mizuno のすべての投稿

後継者育成と組織の発展

僕はワンマンプレーヤーという印象が強いようだ。
「後継者を育てているか。水野1人でやっていてはダメだ」と人から絶えず言われるのはそのためだろう。
おまけに、僕がいなくなった旧M&Cという会社が、コントロール不能と経営難に陥り1年弱であっさり潰れたので(経緯はこちら)、そのイメージが定着したようだ。

人から「後継者は~」と言われる度に、「当社はチームで動いている。実務は部下が対応できる」と回答している。
おそらく、過去に数百回こう言ったと思うし、これは真実だが、何回言っても受け流されて、その繰り返しになる。
やはり、人は自分のイメージと違う意見を受け入れないものだ。
そのうち、部下まで被害妄想になってしまい、「私達も頑張っているのです」などと言う様になる。
周りの人が言い続けるので、僕が言った様な錯覚に陥るのではないか。
この件に付いては、反論しても聞いてもらえないと諦めているので何も言わないが(僕にそんな問いかけをされる方も、僕がどれだけ頻繁に同じ話をされているかを知ったら驚くだろう)、何分、自分自身の事だから、誰よりも真剣に考えており、一つの方向性に向けて動いているつもりだ。

当社は、社員全員が役割分担をして、全員全力投球で働いている。
僕がいなくなった旧M&Cが管理不能に陥ったのは、各人の能力を使いこなす人間がいなくなってしまった事と、新しい経営者(経営する部)に覚悟がなかったからだ。
部下の言っている事を上司が理解できない、経営者に組織を統率する覚悟がないでは、組織は機能しない。


僕の後継者という点に関して言うならば、「組織としてブランド力を付ける」事を目標に動いている。
僕より10年以上前に業務を開始した(先輩とも言える)コンサルティング会社が、経営者の名前より、会社の名前を看板としているのと同じ事である。
そして、今のまま5~10年努力すれば、それはできると思う。
その話をすると、「そうではなくて、水野の代わりをする人間が必要な筈だ。水野が明日死んだらどうする」と必ず言われる。
その段になると、議論が長引くので早々に話を打ち切るのが常であるが、答えるならば以下の通りだ。

① 僕がいなくなって困るのは集客力。
部下は僕の考え方を植えつけてある筈なので、実務処理能力はある筈。
10年程度の時間をかけて組織としてのブランドを付ければ、集客力は解決できる。
その前に、僕がいなくなる様な事があれば、資本・業務提携関係を通して、この部分は解決していく。

② 能力の範囲は人それぞれ。
僕をもう一人作れ、というのは、講演ができて、本が書けて、動き回れて、酒も飲めて(?)という人間であろうが、人の才能と志向はそれぞれ違う。
僕と同じ事をやりたい人間・同じ範囲の適性を持った人間が、そうそういる訳ではないし、それが絶対的な価値を持っている訳でもない。
僕の代わりになる人間を引き抜く金は無いし、また、そうしたとしても独立するのは止められない。
過去に、高めの報酬で即戦力を簡単に調達しようとしたが、各人、2年程度経つと、続々と転職したのを見ても分かるであろう。

事業を立ち上げる時は、それを統率する、象徴的な人間が必要だと思うが、事業が成長すれば、組織がそれに代替すべきだ。
今、自分の名前を前面に出して案件を獲得しているのは、第一段階(組織のブランドが付くまで)として、それがやりやすいからだ。

僕の下で頑張っている部下たちがいる。
それを飛び越して、新しく探してきたリーダーを据える気は僕にはないし、したとしても、上手くまとまる訳が無い。
組織の成長には、時間がかかる。
1~2年でドラスティックな変化がなくても信じて見ていて欲しい。
2001年末に、僕一人が、手探り状態で始めたコンサルティングの仕事(何をやったらいいのだろう、という状態からのスタートだった)も、9年がかりで、人が育ち、コンテンツ事業や記帳代行・申告代理も抱えた5つの会社になった。
来年には、日本逆上陸も果たそうとしている。
これが、速いか遅いかは、見る人によって違うだろうが、9年で確実に組織として体をなす状態にした筈だ。
それを、あと10年で完成させていくのが目標だ。

長々と僕の会社の話をするのはどうかと思ったが、クライアントの方や部下も読んでいるので、日頃の問いかけに正式に答えておくのもよいかと思い、思うところを文章にした。
食べ物の話を書いている方がこのブログらしいが、ご容赦の程を。

変わる!中国加工貿易新マニュアル完成間近

初稿・再校ゲラとパート1の扉

12月出版予定の、「変わる!中国加工貿易新マニュアル」の再校ゲラが、NNAで編集を担当してくれている督永さんから届いた。
3時間ほど根詰めて、270ページほどを点検する。

今回は、パート1が「来料加工廠の独資転換手続と転換後の運営に付いて」なので、是非、年内には出版したい。
既に、転換作業が本格化しているからだ。
今回は、「来料の独資転換」だけで50ページ。
調べた事はないが、この内容だけで50ページ書いた人間は、おそらく今までいなかろう(いたらごめんなさい)。

また、前にも書いたけど、転廠に関わる増値税の計算式が、7年がかりでやっと整理できたので、今までのぼんやりした解説ではなく、パターン毎に、明確な算式で計算方法を提示した。
その他、今書きたい事は全部書いたと思う。

ゲラはこんな感じ

ちなみに、NNAの督永さんに書籍を担当してもらうのは、2冊目(3冊目かもしれない)だと思うが優秀だ。
最初、世の中にこれだけ丁寧な仕事をする人がいるのかと随分驚かされたが、バランスも取れているので、今では、よほどの事がない限りは、意見をそのまま聞いている。

外貨マニュアルの表紙も、最初の原案が、「いまいち」感あふれていたので、「これはどうかな」と思い、駄目出ししようか迷った事がある。
ただ、「これから良くなります!」と力強く言うので、そこまで言うならとOKしたが、仕上がりは確かに、今まででの本の中では最高の出来であった。

この加工貿易新マニュアルの表紙原案を2ヶ月ほど前に見せてもらったが、それは、外貨マニュアルの原案に輪をかけてがっかり感が漂っていた。
これも信頼して任せる事にしたが、2ヶ月程で、どこまで変わっているかが楽しみだ。

ともあれ、12月には出版になると思います。
請うご期待!

あと、NAC名南の斉藤さんが頑張ってくれた、用語集改定版(キョーハンブックス)も年内発売予定です!

ぶっかけラー油カレーなどを買い込む

日曜日に香港に移動するので、近所のスーパーで食材を買い込んだ。
旅行鞄にぎっしりだ。

米、麦飯、赤飯、カレー、中華丼、親子丼等など。
これだけあれば、1ヶ月は持つであろう。
物価の高い日本であるが、こればかりは、日本で買った方が安い。

今回買った中で、一番インパクトがあったのが、ぶっかけラー油カレー。
美味しいかどうか疑問を感じたが、あまりのインパクトについ買ってしまった。

香港で食べるのが楽しみだ。

渋谷のどん兵衛ショップ

渋谷のどん兵衛ショップで食べたどん兵衛

昨日は、企業研究会主催の講演会。
金杜弁護士事務所(King & Wood)の劉新宇弁護士と共同。
青山での講演会で、渋谷から表参道行きの地下鉄に乗る。

と、渋谷のホームでどん兵衛ショップがあるのが目に入った。
おもしろいので早速入る。
地域限定版どん兵衛がある。
ごぼう天とか、芋煮とか、同じ天ぷらうどんでも、北海道限定版とか。

北海道限定版の天ぷらうどんを食べてみる。
ただ、普通にお湯を書けるだけ。
卵を落とすとか、刻み葱を入れてくれるとか、そういうトッピングもできない。
これでは、家で食べるのと同じだ。
今一つ面白みがない。
立ち食いそばを食べた方が良かったと後悔。
コンセプトはよいので、もうひとひねり欲しいところ。


話変わるが、日本で電車に乗っていると、意外に荒っぽい駆け込み乗車をする人が多いのに気付く。
明らかに間に合わないのが分かるのに、手首だけ入れるとか。
ドアを開けてくれるだろうという読みがあるからそうするのだろうし、実際にドアが開くのだが、これでは鉄道関係者がかわいそうだ。
これで事故が起こると、鉄道側のせいにされる訳だし。

これが、中国の地下鉄だと、如何にもそのまま走りだしそうな怖さがあるから、さすがにこれだけ荒っぽい乗り方はしないのではないか。

ただ、10数年前に、一度、方手首だけ挟まれたまま電車が走り出し(挟まれた人も、そのままの体勢でホームを走り)、ホームのぎりぎりのところで止まったのを見た事があった。
間一髪だ。
鉄道関係者でない僕がいうのは変だが、駆け込み乗車は大変危険だ。
さすがに数分毎に電車が来る山手線で、手首だけを突っ込むような危ない乗り方をするのはやめよう(僕より年上と思しきビジネスマンが駆け込むのを1時間で二人見た)。


2年越しの希望がかなった

丸紅元社長の辻さんと

丸紅元社長の辻相談役と会食した。
僕が辻相談役と丸紅時代に会ったのは、2回だけ。
両方、香港駐在の時で、丸紅社長時代に一度、会長時代に一度、駐在員全体で会食をさせて頂いた。
かねてより、社外だけでなく、社内の若手にも気遣いをされる方、という評判を聞いていたので(大企業の社長の中では、ある意味異色)、変なプレッシャーは無かったが、何故か最初にお会いした時(社長時代)は、緊張で足が震えた。
後にも先にも、丸紅社内の人(歴代社長を含め)と会って、足が震えたのはこの時だけだ。
当たりが大変ソフトで礼儀正しい方であるが、これが大企業のトップの威厳というものか、というのが、当時の僕の正直な感想。

1999年に社長就任。過去の負の遺産で丸紅が経営危機に陥る中、一大再建プランを実行し、数年で会社を立て直すと、さっと後任に社長の座をゆずってしまった。
その潔さにヒロイズムを感じたが、「一番辛い時に社長を務め、これから良い思いができる時に何故」、という印象が強く残っていた。
そんなこんなで、丸紅の中では一番印象に残っていた方と言ってもよく、退社後、辻さんには挨拶したいという気持ちをずっと持っていた。
それが、ひょんな事から辻さんの方から声をかけてもらい、一緒に仕事ができただけでなく、食事も招待頂いた。
そして、社長時代の話、社長の座を譲った時の考え方など、聞きたかった話が色々聞けた。

焼フグ

会食の場所は本郷の「ととや」。
ここは、焼きフグが名物の模様。
たいそう念入りな焼きフグだ。
量もたっぷり。

炭火焼きで、じっくり焼くと、フグが良い感じで焼き上がる。
これは素敵な食べ心地。

いくら乗せのおじや、うに乗せとろろ、そしてフグのひれ酒

そして、つまみに、とろろを頂くが、ウニが添えてある。
おじやはいくら添え。
芸が細かい。
そんな感じで、フグをたくさん食べて、ひれ酒を飲む。

食事も美味しかったし、経営の話を含め、色々な話を聞かせて頂いた。
2年間越しの希望がかなった、嬉しい日であった。
ありがとうございます。

朝一で空港に向かい羽田便に乗り込む

朝8時半発の羽田行きの飛行機に乗り日本出張。
土産を買わなければいけなかったので、家を出たのは朝6時ちょっと前だ。
4時半に起きて、1時間だけ仕事して、シャワーを浴びて空港に。
2時間睡眠だったので、機内では最初から最後まで寝ていた。
気付いたら、到着30分前という状況。
機内食は食べないで寝ようと決めていたので、空港で翡翠酒店(クリスタルジェイド)の坦々麺を食べる。
空港の店舗は、朝早くから営業しているので便利だ。

一昨日に用語集の校正作業が終わったし、昨日に明日香出版からの本の校正が終わったし、今朝で、手元にあったクライアントの方からの質問は全部捌けたし。
睡眠不足と戦った一週間であったが、仕事がちゃくちゃくとこなせているので、精神的には余裕がでてきた。

日本では一週間、楽しませてもらおう。

八吉で用語集校正終了打ち上げ

子持ち昆布の串あげと牛刺し。

用語集を年内に出版する予定。
元々単語、公式、資料という構成であったのだが、素直に製本すると700ページくらいになってしまい、製本コストがかかる。
高額にせざるを得ないし、本屋に並べにくい、という出版社の意見もあり、資料編は割愛せざるをえなくなった。
そして、レイアウト変更で300ページ程度に収め、4千円台の値付けという事になりそうだ。
そんな訳で、最後の校正作業。
斎藤さんに自宅まで来てもらい、全項目に目を通し、修正すべき部分を修正した。

しかし今週は忙しかった。
香港滞在週(広州日帰りが1日)であったが、毎日締め切りに追われ、仕事が終わるのは(月曜日を除き)深夜の1~2時。
先週土曜から今週金曜までの7日間で、外食は2回だけ。
あとは、亀一と合宿をしている時に食べた様な、冷凍食品とレンジのご飯。
3~4時間睡眠が数日間続いていたので、さすがに頭がモーローとしてきた。

そんな状態ながら、用語集最終校正完了祝い!という事で、(斎藤さんが魚好きなので)八吉で打ち上げをする事となった。
コースがお得な様なので、HK$ 480/人のコースを頼む。

名物の子持ち昆布の串あげと、牛刺し。
これはなかなか美味しい。
揚げる事で、子持ち昆布が柔らかくなり、不思議なプチプチ感になる。
牛刺しは、なかなか鮮度が良く美味しい。

のどぐろ塩焼きとひつまぶし二人前

これは、のどぐろの塩焼きとひつまぶし。
美味しいのどぐろで、きれいに食べる。
ひつまぶしは、鰻が固かったのがいまいち。

それに、刺身の盛り合わせとソフトシェルクラブの空揚げが出てきた。
本当はフグの空揚げだったのが、なくなったという事で、自動的にソフトシェルクラブになってしまった。
コースの選択にあたって、フグの空揚げは、結構重要な要素だったので、これはちょっと悲しかったね。

という事で、満足したものと、ちょっと残念なものに分かれてしまったけれど、総じて言えば、満足できた。

NAC名南の斎藤さん

会食の開始が早くて18時。
21時まで3時間いろいろ話しながら会食したが、20時半を過ぎると、連日の睡眠不足がたたり、眠くて仕方がなくなってきた。
斎藤さんは深圳に帰るし、食事をしたら解散。
足マッサージをして帰ろうかと思ったが、歩いているうちに、目が開かなくなってしまったので、そのまま帰宅し、22時過ぎには倒れ込むようにして寝てしまった。

二人併せて、生ビール3杯に、日本酒5合。
それでこれだけ眠たいのは、やはり睡眠不足の反動だろう。
この生活も、11月下旬でひと段落つく予定。
もうひと頑張りだ。

過去ブログで睡眠不足

11月は忙しい。
本を1冊書き上げて、他の2冊の本の校正作業。
あと、講演会のレジュメ3本やら、何やらかにやら。
という事で、さすがに、半分音を上げかけていて、ひと段落つく月末が待ち遠しい感じだ。

そんな状況下、過去のブログの復刻が掲載されているのに気が付いた。
大薗社長のブログやら、元木さんのブログやら。

仕事が終わるのが午前1~2時という日が続いたが、2日連続で過去ブログを読みふけってしまった。
他人のブログでも、「あの頃はこんな事があったなあ」等と思いだして、ノスタルジーにふけってしまうので、1時間近く読んでしまう。
特に、2005~2006年頃は、思い出深い事の連続だ。
おかげで睡眠不足だ。

今日の午後は、NAC名南の斉藤さんと、半日缶詰めで用語集の最終校正だ。
眠い。

原稿完成

2日ブログを書かなかった。
書くのを習慣にしておかないと、ずるずると書かなくなるので、寝る前に更新。

明日香出版から出す予定の本の原稿を、昨日書き上げた。
今回の本は、いつもとは違う傾向。
いつものマニアックなビジネス書ではなく、一般書だ。

いつも僕が書いているのは、僕しか書けない本だが、今回の本は、ある意味、僕でなくても書ける本。
そんな風に言われそうだという気もするが、僕が書くからには前向きだ。
僕が16年間中国に住んで、そして、25年中国と接してきた経験と思いを、前向きに文章にしたつもり。

そんな意気込みで、合計約8万字を、1ヶ月で書き上げた。
週末は自宅に自主缶詰状態で、根詰めて書いたので、書き終わった時は嬉しかった。
今までと違うタイプの本なので、反響が読めないが、書き上げた段階で充実感はある。

最初に依頼を受けた時、書けるかなあという不安と戸惑いがあったけど、今では、この機会をもらえて良かったと思う。
チャンスをくれた藤田さんに感謝の気持だ。

とは言え、執筆が終わっただけで、まだ、校正・編集等、作業がたくさんだ。
作業が終わった気になって、感慨に浸っている段階ではない。
出版までだらけずに頑張ろう!

引き続き週末

昨日は、夕方まで原稿を書いて、ジムで7Km走り、とい週末の平均的な生活を送った後で、夕食を買いに、City Superにいく。

丁度、先週買った「キャビアもどき(HK$ 40~50で買ったもの)」があったので、DVDでも見ながらシャンパンを飲もうと考えたのである。
モエシャンドンを一本買い、あとはいつもの冷凍食品(八宝菜、麻婆豆腐、ラーメン)。
それに、カニクリームコロッケなど数種類をテイクアウト。

DVDは、前回日本で買った、ルネクレール監督の「巴里の屋根の下」。
これは、トーキー初期作だ。
僕は昔、不思議な子供であった。
小学校6年生の時に、同じくルネクレール監督の「巴里祭」に感動して、クラシックな映画が好きになり、「望郷」・「天井桟敷の人々」・「或る夜の出来事」等がTVで放映されると、嬉々として見ていた。
「巴里祭」主演のアナベラが忘れられず、高校一年の時に、岩波ホールに「巴里祭」を見に行ったりもした(あの頃は、TVで放映されない限り、見たい映画もなかなか見られなかった)。
あと、小学校4年生の頃から古典落語の本を読みあさり、円楽、志ん生、志ん朝、小さん等のレコードを聞いて、自分でも話したりしていた。
そして、それ以外の時は、学校から帰宅して寝るまで、クラシックギターを弾いていた。
そんな、マニアックな子供だったので、中学校の頃、部活に入らなかった(自分で好きな事をしたかった)のは、今ではちょっと後悔している。
10年間、あれほど熱中したギターも、今では弾けなくなってしまったし。

ともあれ、シャンパンとキャビアもどきを楽しみながら、巴里の屋根の下を見る。
30年前の様な感動はなかったが、ほのぼのした感じが楽しめた。
しかし、巴里の屋根の下の主題歌は、当時映画を見た時、一度聞いただけなのに、ずっと耳に残って忘れなかったのは、たいしたものだ。
実に、シンプルで分かりやすい名曲。

そんな感じで、子供の頃に戻った気になったら、どんどん当時の記憶をたどってインターネット検索を始めてしまい、クラシックギター(山下和仁、荘村清志)から、武満徹のノベンバーステップスまでたどり着き、不覚にも明け方就寝となってしまった。