会社員時代の悩み(新規事業)

商社だけではないのかもしれないが、日本企業は、実質上の権限を本社に集中しているケースが多い。
つまり、各種ビジネスの所管本部(本社の部門)を決定し、そこのお墨付きがないと、ビジネスの取り組みが認められない。
これは、ノウハウが無い海外店の独走による損失発生を回避する為に、やむを得ない面があるのだが、海外発信ビジネスが育ちにくい最大の要因にもなっている。
僕のコンサルティングは、海外発信ビジネスが実現した極めて少ない事例と言われていたが、実現した後が大変だった。
数少ない事例でもあり、本社でもそれなりに認知され、たくさんの社員が、惜しみなく側面サポートをしてくれた。
ただ、お互い直接の当事者となると難しい問題が出てくる。

例えば、本社からの駐在員が僕の部下となったとしても、その人間の関心事は本社帰任後のポジションなので、僕の業務に専心する事は、必ずしも得ではない。
また、かつてのコンサルティング会社に出資していた部門が、営業部門の間尺に合わない事を理由として、管理部門に所管を切り替えようとした時、声をかけた全ての部から断られた。
その理由は、「管理部門は事業ノウハウがなく、200社以上のクライアントの存在は、とてつもないリスクで受けられない」というものだった。

結局、営業部からは利益が不十分、管理部門からは利益があるから、という理由で引き取り拒否され、社内ルール上、(所管部が無い事で)事業撤退を余儀なくされた。
クライアントの信頼に応え、部下の雇用を確保するための選択肢は、会社を辞めて起業するしかなくなってしまった訳だ。
先のブログに、2008年に辞めなくても、数年後に辞めざるを得なかっただろうと書いたのは、こういう理由だ。

退職時に、本社の役員クラス含め、たくさんの方からE-mailをもらったが、「水野の才能を活用できない会社に失望を禁じ得ない」と書いてくれた人が数名いた。
これは素直に嬉しかったが、どの会社でも同じだろう。
それどころか、他の会社(特に財閥系商社)であれば、事業を始める事すらできなかった筈で、開拓して軌道に乗せるまで、僕の自由な活動を、大きな心で見守ってくれたことに、まずは感謝するのが筋だと思う。

コンサルタントであれ、会計士、弁護士事務所であれ、専門家は一種の職人であり、特殊な価値観と文化、更にはビジネス方法を持っている。
同分野の企業なら理解できても、通常の企業には理解できない事が多い。
前ブログで、僕の思想と商社の文化の相性が思った以上によくなかったと書いたが、これは、商社だけではなく、メーカーでも、物流会社でも、その他の業種でも同じだろうと思う。

「離れて協力した方が(提携先、クライアントとして関係を持った方が)、お互いもっと儲かるかも知れないね」、と言ってくれた、丸紅の前中国総代表の意見は、この様な事を言っている訳だ。
その後、丸紅とは、業務提携、クライアントとして協力しており、お互いに心地よい関係を保っているのではないかと思う。
その意味では、いったん離れる事で、安住の地を見つけられた、という気がする。
離れる事でつながる事もある、という例であろう。

会社員時代の悩み(退職)

2008年に22年間務めた会社を辞めた訳だが、退職は大きな冒険なので、たいそう怖かった。
実は、辞表を出した時は、「誰か止めてくれないかな」という気持も少しあったが、思った以上に誰も止めてくれず、気が付いたら辞めていた感もある。
まあ、たとえ止めてくれる人がいても止まる事はできなかったが。

なぜ辞めたか、というのは、ブログでも何回か書いたので割愛するが、今では、「辞めるのは必然だった」と割り切っている。
安定収入を捨てるのは勇気がいるので、会社内でビジネスが継続できればベストであったが、その為には、本社で重要分野と認知されるまでビジネスを伸ばすしかない。
「水野のやっている事は、社会貢献とか広告効果があるし、資金不要で与信リスクもない。利益とは違う尺度で測るべきだ」、と言ってくれる役員も少なからずいたが、それは僕を個人的に知っている人間のひいき目で、利益追求型企業の中で自分のポジションを確立しようとしたら、利益を上げるしかない。
それを目指して頑張ったが、個人で数年間頑張ったからといって、更に、コンサルティングという業種で、大手総合商社の中でポジションを獲得するほどの利益(年間数十億円くらいの純利益?)を生み出す事はできなかった。
出来なかったというより、その後ろ姿すら見えなかった。
また、僕のこだわり(自分の知識と経験をベースとした分野で、業務のクオリティを保っていく)が、「何でもいいから利益を上げろ」という元上司達の意見と対立した面もあるが、このこだわりを捨てられないのは、僕の良さでもあり、限界でもあるのだろう。

結局、どちらが悪いという話ではなく、僕の思想と商社の文化の相性が、思われていたより良くなかったという事で、その意味で、退職は、自然の成り行きであった。
2008年に辞めていなくても、その数年後には、辞めざるを得ない状態になっていた可能性は高いと思う。
僕にとって幸運だったのは、僕の退職にあたって、元上司達がピント外れの行動(いやがらせ)を繰り返し、自滅してくれた事で、このため、辞める身でありながら、悪者にもならず(社内世論を味方に付けて)、理想的な形で退職できた。
感情抜きで冷静に見れば、一番得をしたのは僕かもしれない。

ただ、前述の通り、退職は理想の違いによるものが大きい。
その意味では、僕が退職を決める時に、「離れて協力した方が、お互いもっとうまくいくかもね」と言ってくれた元中国総代表、更には、「水野に対する感情を抜きにして考えれば、丸紅の中でコンサルティングをやり続けていく事には無理がある。コンサルティング会社を水野に売るのが、丸紅としてはベストのExit」と言った副総代表の意見が、一番冷静で的を得ていた事になる。
やはり、偉くなる人の判断は鋭い。