第二外国語とゼミの思い出

5月2日に、中国関係に足を踏み入れる過程を書いた。
まあ、偶然に導かれてすんなりと来たような感じだが、それでも、幾つかのピンチがあった。

一つは大学の第二外国語。
中国語は人気があったので(単語が日本語に似ていて簡単)、抽選があったようだ。
中国語に落ちるとロシア語に自動的に回されることになっていたらしい。
⇒ 社会主義という事以外は大違いだ。
  ひどいぞ早稲田。
まあ、選ばれてよかったが。

あとはゼミ。
なんせ、成績が関係ない(当時、早稲田の政治経済は、6割程度の学生しかゼミに入れなかった。よって、ゼミに入るにも優の数が問題になってくるケースが多い)ので、なんだかんだで希望者は多いゼミだった。

定員の20名を超える学生が集まったので、先生が、「性格的に学生を落とすのは好きではないので、ゼミの実態言っておくけど、就職には全く使えないゼミだよ。コネゼロだし。それでも希望する人は、何時間後にもう一度ここにきて申し込んでくれ」と発言。
これで、来なくなってしまった人間が結構居たので、これで無事ゼミに入れた訳である。

なんとも気が抜ける顛末であった。
まあ、ゼミの発表は2年で1回だけ。
卒論20枚。
超楽勝ゼミであったのは確かである。

表彰式でのスピーチ

全然話が変わるけど、外高橋に表彰された時、スピーチしている際の写真を入手した。
ちょっとぼけてるけど・・・

変わったものだ米事情

先日の日経新聞に、「コメの対中輸出前面解禁へ」という記事が載っていた。
変わったものだコメ事情。

1989年に福建省の福州に実務研修に出かけた時、初日にしたのはコメの確保だった。
当時の自由市場というところ(比較的良いものが手に入った)で、コメを買ってきたのだが、大変まずい。
ざるを振って、小石出して、何度もといで炊くのだが、透明ではない白さでばさばさ。
炊飯器から出して5分経つと固まってしまう。

当時オフィスが入っていた温泉大飯店の従業員食堂では、ご飯はブロック状になっていて、トングでつまんで、皿の上に乗せてくれた。
ご飯はよそう物ではなくて、つまむ(はさむ)もの。
そのぐらい水分が無くて、カチカチであった。

最初は、「コメなら何でも食べられますよ」と言っていた僕であるが、当時の福州のコメを食べてぎゃふんといった。
まずいコメってのはあるものだ。
思い知ったあの瞬間。
出張者も、皆同じ反応であった。

コメはあるのに、コメに飢えていた当時。


取引先の人が、香港出張に行く時、豪州米を5Kg買ってきてくれた事があるが嬉しかった。
廈門の免税品店で、日本種米、タイ米が買える事が分かったら、廈門出張が嬉しくて仕方が無くなった。
その後知れば、香港の廉価スーパーで売っているコメと同じ種類であるが、これらが手に入ったら、心からほっとしたものだ。

当時はまさに、コメにまつわる思い出が一杯だった。

それから約20年。
中国のコメの品質自体も上がったし、日本からの輸入米も手に入る。

まさに別世界だなぁ。