上海⇒広州(久々の広州到着)

午前中仕事をこなすと、2時前にオフィスを出て虹橋空港に到着。
出発は4時で、広州到着は6時。
そこからレストラン(利苑という店でなかなか美味しい)に直行して、ビジネスパートナーの方、出張者、広州会社高橋社長と会食。
広州にはかなり来ていない。
昔は、広州に来ると落ち着いた気持になったものだが、最近では、上海の方がはるかに落ち着く。
広州にももう少し来なくては。

宴会開始は7時頃。
和やかに会食し、9時に終了。
今日は、二次会無しでホテルに帰り、10時半には就寝。
体がしんどいので助かった。

上海(マイツの方々と会食)

昨日は、上海到着してから面談を2件こなすと会食となった。
業務パートナーの方々(中国企業)との会食で、総経理も出てくるので、少々警戒して参加。
何を警戒したかと言うと、当然、乾杯。
先方は、総経理を含めて5名(内、女性2名)。
こちらは、4名(内、女性1名)。
一見、乾杯要員は遜色ない様に見受けられるが、当方、酒が飲めるのは僕と水本君の2名だけ(男性中国人の部下は、運転してきたから飲めず⇒「車置いて来いよ」という感じ)。
相手は、女性を含め、全員飲むので形勢不利は明らかで、特に、女性の一人がしきりに過酷な乾杯を持ちかける曲者。
「ビールはやめて上海老酒を飲みましょう」という相手側総経理の強いこだわりで、いきなり、老酒の乾杯が繰り広げられる。
最初は、受けてたつのは大半僕だけ。
盛んに、相手方の部下が、乾杯を持ちかける。
「このまま行くとまずい」と考え、水本君に「君がもっと先手を仕掛けて、相手を弱らせてくれ」と指示を出す。
これが功を奏して、まずまず余裕を残して、会食を終えた。
水本君はギブアップ寸前で、這うようにしてホテルに帰っていったが、時間が早い(会が終わったのは8時半前)ので、よく寝て回復できたようだ。



今日は、仕事をこなすと、夜はマイツの池田社長以下と会食。
上海で似た様なビジネスをする訳だし、面識作りの意味合い。
NNAの三井さんが仲立ちをしてくれた。
オフィスを見学させてもらう。
たいそう立派なオフィス。
1993年から上海に根付いて大きくしたそうで、僕は何時になったらこれだけ大きなオフィスを持てるかな、と感心しながら見せて頂く。
その後は、伊藤家で会食。
伊藤家開業早々、池田社長の奥様が、味付け・作法の指導をされたと言う事で、こだわりのある店との事。
一次会、二次会、たいへん楽しく盛り上がりました。
マイツ様、NNA様、ありがとうございました。

香港⇒上海(またしても更新遅れ)

月曜日の朝便で上海に移動。
今回は、水本君が同行。
面談、宴席、移動(水曜日に広州に移動、木曜日に香港に移動)が続き、ブログ更新が全然できずすみません。
本日既に6月2日ですが、1週間弱更新していないので、心配されてしまいました。
忙しさでかなり体はまいっていますが、元気で頑張っていますので、ご安心下さい!
週末更新します!!

東京⇒香港(日本も長いと疲れる)

朝11時発の飛行機で香港に戻った。
ホテルを出たのは、朝の7時過ぎ。
ただ、昨日はいろいろな経緯で2時半まで飲んでいたので、3時間しか眠っておらず、生き地獄のような移動であった。
飛行機の中では、死んだように寝る。

ちょっと面白かったのは、飲んだ帰り、一人でタクシーを拾い、行き先(飯田橋)を告げたら、運転手さんから、「お客さんは、中国の方ですか?」と言われた事。
中国語も話しておらず、中国の人とも一緒におらず、それで間違われるとは、中国コンサルタントとしてのオーラを放っているということだ!と自分で勝手に解釈する。
「日本人ですが、中国に住んでるんですよ。よく分かりますねぇ」と言って、ちょっと盛り上がった。



昨日は、社内の懇親会から、神田⇒六本木と回って、結果として(上に書いたように)2時半になってしまったもの。
最後のスナックでは、店の方から、携帯電話に取り付ける猫(のようなぬいぐるみ)をもらった。
これは、折りたたみ式の携帯電話に取り付けると、携帯を抱いている様に見えるし、そのまま電話も掛けられるという優れもの。
自分で使っていたのを僕にくれたので、「悪いですよ」と断ったら、「いや、あなたはこの子(猫の事)を可愛がってくれそうです。よって、私が持っているより、この子が喜ぶでしょう」と力説された。
そんな経緯で、ありがたく頂いたが、なにやら、ぬいぐるみを可愛がる人と思われたり、外国人と思われたり、楽しい一夜であった。

東京(今だから話しましょう。去年何を悩んでいたか)

5月20日のブログで書いた通り、上海+香港に丸紅100%出資のコンサルティング会社を設立し、その社長を兼務している。
昔から僕が書いていた将来像(先ず、香港・上海にコンサルティング会社を作り、次に、この統括会社を日本に作る。その上で、上場を目指す)の第1ステップが実現した事になる。
まだ第一ステップだけど、ここまでなかなかたいへんだった。

実は、1年以上前に、丸紅香港華南会社主体でコンサルティング会社を設立しようという話があった。話はかなり大詰めまできていたが、急な主管者交代で、これが白紙に戻ってしまった。
これが昨年(2005年)4月の事である。
更に、昨年9月、今年(2006年)の4月に僕が日本(経理部)に帰任する事が、香港華南会社主管者と本社の間で合意されてしまった。
現場で積み上げてきたものが、あっけなく白紙に戻ったのが4月。異動が決まったのが9月。
この流れは良くないぞ、と真剣に悩んだわけである。
日本に帰るのが嫌な訳では無い。
里心もちょっと付いている。
ただし、会社も出来ず、会社の対応部が日本に無い状態で帰国すると、今まで積み上げてきたもの、つまり、5年かけて、少しずつ築いてきたビジネス・部下・組織・クライアントの方々がゼロになってしまう可能性が極めて高い。
組織が自然消滅すれば、部下達にも申し訳が立たないし、クライアントの方々にもご迷惑をかける。それ以上に、自分が信じて作り上げてきたものが、みすみす壊れるのを見たくはない。
昨年、「会社を辞めようか悩んでいる」と、ブログに書いていたのはこれが背景。
僕は好き好んで会社を辞める人間ではない(それ程、変化を好むわけでもないし)けれど、状況によっては、最悪の結果も已む無しと腹を括ったのが昨年夏だった。



ただ、会社を辞める事を考える前に、(制限時間はついているけど)出来る限りの事はしようと思った。いろいろ話をした結果、捨てる神あれば拾う神あり、という表現が正しいかどうか分からないけど、僕のビジネスに興味を持ってくれる部門が現れ、出資に応じてくれた。
僕の所属部長だった経理部長も、僕の帰り方にオプションをくれた。
そして、今回の会社設立が実現した訳で、理解を示してくれた各位には、どれだけ感謝をしても、し足りない。

勿論、会社設立がとんとん拍子にいったわけではなく、稟議を出すまでの間の、現地(社内)での調整はきつくかったし、これには大いに悩んだり困ったりした。
春からの続いたゴタゴタの結果、精神状態はかなり悪くなった。
ストレス性の喉・口の痛みはまだ付きまとっているし、血圧は1年で跳ね上がった。更に、夜は電気を消して寝られない。
こんな感じでストレスに満ちて、健康を害した1年だったけど、なんとか会社を設立したし、1年前に、現地完結で会社を作ろうとしていた時よりも良い結果に繋がった。
出資をしてくれる部門は、金融、物流、人材などを一貫して行っている部門なので、ここと連携してフルパッケージでの請負を行う事も出来るし、逆に、コンサルティング部分だけ(M&Cだけ)の小回りが効く対応も可能となる。
悩んだり焦ったりしたなかで、応援してくれる人たちもたくさんいて、この方々に力をもらってここまで来た。だから、応援して頂いた方々には、今でも深く感謝している。

困ったり、悩んだり、感謝したり、喜んだり。
本当に、喜怒哀楽にとんだ1年だったけど、その結果、今の自分があり、M&Cがある。
恩のある経理部の背番号も外して、出資してくれる部門に籍も移した。
この案件紐付きなので、この事業を成功させるしかない。

次は第2ステップ(日本統括会社の設立)に繋がるように、自信を持って頑張ろう。
ちょっと気を許すと、すぐ自信を無くしそうになるので。
まだまだ、活動は始まったばかり。
僕のビジネスのアイデアはまだまだ不十分で、もっと頭を使わなくてはならない。
課題山積だけれども、一つづつ解決していこう。
その姿を見ていてください!


東京(コンサルティング会社設立)

今日(20日)の日経新聞朝刊の記事通り、コンサルティング会社を上海+香港に設立した。
M&C上海、M&Cサウスチャイナという2社で、僕が社長を兼務する。
会社は既に設立済みで、これから正式営業を開始。

実は、新聞記事になるまで、一切の広告をサスペンドしていた為、ブログにもかけなかったのだけれど、2月に僕がお祝いをして、ドンペリを飲んでいたのは、会社設立稟議が通ったから(この会社は丸紅100%出資のコンサルティング会社)。
いつもガーデンホテルの付近で食事をしているのは、オフィスがガーデンホテルの敷地内にあるため。
今まで、上海に会社が無いので、華東の会員企業の方々に、ちょっと不便な思いをさせてしまっていたのだけれど、これで体制が整った。
これから本腰を入れて、華東展開をしていこう。
この会社の設立に関しては、いろいろと話したい事とか、経緯とかあるのだけれど、これは次回(明日か明後日)という事で!

ともあれ、目標の第一段階を達成しました。
これから先の目標に向けて頑張ります!


東京(出版記念講演会)

朝はキョーハンブックスさんと打ち合わせ。
「今年は、Q&Aの改訂版を出さないといけないですね」と、出版予定を話し合う。
2004年の状況と、かなり変わっているので、数ヶ月時間を要しそうだが、これはやらねば。



打ち合わせが終わると、汐留の全日空本社で講演会。
13時からのスタートなので、12時半を目処に到着する事とする。
ただ、前日、水本君がプリントアウトしてくれた会場の地図を、うっかりそれをホテルに置き忘れてしまい、30分歩き回る。
致し方なく、水本君に電話を掛けて「どうやっていくんだっけ!?」と聞きまくる。
これが逆の立場だったら、腹を立てているところであるが、我慢強い水本君は、怒る事もなく道を教えてくれた。
なかなか真似できない忍耐強さである。
なんとか12時15分には会場に到着。
僕の出番は14時45分なので、それまでの間レジュメを懸命に読みまくる。



講演とパネルディスカッションは、筧、白戸、孫、田中先生各位と共同。
今まで、書籍で名前は知っていた方々であるが、お会いするのは初めて。
皆様、たいへん良い方々で、楽しくご一緒できた。
パネルディスカッションは、事前打ち合わせが殆どなく、ぶっつけ本番であったが、無事終了。
ただ、1時間20分のディスカッションの、最初の10分経過時にトイレに行きたくなり、たいへん焦る。あとは我慢の1時間10分。
我慢していると、つい会話(質問)を聞きそこないそうになり、胆を冷やす。
ともあれ、終わってみれば、講演会も順調だったし、懇親会も楽しかったし、良い一日であった。


上海⇒大阪(上海で感じた事)

今日は夜便で大阪に移動。
大阪到着は21時。
今回の出張で初めて知ったのであるが、上海⇔大阪の移動は飛行時間が1時間40分。
上海⇔香港は2時間。
飛んでいる時間は、上海⇔香港の方が長い事になる。
上海・香港兼務は、上海・大阪兼務と同じくらいの大変さ!という事になるな。
物理的には。
ともあれ、夕食はまたも機内食であるが、出てきた食事がすごくまずかったので、殆ど食べられず。すきっ腹を抱えての大阪到着となった。

話変わって、今回の上海で感じたこと。
(その1)
今日の昼食は、竹村そば(2回目の利用)。
店の日本語の上手いおじさんは、なかなかどっしり構えたタイプ。
このおじさんは、昼食の注文を取るときにも、必ず「生ビールは如何ですか」と言う。
昼からビールを、当たりまえのように勧めるのは、かなりアナーキーだが、言い方があまりに自然で説得力があるので、油断すると、「はい」と言ってしまいそうになる。
気の弱い人間は、飲めなくても頼んでしまいそうだ。
この自然な進め方は、かなり年季の入った技に違いあるまい。

(その2)
前回の上海滞在時に、「ベッドが落ちた」という話をしたら、ベッドから落ちたの間違いではないかと思われたようである。
上海のベッドは、下が四角の箱になっていて、その上に板が被せてある。
これに、マットを乗せてその上に寝るのであるが、下の箱部分の板がすごく薄いので、寝返りを打つと、被せてある板がずれて、下に落っこちてしまうもの。
これは、完全に構造上の欠陥だ。
さらに、年代ものなので、すごく重く、直すのが大変。
これから、「いつ落ちるんだろう」とどきどきしながら寝ないといけないな。
たいへんたいへん。

上海(ロビンギブのコンサートに行ってきた)

予定通り、ロビンギブのコンサートに。
8PM開始なので、時間は比較的余裕。
運よくあっさりとタクシーがつかまったので、7PMには会場(上海大舞台)に到着。
朝8時半に、香港空港でラーメンを食べてから固形物を口にしていないので、コンサートが終わるまで何も食べないのはちょっときついが、「コンサートの余韻に浸りながら食べよう」と、歯を食いしばって、空腹で会場に。

コンサートスタート。
最初は静かな歌いだし。
昔(小学校の頃)、毎日のように聞いていた、「若葉の頃」や、「To love somebody」にはジーンときたし、改めて、ヒット曲が多いんだなぁと感じる。
同時に「小さな恋のメロディ」の本を心ときめかせて読んで、サウンドトラックを毎日聞いていた小学校の頃の自分を、しみじみと思い出す。
あの頃は純粋だった。
子供の頃って、感受性が豊かだったなと思う。

それから、段段アップテンポになって、畳み掛けるように盛り上げていくところはさすがで、「You should be dancing」、「ステインアライブ」、「トラジェディ(これが聞けるとは思わなかった)」とファイナルにつないでいく構成で、会場は盛り上がっていた。
僕は、リズムにのれないのがコンプレックスなので(フォークダンスでも、盆踊りでも、ジャズダンスでも、チークダンスでも、民族舞踊でも、踊りと名のつくものは絶対できない)、Should be dancingと言われても踊れないのが残念だけど、楽しかった。
選曲もよくで、聞きたい歌は、リビングアイズを除いて全部聞けたし、アンコールも含めて、ステインアラブを2回歌ってくれたのは嬉しかった。

聞いているときも楽しかったけど、半日・1日経ってからの方が、しみじみと幸福感を感じるコンサートだった。
やはり、子供の頃の記憶も一緒に蘇ってくるからだろうな。
時間の経過、歴史の蓄積を感じる。
何とかなく、これから、歩いている時に、ふとナイトフィーバーを口ずさんでしまって、知らない人から古い人間だと思われそうな予感がする。

満足して、串揚げを食べに行く。
食事にありついたのは、14時間ぶり。食事が凄く美味しい。
楽しく食べて、いつもの様に花木欄に行って、就寝。


香港(外資企業の出張所開設規制のその後)

先週は、金曜日に1回、かなり投げやり(と思われても仕方無さそう)な更新を一回しただけの状態で、一週間で3500以上のヒットがあったようだ。
こうなってくると、「見てくれた人は、見るたびに内容が変わってないので、がっかりしたかなぁ。とか、怠け者め!と思われたかなぁ」とあれこれ考えてしまう。
やはり、ヒット数がわかるというのはプレッシャーになるものだ。
明日からは、上海⇒日本の出張に行くが、ともあれ、デジカメ画像の取り込みコードを持っていって、なるべくこまめに更新するようにしよう。
忙しさを言い訳にはできまい。
ともあれ、金曜日は、東京で講演会。



さて、中国ビジネス解説に、「外資企業の出張所開設規制」の原稿が更新されたが、間が悪い(?)ことに、これがアップされた日に、本件に関する方針が打ち出された。
原稿の執筆日が4月23日で、方針公布が5月10日だったので、ちょっとタイムラグが生じてしまった感じ。
という訳で、中国ビジネス解説の原稿を補足する意味もかねて、5月10日に公表された「外商投資投資企業関連審査登記管理法規適用における若干の問題に関する執行意見(国家工商行政管理局・商務部・税関総署・外貨管理局)」の内容を解説してみたい。

先ず、たくさんの方からご質問を頂いたのであるが、いろいろと誤解が生じている模様。
というのは、現在問題となっているのは、「外資企業(外国企業の出資比率が25%以上となる中国現地法人)が国内に開設する出張所」であって、「外国企業の出張所」ではないという事。
外国企業の出張所の方より、「これを機に現地法人に転換した方が良いか」というご質問を頂いたが、少なくともこの理由だけなら、「不要」というのが回答になると思う。
ともあれ、今年に入ってから問題となっている(開設登記が認められていない)のは、飽くまでも、「外資企業の国内出張所」であり、両者は似て非なる存在であるという事を理解する必要がある。



本件の経緯は、以前紹介したので割愛するが、今回の執行意見の内容は、簡単に取り纏めると以下の通り。
●中国の法律は、外商投資企業が、中国内に出張所(弁事機構)を解説することを禁止しておらず、既存の出張所は、継続する事ができる。
●外資企業の出張所は工商登記を必要としない。
●出張所は営業に従事する事が禁止されている。
 会社登記機関は、出張所が営業行為を行う事に対して、管理を強化する。

よって、外資企業が中国内に持っている出張所は、営業許可の期限が切れても、そのまま合法的に存続できるという事。
勿論、実務上は、登記の無い状態での活動は、就労許可の取得、その他の実務に際して、支障が生じる可能性があるので、今後は、徐々に出張所から分公司への転換が進んでいくものと予想される。



ただ、深刻な問題が予想されるのが、保税区企業の区外出張所。
現在、保税区企業の大部分が貿易会社であり、保税区貿易会社の大部分は、区外に出張所を有しているが、大部分が実質的な営業を、出張所が行っているため。
今回の通知により、保税区の区外出張所でも、登記無しで存続できるという理解でよいと思うので、(営業許可の更新が出来ず、営業期限切れのまま宙ぶらりんになっている区外出張所が少なからずあるが)これらは、この状態のまま、オフィスを構えていても良い(合法的)という事になる。
問題となるのは、同執行意見が、出張所が営業活動に従事する事を改めて禁止しており、今後、管理監督を強化する方針を打ち出している点。
今までも、所管の工商行政管理局が、「保税区の登記場所が営業実態を備えているか。区外出張所が営業を行っていないか」をオフィスにチェックにくる事が、稀に有ったが、今後はこの様な管理が強化される筈である。
これによって、基本的には、保税区企業の区外移転、というか、区外の会社の新設を余儀なくされるであろう(保税区に営業場所を移転させるのはちょっと現実的ではないため)。

勿論、急激にこの様な対応を行うと、保税区の存続に深刻な影響を与える為、それなりに慎重な対応がとられる期待はある。
但し、中期的に見れば、あるべき論への転換が迫られると思われる為、後になって慌てぬように、今から、取れる対応をとっておくべきであろう。