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福岡から香港へ

(引き続き更新が遅れています。すいません)

福岡より香港に戻る。
長い出張だったのでへろへろ。

「福岡から帰れば近いだろう」と思い、福岡⇒香港のチケットを買ったのだが、この便が台北経由で、空港で随分待たされた。
殆どメリットが無かったのが残念。
座り続けで腰痛になりそうだ。

香港に到着すると暑い。
「また、帰ってきたなぁ」と実感。


話変わって、今回(先週)日本で行なった講演は、「撤退から見た会社運営のリスク管理」という内容。

趣旨は、撤退するときには、様々な問題が顕在化するので、清算時に生じる問題を認識しながら、設立(進出)・会社運営を行なおう、というもの。

とは言えタイトルに撤退とあると、皆さん「ぎょっ」とする様で、まだまだこのテーマには抵抗が有るようだ。

勿論、昨今、加工貿易・輸出企業に対する規制が色々と行なわれていたり、人民元高、コスト高というマイナス面が、事有るごとに報道されている。
よって、従来のビジネスモデルだと、会社運営に困難が生じるケースが多く、その結果として撤退に繋がるケースが増えているのは否めない事実である。

但し、逆に(中国からみた)輸入⇒国内販売であれば、「儲けている」という実例も多い。
また、ここ数年、サービス分野の外資参入規制が徐々に緩和されてきているので、この様な新分野のビジネスチャンスは確実に出てきている。

日本や香港と比べれば、中国のコストはまだまだ安いし、富裕層も厚くなってきている。
こんなアンマッチを上手く生かせば、商機は転がっているのであろう。

要は発想の転換というところか。

福岡を堪能(ラーメン⇒焼き鳥⇒カクテル屋台)

焼き鳥屋で会食開始

福岡での面談開始。
午前中に2件の面談を行なうと、11時半頃時間が空いた。
朝食を食べていないので、早めに昼食にする事に。
今回のスケジュールだと、とんこつラーメンを食べるのは今日の昼しかない。
是が非でも!と考えラーメン屋に直行。
行ったのは、岩田さんお勧めの三九ラーメン
毎日食べられるラーメンです、という説明通り、あっさりしていて美味しい。
替え玉と言うのを生まれて初めてした。
ちょっと食べすぎ。

壁に、「取材拒否の店の恐るべき実力!」という雑誌の紹介記事が張ってある。
取材拒否の店だか、そうでないんだか良く分からないが、何となくほほえましい感じである。

午後の仕事を終えると焼き鳥屋。
岩田さん行きつけの山笠と言う店。
焼き鳥があっさりしていて大変美味しい。

赤霧島は入手がちょっと難しいようだ

また、入手が難しい、という赤霧島にもありつき二人で飲む。
福岡はいい所だ。
僕の知り合いの福岡赴任経験者が、口をそろえて「帰りたくなかった」というのも分かる。

行ってみたかったカクテル屋台

二次会はカクテル屋台。
一度行ってみたいと思っていた店だ。

ブルームーンを飲んだら強かった!
ジンに思わずむせてしまう。
ただ、いい雰囲気。

隣の屋台でTVの取材をやっているようで、芸能人が来ていた(らしく、若い女性がたくさん取り囲んでみていた)。
誰かさっぱりわからなかったが・・・


福岡で教え子(?)と会食

岩田さんと

かなりアップが遅れておりすみません・・・

横浜で一泊すると福岡到着。
福岡は3回目。

一番最初は2004年に香港貿易発展局が主催した、CEPAお披露目セミナーで講演した時。
次は去年。

福岡は、上海からは飛行機で1時間の近さだし、それなりに中国に対する関心もある場所なので、何かビジネスにつなげられないかと思っているのであるが、拠点も無いし、人脈も薄いのでどうしようかなぁ、と考えていたら、かつての教え子岩田さんがいた。

2006年頃に、小規模な中国ビジネスセミナーを僕が受け持った事があり、そこに参加してくれたのが岩田さん。
その後、僕がバタバタして時間がなく、ビジネスセミナーが開催されていないので、今のところ一期生=最後の教え子になっている。

ただ、その関係をまだ憶えて頂いており、福岡での面談のアレンジを色々として頂いた。
人の縁とはありがたいものだ。

福岡の夜景

久々の再会。
久々の福岡。

のんびりと食事をして明日の面談の打ち合わせ。
和やかに時は過ぎていったのであった。

天むすとまむし丼で大阪⇒横浜に移動

昨夜は大阪で中国研究会(の様な会合)だった。
という事で、朝3件の打ち合わせを東京でこなし(田町、市谷、東京駅)、大阪行きの新幹線に飛び乗る。

午前中の打ち合わせは、大雨で移動が大変だった。
なにやら強風で、中央線の信号機が傾いたとかで、電車はとまっていたし。
台風を思わせるような雨と風だった。

大阪到着は午後4時過ぎ。
久しぶりの大阪が心地よい。

ホテルにチェックインすると、丸紅大阪本社経由、香港貿易発展局に。
夜の研究会は7~9時。

加工貿易企業の近況などを話して、打ち上げは近所のそば屋。
過去に(社会人になってから)、早稲田大学の公開スクールで、中国語を習った事がある。
その授業の後に、先生・生徒一緒に食事をしたり雑談をしたけれど、丁度そんな雰囲気だった。
たまにはこういう雰囲気もいいなぁ、としみじみ思う。


移動中に食べた駅弁

一夜明けて横浜に移動。

M&Cで会員様向けに毎週配信している中国の法律集(NNAさんとも共同で、隔週で紙のものも販売中)のバックナンバーを販売する予定。
⇒ 先ずは、2006年の法律集。数ヵ月後に、2007年に公布されたもの(共に、邦訳・原文対比)を販売。

この編集の打ち合わせを新横浜で行なう事にしたもの。

お昼の新幹線に乗る。
土曜日だけど、新幹線は満員。
今日の昼食は駅弁にしようと前日から決めていたので、まずはいつもの「天むす」を購入。
それから「まむし丼(わかってはいても、この名称には抵抗がある)」にビール。

あまりお腹が空いていなかったので、1時間がかりでのんびりビールを飲んで食事。
ちょっと優雅なひと時。

まさに、忙中閑あり。

旧友と早稲田で会食

旧友と会食

上海での表彰式後、日本へ移動。
打ち合わせなどをこなす。

夜は、久々の早稲田で旧友と会食。
会食を共にしたのは、合気道時代に副将だった釜口君。

会食場所を早稲田にしたのは、お互い大学が早稲田で懐かしかったのと、最近、ちょっと精神的に疲れているので、大学生を見て元気になりたかったから。

源兵衛という居酒屋に十数年ぶり(もしかして、20数年ぶり?)に行ってみる。
ここは、学生街だけあって、料理が何でもでかい。
シュウマイも、普通の2~3倍の大きさ。
されでも、昔よりはちょっと小ぶりになった気も・・・

ただ、大混雑で(思惑外れて学生おらず、年配の大学教授ばかり)、いまいち落ち着かないので、場所をかえ、畳に座ってのんびり飲む。

やはり、学生時代からの知り合いというのは、気心知れておりくつろぐ。
結構飲んだけど、あまり酔わなかった。
こんな感じで、ボーっとしながら飲める酒はありがたい。

コンサルティングをはじめて7年。

2002年の頃は、最初の本が出て、これが予想外に売れて、TVにも出た。
その時は、皆な(期待していないので)なんか有ると、「すごいすごい」と褒めてくれた。

今はその時より、やる事は大きくなってる筈だけど、なにやら文句ばかりばかり言われている様な気がしてげっそりするのは、被害妄想(?)か、疲れているからか。
ただ、どんどんプレッシャーが大きくなってきているのは確かだ。

釜口君と飲んでいるときに言ったんだけど、「大学時代は、安い居酒屋で、サントリーレッドを飲んでても楽しかった。でも、今は、ジョニーウォーカーの青じゃないと駄目だとか贅沢な事を言って、それでも更に楽しめない。仕事もそんな感じで、不感症になってるのかもしれない」なんて思ったりする。

ちょっと疲れを取ろう。

まだまだ先は長い。
やらなくてはいけない事がたくさんある。

いま僕がやっている事は、人にやらされているのではない。僕自身がやっている。
その気持をしっかり持って、あと、気分一新して頑張ろう。
仕事に対する純粋な好奇心を大事にして。

外高橋の表彰式に出席・10分のスピーチ

管理委員会簡主任助理、経貿処沈処長・肖副処長、新発展第二市場Yu総経理と

予定通り、外高橋保税区・功能区域企業大会議が開催され、M&C上海が、「外高橋保税区発展の為の優秀パートナー」として表彰された。

2時間の会議で、発言者は(上海市政府副秘書長・浦東新区副書記・浦東新区区長の李氏、外高橋保税区委員会の仲副主任という幹部の方々の発言を含めて)7名。

その内、外国人の発表者は2名(日本人は1人だけ)という事で、いつもと違った雰囲気で、ちょっと緊張。

僕の出番は、外高橋保税区管理委員会副主任の総括発表の前。

表彰者発表の総まとめという位置付けで、「外高橋保税区の発展に対する提言をしてくれ」という宿題が与えられていた。
そんな訳で、ちょっと長めの時間を頂き、「国際貿易拠点としての位置付けの明確化と進化」、「政府機関・外郭企業のみならず、民間コンサルティング会社を活用した政策協議の実施(アライアンスの組成)」、「対外的な政策発表の際のアライアンス活用」といった提案をし、総括時に、副主任より、「水野より良い提言を貰った」と繰り返しお褒めを頂いたので、肩の荷がおりた。

オフィスにて賞状を持って

そんな感じで、賞状を貰い、オフィスで記念写真。

海南島焼けの黒い顔に、賞状がちょっと浮いている。
が、華南以前に上海で表彰された。
2年間の上海での努力が認められた様で、素直に嬉しい。

外高橋との連携を、色々と作ってくれた、部下の盧君にも感謝。

外高橋保税区から表彰

ここ暫く、バタバタ続きでブログ更新が遅れがち。
もう少し、更新が若干遅れる期間があるかも・・・

ともあれ、かなり気持ははっきりしてきたのだけれど、今は、大きく分かれる方向性を決めるべき時。
頑張らねば。

あと、今週火曜に、外高橋保税区政府より優秀コンサルティング会社で表彰を受ける事になった。
これは嬉しい事。

スピーチも依頼されているので、気張っていこう。
M&C上海開業2年弱。

上海でも認知度が高まっているという事だ。


香港で泡盛を飲んで沖縄料理を楽しむ

最初に出てきた料理

BTMUの江上さん、大沢さん。
あと水本君と4人で沖縄料理を食べた。

ここ数年、香港で沖縄料理屋が増えているが(EN系列)、その内の一つの古酒・楽園。
ここは、沖縄のような雰囲気(だと思う。沖縄行った事ないので)で、なんともゆるい雰囲気の中でくつろげるのがよい。
最後に、そーきそばも食べれるし。

先ずは、海ブドウ。なす。餃子にさつま揚げ。

「最近、ブログで料理の写真もしっかり掲載する事にしたんですよ。蓄積ができてくると、レストランガイドとして使ってもらえるように」などという話をする。
とは言え、行く店が結構限定されがちな僕だけに、そんな活用に足りる件数の店が掲載できるかどうか、実際には不安ではある。
が、まあ、何事も努力してみよう。

そんな事を考えていたら、ゴーヤチャンプルが来た。
江上さんに持ってもらって、記念撮影。

しかしながら、今回のメンバーは、僕を除くと皆な30代だ。
江上さん、大沢さんは僕の10歳下。
元気な頃だよなぁ、と若干うらやましくなる。

そんな中、泡盛をがばがば飲んで、最後の〆はそーきそば。
小ぶりのお碗に入っているので、〆には丁度良い。

若者とくつろいで語った会食、という感じかな。

海南島の思い出

先日、「海南島を甘く見ていた」という事を書いた。
甘く見ていた理由は、過去に一回だけ行った海口出張と関係がありそうだ。

その時は、まだ丸紅香港現法の海口出張所がある時で、その後、卯佐木という焼き鳥屋(今は居抜で和居和居と言う店になっている)を開業して会社を辞めた、木山さんが所長をしていた頃だ。
そんな事で、木山さんと海口に出張に行ったのだが、当時の海口は、何となくうらぶれた風景だったし、所長が高級料理があまり好きではない人だったので、安い湖南料理かなんかを食べた記憶しかない。
いまいちインパクトに欠ける出張だったのだ。

あと、話は1989年までさかのぼるが、僕の同期が、海口出張所を立ち上げる為に、1年弱(かな?)張り付いていた事がある。
当時僕は福州で実務研修中だったので、お互い電話で生活・仕事の苦労話をしあったものだ。

今の海南島ならともあれ、20年前の海南島は、さぞかし苦労も多かっただろうな、と思ったりする。
まあ、20年前の福州も50歩100歩ではあるが・・・

リベンジの寧記火鍋(女激辛評論家あらわる?)

NNA香港さんと寧記で火鍋の会を開いた。
実は、2005年に、何かの記念講演会の打ち上げ(ビジネス講座の150回記念くらいだったかな?)で、
NNAさんと寧記で会食
をしたのだが、その時、胃腸を壊して絶不調。
それもあって、(メンバーは、僕以外総入れ替えだけど)同じ寧記でリベンジを果たそうという事になったもの。
先ずは、会食前の記念写真。
なにやら、火鍋屋とは思えないほどさわやかな雰囲気だ。

寧記に来たら、十中八九、頼むのは豆腐清湯と台湾麻辣湯のハーフ。
四川風も有るが、台湾風の方が、味が深いような気がするので僕的には好みだ。
とは言え、辛いスープで煮込むと食べる時つらいので、基本的には豆腐スープで茹でて、食べる時にちょっと辛いスープに付けるのがポイント。

僕は生根(油揚げボール)が大好きで、何回もお代わりをするのだが、一度、台湾麻辣湯に30分以上忘れられていた状態の物を、うっかり食べたら、あまりの辛さにパニックを起こし、何をして良いのか分からず、トイレに飛び込んだことがある(とは言え、トイレの中で何をするわけでもなく、中で立ち尽くして、冷静になって席に戻った)。
だいたい、こんな感じのもので、如何にも辛そうだ。

そんな逸話を紹介していたら、近山さんが、「私なら大丈夫な気がします」と挑発的な発言をする。
皆な引くに引けなくなり、「じゃあ、人数分辛いのに入れましょう」という事に。
一人一個がノルマとなった。

激辛生根の味に付いて解説を加える様子

最初に食べる近山さん。
「なんという事はないですね。この味は、深みがどうで、うまみがどうで・・・」という様な評論を始めるが、その姿は、先日柚子で、カレーうどんの評論をする滝沢さんの様だった。
激辛評論家出現か!?
激辛コラムをNNAで持ったらどうだろう。
なんてネタで盛り上がった。

ともあれ、そんな感じで言われると全員食べない訳には行かなくなり、恐る恐る食べてみる。
ただ、用心したためか、ゆで時間が短かったからか、全員、大事には至らずにすんだ。

すっかり辛くなった麺に戸惑いながらも食べる僕

その後は麺。
これも、勢いで辛いスープに入れる事になったので、「うわー、いつもと違うぞ~」と思いながら食べる。

そんな感じで、図らずしも辛さに走った火鍋会であったが、楽しく和やかに時間は過ぎたのだった。

最後は、福建省の話で盛り上がる。
もうすぐ迎える中国ビジネス解説300回記念の打ち上げ(企画をやってから打ち上げ)で、福建省(福州・廈門)に行き、実務研修生時代の水野の食生活を体験しよう!といって一騒ぎ。

では、実務研修生時代(1989年)、僕が福州で食べたものの再現とは・・・
● 市場で買った生卵で卵ご飯(1989年当時の僕は、路上で売られている卵だったが)
● ホテルのバス・トイレの洗面器から出てくる水で冷やしたざるそば
● 水牛の肉で強引に作ったすき焼き
という感じ。

これは、サバイバルゲームの様だ。
さすがに、一般公募をしても、希望者は集まるまい。

当時の僕は、よくそんなものを毎日食べていて体を壊さなかったものだ。