こぼれ話(洞窟ホテル)

大学時代の中国旅行(1985年夏)の写真が出てきたので見直してみると、なかなか面白い。

当時は綺麗だと思っていたホテルが、写真で見直してみると悲惨なほどぼろぼろだったりして、記憶と実際のギャップが随分あるのが分かる。

当時の1ヶ月の中国旅行で一番印象に残ったのが、輪タクに騙されて(?)泊まった、杭州の「洞窟ホテル(写真)」である。

病み上がりで気が弱くなっていた僕は、杭州駅で輪タクに「ホテルを紹介してやる」と言われて、そのまま着いていってしまった。結果として紹介されたのがこのホテルであるが、外から見ると工事現場にしか見えない。部屋代は一泊5元程度だったと記憶しているが、保証金を100元取られ、パスポートも預けなくてはいけない。こんな条件では、今ならさっさと断っているが、当時は押しが弱かったのか、そのまま部屋に泊まってしまった。

しかし、この部屋はひどかった。

地中にあるので、当然窓は無い。部屋は小さい。トイレもシャワーも共同。ドアの鍵をかけておいても、朝7時半ごろになると、ホテルの人が部屋の中を掃除していたり、ひどい場合は、目を覚ますと物売りのおじさんが、カタログを持ってベッドの脇にいた事もある。

更には、隣の部屋の人、そのまた隣の人等が、次から次へと現れ、「列車のチケットを買ってあげよう」、「外貨兌換券を人民元に替えてあげよう」などと言って来る。

悪い事には、北京行きのチケットがなかなか買えず、このホテルに一週間も泊まる事になったが、ホテルの部屋が限られていたので、連れの同級生と、男二人で小さなベッドに寝る羽目になり、(お互い)大変不愉快であった。

結果的には、保証金もちゃんと返金してくれたし、騙された訳ではないのだが(輪タクに紹介料をよこせとすごまれた程度)、当時は中国語もろくに分からない為、一体何が起きているのか分からず、随分精神的なプレッシャーを感じた。

これは、よほど強烈な印象だったようで、あれから、20年弱が経過した今でも、仕事等でストレスが溜まると、必ず部屋に閉じ込められる夢を見る。


広州⇒南沙⇒広州⇒香港(南沙の視察)

朝一番で南沙に行く。

南沙の誘致担当部門と打ち合わせた後に、南沙・東莞(長安・東坑)で工業団地を建設・運営している香港の会社と打ち合わせ。その会社は、数名の日本人を雇用し、日本にも誘致目的の事務所を有している。ここ一年間の付き合いがあるので、南沙の工業関連スポット数箇所を案内してもらった。

南沙に始めてきたのは3年前。その時は、道を鶏が歩いているような状況で、「開発が進むまでに、まだ5年はかかるな」と感じたが、来る度に建設が進んでいる。現段階は、建設が本格的に開始された感じで、トヨタの工場付近は、見渡す限り一面パイル打ちが行われており、ある意味壮観である。1〜2年後には、景観が全く変わることであろう。

昼は、新しく出来た南沙大酒店で、工業団地運営会社の社長(香港人)と会食。

早めに会食を切り上げると広州に戻り、日系建設会社の現地法人社長と30分打ち合わせ。

終わって直ぐに、準備してもらった社有車に飛び乗ると、ぎりぎりのタイミングで15:45の香港行きの電車に間に合った。

香港到着は6時前になるので、会社に戻らず、直接会食に出席する事にする。

写真は、南沙開発区指揮部の前にいる、部下の浜田さんと工業団地の誘致担当の方。

香港⇒広州(内輪の会食)

<香港⇒広州>

午後一番の電車で広州に出かける。

最近、出張頻度が少ないので、出張に出かけるときはそれなりに嬉しい。

広州に到着すると、広州会社の社長と打ち合わせ。

一時間強、誘致の実績報告と今後の展開、今期の決算と来期予算等を打ち合わせた。

夜は内輪で会食。

久しぶりに沢山食べた。


香港(賀詞交換会など)

午前11時半より日本商工会主催の賀詞交換会が有ったので出かける。

広いスペースに大勢の人が押し寄せ、ごった返しているので身動きが取れないほどである。

総領事、日本人クラブ理事長、商工会会頭等の挨拶が30分で終わると、あとは立食で料理・酒が振舞われる事になるのだが、決算の締め日で酒を飲むわけにもいかないので、早々に退席した。

午後に、丸紅香港華南会社が提出している商業企業(独資卸売企業)の批准状況(商務部の認可手続)に付き問い合わせた結果がE−mailで入っていたが、どうも、日系企業関連はサスペンドとなっている模様。一次的なものか長期的なものかが分からないので、別ルートで探りを入れる事にする。

当社の申請は、9月末に広東省の認可を取得し、直ぐに商務部に転送されている。その後、国慶節明けに追加書類を提出したので、どの時点を起点とするかは難しいが、何れにしても3ヶ月程度が経過している。規定では、商務部が受理した後、3ヶ月以内に認可するかどうかの回答を出す事になっているので、そろそろ白黒はっきりしてもよい頃であるが、商務部では受理証が発行されないので、受理されたのが何時なのかわからない。どうにも、やきもきする。

今日は、期末決算の最終日である。午後4時ごろには全てのデータを入れ、計数を予定通りに固めた。あとは、変なデータを入れる人間がいないかどうか見張るだけである。システムが締まる夜8時まで見張り、問題ないことを確認して帰宅した。

尚、探していた学生時代の中国旅行の写真が出てきた。周りの人間から、顔が全く違うといわれ、意外な気がする。

思い出話エッセイに数枚使う予定であるが、20年前の中国の様子が意外に面白いので、この写真を使って随筆を作ろうと思い立つ。

因みに、写真は1985年の上海・豫園市場で、スープを食べている僕。


香港(新作の準備でふらふら)

暫く前から、新著の作成に取り掛かっている。

本当は、時間が経ってアップデートが必要になっている「初めての中国ビジネス」の大改定をやりたいし、それ以上に、今までの書籍の集大成版を作って、最近の大幅な制度改定に対応したい。

とはいえ、集大成本というのは、見方によっては二番煎じ的な(似た様な本を出しているなぁという)感想をもたれてしまう可能性もあるので、出すタイミングが難しい。それを勘案すると、集大成本の作成は、もう少し先にした方が良さそうだ。そんな訳で、ちょっと趣向を変えて、契約書・申請書をふんだんに使い、それをベースに中国進出関連の手続を解説する本を作る事にした。一日中、日本語・中国語の書類と格闘していたので、夜には頭がふらふらするし、軽い頭痛もする。ただ、中国進出実務を担当する方には、確実に役に立つ本が出来そうである。

2002年から毎年行ってきた「中国ビジネス・投資Q&A」の改定は、今年は見送り。

「中国ビジネス・会計税務用語集」の改定は、2006年早々に行う予定(2005年中旬より準備)なので、今年の出版はその本1冊だけになるかもしれない。

香港ポストで今月から連載される、思い出話エッセイ(中国コンサルタントができるまで)の原稿は既に完成しているので、この出版社が決まればよいのだが・・・


香港(本社の後輩が結婚)

本社の同僚から電話があり、僕の1年下の同僚が結婚するという。

僕の1年下なので40才のはずだが、相手は25才の中国人の女性(某大学の留学生)との事。彼は、最近業務のストレスで随分まいっている様であるが、これで少しは精神的に救われるであろう。めでたい事である。

彼は、1993年〜98に上海・北京で駐在している。丸紅上海会社(保税区法人)は、1992年の開設だが、僕は出張ベースでここの社内制度を作り、出張所から現地法人への移管のスケジュールを決めた。こうして、一応僕が作った仕組みの上で、彼が実務を行ったわけだ。とは言え(僕が作った規則は、“さわり”程度のものなので)当時海外経験の無かった彼の立ち上げに於ける苦労は大変で、かなり辛い目にも有ったようである。とは言え、彼を始め、関係者の努力もあり、当時僕が立てたF/S(フィージビリティスタディ)では、黒字化が非常に厳しいと思われた上海会社も、現在は隆々とした会社になっている。あの当時、社内では、世界三大現地法人に位置付けられている香港会社と、出来立ての上海会社とでは、天と地ほどの規模の違いがあったものだが、10数年たった今、両者はほぼ同格になっている。まさに時間の流れを感じる。

昨年末から始めたホームページ開設作業が、着実に進んでいる。会員企業向け専用コーナーには、規定集だけでなく、契約書・申請書の雛型、開発区のデータ(地価・電気・水道代など)を入れる予定であるが、この収集・翻訳もほぼ完了した。

1月末の開設を目標に、作業を急ぎたい。


香港(決算作業の目処が立つ)

期末決算の目処がついた。

クロージングが来週の月曜日なので、かなりスムーズな決算である。

今期は、何度も何度も決算・見通し関連資料を作らされたので、いいかげんうんざりしていたが、実際の決算はその分楽になった。

コンサルティング関係の質問は、まだ比較的少ない。まだ、新年が本格的に動き出していないのだろうか。但し、企業誘致関連は非常に好調で、進出のサポートをさせて頂いている企業が、仏山、広州、恵州等に順調に決まっている。

進出場所の選定は、企業のニーズによって適切な場所が異なってくるので一概には言えないが、特に自動車関連においては、仏山市と言うのは良いロケーションだと個人的には考えている。

そんな事を考えていると、共同進出を検討している日本企業数社から、丸紅も含めて共同出資で会社を作れないか。その上で、こちらが管理機能を提供できないか。という提案を受けた。

その企業団は、深センテクノセンターを視察しているので、その様なイメージ(但し、国内販売をしたいので、独資企業を作りたい)を持っているのであろうが、少なくともコンサルティング部としては、この様な個別案件で投資を行う事はできない。又、その企業団も、生産が軌道に乗ってきたらスピンアウトしたい様なので、採算がたち難く、案件としては無理筋の感がある。

やはり、地方政府や開発区に仕組み(経理税務・労務・通関・その他管理業務に関するサポート体制+標準工場)を作ってもらい、僕(コンサルティング部)がそれをバックアップする形にした方が、実現性があるのではないかと思う。実際に、幾つかの地方政府から、この様なプロポーザルを受けているので、彼らのパフォーマンスを見た上で仕組み作りを考えたい。

今日は、そこそこの時間に仕事が終わったので髪を切りに行く。

2ヶ月以上切っていないので、髪がぼうぼうになってしまっていたのが、やっとすっきりする。

散髪後、軽食を取ろうと、一人でカウンターバーに行く。30分ほどで切り上げるつもりが、偶然、クライアントの方と隣の席になったので、2時間弱居座ってしまった。マスターも客も、ウィスキーのうんちくがたくさんある様で、それらを聞いていたら参考になったが、まあ、僕は飲んでるだけでいいや、という感じ。食事は、チーズをちょっとつまんだだけだが、大変美味しかった。因みに、今日の昼食はインスタントのダイエット食(写真)。

麦粥(70カロリー程度)、春雨麺(140カロリー程度)等、色々な種類が出ておりなかなか美味しい。最近、ブログに写真を載せていないので、ダイエット食の写真をとっていると、部下達が「暇だと思われるから止めてください」と非難する。

香港(仕事始め)

今日は仕事始めである。

朝一番で、両親を空港に送ると、会社の朝会に参加する。

朝会が終わると、期末決算に突入。大荒れに荒れた今期の決算を締めくくるべく準備をする。

昼食は、麦粥。インスタントなので、お湯を注ぐだけであるが、思ったより美味しくてよかった。2個食べたが、腹に力は入らない。

インスタント粥を食べながら、昼休みは、早稲田学報の原稿書き。今ひとつ取って付けたような内容になってしまったが、一応、以来通りの内容を1350字で書き上げた。

夜8時前に、最低限の決算準備が整ったので、家に帰って原稿を書く事にする。華南シフトの原稿の締め切りが明日だし、ブログ用の日記を数日分書く必要がある。

何やら、夏休み(冬休み)最終日の小学生の様だ。

家に帰る前に、行きつけの焼鳥屋で、おでんとタコ刺しをテイクアウトする。

原稿を書き上げたら、おでんを食べながら飲もうと考え、近くのコンビニでビールを2缶買う。ビールとおでんの包みを下げて歩いていると、なにやら漫画に出てくる、酔っ払ったサラリーマンのようで可笑しい。

ともあれ、今日からまた慌しい生活が始まる。


マカオ(カジノ見学)

ホテルにこもっていても暇なので、マカオタワーに観光に行く。

高いタワーであるが、展望台の床がガラス張りになっていたり、命綱を付けてタワーの外(空中)に出られたりと、想像を絶する企画が盛りだくさんである。

日本だったら、まず許可がでないであろう。

高所恐怖症の僕としては、足がすくんでしかたない。頭がふらふらするので、早々に退散した。

ホテルに戻り、ジムで9KM走る。

夜は、父親と一緒にカジノを見学。

父親は興味深げに、ルーレットやカードを見ているが、僕はさっぱり興味が湧かず。

やはり、賭け事には向いていない。

1時間弱でカジノを出たが、比較対照が無いので良さが今ひとつ分からない。

ただ、施設内の管理が良さそうで、思ったよりも安全なのが印象に残った。

しかし、賭けをしている人間が、思っていた以上に多くてびっくりする。


香港⇒マカオ(新年)

お昼のフェリーでマカオに向かう。

最近、マカオに縁がある。

ウェスティンホテルに宿泊し、あまりに暇なので、(ゴルフ嫌いの僕としては)滅多にやらないゴルフの打ちっぱなしをする。1時間ほど球を打ち、ホテルに戻ろうとしていると、「水野さん」と呼ぶ声がする。誰かと思えば、ビジネスパートナーのマカオ人の方であった。

マカオに行くと、この方には色々なところで声をかけられる。まさに狭い社会である。

クラブハウスでコーヒーを飲みながら、マカオの投資制度について雑談をする。

暫くすると、話が数ヶ月前にオープンした新しいカジノに及び、大変良い雰囲気なので、是非行ってみろと勧められる。僕は賭博に関する知識が全く無いので、行っても何も出来なさそうであるが、新しく開いたカジノは最近のマカオの景気を牽引する一つの要素でもあるので、後学のために見に行ってもいいかな、と考える。

因みに、カジノ内には、良いレストランがあるようだが、子供とマカオの公務員は、(例えレストランだけの使用でも)カジノ施設に立ち入る事が禁止されているらしい。意外に厳しい。

夜はホテル内の広東料理を食べる。

普段はあまり積極的に中華を食べない僕が、最近、やたらと中華が食べたくなるので不思議。

元旦だからという事で、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、20年ものの紹興酒を頼む。

やはり良い酒は美味しい。