社長というものは

僕が、曲がりなりにも社長という名刺を持ったのは、35才の頃。
丸紅厦門法人の社長の名刺であった。
ただ、社長になった時は、既に駐在員事務所への組織変更が決まっていたので、つかの間の形式的な社長という事で、プレッシャーはほとんどなかった。
次は、43才で、丸紅出資のコンサルティング会社の社長になった時。
この時は辛かった。
僕が開始した事業に対して出資してもらった訳なので、完全に僕の肩に責任が乗ってくる。
厦門社長の時は、単純に社長の名刺をもらって喜んでいたが、この時は、「社長というのは辛い」というのが正直な感想だった。

若かりし日の杉山君(現子会社であるチェイスチャイナの社長)と酒を飲んでるとき、「僕は将来社長になりたいです」と言うので、「香港でHK$1で会社作って、社長の名刺だけ持てばいいじゃない。社長は辛いよ」と言った事がある。
その時、彼は、「いや、それではだめです。実態のある社長になりたいです」といった訳だが、社長のプレッシャーというのを、今は感じている頃だろうと思う。

社長の辛さというのは、経営責任・損益責任を負う辛さであって、それは、組織の中の部長、課長も同じであるが、組織の中の長であれば、最悪、プレッシャーにつぶされそうになった時は、降格を願い出て、出世を断念して静かに生きる事も可能だ。
ただ、自分で会社を興すと、経営を断念する事は、部下の人生、顧客・提携先の運営に迷惑をかける事であり、投げ出せば、人間としての信用を失う事になる。
つまり、一度始めたらやめられないし、最後まで責任を持つ必要があるという事だ。
今では、独立起業して社長となったが、そういった重みというのは、絶えず感じている。

社長というのは、良い事よりも辛い事の方がはるかに多い。
ただ、自分のやりたい事ができる。自分が組織の決断に責任が持てるというのは、何にも代えがたい幸せであるとも思う。