上海に向けた買い物

ステーキハウスでの食事を終えると、シティスーパーに買い物に行く。次の上海での隔離準備だ。

10月23日は上海に移動し、また、隔離が始まる。上海の隔離は、ホテル隔離を伴う、香港よりも厳しいものだ。ステージをクリアすると、難易度の高いステージに進んでいく、ロールプレイングゲームに紛れ込んだ気分になる。

7日間のホテル隔離で心配なのは、当然食事。特に、米だ。
1989年という、今とは違い、極端に不便だった福州で1年間生活し、送別会の時には「離れたくない」と泣いた僕だけに(乾杯の連続で泥酔していた)、今の上海のホテルの食事が食べられないとは思わないが、用心に越したことはない。年を取って、やわになっている懸念がある。
イオンとシティスーパーで、アルファ米を結構買い込んだ。これに、刺激を欲した時用のレトルトカレー。あとは、梅干しとカロリーメイトが有るので、大丈夫であろう。

因みに、1989年7月に福州到着した時は、殆どの日本人と同様、「米なら何でも食べられる」と思っていたが、完全に、その考えが甘いことを悟った。当時の福州の米は、研げば、水は白絵の具を溶かしたような真っ白。幾ら研いでも変わらない。炊きあがったご飯は、すぐに冷めて、強烈に固まった。ホテルの社員食堂では、ご飯をブロック状に切って、容器無しで並べてあり(カチカチばさばさなので)、トングでつまんで渡してくれた。これでは、汁ものをかけて、柔らかくしないと食べられない訳だ。カレーもだめ(米の部分が残るので。完全にカレーと米をぐちゃぐちゃに混ぜれば食べられたのであろうが)。だから、経済特区厦門で、日本種米が買えた時は、感動した。勿論、今の福州の米は、全く問題ない。あくまでも、これは、30年以上前の特殊事情だが。
そんな経験があるので、米には注意したい。アルファ米は高いが、一応、一週間分は確保できたので、大丈夫だ。ただ、もう少し、香港で自由な食事を楽しもう。

香港隔離・解放初日はステーキハウス

隔離明け初日。先ずは、イオンで買い物だ。鰹節を買って、そばつゆを作らないと、落ち着かない。今日の気温は30度。直射日光がさす場所は暑い。
隔離期間で体力が落ちており、買い物をしていてもふらつく。


イオンの向かい角が、すき家になっていた。この場所は、店がよく変わるが、すき家は行列だ。買い物後の見たら、更に行列が伸びていた。そして、スシロー、モスバーガー、サイゼリアと、日系の店に限って行列ができている。自分は行かないが、日系が受け入れられているのは、嬉しいことだ。

そして、歩きなれた道を散歩しながら、朝昼夜兼用の、Wooloomoolooステーキハウスに行く。隔離明けはここだと、ずっと前から決めていた。とは言え、隔離明けの興奮で、、昨晩自室でウィスキーを飲んでしまい、あまり酒が飲みたくない。更に、食べたいのは、花椒が利いた麻婆豆腐で、身体が刺激を求めている。とは言え、初志貫徹だ。海風に吹かれて食事がしたい。

この海老が食べたかった。このガーリックプローンは、何時食べても美味しい。

そして、フィレステーキをミディアムで頼む。出来上がりは、ミディアムウェルの様に思えるが、美味しかった。自分は、ステーキは、150gあれば十分だが、香港のステーキハウスは西洋人仕様。最低でも、280gだ。本当は、リブアイが食べたかったが、これは、最低が340gなので断念。絶対に食べきれない。

落ちてゆく太陽を見ながら、自由になった喜びをかみしめる。

そして、散歩兼買い物を継続。単なる日常なのであるが、今日は特別な状況だ。思い出に残る一日となった。

隔離最終日

隔離最終日。午前11時半に、こんな感じのメッセージが送られてくる。0時になったら、腕輪を取り外して、アプリを削除してもいいよ、という内容だ。

夕食には、チャーハンを作ろうと思うが、レンジご飯だとぱさぱさにならない(ねばねばだ)。これはダメだと思い、コンセプトを変えて、蒸しご飯風の料理にしようと、微調整する。ただ、この日は食べずに、冷凍保存。

代わりに、ペペロンチーノを作る。

そして、0時に、アプリにこんな表示が。これで、自由になれる。さっそく、腕輪を切り離す。

ちなみに、この日の午後に、携帯電話に、アプリを機能させて下さいという表示が出た。腕輪のQRコードをスキャンして、アクティブにする。どうした事かと思ったら、過去3日間に2回位置情報をアプリが使ったので、念のためサスペンドしたという表示が出ている。ということは、1日に一回程度、場所特定をするということか。もっと、頻繁に把握されているのだと思っていた。

そして、コンビニに牛乳を買いに出かける。隔離開始早々から、アイスコーヒーに牛乳を入れたくて仕方がなく、隔離が明けたら、まず買いに行こうと決めていた。そして、よくある様に、買ったら、さほどは使わない・・・

0時以降の飲食店の営業は禁止なので、店も開いておらず、人もいない。コンビニがかろうじて開いている程度。静かな町だ。

最後に、お祝いのそうめんを食べる。

香港・隔離13日目(もうすぐ終了)

香港隔離13日目。あと36時間で解放だ。
ここまで来ると、完全に気分は明るい。昼はアスパラベーコンと目玉焼きを作って食べるが、足りないので、アマノの牛とじ丼を一口たべる。隔離の辛さはも人それぞれで、13日目が一番辛いという方もいたが、僕は、何と言っても折り返し前後(6~9日目)が一番辛かった。

36時間後には、この窓の向こうに行けるんだなあ、という実感がわいてくる。今まで考えなかったこと(小さなことの有難さ)を、たくさん感じた隔離期間であった。こういう小さな感謝を大切にしていこう。

ビールで前祝い。そして、冷蔵庫の中の残り物整理だ。ミックス野菜というのは、便利だが、意外と使いにくいのに気づく。これはおそらく、自分に野菜の好き嫌いがある為だろう。バランス良く食べるためには、便利な商品だが。

香港隔離は、結構管理が厳しいが、同居家族がいる場合、家族は行動制限を受けないようだ(家族は普通に生活できる)。それでは隔離の意味がないのではないか、という気もするが、一方、香港到着時にPCR検査を受けて、陰性判定が出ている帰国者と、受けていない香港在住者は、どちらが安全なのか、という疑問も生じる。更に言えば、この2週間で、僕は、既に2回のPCR検査を受けたが(中国行き飛行機搭乗のためには、PCR検査証明が必要なので、10月21日と23日に、更に2回のPCR検査をする)、検査結果は、「その日・その時は大丈夫」、というだけで、その後の安全性を保障するものではない。となると、全員検査をして、即時対応をしない限りは、いくら検査率を上げても、その効果には限界がある。こう考えだすと、疫病管理制度も、何が正解かを決めるのは、結構難しいことが分かる。

香港・隔離12日目

香港隔離も12日目。あと少しだ。ここまでくると、気持ちに余裕が出てくる。
隔離期間中の宿題として、外貨管理局が公開している「経常項目外貨管理業務マニュアル(2020年版)」に一通り目を通して見る。短い文章だと、先に、部下に邦訳してもらって、日本語を読んでから中国語(原文)を読んだりするのだけれど、これだけ分量があると(約90ページ)、外注費もかかるし、部下にも頼みにくい。ということで一通り読んでみたが、本当にマニュアルだ。既存の外貨管理文書をまとめてあるのは使いやすいが、もう少し、特別な内容(運用ルールなど)が書いてあるかと期待したが、残念ながら、それはなかった。

冷蔵庫の中身も殆ど片付いてきたが、こんにゃく関連製品が、手つかずで残っている。僕は日ごろ、カロリー・糖質制限だとよく言っているので、水嶋さんが気を利かせて多めに購入してくれていたのだが、隔離期間中に、これを食べると、メンタルにダメージが来るのは確実で、怖くて、見ぬふりをしていた。しかし、隔離もほぼゴールに近づいてきたので、これらも綺麗に片づけて終わりたい。冷やし中華的な麺を食べ、白滝とサラダチキンの缶詰を麺つゆで煮て、何とか食べられるようにして消費。
こんにゃく麺は、臭みが少なく、意外とよくできているのだが、お腹がスカスカで、元気が出てこない。

ちなみに、サラダチキンの缶詰は3缶あり、香港空港から解放されて、部屋に到着した時は、これを見て、「シーチキンだ!」と喜んだが、よく見たらサラダチキンで、がっかりしたのを思い出す。あれから、結構な日数が過ぎたと思うと感慨深い。

香港・隔離11日目

隔離11日目の夜は、僕の状況を見かねた、シンガポール在住の丸紅の先輩が、オンライン飲み会をしようと言ってくれ、その際、シンガポールの隔離も、毎日、任意の時間に連絡が来て、隔離場所を動画で報告しないといけないので、結構厳しい(できないと、永久国外追放になったりする)という話をされる。6ヶ月以下の懲役&罰金の香港も厳しいが、ともあれ、シンガポールらしい話である。
尚、香港の隔離でも、監視員が、(ちゃんと隔離場所にいるか。GPS付き腕輪を切り離していないか)見回りに来ることが有るようだ。しかし、これだけ人と会えずに孤独だと、監視員ですら来てほしい。全く来る気配がないのは、困ったものだ。

オンライン飲み会は、ほとんどやった事はないが、食べすぎる傾向が有るので、豆腐系の料理にする。厚揚げ豆腐、オクラ、高野豆腐を、この日で全部使い切った。

冷蔵庫も、ほぼ片付いたので、残り3日で晩飯で、餃子、アスパラベーコン、鶏むね肉の塩焼き、葱チャーシュー、ハムエッグを作れば、きれいに使い切る感じだ。

香港・隔離10日目の検査

香港では、隔離10日目に、再度、PCR検査を受けなければならない。自宅から指定病院まで、採取した唾液を運ぶ必要があるのだが、自分自身は、当然、隔離場所(自宅)を離れることはできない。ただ、ここら辺のケアは、しっかりとされている。

入国時に配られる資料に、ピックアップサービス代行会社の紹介(3社)が有り、その1社を使った。まず、インターネットでURL(https://www.gogox.com/hk/covid-19-testing-en/)をクリックすると、電話番号と指定日の入力欄がある。

入力すると、次のページで、Emailアドレス、氏名、身分証番号、住所を打ち込み、クレジットカードでHK$100(1,400円程度)を支払うと、申し込みは完了だ。非常に簡単。
数分後に、確認のEmailが来て、申込者の情報確認とガイダンス(朝8時~午後3時の間に取りに行くが、直前に電話をするという案内)が行われる。あとは、当日まで待っていればよい。、

具体的な時間指定はできないので、朝8時前には唾液採取し待機する。僕の場合は、8時半に電話が来て、これから取りに行っても良いかと聞かれた。OKすると、10分後に到着するので、ドアの外にサンプルを出しておくように言われ、その通りにすると、順調に回収され、運搬完了。
全てのおいてシステマチック。香港、なかなかたいしたものだ。

香港・隔離10日目

隔離10日目は、再度のPCR検査がある。ピックアップサービスをお願いしてあるが、これが、8時~15時の間に回収に来るというので、7時半には準備を整え、連絡を待つ必要がある。昨晩は、メンタル低下で寝つきが悪く、睡眠不足ながら、ともあれ待機。
ピックアップサービスに付いては、別途、経緯を紹介します。
さて、昼はスパゲティ。昨日書いた通り、身体が麺を受け付けなくなったが(おそらく、精神的な要因)、スパゲティは大丈夫そうなので、これに決定。部屋にあるミートソースの素は、今年の1月で賞味期限が切れているが、物資欠乏の折、四の五の言ってはいられない。焼いたベーコンを併せて、フライパンで軽く炒めて茹でたパスタにかけて食べる。

夜は、昨日作っておいた、サラダチキンと刻みメンマの花椒油掛けと、鯖缶と玉ねぎのマヨネーズ和えを食べようとするが、特に、鯖缶の臭みが気になる。やむなく、両方、炒めたら、まずまず食べられる味になった。調味料不足で料理を作るので、完全に行き当たりばったりだ。

それだけでは足りないので、冷蔵庫にあった、炒め用こんにゃく、豆腐、納豆(使い切った)でご飯にする。酒は、飲みすぎないよう慎重に、ビールと日本酒少々。
あと4日間だと、少し、心が軽くなる。

香港・隔離9日目の夜

隔離9日目の夜。休肝日にしようと思う。
隔離中の無聊を、酒で紛らわせたくなるのは確かだが、無聊なだけに、飲み始めると、止まらなくなり、飲みすぎる懸念がある。であれば、最初から飲まない方がよい。

夕食時に、白米を多めに食べれば、酒を飲む気が失せる。これが一番の対応策だ。ということで、冷凍餃子をフライパンで焼いて、サトウのごはんを掻っ込む。野菜不足を懸念して、きんぴらごぼう(これで冷凍ゴボウは使い切った)、卵豆腐(これも使い切った)を付け合せる。

そんな感じで、早めにベッドに入り、読書に充てたが、夜0時前に、メンタルが崩れ気味になる。「もう少しだと安心したが、よく考えれば、まだ5日間有るじゃないか!」というか感情が勝ったものだろう。感情の起伏が、通常時より激しめだ。
その気持ちの影響か、麺類を身体が受け付けなくなる。即席めんは特にダメ(隔離期間中に、3回しか食べていないのだが)。蕎麦、うどんも食べる気がしない。昼は毎日麺類で良いと思えるほど麺好きなのに、何故だろう(唯一、パスタは大丈夫)。

そうなると、残された食材が少ない。夜に起きだし、限られた食材と、元々不足する調味料(味噌、鰹節、昆布などが無い)をどう組み合わせて、翌日からの食事にするか思案に暮れる。どうも、隔離ストレスが溜まっているようだ。

香港・隔離9日目

香港での隔離も9日目となり、あと5日間となった。少し希望が見えてきた感じがする。
昨晩は、妙に現実味がある、香港と上海の夢を見た。深層心理の中で、もう少しだ、という感情があるのであろう。

朝起きると、空腹なので、シラスご飯を食べる。丁度、前日に半分食べて残してあった、レンジご飯と冷凍シラスが有ったため。
そして、昼は、鉄板ナポリタンだ、と思うが、長期不在で、鉄板がさびている。これはいけない。

ということで、やむなく、一個しかないフライパンを駆使して、鉄板ナポリタン風を作る。ナポリタンを作った上で、それを別皿に移して、フライパンを洗ってから、更に、油と卵を引いて、上にパスタを乗っける。ここまでしても、鉄板風にしたいのは、子供の頃に慣れ親しんだ味だからだろう。

今朝の香港は、すさまじい雷であった。
1997年4月の赴任直後を思い出す。朝目が覚めると、すさまじい雷。日本で経験したものとはレベルが違う音と光。これは、このビルに落ちるのではないかと、真剣に恐怖したものだった。そんな昔が懐かしい。それも含めて、「戻ってきた」と感じたものであった。