでの移動はやめようと思っているのだが、まずは収入増達成が先。
もうひと頑張りだ。

さて、大阪では昨日、数時間ぽっかり空いてしまった。
クライアントの方が、「では、ミナミにお連れしましょう」と、典型的な大阪の風情を鑑賞。
グリコの看板を見たり、くいだおれ人形を見たり。
大阪はもう何十回も来ているが、こんなものをのんびり見る時間はなかったので、なかなか面白い。

そしてたこ焼き。
焼き立てが美味しい。
お好み焼き、たこ焼きにあまり興味がない僕でも美味しかった。
風情を楽しみながら食べたからであろうか。

まさに、忙中閑あり、という感じ。

会社を辞めるなら惜しまれて

以前、なぜか笑介という、商社をテーマにした漫画があり、新入社員の頃はよく読んでいた。
若干、落ちこぼれっぽい主人公が、良い仲間に支えられて成長していく話だが、僕が新入社員の頃は、理想と現実のギャップと、働くという事の厳しさに悩んでいたので、そんな時によく読んだ。
その中で、今でも覚えているのは、「惜しまれる状況でないと、会社を辞めるべきではない」という感じのセリフだ。
辛さに逃げ出そうとして退職しても、結局、新しい職場でも失敗する。
やる事をやって、自分も辞めたくない、周りも会社にとどまってほしいという状態でなら、退職しても未来が開ける、という趣旨だったと思うが、最初の1年は、この言葉をいつも思い出して、会社を辞めたい気持ちを抑え込んでいた。

そこから約22年。
良い仲間に恵まれ、中国研修をさせてもらい、仕事の面での最大限の自由を与えてもらう、という、ありがたい環境の中で、会社にとどまる事ができた。
丸紅を退職して既に3年半が経過したが、本社人事部の部長席から、今でも水野は丸紅の財産だと言ってもらえたり、戻ってこないかと言ってもらえたりするのは、リップサービスでもありがたい。
勿論、一番大切なのは、部下であり、クライアントの方々なので、それを投げ出すわけにはいかないが。

社会人人生、辛い事は多々あり、逃げ出したい事もある。
ただ、辞めるなと人から言ってもらえるような環境を、自分で作る努力をするのが大切なんだろうな、と思う。

東方航空の海老炒飯

2月28日に、最近、すっかり乗り慣れた感がある、東方航空格安チケットで上海から香港に移動。
ちょっと揺れがちな、東方航空の操縦にもすっかり慣れて、落ち着いて仕事をしながら香港に到着。

因みに、東方航空の機内食は原則食べないのだけれど、上海⇒香港便で出る海老チャーハンだけは、何故か強く惹かれるものがある。
けっしておいしくないし、周りの人も残しているのだが、何故かこれが好きだ。

どうでもいいと言えば、どうでもいい話だけど・・・