ジャカルタより戻って

昨日、14:25ジャカルタ発の飛行機で香港に。
定刻の出発・到着であったが、香港到着は20:20.
空港で急ぎの仕事をこなしたので、家に着いたのは23時であった。
ジャカルタでフルアテンドして頂いた佐藤さんと、最近の体重増加を踏まえて、昨日より10日間、お互い毎日走る(2日は休養日設定可)という目標設定をしたので、帰宅後、30程度ジョギングをする。
5時間のフライトの後だけに、さすがに体が重くてしんどかった。
ただ、深夜0時近いのに、ジョギングをしている人間(性別問わず)が多いのに驚く。
香港は平和だ。

今日は、朝面談、空港ピックアップ、引っ越しとイベント続き。
朝走ってから、このスケジュールをこなしているところ。
一昨日のNNA連載に、破産後の事業継続性に付いての原稿を寄稿した。
先日、場合によっては、破産をさせた後、別会社を作って継続するという方法もあるのでは、という意見をもらったので、実際にそれが可能かどうかを解説した。
これに付いては、後日(インドネシアの出張報告を終わらせてから)ブログで紹介しよう。

ジャカルタ滞在の報告。
まずは、到着初日の状況。
日曜日だったので、佐藤さんに市内を案内してもらった。
これは、旧市街地と跳ね橋。
跳ね橋は観光地のようで、地球の歩き方にも載っているというが、小さく、実際に行くと悪臭に辟易する。
観光地が少なく、観光ガイドも大変という事の様だ。
ジャカルタはインフラ整備の遅れにより、渋滞が恒常化している。
今回も渋滞に遭ったが、「ジャカルタ名物のまったく流れない渋滞は、こんなものではありません」との事である

これは、旧市街地のカフェでコロナビールを飲む佐藤さん。
この後、焼き鳥屋に繰り出す。

インドネシア滞在中

一昨日ジャカルタ到着。
恒常的な渋滞で、移動におびただしい時間がかかり、インターネット接続がなかなか叶わない。
ブログも引き続き更新が遅れた。
日曜日到着の2泊3日で、実質1日しか仕事ができない状況下(香港・ジャカルタで5時間の飛行時間。日本からだと7.5時間)、工業団地2ヶ所、企業訪問1件、及び、資本提携先のNACとの面談をこなす。

結論から言うと、インドネシアに市場としての可能性を感じ、個人的には強い興味を感じた。
その一方で、インフラ整備の遅れ、ある意味中国以上の労働争議、人件費の急騰など、安易な気持ちで進出できる場所でもない様だ(これは、ベトナムで仕事をされている方も、同様の発言をしており、ASEAN全般的に言える事かもしれない)。
昨日の面談で、インドネシア・中国双方で豊富な駐在経験をされた方が、「人件費の安さを目的とするなら、インドネシアには来ない方がよい。すぐに中国並みになる。これはベトナムも同じだ」と発言されていた。

その中で、自分自身が、インドネシアでどの様な展開をしていけるか、真剣に考えてみようと思った。
今回の視察を踏まえたインドネシアの投資環境報告は、後日、ブログでアップします(少し時間がかかると思うので、ジャカルタ出張の軽いネタから順次アップします)。

話は戻って、ジャカルタ出発前夜の香港。
クライアントの方々と四川料理を食べた後、SEED訪問。
SEEDではキープしてあるウィスキーを飲み、その後、ジンライムソーダ(SEED特製)。
そこで帰ろうかと思ったが、食べたりない方がいらしたので、同じ階の広島バクダンつけ麺に行く。
その方はつけ麺。
僕は、赤ヘルウィンナー(先日、SEEDの宮野さんが、赤ヘル軍団と名前を間違えた、たこさんウィンナー)を食べる。

ここ数日、食事量が増え、体重が1.5Kgほど増加した。
本日より食事制限実施が必要。

ジャカルタ出張前の業務整理

明日からジャカルタ出張。
昨日は、終日深圳日帰り講演会(懇親会付き)のため、E-mail処理ができなかったので、溜まったE-mailをさばいているところ。
17時にE-mail整理が終わったので、これからNNAの連載原稿執筆。
1時間以内に書上げて、引っ越し先に鍵をもらいに行き、それからクライアントの方と会食。
明日の荷造りもしていない。
イベントが多くて、少々息苦しい。

昨日の講演会(信金中金主催で、取引先限定)は約40人と、今月の講演会の中では一番小規模だったが、非常に熱心に話を聞いて頂いたのと、「本当に面白かった」と何名かの方から言って頂くなど、反応が良かったので、楽しく講演ができた。
前にも書いたが、コンサルティング会社は、飛び込み営業は意味をなさない。
口コミの他は、講演、執筆を繰り返し、話す内容、書籍・連載の内容に賛同してもらい、ご依頼を頂くのが営業だ。
その意味で、地道な活動を繰り返していく必要があるが、講演会は、反応がすぐに分かるので、やっていて面白い。

ただ、3月のスケジュールがあまりにハードであったため、4月の講演会は1回のみ。
4月28日に上海で無料講演会(2月20に広州で開催した講演会と、ほぼ同じ内容)を開催する予定。
会場決まり次第、ブログでもご紹介します。

移動だけで苦行

昨日の上海便は、18:20発の予定だったが、結局、動き出したのは20:30.
またもや、機内に2時間半閉じ込められて待機。
今回は、エコノミーなので、前回より辛い。
先行機の故障と、空港の混雑状況によると説明が有ったが、詳細は分からない。
ただ、上海発便は、ほぼ毎回1時間程度の遅延があるため、2時間程度だと遅延の内に入らないのかもしれない。
機内で、3月27日の広州講演会のレジュメを作成し、時事通信の原稿を執筆。
おかげで締め切りが迫った仕事はさばけたが、香港到着が23時になった。
また、預けた荷物が出てくるのが遅く、0時直前にやっとピックアップできたので、家に着いたのは深夜1時。
急ぎのE-mailを数本打ったら、2時になってしまった。

仕事のペースを落としても、こんな感じで移動だけで疲れ果てる生活には、若干、限界を感じてきた感がある。
ともあれ、昨日中に飛行機が飛んだおかげで、今日の講習会、明日の講演会に支障が出なかったのにはほっとした。
昨日書いたが、あと一週間は、イベント続きで大変。
ジャカルタでナシゴレンを食べるのが、目下の楽しみ(それ以外のインドネシア料理の名前が浮かんでこない・・・)。

上海より香港に

3日間ブログの更新ができなかった。
疲労困憊、という記載でブログが止まっていたので心配頂いたが、それ以降(3日間)意識的に仕事のペースを落としたので、通常の状況(体力・メンタル)に戻った。
上海の3泊4日では、面談5件、クライアント様向け講習会1回、会食2件をこなしたが、それ以外の仕事は、極力部下に任せ、ペースダウンしたもの。

これから香港移動。
明日(20日)は、クライアント様向け講習会。
明後日(21日)は、深圳で信金中央金庫様主催講演会。
23~25日は、ジャカルタ出張。
26日は、引っ越し。
27日は、広州商工会主催講演会。
という事で、しばしイベント続きだ。

ただ今成田

成田空港到着。
あまりの移動の多さに、日にちの感覚がなくなってきた。
さすがに体が追いつめられる様で、昨夜は夜通し呼吸ができなくなる夢にうなされて、1晩で3回飛び起きる。
3月が終われば、少しゆとりが持てる筈なので、何とかあと二週間乗り切ろう。
ただ、部下が成長し、各拠点が、組織としてしっかりと仕事をこなしてくれるようになってきたので助かる。
こうした部下、組織の成長が励みだ。
今日は14時発のJAL便で上海移動。
前回の遅延のお詫びか、ビジネスクラスにアップグレードしてもらった。
疲れている時だけに、有りがたい。


やっと日本到着

昨日キャンセルになった便は、今日の13時に無事に離陸。18時羽田空港に到着した。
その後、リムジンバスで帰宅したが、雨による渋滞で、家に着いたのは22時。
2日掛かりの長い移動であった。
まさにぐったり。

ただ、今回は、適宜状況に関するアナウンスが有ったし、ホテルの手配や対応も適切であったので、ストレスはあまり感じなかった。

思い出すのは、1997年の夏季休暇の際に乗った成田⇒香港便。
香港に接近した台風のために、便が1日延長。
仕切り直しの便(朝10時発)は、香港上空で長時間旋回し、着陸許可を待っていたが、結局、降りられずに沖縄に避難。機体に長時間閉じ込められて、結果、成田に戻ったのは夜11時という事が有った。
その時、長時間旋回していても、一切アナウンス無く、突然、「香港に降りられないので、沖縄に行き先を変更します」と告げられただけ。
沖縄でも、殆どアナウンスが無く、数時間後に、「成田に戻りますが、ホテルの手配が有るかどうかは、私たちには分かりません」という機長アナウンス。飛行機内が騒然とし、暴動になりかけ、関係ない僕まで、人々をなだめる事になった。
なかなか乗客の怒りが収まらず、人々が席に付かないと、最後に、機長が「何時までに出発準備が整わないと、この便は自動的にキャンセルになります」と脅しめいたアナウンスをして強引に出発させた。
結局、成田到着後、ホテルは用意されていたのだが、これは、致命的に、状況説明が不適切だっし、明らかに機長・客席乗務員の責任とも言えた。

それを考えると、今回の対応は非常によい。
機体故障は残念であったが。
JALも変わったな、という印象を持った今回の移動であった。
どっぷりと疲れたが。

ともあれ、そんな事から機内食を二回食べる事になったので、今日は和食。
和洋双方の味が楽しめたのは、幸か不幸か・・・

今回の日本滞在は、2泊に短縮されてしまったため、明日は朝一で確定申告に出かけ、それから面談先に。
明後日の14時には、成田発の飛行機に乗らなければいけない。
こんな短いスケジュールで、日本に何しに来たのか。という気にもなるが、明日1日でやるべき事をしっかりこなして帰ろう。


飛行機飛ばず(どっぷり疲れる)

ホテル内のバーとリーガル香港の部屋

昨日は、最終的に夜10時に集められ、当日中の修理が不可能なため、翌日(今日)13時の出発に変更になった事を告げられる。
この種の遅延が有ると、乗客が多いので、すったもんだの大騒ぎだ。
JALより配られたミールクーポンが、2軒立て続けに使用を断られたので、いったいどこで使えたのだろうか(説明書配布されず)、という疑問はあったが、それどころではなさそうなので、忘れる事にした。
機内で飲んだワインの量を考えれば、敢えて聞く話でもない。

その後、家に帰ろうかと思ったが、リーガルエアポートホテル(空港に隣接)を予約してくれたとの事なので、翌日の利便性を考え宿泊する事にした。
係員の誘導に従って、一旦、再入国手続きを取った筈だが、何時しか係員の姿が消え、大勢の人が、どこだどこだ、とうろうろしている。
やはり、外地だとスタッフ数が限られるので、こういう時には苦しいか。
どうすべきかと考えた結果、ホテルに直行する事としたが、結果オーライで、すんなりチェックインできた。
思えば、午後12時半に飛行場に到着したので、10時間程度飛行場にいた事になる。
どっぷり疲れた。

ホテルのバーを探して、軽く数杯。
バーで演奏している歌手が上手くて聞き惚れる。


出発大幅遅延(暴飲暴食要注意)

最初はシャンパン、次は赤ワイン

今日は、15;40香港発のJALで日本移動。
定刻に機内に入ったのは良いのだが、機体故障ということで飛ばない。
まあ、安全第一なので、しっかり点検してほしいものだと思いながら、機内で勧められるままにシャンパン、赤ワインを飲む。
美味い酒が飲めるので、ビジネスクラスにアップグレードした事を感謝する。
出発予定時間が、17時、18時、19時15分と徐々に延長され、機内食が配られたので、こちらも機内映画で「永遠の0」を見ながら、腰を据えて酒と機内食を堪能する。
結局、部品交換が必要という事で、一旦外に出て、21時半に再搭乗。
この時点で、6.5時間のディレイは確定したが、今回は、講演会が無いので余裕だ。
毎回、講演会に絡めて帰国するので、台風、降雪の時期ははらはらものだ。
この数年、綺麗に台風も雪も乗り切って、つつがなく講演会をこなした訳で、こんな余裕のスケジュールの時に遅延になるとは、相変わらず僕は運が良いと思う。

機内食を楽しんだ後に再度外に。搭乗やり直し。

ともあれ、19時半に一旦外に出て、また出直し。
HK$75の食券が配られて、これを使うかどうかは分からないのだが、ラウンジ、クーポン、そして再度機内食が出たひには、すさまじく食事をする事だろう。
本当は、昨夜の宴会で1Kg体重が増えたので、今日は節制しようと思っていたのだが、断念せざるを得ない。
わらしべ長者ならぬ遅延長者という感じで、食事と酒を堪能した半日であった。
さて、これから本当に飛行機は飛ぶことやら。
明日は11時、14時に都内で面談だ。
早朝東京到着して、面談に出かける事になるのであろうか。

あれから3年(ここ数日の生活)

昨夜は、夜9時に香港到着。
一本早い飛行機に変更してもらったのだが(18:20⇒17:30)、結局、50分のディレイで、到着時間は同じになってしまった。
なかなかうまく行かない。
疲れきっていたので、焼酎バー(クマールの店)に直行し食事と酒。
お陰で安眠できた。

今日は、朝10時にクライアントの方と面談。
その後、香港商工会で講演。
講演前の歓談時に、今日は2011年の大震災の日ですね、という話題になり、当時の事を思い出す。
あの日は、永田町の砂防会館で講演中(講演内容は、忘れもしないPE課税)に大地震が起きたが、殆どの方が続行を希望されたため、最後まで講演を継続。
ただ、その後、帰宅できなくなり、赤坂の日中投資促進機構のビルで一夜を明かし、TVで想像を絶する被害状況を見ていた。
当時を思い出し、切ない気分になった。

因みに、明日は、午後の便で日本に移動。
あまりの過密スケジュールで、体が悲鳴を上げている。

そんな中、ちょっと楽しいニュースは、作家谷垣氏に依頼している、半生記のリメイク版の企画書が出てきた事。
非常に面白く、さすが作家と、才能を感じさせる内容だ。
フィクションを全面に押し出しているので、僕の半生記という感はなく、「主人公が水野に似ている面が無くもないな」と思わせる程度。
これは、僕の希望でもある。

思い起こせば、最初の本を出したのは2002年。
それから、改訂版(大幅なアップデート作業をしたもの)を含めれば、約25冊の本を出版した。
中国翻訳版(台湾・香港販売用)、韓国語版(韓国販売用)も出た。
有り難い事ではあるけれど、こうなると、本を出すことに関する嬉しさがなくなってしまい、忘れられないために、毎年数冊は出す「義務」という気持ちになってしまっている。
最初の本が出た時の感動と喜びは、すっかり失われてしまた(売れれば、別の喜びが有るのであろうが、対して売れないビジネス書では、その喜びも無い)。
ただ、今回の様な、ちょっとひねった企画(僕が執筆した本ではなく、企画しただけだが)は、久々のワクワク感がある。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ